逃走経路

 数時間すると熊沢に壊された硝舎の機器類や重機の修理は硝舎の保守を専門とする特別な部隊が来て修理に入った。私のドローンは、バッテリーが彼らから補充され、本体の方には故障のないことが分かった。保守部隊は明らかに人間の姿とは違う旧式の四足歩行ロボット達だった。彼らは作業の後始末が済み、自分たちの部隊の硝舎に乗りこむと、ロボットの無機質な銀の腕がモニター端末を班長の前に差し出した。そこにはおそらく修理内容が書かれているのだろう。彼女はそれを読んで画面に何かを書き込む仕草しぐさをすると、銀の腕が折りたたまれモニターの端末を収納し始め、それと同時にロボット部隊の硝舎が砂塵さじんを巻き上げて動き出した。彼らは我々に挨拶あいさつすら言うことなしに、ひっそりと暗闇へと消えていった。

 それから二日ほど、いつも通りの柱の爆破に従事した。熊沢が来る前と同じような繰り返しが続いた。ただ、自分の心は前と違っていた。目の前の物たちが色をなくし、毎回の爆破の閃光せんこうがいつもより暗く感じた。暗闇を見上げゴーグルに落ちる水滴を、面白がってふき取ることももうしなくなっていた。

 私は仕事への意欲が薄れてきたせいもあって、注意が散漫になっていたらしい。柱を爆破したときの衝撃を爆心地に近いところで受けてしまった。地面に倒れた拍子に脳しんとうを起こし意識が混濁こんだくしてしまった。意識が少しはっきりしてくると、硝舎内の通路の床で無造作に寝かされていることに気づく。身を起こすと頭痛がするため、目を閉じたまま動くのをやめた。しかし、耳だけは周囲の状況を捉えようと働き始める。

 そのとき、声をひそめて誰かと話す班長の声がした。ヘッドセットの消音装置をオンにしていないので話の内容が筒抜つつぬけだった。

「紗英、スーパーワイヤーが接続される前に戻ってきて来れないか。そちらに迎えをやるから」

「前も言ったでしょ。もう圭吾の所にはもどらない。あなたは上級の選民よ。一人で上空都市の生活を送りなさいよ」

 この前画面で見た父親と班長との会話のようだ。

「紗英、お前のいないこの数年がどれほどつらかったか。前のように一緒になろう」

「あなたは私の養父よ。でも私を子供のころから娘としてだけでなく、女としても扱ってきたわ。私はあなたから逃れるために看護師になったの。戦場に行って人の生き死にもみたわ。もう子供の頃の私じゃあないないの。束縛しようとしないで。私は自分の人生をこれから歩むんだから」

「有坂といたいのか?」

「何言ってるの? 彼は同僚よ。そんな関係じゃないわ」

「今の地下の暮らしは、紗英が送るべき生活と思えないんだ。

 前のように紗英が結婚したいといった、あの相手の男...名前はなんて言ったっけ。んと、まあいい。とにかく、あの彼と今度は一緒に住めばいい。紗英だって私と一緒に暮らさない人生なんてあり得ないはずだろう?」

「私はここに居続ける。自分がしたい通りにする。誰の指図も受けない。今まで、あなたとの関係を知られないようにするために、傷つけなくていい人たちまで傷つけて...だからそっちへは帰らない」

 いつものか細い声が途切れ、しばらく沈黙があった。

「でも安心して。スーパーワイヤー計画は絶対に成功させるから。それが私の圭吾へのはなむけよ」

 班長のその言葉を聞いた私は、起こしていた上半身をゆっくりと床に寝かせた。そして、居心地が悪く感じて静かに目を閉じた。


 熊沢がいなくなって二日後にまた食糧の補給に専用の硝舎がやって来た。持ってきた食糧を我々の硝舎に自動で載せ終えるのを認めると、私はこいつの倉庫部分のハッチを勝手に開け、内部をのぞき込んだ。すべてを出し切って中はがらんとし、人が入り込むには充分な空間がある。地下で働く大勢の者たちに食糧を配り終えて、最後に、やっと我々のところにたどり着いたらしい。硝舎の壁や床は3Dプリンターで作られたらしく、電子回路のボードと硝舎の壁とに境目がなく一体に作られていて、内壁はコンデンサや抵抗などの電子部品が壁内部に埋め込まれており、倉庫内から見るとそれらがうっすらと透けて見える。人を運ぶ硝舎と違い、運搬用のためだからか、無味乾燥むみかんそうな内装だった。ずいぶん簡素なつくりだと思う。大昔の木造船のように、ほったらかしてその辺に置き去りにしたら、ちて無くなってしまうのではないだろうか。

 私と班長は通信機器など最低限の装備を携え、この補給用硝舎の倉庫に静かに乗り込んだ。周囲を恐る恐る見回し、警告のアナウンスがあるかもしれないと息を凝らす。しかし、補給用硝舎は何も言わず、黙って勝手に動き出した。

「ずいぶん、無防備ですね、これじゃあ囚人が看守の目を盗んで乗り込めてしまう」

「脱獄にはもってこいね」

 補給用硝舎が走り始めると舎内は暗くなる。自分たちの端末の明かりだけがこの場を照らし続ける。

 我々は三〇分以上、一定の速度で走り続けた。どこへ行くのか端末機器の地図には何も目標となるものが表示されず、行先の見当がつかない。班長が倉庫のハッチを少し開けるが、そこに広がるのは、普段見慣れた完全なる暗闇だけだ。管制官は我々が持ち場を離れたことに気づくかもしれない。そろそろ端末機器を通して何か言ってきそうなものだが、そのときはそのときで無視を決め込むつもりだ。

 そうしていると、硝舎が速度を落とした。私はハッチの扉から外を垣間かいま見ていると、霧のように水蒸気を吐き出す横長の施設が姿をあらわした。そこは黄色い回転灯かいてんとうがあちこちで回り、油やプラスチックの焼ける不快な匂いが立ち込めている。ここから、この硝舎は地上へ上がるのだろうか?

