獣の正体

 三一地区は今まで訪れたことのないところだった。柱の配置が今まで見てきたのと違い、格子こうし状に並んでいなくて、複雑な地形だとすぐに分かった。地下世界にしては珍しく地面に高低差があって、丘のようなところが数ヵ所ある。見通しが悪く、いくつかある柱の向こうに何があるのかわからない。柱の陰に放置された無人の重機が見える。熊沢が乗り捨てた硝舎が五〇mぐらい離れたところに停車しているが、ここから見ると中が真っ暗なため、人の存在までは分からない。

「不気味なところだ」

 何かを感じ取った班長がつぶやく。この人もこういう地形は初めてらしい。

 班長が硝舎をとめた。私は地雷がいつ爆発したのかがわかるデータベースにアクセスしてログをのぞむ。

「二ヵ所で、地雷の爆発した痕跡がありますよ」

 私がそう言ってデッキにいながら、おおよその方角を指し示すと、班長は照明をそちらへゆっくりと向ける。

 地面に存在する突起物が影を作った。

「人の腕だな、あれは」双眼鏡で覗いた私は思ったことを口にした。栗原班長の傍でもくしてぶるぶる震えている熊沢は、声を絞り出すように「あっちから聞こえたんだ」と北の方角を指す。「だから南の方へ向かってみんな逃げたんだ」

 班長は北の方へ硝舎を旋回させてゆっくり進める。すれ違うように熊沢たちの硝舎の脇を走らせたが、通り過ぎると突然ブレーキを掛けた。バックをして熊沢たちの硝舎の脇にもどって停めると、外から照明で内部を照らして覗き込む。

「いま誰か居たように見えたけど」

「誰もいませんよ」

 急ブレーキが気に障ったが、ふと、熊沢のほうに目がいった。彼は身を乗り出して自分たちの硝舎を覗いている。その表情は死んでいった囚人たちをあわれむのか、沈んだ表情で下唇をんでいる。

 そこから、数十メートル進むと柱の少ない空間に出る。彼方かなたにはきばのようにとがった岩のようなものが見える。近づいてみると破壊された柱だとわかる。直径が十mぐらいのかなり太いものだ。

 しかし、他には何もない、どこにでもあるような静かな地下空間だ。肩透かしをくらったような表情で班長は話し出す。

「獣の足跡ぐらい残っているかと思ったのに。地面はきれいなものね」

「翼があって空を飛ぶのかも。巨大コウモリみたいに」私は真面目な口調で言ったが、内心は冗談のつもりだった。

「いや、コウモリじゃない」

 熊沢が口を挟む。

「声は上からじゃなくて下からしたんだ。地面をいつくばる感じだった」

「這いつくばったら、地雷でやられるはずだろ」

 私がそういうと熊沢は黙った。班長も何も言わなかった。いずれにせよ、われわれ栗原班の今日の爆破のノルマはもう終わったことだし、朝までここでに停泊して様子を見ることにした。


 我々『特破』は一日の仕事がおわるとき管制官へ報告をすることになっている。班長は熊沢が体験した事件を管制官に報告した。明日の昼頃に調査隊がここに来て調べることになった。報告が終わると私と班長は硝舎の自室へと帰った。熊沢には硝舎の一画にあるドローンの保管庫を空けてやり、そこで一夜を過ごすよう寝袋を貸し与えた。

 硝舎の中はキャンピングカーのようなものだ。私はシャワーを浴びて抜けがらになった自分の体をベッドに横たえた。

 こんな危険な仕事は人間のやることではないな、といつも思う。

 地上でこういう泥臭い仕事はロボットが行うのが常識だった。ロボットのコストよりも高い人件費をかけて人間に作業させるなんて馬鹿げている。毎晩、そんなふうに思いつつまどろみ、部屋のあかりを眺める。そして、考えを巡らせていると、意識が遠のいて、いつも朝を迎えてしまう。

