鉄血の姫騎士はもふもふ羊の夢を見るか?

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鉄血の姫騎士はもふもふ羊の夢を見るか?

 白馬にまたがったその女騎士は、全身を見事な金属鎧で覆ってはいるが、頭には兜もつけていない。

 彫りの深い横顔からは何の表情も伺えず、名工の手になる彫刻もかくやであった。

 銀の長髪が風にたなびいている。

 彼女が率いる軍勢の瞳は、誰一人として余さずその美しい姿に吸い込まれていた。


 小高い丘から戦場を見下ろしている。

 前線では王国と帝国の軍旗が入り乱れ、混戦の様相を呈しているようだ。

 本営からの伝令が彼女に駆け寄った。

 命令書を受け取り、内容を確認すると、表情を変えぬままゆっくりと頷く。


 そして彼女は、おもむろに剣を引き抜き天に向かって掲げた。


「全軍、突撃!」


 旗下の軍勢すべてから一斉に鬨の声が上がり、彼女の軍はひとつの鉄塊となって帝国軍の横腹に叩きつけられた。

 絶妙なタイミングでの横撃に、帝国軍に混乱が走る。


 数刻ののち、戦場に立っていたのは王国軍のみになっていた。

 帝国の兵たちはみな打ち倒されるか、逃げ出していたのである。


「さすが我らが姫騎士様! 今回も勝ち戦じゃ!」

鉄血てっけつの姫騎士様が率いる限り、我らは無敵ぞ!」

鉄血姫てっけつひめ、万歳! 鉄血姫、万歳! 鉄血姫、万歳!」


 勝利に興奮する兵たちが、拳を突き上げて彼女を口々に称える。

 そんな熱狂の中にあっても、彼女の表情はわずかたりとも緩んではいなかった。


 * * *


 王国軍の野営地。

 貴族用の個人天幕の中で、寝台にぐったりと横たわる女がいた。


「もう……ほんとにイヤ……戦争、早く終わってくれないかなあ……」


 涙目になりながらぼやいているのは誰あろう、先ほどの鉄血の姫騎士である。

 戦場で見せていた姿が嘘のように、心底疲れ切った表情になっている。


 彼女の名はアンジェリカ。地方の小さな男爵家の長女である。

 郎党の数も少なく、小競り合い程度であるならわざわざ動員されることはないのだが、今回の戦は大きすぎた。

 帝国が全面的な侵攻を仕掛けてきたために、彼女の家にも招集がかかったのだ。


 このような場合、普通であるなら男児のいずれかが手勢を率いていくものなのだが、アンジェリカの家に男の兄弟はいない。

 家長である父は病床に伏せており、妹たちはまだ幼い……。

 消去法的に、仕方がなくアンジェリカが出陣することとなったのだった。


 家を出たときの手勢はほんのわずかだった。

 代々仕えている騎士が2人に、農兵が8人。

 アンジェリカの土地は牧畜が盛んなため、全員が騎馬であることだけが唯一の強みだっただろうか。


「そのへんの大貴族様の部隊に紛れ込んで、後方でおとなしくしてようと思ってたのに……どうしてこんなことに……?」


 幼なじみのシープスからもらったお守りを握りしめて自問する。

 それは、羊飼いたちに伝わる勇気の守りというものだった。

 小さな布袋の中に、飼っている羊の中からいちばん上等な毛を一房と、贈り手自身が倒した狼の牙を一本入れて作るのだ。

 そしてこれを贈ることは、羊飼いにとって愛の告白と同義であり……そこまで思い出して、アンジェリカの白い頬がぽっと赤くなった。


「シープスから勇気をもらったんだから、しゃんとしてなきゃと思ってただけなんだけどなあ……」


 アンジェリカの計算違いは、領地を出て招集場所へ向かう途中からさっそくはじまっていた。

 立派な白馬にまたがり、背筋をぴしりと伸ばした勇壮な戦乙女の姿に惹かれて、義勇兵たちが次々に合流を申し出てきたのだ。

 アンジェリカとしては内心の恐れを気取られないよう必死に取り繕っていただけなのだが。


「気がつけば全軍でも五本の指に入る大軍に膨れ上がってるとか、予想できるわけないじゃない……」


 大量の義勇兵を率いて参陣したアンジェリカは、王国軍本隊にも熱狂をもって迎えられた。

 異様なほどに士気が高まった王国軍は、そこから連戦連勝を繰り返し、劣勢だった戦況を押し返しつつあるのだった。


 激しい戦いの中でもまったく表情を変えないアンジェリカには、いつの間にか二つ名がついていた。

 鉄のような表情のその下には、きっと血に飢えた闘争心が隠されているに違いない――すなわち『鉄血の姫騎士』と。


「そんなわけないじゃんもう! 剣の稽古なんかしたことないし! なんならすぐにでも実家に帰りたいし!」


 だが、泣こうが喚こうがその願いは叶わない。

 次の作戦での役目もすでに決まっているのだ。

 お守りの中に指をつっこみ、羊毛を指先で揉んで精神の安定を図る。


「ああ、もうそろそろ毛刈りの時期か……。毛を刈る前の羊に抱きついて、思いっきりもふもふしたい……。でも、さすがに間に合わないだろうなあ……もうすぐ夏がはじまるし……」


 アンジェリカの精神がいくらか落ち着いてきた頃、天幕の外でバサバサと羽音が聞こえた。

 アンジェリカは天幕をそっと開いて、外にいた大鷹を中に招き入れる。

 先ほどまでとは打って変わってにこにことした表情で、大鷹の足に結び付けられた小さな筒を空けて内容を確認する。


「今日は何を送ってくれたのかな。わ、これはチーズだね。シープスが作ったチーズはほっぺたが落ちるからなあ……ひとかけだけだから、大切に食べないと。それから、これはなんだろう? 手紙を読めばわかるかな? あっ、ごめんごめん。すぐに返事を書くから待っててね」