 この硝舎のまわりには数台の他の補給用の硝舎が見える。この施設の入り口の前で四列になって並んでいる。どうやら中に入るまで待機しているようだ。このまえ修理に来た四足歩行のロボットの類似品たちが硝舎の下でせわしなく動いている。ロボットは何かよくわからない金属の機械を手際よく外している。我々の硝舎にもやって来ると、ガタゴトと音をたてて同じようにそれを外していった。硝舎は暗い緑色の照明の屋内へそろりそろりと自動で動き出す。もしかしたら、上から届く補給物資が来るのを待っているのだろうか。だったらその運搬用のリフトか何かへここで乗り換えるべきかもしれない。

 我々のいる硝舎は硬いものが不規則に当たる音がしたかと思うと、建て付けの悪い家が強風にあおられたような震動があった。そして不意に振り子のような揺れがあって、二人は倉庫内の壁に手をついて姿勢を保つように踏ん張らなければならなかった。想像では硝舎が上に吊り上げられたように感じた。そのあと外壁を何かで擦るような、いや、シャワーの水で洗い流しているような音が聞こえてくる。

 すると、たちまち壁や天井が、湿った段ボールのように柔らかくたわみ、ろうのように溶け始めた。壁には小さい穴が開いてきて、それがじわじわと大きくなっていく。外からは液体が吹き込んでくる。

「これは」

「外に、はやく」

 二人はハッチを開けた。外は液体がこっちに向かって四方八方から噴射されていて、ゴーグルにもそれがかかる。ただの水のようにも思えたが、嗅いだことのない酸っぱい匂いがした。この液体は硝舎の樹脂製の壁を溶かしているようだが、我々の装備に対しては損傷を与えていないようだ。

「こっちへ逃れよう」

 硝舎は二mぐらいの高さへるされていた。そばに水平の鉄骨の梁があるのを見つけると二人はその上に飛び乗って、液体が降りかからないところまで猫のように歩いた。ふり返ると、ここまで乗ってきた硝舎は、横壁の樹脂がすべて解け落ちて下にある溝へ流れ落ち、骨組みだけの姿になっている。しかし、しばらくすると、その骨組みもやがて溶けて痩せこけ、糸を引いて溝に落ちて流れていった。残ったのは硝舎を吊るしていたフックだけだった。私の装着するゴーグルにもあの液体がかかったけれど何の損害もないようだ。あの壁と違う材料で出来ているのだろうか。

「ここでは溶かした樹脂を燃やして発電しているのかも」班長は溶解した樹脂の溝が続いている先の方を指さす。噴射されている酸っぱい溶液の霧の向こうに、ここよりも明るい大部屋が見えて、灼熱しゃくねつ色のかまが確認できる。数十メートル先にあるそれは規則的な機械音を出している。

うそだ! そうじゃない、そんなずは」私は、もう訳が分からず、感じたことを口にしていた。

 硝舎の材料がこの地下で普段我々の使う電気エネルギーに変換されていることを悟った。地上からやってきた物資とそれを運ぶ硝舎はすべてこの地下においてエネルギーとして消費される仕組みというわけか。これはつまり、地上と地下とのやりとりが、一方通行であるということを意味していた。もう私は地上に行くことができないということなのか。

 私は呆気あっけに取られたまま施設のあちこちをだらだらと歩いてまわった。班長は気を使っているのか、私の後を黙ってついて来るだけだった。服を着たまま、蒸し風呂に入っているような不快さを感じ、施設の外へ出た。

 しばらく立ち尽くしていると、私たちを捉えるために治安部隊が到着した。この部隊長は、置き去りにしてきた私たちの硝舎へ送り返してやると我々に告げた。後でなんらかの罰を受けるらしい。

 私たちは治安部隊の硝舎の中に連行され椅子に座らせられた。周りには部隊員たちが監視のために座っている。私は周りを見回した。治安部隊の隊員がふたりいて、真向いに座っている、チベットスナギツネに似ている男に声をかけて世間話をした。そのとき何気ない調子で先日の三一地区で起きた脱獄囚人たちによる破壊活動は鎮圧したのかと尋ねた。

「囚人が勝手に柱を破壊してまわっているだって? 知らんよ。そんな事件は聞いてない」隊員は無表情で答え、それ以上の無駄話はお断りだ、という仕草しぐさをしたあと黙して語らなかった。

 この前、管制官は我々とのやりとりで我々が増田の暴挙を食い止めます、と提案したところ、治安部隊を送るから平常の作業に戻れと言った。一方でこの治安部隊は増田の件を知らないと言っている。まるで増田たちの活動を誰も気にしていないみたいに。なぜ増田は特別扱いされるのだろう。前にも増田による地上民への脅迫計画は、誰かが入知恵したのではないだろうかと思ったけれど、あの管制官がそれをしたのではないだろうか? 私の管制官への不信感は以前より強くなっていく。熊沢の囚人が発狂して死んでいった事故についてもそうだ。管制官は調査隊を送ると言って、結局やって来たのは増田たちだった。私は初めのうち管制官の職務放棄は事なかれ主義からくるものだと思っていたが、そうではなく、不穏な破壊活動に意図して手を貸しているのではないだろうかとさえ思えてきたのだった。

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