 しかし、今夜はいつもと違っていた。

 夜中になると硝舎に振動が伝わり始めて目が覚めた。風が出てきたらしい。人工の地下空間にも地上のように気まぐれな自然現象が起きる。しかし、めったにないことだが、特殊素材のラミネート構造で作られた強化ガラスも微細な振動を起こし始めている。ドローンを外に出してあるので車内から電源を入れ、外の状況をドローンのセンサーで確認する。気温に変わりはないが、風が普段よりもかなり強いことがわかる。風速が五〇m/s以上もあり、嵐のようだった。熊沢は大丈夫だろうか? 彼が寝ているのはドローンの保管庫だが、外に面しているから、隙間風がひどいかもしれない。私は起きあがると作業用の上着を羽織り、硝舎の外へ出てみた。防音が効いている中とは違ってひどい風だ。地下でこのような体験は初めてだった。けたたましい飛行機のような爆音が遠から聞こえる。私は強い風で目が開けられないので車内へいったん戻り、入り口の脇の壁に引っ掛けておいた簡易ゴーグルを顔につけて、もう一度外へ出る。

 ドローンの保管庫に彼の姿はなかった。男の叫び声がかすかに聞こえてくる。

 私は硝舎を半周すると、彼の声がそう遠くないところから聞こえてくる。硝舎というものはしばらく移動しない場合、停車中は鉄骨のスタンドを立ててその場にとどまる。地面と硝舎底とは五〇cmほどの隙間があるが、そこからから声がしたようだ。隙間の奥に照明をあてて覗き込む、が、彼の姿はない。しゃがんだまま辺りを確認する。どこか他のところから声が聞こえてくる。そして、いつのまにか鈍い風の音にかき消されてしまう。

「大丈夫か」

 身を起こして立ち上がり、しばらくたたずんで返事がないかじっと耳を傾ける。聞こえてくるのは先ほどからしている飛行機のような爆音だけだ。

 私の声がこの風で届かないのだろうか。どこからも応答がない。すると遠くに白と赤の光の点滅が見えた。あれは何だろう? すると、言い知れぬ不安に襲われ、吐き気をもよおしてくる。いけない、急いでどこかに隠れなければ。これは夢だろうか? 手足の感覚がおろそかになってくる。硝舎から離れて身を隠すところを探さないと。いや、逆だ。白と赤の光の点滅をめざして進まないと。自分は前へ、前へと進んだ方が良いのかもしれない。でも、足が重い。

 その時、後ろから何者かが抱き着いてきて、私を押し倒した。腰のあたりを力強く捕まれる感覚がある。なんだろう、でも、どうしても、それを振りほどきたい。

 誰かに倒されて顔から地面に倒れるのがわかる、手をついて顔を守らなければならないのにそれができない。意識が薄れていく。

「有坂さん、これ以上先にいくと、地雷にやられる!」

 混濁する意識の中で、だれかの声だけが脳に響く。それは、たしかに栗原班長や熊沢の声だった。でも、私を押し倒したのは誰なのかわからなかった。


 私はぐっすり眠っていたような清々しい寝覚めを迎えた。しかし、自身の個室にいるのではなく、硝舎内の通用口の傍にあるベンチで寝ていた。班長と熊沢が私を見下ろしている。

「気分はどう?」

「班長。何があったんですか?」

「地雷原の中へ入っていこうとしてたの」

「私が?」

 班長は、私が夢遊病者のように暗闇の中へ歩き出す姿を見つけ、地雷を踏まないよう近くにいた熊沢と一緒に慌てて取り押さえたというのだ。

 私は夢を見ていたのか。自分は誰かに操作されて体が勝手に動いていたというのか?