 アンジェリカは干し肉を大鷹に与えると、急いで羽ペンを手に取った。

 この大鷹はシープスが飼っているものであり、遠く離れたアンジェリカとの手紙のやり取りを担っているのだった。


 誰にも見られる心配のない手紙だから、アンジェリカも気負いなく本音が書ける。

 アンジェリカはあれやこれやと手紙を書き直し、大鷹が干し肉を三枚平らげたところでようやくペンを置いた。


 * * *


「姫騎士様、何をされておいでで?」


 アンジェリカの軍勢は薄暗い森を進んでいた。

 馬上で何か奇妙なものを振り回しているアンジェリカに、一人の騎士が尋ねた。

 この騎士は新参で、どこぞの貴族の末弟らしい。

 手柄の匂いを嗅ぎつけて、アンジェリカの軍勢の麾下に入ったのだ。


 計算ずくでの行動だったのだが、いまではすっかりアンジェリカに心酔してしまい、彼女の近衛を買って出ている。


「戦神に捧げる祈りのようなものだ。気にするな。それに、こうも寂しい森では音楽のひとつも欲しくなるものだろう?」


 アンジェリカが振り回しているのは、シープスが贈ってくれた狼払いの回し笛、というものだった。

 重い木を削って作ったもので、紐をつけて振り回すと不思議な音色を立てる。

 羊飼いの怨敵である狼を近づけない効果があるとされていた。


 いま進んでいるのは黒牙の森と呼ばれる森林だった。

 狼や熊、猪などの野生動物が多く、それを恐れたアンジェリカが手紙に書いたところ、シープスがこれを使えと回し笛を届けてくれたのだ。


 アンジェリカに与えられた任務は、この森を抜けて帝国軍の後背を突けという奇襲作戦だった。


「なるほど、このような森では辛気臭くて兵たちの士気が下がりますからな。ご慧眼、おみそれしました。いっそ兵たちに歌でも歌わせますか?」

「うむ、それもいいだろう」


 狼が怖いだけだと言い出せないアンジェリカが鷹揚に頷くと、騎士は兵たちに命じて歌を歌わせはじめた。

 森中に大軍の歌声が響き渡り、警戒した動物たちが逃げ出していく。


 結果として、黒牙の森を抜けるまで危険な動物に出くわすことはなかった。

 そして、森から溢れ出た動物の大群によって混乱した帝国軍は、アンジェリカの奇襲を待つまでもなく壊走することになったのである。


 これにより、アンジェリカには「狼使いの姫騎士」という異名が増えたのだった。


 * * *


 王国軍の連日の大勝により、帝国軍との停戦が成立した。

 国家としての地力は帝国側の方が勝っていたのだが、快進撃を続ける王国軍の勢いに恐れをなしたのである。


 これによりアンジェリカも軍を解散し、ひさしぶりに故郷へ帰ることができた。


「おかえり、アンジェ。ずっと心配だったけど、無事でよかった」


 凱旋したアンジェリカを出迎えたのは、細身で長身の青年だった。

 栗色のくせっ毛に柔和な表情。

 心細い戦場で、この顔を思い浮かべて心を奮い立たせたことが何度あったか。


「うん、なんとか無事に帰ったよ! 会いたかったー!」

「ちょっ、ちょっと。みんな見てるよ!?」


 馬を降りてシープスの胸に飛び込んだアンジェリカを、兵たちがにやにやと眺めている。

 本当のアンジェリカを知らない義勇兵たちはもういないから完全に気が緩んでいたのだった。


 二人の仲は領民たちの間には知られているから、見られたところで醜聞にはならないのだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。


