8.20.目的達成


 落ちてきたのは、明らかにアブスだった。

 しかし全く人の姿を保てていない。

 動いているので死んでいるというわけではなさそうだが、それでもぼろぼろになっており、火傷や氷の結晶が目についた。


 その姿が、結界の上で壮絶な戦いを繰り広げたのだということが分かる。

 だが、リゼは?

 そんな不安が、一気に押し寄せてきた。


「アブスさん!? アブスさん!」

「ぐぅ……! いつつ……!」

「あ、よかった!」

「良くはないよ……」


 べしゃっ……と人の腕を地面につけて上体を起こそうとしたが、その手はすぐに白い肉塊になってしまった。

 既に人の姿を維持することができない程、疲弊してしまっているらしい。

 この様子だと、しばらく動くのは難しそうだ。


 僕はバッと前を見る。

 キュリィは相変わらずそこにいて、不敵な笑みを浮かべていた。

 先ほどの予言。

 あれが当たったことに、少なからず嫌な予感がしていた。


「宥漸……」

「えっ!? な、なにお父さん」

「まずこいつをぶっ殺すぞ。あとは応錬の兄貴に任せよう。これが終わったらすぐに帰る」

「ど、どういうこと……?」

「余計なことは考えるな。まずは目の前の敵を御す」


 初めて零漸は自分の息子に隠すことなく殺気を放つ。

 応錬やウチカゲのようにドンッ……とくるような強いものではなかったが、底から這いあがってくるような細く、鋭いものであった。


 零漸は理解していた。

 キュリィは自分たちに勝つ気など毛頭なく、ただ時間稼ぎをしていただけに過ぎないということを。


 アブスだけがここにいて、リゼがここにいないとなると……。

 少し厄介なことになっているはず。

 だが目の前の脅威を見過ごすわけにはいかない。

 頃合いを見て逃げるつもりだったのだろうが、そうはさせるものか。


「二十秒で終わらせる」


 パンッ、とお父さんが僕の背中を叩いた。


「すまんが少し貰うぞ」

「え?」


 すると、ずるっ……と何かが引き抜かれたような感覚に陥った。

 それと同時に寒気がする。

 ぞわぞわとした初めての感覚に身震いしていると、零漸はキュリィへ手を向けた。


「『封殺封印』」

「……は?」


 ガガガガンッと鉄をはめ込むような音を立てて結界が即座に展開される。

 昔見たものとは違う結界。

 球体ではなく正方形の『封殺封印』は、瞬きする間にキュリィを取り囲んでしまった。


 この技能は知っている。

 天使の誰もが知っていなければおかしい代物だ。

 なにせ、これを解くためにしばらくの間研究をしていたのだから。


「俺の勝ちだ」


 零漸は何の警戒もせずに、ただ普通に歩いていく。

 その後ろ姿は穏やかではない。

 鋭く腹の底に響くかのような足音が、彼の怒りを表していた。


 そっ……と『封殺封印』に手を添える。

 本当であればあの二人に倒してもらいたくはあったが、そんな状況ではなくなってしまった。

 だから、もうこの戦いを終わらせる。


 トンッ、と『封殺封印』を押すと、それが一気に破壊された。

 これで対象を取り囲んだ時点で、生死を分かつのは術者のみであることは決定していた。

 中で暴れて壊しでもしたら、その短い灯を今すぐにでも吹き消してしまう。

 だからキュリィは何もできなかった。


 しかし、何もしなかったというのであれば……。


「勝つ気はなくとも、生きたくはあったか」


 封印を解かれ、ドサリと地面に伏した天使に零漸はそう呟いた。

 先ほどまでの鋭い怒りは既に消え去り、宥漸が作っていた結界も無意味の物となったので、静かに結界を解く。


 技能を使った戦闘は、早く終わる。

 相手がそれ相応の対処法を取ってこない限り、これ程にまであっさりと。


「二人とも」

「は、はい?」

「……」

「今すぐ前鬼の里に戻ってくれ。多分向こうも、厄介なことになってるはず」


 これは勘だったが、確信はあった。

 こちらに送ってきた技能持ちの天使があまりにも少ない。

 一度にこれだけの数を相手にするのは人間であれば難しいため、天使は少ない戦力をこちらに送ってきたのだろう。


 だが、前鬼の里には……技能を持った多くの仲間がいる。

 彼らを倒すのには、それ相応の戦力が必要なはずだ。


 零漸はすぐに帰れというが、その前にしなければならないことがあった。


「リゼさんは!?」

「手遅れだ。アブスが落ちて来た時から分かってた。アブス、リゼは連れていかれたな?」

「……そうだね。そうなるよ……」


 アブスは心底悔しそうに、人間の姿になって握り拳を固めた。


 連れていかれたって……天使に?

 リゼさんが?


「あ、アブスさん。上で何があったんですか?」

「……アマリアズ君と宥漸君が降りた後、敵の戦力が増えた。たった一人だったけど」

「……それで?」

「あれは多分大天使だったと思う。炎やら氷やら雷やら、やったらめったら技能を放ってきた」

「……! メイニィか……!」


 アマリアズは誰にも聞こえないように、その大天使の名前を呟いた。

 彼女のことは、それなりによく覚えている。

 大天使の中で、最も技能を多く所持させた天使なのだから。


「アブス、飛べるか?」


 零漸がそう問いかける。

 明らかに休養が必要な体になっているアブスに対して酷なことを聞いたが、状況はひどく悪いためそれもやむを得ない。

 アブスは痛む体に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がりながら白い肉塊を巨大な翼に変形させた。


「なんとか……!」

「宥漸とアマリアズを連れて行ってくれ。俺は城の方に向かう。そっちは任せた」

「了解……!」


 アブスはすぐに僕とアマリアズを回収し、翼を動かして飛んで行った。

 状況の変化が著しいが、それに合わせなければならない。

 今やらなければならないのは……リゼの救出である。

 何処に連れていかれたのかは、大方見当がつく。


 アブスが作った籠の中で、僕はアマリアズに話しかける。


「アマリアズ……」

「分かってる。技能持ちを回収するのが天使の目的だったし、リゼさんはそれに適してる。相手の動きに合わせ過ぎたな」

「狙い通りだったんだろうね。天使の目的は達成したって感じ……」

「だね。だけど、そうそう早い段階でリゼさんをどうこうするってことはないと思う。応錬さんたちと合流してからでも、まだ間に合うはず」

「……! 二人とも……!」


 アブスさんが声をかけてきた。

 なんだか焦ってる感じがする。


 そこでアマリアズはすぐに身を乗り出して外を見た。

 なにを見ているのかすぐに理解した僕も、すぐに立ち上がって身を乗り出す。


「零漸さんが言っていた事、見事に当たったね」

「皆……!」


 三人が見たのは、煙が立ち上っている前鬼の里だった。

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