地下の労働

 ドローンから送られてくるモニターの映像では栗原班長が増田たちの硝舎から解放されている。私はあの小動物のような班長が無事であることに安堵あんどしていた。

 この硝舎に彼女が戻ると近づいて身体からだの前後を眺めてみる。班長はそれに気づいたらしく恥ずかしそうにうつむいて顔を赤らめた。赤くなっている耳元から首にかけて擦りむいた跡があるのに私は気づいたが、大した怪我けがではなさそうなので何もふれなかった。

「無事でよかった」と私が言うと傍にいる熊沢も一緒にうなずく。

 私たちは端末で周囲に移動する硝舎がいないかを確認しながら近隣の地区へと移動し、増田たちから離れた。近くにいる別の班と連絡を取り合ってみたが、昨日、管制官から伝えられ予定されていた調査隊が三一地区に来た気配はなかった。その間、緊張から解放されて増田とのかけ引きのことを私は自慢げに二人に語った。班長と熊沢はそのときの私の心境や何を考えて行動したのか興味深く質問してきたからだ。

 班長は囚われていたとき、増田の硝舎の窓からドローンの動きを見ていた。自分の居場所を誰も知らないだろうから、ドローンの仕掛ける爆薬で自分が爆破されるんじゃないかと焦ったらしい。

「昨日の晩、私を救った班長を殺すわけないでしょう」私は笑いながら答えた。

 しかし、あのまま増田が駆け引きに乗ってこなかったら、増田たちの2台目の硝舎を私は爆破することになっていたはずだ。もしそうなっなら自分はどうしたらよかったのだろうか。今考えるとその答えを用意しておかなかった自分に愚かさを感じ、背中に嫌な汗が出てくる。

 そうしていると我々の会話を遮るように硝舎の運転台に埋め込まれている端末に通知が届く。管制官からの連絡だった。

 モニターに管制官の顔が映った。私は彼と初対面であることに気づいた。声は班長との会話で聞いたことがある。彼の風貌は四〇代ぐらいで口元にたるみがあり、頭髪が多くて額の狭い。真顔だとニヤけているように見え、しゃべっているとどんよりした、やる気のない目になる。もしも、この映像が作り物であるなら、顔のデザイナーは独創的な才能を持っているはずだ。デザイナーといっても人工知能のことだが。

「地下の囚人が看守を殺して、勝手に柱を破壊しているらしい。見かけたら注意してくれ」深刻な内容とは不釣り合いな、聞くものを落ち着かせる優しい口調だ。

「それなら、さっき遭遇したんです。私が監禁されたけど、なんとか逃げのびることができて」班長が答える。

「そうなのか、他のメンバーに、えっと、有坂も無事か?」

「ええなんとか。あと、その囚人たちを先導しているのは増田という男です」熊沢が割り込んで告げる。

「君は誰だ?」管制官が眉をひそめる。

「SSR二五の熊沢です」

「ふむ、囚人の看守だな。私は栗原や有坂のような『特破』が管轄だ。どうして君のような看守が栗原と一緒なのだ?」

「三一地区から逃げてきたんです。囚人たちが暴徒と化して、地雷でみな死んだんです」

 そこへ栗原班長は割り込むように管制官に詰め寄る。

「管制官に昨日それを報告したら調査達を派遣すると言われてましたよね。でも、結局は増田たちが来ただけで、あとは誰も来ませんでした。どういうことです?」

 ここで私が次に口を挟もうとしたが、班長がさらに続ける。

「この地下で囚人たちに何が起きているのかなんて、管制官が知らない訳ないでしょう。管轄がどうのとか言って。増田たちの暴動について何でもっと早く連絡をくれなかったんですか」

 班長は班長なりに小さい声だが語気を荒げているつもりのようだ。威勢はほとんどないが、今までこんな姿を見せたことがない。

「それはすまん。いま地上では都市地盤がもうすぐスーパーワイヤーと接合されることになっていて。それに合わせて地上にいる我々も、期日までにやることが何かと多いんだよ」管制官は声がうわずり、多忙な訴えをわざとらしいく演じているように見えた。以前の職場でもよくいたな、こういう人が。そして、すぐ穏やかな調子に戻って班長と話し続けていった。