 こほんと咳払いをして、アンジェリカは兵たちに早く家に帰るようにと促す。

 兵たちは指笛を吹いてからかいつつ、それぞれ家路についた。


「戦場で恐れられた鉄血の姫騎士様が、地元じゃまるで羊毛の姫騎士様だ」

「やめてよもう。大変だったんだから」

「ごめんごめん、でも本当に無事に帰ってきてくれてよかった」


 シープスはアンジェリカをそっと抱き寄せると、その額に口づけをした。

 アンジェリカはシープスの身体をぎゅっと抱きしめる。


「すごく、すごく怖かったんだからね……」

「そばにいてあげられなくてごめんね。僕が守ってあげられたらよかったのだけど」

「ううん、シープスは守ってくれたよ」


 そう言うと、アンジェリカは戦争中に送られてきたシープスからのプレゼントの数々を取り出した。

 紙片に書き込まれた手紙の束、勇気の守り、狼払いの回し笛に、大事に味わっていたチーズの残りなどなど。


「これがあったから、なんとかやっていけたんだから」

「うーん、気持ちは嬉しいけど、さすがに食べ物はすぐに食べてもらった方がよかったかな」


 シープスが苦笑いすると、アンジェリカは明るい顔で笑い返した。

 こんな表情は、この地を出発してからずっとしていなかったものだった。


「さて、なにはともあれ間に合ってよかったね」

「間に合うって、何のこと?」

「おや、忘れちゃったのかな?」

「もったいつけないで教えてよー」

「羊の毛刈りだよ。アンジェリカは毛刈りの直前の羊を触るのが好きだったろう?」

「ええっ、ほんとに!?」

「ああ、今年は毛の伸びがいまひとつだったからね。毛刈りを遅らせていたんだ」


 アンジェリカはシープスに手を引かれ、羊の放牧地へと向かった。

 そして戦場で夢にまで見た羊のもふもふを思う存分味わったのである。


 シープスが「アンジェリカが帰ってくるまでは」と主張して、毛刈りを遅らせていたことを知ったのはそれからしばらく後のことだった。


 * * *


 数カ月後、夏が終わりを告げて秋が深まりはじめた頃。

 アンジェリカの領地にある森に、十数の騎兵が潜んでいた。


「いいな、我らの目標はただ一人、あの忌々しい鉄血の姫騎士だ」

「はっ! 委細承知!」


 隊長格らしい騎兵が告げると、兵たちが低い声で応じた。

 この軍勢は帝国軍の手の者で、目的はアンジェリカの暗殺であった。


 先の敗戦の原因はアンジェリカが現れたことによる異様なまでの士気にあったと考えた帝国が、停戦中にも関わらずこのような陰謀を企てたのである。


「奴の屋敷まで一気に駆け抜け、火をつけてあぶり出すぞ。松明に着火せよ!」


 火打ち石の音が鳴り、深夜の森に無数の赤い炎が灯った。

 騎兵の集団が森を駆け出し、アンジェリカの屋敷に一直線に向かっていく。


 ――そのときだった。


「ぐわっ!? なんだこれは!?」


 突如として上空から襲いかかった何かに、隊長が悲鳴を上げた。

 暗闇から現れたその何かに、その顔をかきむしられたのである。


 続いて、率いられた兵たちも悲鳴を上げる。

 暗闇の中、足元に現れた何かに驚いた乗騎が言うことを聞かなくなったのだ。

 パニックに陥った馬から、騎兵たちが次々に落馬していく。


「僕の婚約者フィアンセに夜這いをかけようだなんて、感心しないな」

「くそっ、貴様は何者だ!?」

「単なる羊飼いだよ。鉄血の姫騎士様の将来の夫でもあるけどね」


 暗闇の中から姿を表したのは、ひとりの青年だった。

 右肩に大鷹を乗せ、手には羊飼いの持つ杖を持っている。


「羊飼い風情が何を言うか!」

「その羊に、君たちは負けたみたいだけど」