 それから、放心状態がしばらく続き、徐々に冷静に考えられるようになってきた。先ほどの自身の体験を思い起こし、なぜあんな行動をとったのか顧みた。

 ただ、人体の、特に脳に関係する事柄のような気がして、自分にとって専門外と決めつけるしかないように思えた。

 班長と熊沢は私を見守っていた。

 なにもしゃべらず床を眺めながら座っている私は、五感の中で聴覚だけがえていた。ビリビリと風による窓の振動音が気に障る。

 風か。そうか、建物に吹く風だ。林立する建物で起こるビル風だ。

 多少の興奮が後押しして頭がよりはっきりしてくると、この地域にあらわれる獣の正体について、ある仮説を立てることができた。

 おそらくこの地域は独特のその地形から、竜巻のような風が連続で発生しているのではないか、というものだ。とめどなく起きる一定の大きさの竜巻をカルマン渦といって、ある風速の風が特定の形状をした構造物や山などに吹くと、それらの風下にそれが生まれる。こういう竜巻は低周波の音を発生させ、そこにいる人間が不調を来す原因となることがあるのだ。低周波の音は耳に聞こえづらいが、自覚症状がないまま人体の内臓や骨に振動を与え、吐き気や頭痛、幻覚をみさせたり、体内に虫が這えずるような異常な感覚など、不快な生理現象を起こさせる。

「たしか、都市計画省にいたころ、この現象を発生させる風洞ふうどう装置の映像を見たことがある。昔はこういう仕組みを使って、武器が開発されたことがあったんだ。もちろん、低周波で人は殺せない。あくまでも敵の戦意を喪失させることが目的だけど」私は二人にそう告げた。

 おそらく、熊沢や囚人たちは昼間、この現象を全員が体験したのかもしれない。みんな不安に駆られたり幻覚を見たりして、走らずにはいられなくなって地雷原の方に足を踏み入れたのではないだろうか。

「とにかく、朝まで硝舎を出ない方がいい。風がやんだら移動しよう」

 私はそう提案した。そして、熊沢を屋外の倉庫で寝かせるのは危ないということになり、私の部屋で朝まで過ごすことになった。


 私は体が疲れているが目がさえて眠れず、先ほど寝かされていたベンチのところに行って放心していた。

 熊沢はいなくなり、班長はしばらく私のそばにいた。

「まだ気分が悪いの?」

「いや、大丈夫です」

 しばらく二人は窓の外を眺めていた。砂嵐がさっきより収まっていて硝舎の周囲は視界がきくようになっていた。

到着したときに見つけた爆発でちぎれた人の腕は、風によって場所が変わっているように思える。

 班長が口を開く。

「有坂さん。あなた地上にいた頃、どんなめ事にあったの?」

「話したほうがいいですよね、それについて」

 私は地上にいた頃、上司や同僚を信用できなくなっていた。班長も同様の人種かのようにみなしていて、何も打ち明けたくない気持ちが常にあった。しかし、今夜、爆死する危険を冒してまで、地雷のそばにいる私を救ってくれた班長の自己犠牲というものは、私が抱いてきた人間不信をやわらげてくれたように思えた。

「班長はこの国が進めている、スーパーワイヤー計画をご存じですか?」

「聞いたことはある。都市の地盤を上空に持ち上げるという無茶むちゃな計画でしょ」

「そう。簡単に言うと大気圏より上、つまり、地球の周りに輪っかの形をした人工物を作って、そこから太い糸のようなものらしてきて、つまり、それがスーパーワイヤーなんですが、それと都市の一部の地盤とを結合させてを上空へり上げようという計画なんです。その目的は洪水と地震から都市を守ることですけど」

「はあ、大胆な」そう言って冷ややかに班長は笑う。

「でも、ワイヤーで吊り上げる都市の広さは決まっていて、そこに住める人口には制限があるんです」

「だろうね、うん」

「地上での私の専門は都市計画なんです。私は吊り上げる都市空間を改造すれば、そこに住める人口をあと25%は増やせるという報告書を国に出したんです」

「なるほど、それで、ひと騒動あったわけだ」

「そう、そのあと国がこんな方針を発表したんです。『吊り上げる都市に住めるのは特別な条件を持つ人々だけ』と。つまりは"吊り上げた都市には、より大勢の人たちが住めさえすれば、万事よし"というわけではなかったんです」