 私は三一地区に調査隊を寄越さない管制官の対処について納得していない。増田たちは看守を殺して逃げた脱獄囚だ。しかも、脱獄が成功したあと地上都市の住民を脅すため、柱を勝手に爆破し続けるというレジスタンスを開始していた。管制官はそれを重大な事件がおきる予兆だととらえないのだろうか? 地上の情報を知らされることのない囚人がそんなことを思いつくこと自体おかしなことだと思うのだが。あの、増田と少しだけ会話をしたが、大それたことを発想する人物にはみえない。誰かが増田たちに情報を与え、入れ知恵したのではないだろうか。

 班長は話を続ける。

「都市地盤がり上げられるまで、あと、どれぐらいかかるんですか」

「あと五日ぐらい、とみている」

「そんなすぐに。あまり時間がないじゃないですか」

「でも、すべての柱を破壊するのはまだだよ。完全にワイヤーがつながっていないんだから」管制官は釘をさす。

「増田たちはこれから次々と柱を破壊するはず。私たちで何とか防げないものでしょうか」班長は身を乗り出す。

「いや、これ以上、危険なことはしなくていい。増田たちを排除するために治安部隊をそちらに送る予定だから。君たちは私の指示にしたがって計画的に柱を爆破してくれ」管制官は先ほどと違って、声の抑揚を変えずに述べ、さらに「今回の件はあまり事を荒だてたくないのだ」と我々に告げると、こちらの意見を聞こうともせずに通信を絶った。

「管制官は、どこにでもいる人のよさそうなタイプだ。一見、人との衝突を避けて物事がスムーズにいくよう振舞っているかのようにも見えるが、結局のところ、地下の我々や地上の人々のことよりも、自己の保身しか考えていように見える」と初対面の管制官に対する印象を私は語った。


 ドローンで柱を半壊させる作業をしていたときに熊沢が突如現れてから、単調な日常が一転してしまった。地上と地下では色々な実情が交錯こうさくしているらしいが、我々は気を取り直して元の作業場で今するべきことをするだけだった。

 それを促すように管制官からはもと居た地区へ行って明日から作業を再開するよう通知が届く。

 午後遅くに我々への補給を行う硝舎がやってきて、電気やエネルギーの補給や廃棄物の回収が行われた。私と班長が機器の点検をしていると熊沢はやってきて話し始めた。

「三一地区まで連れて行ってくれませんか。放置したままの私の硝舎から連絡をとって今後の身の振り方を上司に相談したいんです。あと看守として銃の保管に責任があるので、戻って盗まれていないか確認をしに行きたいんです」

「あの囚人、増田がいるかもしれないし」班長が嫌だと手振りをする。

「増田たちが心配なら、大丈夫ですよ、もういないと思います」

「なぜわかる?」

「さっきあなた方の管制官が治安部隊を派遣するっていってたから。おそらく、排除されたでしょう」

「増田たちがどうなったか、後で管制官に聞いてみてはどうかな。ひとまず今日は移動をやめて、明日にしようよ」今日の騒動で私はすっかり仕事へのやる気が失せていたので、投げやり気味に提案してみた。班長と熊沢は私に同意し、三人は何もせず自室へと戻った。

 自室に帰ろうとすると、傍らの端末機器に通信が入った。私は班長を呼び止め、端末機器を手渡そうとした。てっきり管制官からのものかと思っていたが、そうではなかった。

「紗英」

 私は座って端末を持ち、画面側を班長へ向けていたが、管制官の声と違うので、あれっと思い、画面をこちらに向けてのぞき込んだ。そこに映る見知らぬ男が班長の名を呼んだのだ。

「圭吾」

 班長に画面を向けるとそう言ったので、私は端末機器を班長に手渡した。立っている班長の表情や仕草しぐさが見える。彼女は男をまぶしい顔で見つめながら画面の隅をでていた。

