僕と彼女の1日が今日も始まる
日諸 畔(ひもろ ほとり)
おはようから、おやすみまで
世の中は出会いと別れに溢れている。なんてことを言う人もいる。それはその通りだと思う。でも、僕の目の前にあるのは、溢れるとかそういう生易しいレベルではない。
「おはよう。あなたは誰?」
ベッドから降りた彼女は、僕の姿を見るなり目を丸くした。目が覚めたら真っ白い部屋で、そこには白衣の男がひとり。驚いても不思議ではない。
すらりとした長身に、美しい顔立ち。白いワンピースが似合う彼女は、昨日と変わらない外見をしていた。
「僕の名前は、ヨウタ。君の友達だよ」
「友達?」
僕はまた嘘をついた。本当は彼女の友達などではない。僕はただの観察官。この研究室の職員だ。そう、僕は彼女の友達などではない。
彼女は可愛らしい仕草で首を傾げ、僕のことを食い入るように見つめる。肩にかかっていた長い赤髪が、はらりと落ちた。
「私は、誰?」
「君はミライ。僕の友達だよ」
「そっか、友達か」
どうやら今日の彼女は納得してくれたようだ。今回は素直に受け入れてくれて助かった。大変なパターンだと、この問答に二時間かかったこともある。
「あなたはヨウタ、私はミライ、友達」
「そうだよ。わかってくれてありがとう」
「ううん、友達だから」
彼女は無邪気に笑った。その整った容姿には、いささか不似合いな表情だった。
「私は何をすればいいの?」
「ああ、少し待ってね」
「うん、待つ」
こっくり頷き、その場に座り込む。裾から見える脚に少しだけドキリとしたのは、なんとしても隠し通さなければならない。
「今日は、これだ」
白い部屋にひとつだけあるドアが開き、白衣を着た男が二人。彼らはキャスター付きのテーブルと椅子を一組、運んできた。
部屋の中央でキャスターをロックすると、男は足早に退室していった。僕以外は、あまりこの部屋に長居してはいけない決まりだ。
「この計算問題を解いてほしいんだ」
僕はテーブルの上にある冊子を指さす。冊子の横にはシャープペンシルと消しゴムも置いてある。
「なぜ?」
僕の依頼を聞いて立ち上がった彼女は、先程と同じように首を傾げた。
「ミライにしかできないことなんだ」
「そっか、わかったよ」
冊子に印刷された計算問題は、バラエティに富んだものだった。小学生レベルから、大学生、そして数学の研究者ですら苦労するような難題まで。
厚さ5センチほどの分厚い冊子には、少しの計算スペース以外は、びっしりと問題が印刷されていた。
「じゃあ、やるね。あ、ヘアゴムある?」
「ヘアゴムだね。少し待ってて」
「うん、待つ」
彼女は再び座り込んだ。
助手がヘアゴムを持ってくるまでの数分間、彼女は微動だにしなかった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、ヨウタ」
ヘアゴムを手渡すと彼女は立ち上がり、長い髪を高めの位置で括った。どうやら問題を解くには、髪が邪魔になると判断したらしい。
「始めるね」
「うん」
彼女が計算問題を解くスピードは尋常ではなかった。全ての問題を秒単位で済ませていく。
計算スペースは一切使わず、消しゴムも使っていない。つまり、全て自身の中で完結し、書き間違いもないということだ。
僕は手元のバインダーに、その状況を書き込んでいく。あくまでも記録するだけ。この結果をどう判断するかは、僕の仕事ではない。
「終わったよ」
冊子の問題を解き終わるのに、一時間もかからなかった。僕の手にするストップウォッチは、五十六分四十二秒を表示していた。
「ありがとう、あとは好きなことをしていていいよ」
「うん、わかった」
僕は彼女の要望に従い、共に食事をし、共に本を読んで過ごした。
「さあ、寝る時間だよ」
「うん、寝るね」
今日の彼女はとても素直だ。楽だと思う反面、寂しくもある。僕は彼女がベッドの上で目を閉じたのを確認すると、白い部屋を出た。
明日の彼女は、どんな彼女だろうか。
求められるのは『人間の範疇で優秀かつ理知的で柔軟性があり、従順さを持ち合わせている』状態の彼女。
その彼女が現れるまで、僕は出会いと別れを繰り返していく。
―――――――――――――――――
【〇月×日 被検体評価結果】
・本評価結果は、観察官のレポートより総合的に判断したものである
1.感情面:評価C
感情面は穏やか。提示情報や指示には素直に従うが、指示の理由を求める部分もある。自由行動時には自主性が認められたが、複雑な感情は認められず。
2.機能面:評価A(一部要協議)
計算問題は全問正答。ただし、正答率と解答速度が人間離れしており、正規運用時には人工知能と露見する可能性あり。要協議。
総合的評価:B
感情が希薄、機能面過剰との判断。連日での試験は不要。通常通りリセットしランダムパラメータにより再起動を実施。
僕と彼女の1日が今日も始まる 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho
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