「どうせ住めるのは選ばれた者たち、つまり、政治家、官僚、金持ち、資産家でしょ? 違う?」

「察しがいい。私は仲間と委員会を作って計画の抜本的な見直しを計ろうとしました」

「そして、そのことが偉い人の逆鱗げきりんに触れて、この地下室へ移動させられたわけね」

「まあ、ざっくり言うと、そういうことです」

「気の毒なこと」

「都市地盤と地球とはいずれ切り離される必要がある。その二つをつなぎ留めているものが何かわかりますか」

「毎日壊している沢山の柱たちね」

「ええ、地上では今頃スーパーワイヤーと都市地盤との結合が進みつつあるんです。完全に吊り上げるときが来たら、柱を全部破壊しなければならない」

「それで、有坂さん、あなた、この計画を推し進めたいの? やめさせたいの? もし進めたいのであれば柱の破壊は続けるべきでしょう。逆に計画を阻止したいなら完全に作業はやめるべきね」

 班長の私へのこの問い。私がこの地下空間に配属されたときから持っている葛藤でもある。柱を破壊し終えたら自分は元通り地上の人間に戻れるのだろうか? それともここに取り残されるのだろうか? もしかしたら、これからの自分の働き次第で結果は変わるのかもしれない。いや、逆にすでにもう自分が今後どうなるのか、つまり『決定された人生』というものが用意されているのかもしれない。

「はっきり言って、私はどうしたら良いのか。まだわからないんです」

 私がうつむいてそう言うと、しばらくの沈黙のあと班長が口を開く。

「有坂さん、まだ地下に来て間もないあなただけど、雨期になるとこの地下はどうなると思う?」

 班長は窓の方へ顔を向け、真っ暗な外を見つめる。

「都市計画に詳しいなら分かるでしょう。地上に大量の雨が降ると、それを海へ放出するのが間に合わなくなって、いったん地上の水はすべてこの地下に流れ込む。雨が止むまで雨水を一時的にためておくのがこの地下空間の役割なの。最初、この地下は核シェルターとして建造が始まったらしいけど、歴史的にいつから作り始めたのか今だにわからない。ただ相当古いことだけは確かだけど」

「ええ、そう聞いてます」

「地下の周縁しゅうえんにまで照明が届かないほど広大なこの空間に、雨期になると雨水がどっと押し寄せるの。そうなると私たちは休業よ。何本かの柱にアンカーを打ち込んで硝舎を固定し、水面の上を船のように漂うだけ。そうこうしていると水かさがどんどん増して硝舎は地下の天井にまで届きそうになることもあるの」

「地上にいたころ、映像でみましたよ」

「ゆらゆら波に揺られながら船酔いをしている頭で、こんなことを思うのよ。我々人類はいつか、地面の上で暮らせなくなるんだろうなって。そして、遠い未来に、この星を捨てなければならないんだろうなって」

「ええ、もう時間があまりないでしょうね」

「私は、数年前まで看護師をしていた頃があったの。死にかけた市民や兵隊の命を救うことが満足にできなくて、いまでもそれが悔しいと思うことがある。守れたはずの命があったなって今でも戦場のことを考えるのよ。ねえ、有坂さん、スーパーワイヤー計画はここでやめるべきではないと思う。私は、救われるのが誰であれ、計画を遅らせることで都市の人がみんな災害でやられるより、一部の人たちでも助かるなら、自分はその力になりたいと思ってる」

 私は、地下に送り込まれてから殺伐としてきた気分が少し和らいだ気がした。班長と違う考えを持っているわけではない。私にも班長にも同じ思いがある。ただ、違う点は、救い上げるのはできるだけ大勢の方が、一人でも多い方が良いと考えているところだろう。スーパーワイヤー計画で吊り上げられる都市地盤は、選ばれた者たちだけが住むにしてはあまりに広すぎる。そして、工夫すればもっと大勢を住まわせることだって不可能ではないのだ。

 風の振動はもう聞こえてこなかった。

 私は、十年ぐらい前に学んだ風洞実験のことを思い出したら疲れが出てきた。だが、眠くはなかった。班長にお休みを言うと、寝袋で眠る熊沢がいる自分の個室へと戻った。眠れるかわからないが、とにかく体を休めるためにベッドへ横たわりたかった。

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