「ここにいたのか。やっと見つけた」

「探さないでって前に言ったでしょう」

「そうはいくか。父親なんだから。だいぶ瘦せたようだな」

 私は立ち上がって画面の人物をもう一度確認してみる。男は年齢が三〇代後半か四〇代ぐらいで、頭に白髪が少し入っている、骨ばって痩せこけた顔にうっすらと生えたひげが貧相な印象を与えた。この男が班長の父親かと思うと違和感があった。

 班長は私を彼に紹介した。

「ああ、有坂君。私は紗英の父です。娘が世話になっていますね。あなたのことは調べさせてもらいましたよ。なんでも都市計画省の人らしいね」

 声やそのしゃべり方が、想像より若々しい。

「"元"ですけどね」私はそういうと班長を横目で見る。

「すまないが、紗英と二人で話させてくれないか」

 彼のその言葉を聞いて、私は班長から離れた。班長はヘッドセットをして何やら会話を始める。ヘッドセットの消音機能で内容は聞こえてこないが、久しぶりの再会とは思えないほど会話が弾でいないようだった。


 次の日になると熊沢の姿が見えなかった。私は一緒に自室で寝ていたが彼がいなくなったことに気づかなかった。

 班長に告げると私たちは硝舎内を探しまわった。昨日の夕方ドローンの回路の電源を切ったはずなのに一部の電源が入っているのに気づいた。ステータス画面を操作したところ、ドローンの撮影データを置くサーバーにデータのあることが判明した。

「班長、ちょっと」私はその録画データをモニターに映す準備をしながら叫ぶ。

「どうかした?」

「熊沢が何か録画しています。ドローンのカメラで自分を撮影していったみたいです」

 ボリュームを上げると声が聞こえてくる。

「栗原班長、有坂さん。突然姿を消すことに驚かないでほしい。私はこれ以上、行動をいっしょにしたくないんだ。あなた方にはすまないが私は例のスーパーワイヤー計画なるものを信じちゃいない。あの計画は都市地盤を吊り上げるということ自体は間違いでないんだが、ある筋の確かな情報によると、自分たちの今いる地下空間はその都市地盤の真下ではないらしい。つまり、吊り上げる地盤はもっと別のところにあるというんだ! そして、もしも、この地下にある柱の最後の1本を破壊する日が、明日だろうと一年後だろうと、それをやれば、必ず、天井が上から降ってくることになっている、そういう運命らしいんだ、ここは。この地下は、我々を抹殺するために作られた、ガス室のようなものなんだよ。地上の選民たちから認められない人間、社会不適合者、障碍しょうがい者、犯罪者などを押し込めた巣窟そうくつなんだ。だから、私たちが自分たちを守るためにできることは、"柱を1本たりとも破壊しない"ことに尽きるんだ。死にたくなければ決して柱を破壊してはなならないよ。これ以上、あなた方は地上民の言いなりになって、真面目に仕事なんかする必要はもうない。彼奴らは自分たちの都合で社会を、世界を動かしているんだ。だから、それをさせないために、君たちの商売道具は使えなくさせてもらうよ」

 熊沢が話している映像はその後も続いたが、同じようなことを繰り返し語っているだけのようだった。

 そのあと調べたところによると、削孔機や爆破に必要な機材は、回路ボックスにドリルの穴が幾つも開けられて、使い物にならなくなっていることが分かった。昨日あんなに活躍した私のドローンも、飛行に必要なバッテリパックが抜き取られていていた。

「熊沢が言っていることが本当なら、仕事なんてしなくてもよさそうだね」班長があきれた表情をのぞかせる。

「あいつ、囚人を使って柱を壊させていたくせに、よく看守の職になんか就いたな」

「ホントは看守じゃないのかも」

 思い起こせば熊沢は自ら身分を明かす証明をしたことがない。私たちのところへ三一地区で事故があったと告げに走って来ただけだ。また、あの地区で囚人たちが突然発狂して逃げていった、という件は熊沢以外には誰も見ていない。いままで本当にあったことなのか私も班長も疑ったりしてこなかった。一方で、三一地区においてカルマン渦が生み出す、低周波によって幻覚が起きるというのは、私が身をもって体験しているから間違いない事実だった。