 青年が指差す先には、のんきに草をはむ羊の群れがいた。

 これが馬を驚かせ、彼らの突撃を止めたのだった。


「だ、だが貴様一人で何ができる! 帝国騎士を舐めるなよ!」

「僕一人だなんて、言ったつもりはないんだけどね」


 青年の言葉に、帝国の兵たちは思わず固まった。

 周辺から沸き立つ殺気を感じ取ったのである。


「俺たちの姫様に手を出そうなんて太え野郎だな」

「お嬢様の安眠を妨害することは許されませんよ」

「降伏すれば命までは取らん……というのが普通だろうが、お嬢様の命を狙うとは万死に値する」


 帝国兵たちを取り囲むように姿を表したのは、アンジェリカの行軍にはじめから加わった騎士と農兵たちだった。

 体勢を崩した帝国兵たちに、彼らが振り下ろす武器へ抵抗するすべはなかった。


 * * *


 春。羊たちが柔らかい牧草をみ、肥え太りだす頃。


 白いドレスを身にまとったアンジェリカがいた。

 彫刻のように完璧な美貌と謳われたその顔は、いまは生娘のように真っ赤に染まっていた。


 遊牧民に伝わる鎧を身にまとったシープスがいた。

 お人好しを絵に描いたような青年の顔は、いまは歴戦の英雄のように凛々しく引き締まっていた。


 祭祀さいしが木椀に注いだ馬乳酒に、まずはシープスが口をつける。

 続けて、同じ椀の酒をアンジェリカが飲む。


 祭祀が告げる長い長い祝詞が終わって、二人はようやく微笑んだ。


「これでようやく、正式に夫婦だね」

「もう、王国の制度はいちいち面倒なのだから」


 王国では、貴族が結婚する際には事前に王都の法務院へと申請を出し、それが認められなければならないのだ。

 こんな田舎貴族が誰と結婚しようが大勢に影響はないだろうと思うアンジェリカであったが、決まりは決まりだ。守らないわけにはいかない。


 シープスの家系は周辺一帯の羊飼いたちの族長であり、実際のところアンジェリカの家よりも強い力を持つのだが、爵位にこだわる王国としてはなかなか認めづらかったらしい。


 戦争がはじまる前から申請は出していたのだが、認められたのは1年以上経ってからのことだった。

 先日の暗殺未遂事件からアンジェリカを救ったことを名分に、これ幸いとシープスに準男爵の地位を与えたのである。


「本当だね。もっと早く認められていれば、アンジェを戦場に行かせることなんてなかったのに」

「それは言わない約束でしょ。傷ひとつなく帰ってきたんだから」

「ごめんごめん、最愛の妻のこととなると、つい熱くなっちゃってね」

「……もう、シープスったらそうやってすぐ誤魔化すんだから」


 小声で談笑をしながら、祝いの言葉をかける領民や羊飼いたちの間を歩く。

 人々のまく色とりどりの花びらが、二人の頭上にいつまでも、いつまでも降り注いでいた。


 * * *


 後世の歴史家は語る。

 帝国との第一次戦争で名を馳せた鉄血の姫騎士、あるいは狼使いの姫騎士の逸話は不思議なことにそれ以降まったく耳にしなくなる。


 代わりに名を挙げたのは、姫騎士の夫となった成り上がりの牧人であった。

 神算鬼謀と称され、数々の武功を挙げたが、すべて英雄たる妻の指示に従っただけの操り人形だったという評もある。


 歴史上の人物に対する評価は主観によって異なるものだが、間違いなく事実として言えることは、二人の間には三男二女が設けられ、生涯側室も愛人もいなかったこと。


 そして、彼らの領地ではいまでも牧畜が盛んであり、多くの羊が牧草をんでいることだけだ。


(了)

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