 そして唐突に、熊沢はさっきの映像で、柱1本すら破壊させたくない、という強い意志を持っていることを示してきた。

 これらのことから、熊沢という男について何かわかるのだろうか。

 意識障害が起きる三一地区へ、熊沢によって囚人たちが連行されたのは、偶然ではなくて、意図的に行われたのかもしれない。熊沢はあの場所に囚人たちを連れて行けば、彼らが命を落とすことになるのを予見していて、あえて連れて行った可能性がある。ここはガス室だなどと、なんの躊躇ちゅうちょもなく映像で語っていたが、三一地区のみならず、地下全体を殺人装置のようなものとみなしているのだ。

 そうなると、三一地区の場所が持つ、あのように特異な性質を熊沢はあらかじめ知っていたことになる。それをどうやって知ったのだろう。自ら発見したのだろうか? それとも、どこかで仕入れた情報なのだろうか? この地下世界でそれぞれの地域が持つ特性を熟知し、そこで殺人を計画することが、地下を俯瞰ふかんすることのできない地下人間に果たして出来るものだろうか。私や班長は地下全域の柱の配置すら把握していないし、広さも教えてもらえない。そうなると熊沢は地下世界に属している人間ではないとみなせる。天井裏の誰かと、親密につながっているだろうか?

「有坂さん、気分でも悪い?」班長は予備のバッテリー回路へ接続が済んだあと、配電盤の蓋を閉めながら私の顔を覗き込んできた。

「いえ、大丈夫ですよ」

 ただ、今、熊沢のことはどうでもいい。

 熊沢が説明するこの地下空間の秘密や存在意義は私を絶望させた。柱を壊し続ければ天井が崩落してくるなんて。それが事実なら、自分の働きぶりが、上司に評価される結末を今後迎えることも、地上に戻れる日がいつか来るということも、万に一つもないということではないか。しかも、我々が今までやってきたことは墓穴を掘ることに等しいのだ。誰かのための仕事でもなく自分で自分の首を絞める不毛な活動だったのだ。私は死刑判決を受けたとでもいうのか。つまり、かつての上司は私に対する"死刑の判決"を"『特破』として働けという辞令"に置き換えているに過ぎないのではないのか。今までは地上の人々の未来は私たちにかかっているのだ、と自分に言い聞かせてきた。が、今はその自負らしきものがすっかり消散してしまっていた。

「班長、この仕事が、何だか続けられそうに、ありません。私には」

「有坂さん、あなたは...」

「柱を壊し続ければ、どうあがいたって最後に天井の下敷きになるなんて。今まで自分で自分を殺すために苦労してきたのかって。気力とかこれからの望みとか、いっさいせてしまって」

「熊沢の言ってることが、本当だとは限らないよ」

「彼のことを思い起こすと、言動には信ぴょう性を感じるんです」

「どうするの? ここでやめるの? 地下で仕事を放棄すれば、配給は途絶えるし、生きていけないよ」

「班長、私、地上へ行こうと思うんです。一緒にここから逃げませんか? 増田たちのレジスタンスから逃れることを口実に」

「無理よ。私たちの居場所は天井裏が常に捕捉しているんだから。第一、地上への出口すらわからないし」

「私に考えがあります。さっきの配給車ですよ。あれは無人の乗り物で、地上と繋がっている唯一のパイプみたいなものです。あれに乗れば地上へ帰れるかもしれない」

「乗るって、センサーや監視カメラがついているんだよ。どうせすぐにバレるって」

「前から分かっていたんですが、あの配給車はこの地下の設備の中で、いちばん遅れた、旧式な機器だと思います。なんというか、なおざりに作られているというか。旧式なセンサーが使われているようだし、どうにでも誤魔化ごまかせる気がするんです」

 班長は気乗りしていないようだ。無理に彼女を巻き込むほどお互い連帯意識があるわけではないし、いずれにせよ、彼女の意志とは関係なしに自分は将来への一歩を試すつもりだ。しばらく思案顔しあんがおでいた班長だったが、彼女はここでの活動をこれからも続けるつもりだと心中を私に語った。ただ、有坂さんの地上への逃亡を私は手助けするよ、と申し出てもくれた。私はその言葉に多少の勇気をもらい、二人で協力して配給車に乗り込む計画を立てた。

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