3
温かな肌に、舌を這わせて。
声をもらす人間に構わず、牙を突き立てる。
そして思う存分血を吸えば、後に残るのは冷たい身体。
私のような存在は、吸血鬼と呼ばれている。
当たり前のように血を与えられ──そして、当たり前のように涙を求められてきた。
吸血鬼の涙は赤く、その涙には魔力が込められて、魔法使いと名乗る者達は、それがなければ魔法を使えないのだと。
私の涙は、赤い。
目の前で口にされ、彼らが魔法を行使する所を、どれだけ見たことか。
涙はお金になる。
それを売りながら、ずっと、旅をしていた。
最初は、顔も知らない両親を探す為に。
もういいと思ってからは、あてもなく渡り歩いた。
知らないものを見ることも、既視感のあるものに懐かしさを感じることも、どれも楽しく刺激的で。
人間と同じような食事もできるから、もちろんそれも楽しんだけれど、結局、一番満たされるのは──血だ。
あの粘着質な液体を嚥下するたび、これが欲しかったんだと安心する。
穏やかな幸福感に包まれ、もっと、もっと、なんて求めすぎれば、あっという間に冷たくなる。
それに淋しさを感じるようになった頃、ブレイクスミス家の初代当主と出会い、成り行きで共に過ごす内、彼の子供、それも生まれて間もない赤ん坊を抱かせてもらい──私はその時、吸血以外にも心満たされるものがあるのだと知った。
相手にも請われたことで、二百年ほど、子守りとして雇われている。
ブレイクスミス家の者や使用人の血を飲ませてもらうことで、飲み干さない癖もつけられた。
……けれど。
何にも縛られず、行きたい所に好きに行けたあの頃を、恋しく思う自分もいて。
だからたまに、夜遊びに出掛けることがあった。
夜は誰もが寝静まり、私を止める者はいない。
まぁ、赤ん坊が産まれればそういうこともしばらくできなくなるけれど、大きくなれば再開できる。
彼と出会ったのは、お嬢様が六歳になった頃。
歴代で一番懐いてくれたお嬢様は、眠っている時も私の身体や服を掴んで離さず大変だったけれど、現当主が娘への贈り物として白熊のぬいぐるみを渡したことで、彼女が眠った後に自由時間ができた。
六年振りの外出は、雨の日だった。
皆が寝静まった夜の町を、好きに歩く。
弱くもなければ強くもない、中途半端な雨脚は、私の足音を、衣擦れを消していく。
雨は好き。
汚れを落としてくれるし、雨音は耳に心地良い。
旅人だった時のように、気分が高揚してきて──ふいに、灯りが目に入る。
小さな建物、その窓からぼんやりと。
「……」
こんな夜に起きている人間がいるのか。それとも、灯りを消し忘れただけか。
気になって近寄り、ドアに手を掛けると、僅かに開いた隙間から、声が聴こえた。
「──何で刑の執行時、ウルズ・スタフォードはその場にいたんだろ」
「……っ!」
私はそのまま、限界までドアを開け、中へと足を踏み入れる。
雨の匂いに、本の匂いが混じる。
そこは、本屋だったらしい。
「誰?」
奥から声がしたと思えば、灯りと共に足音が近付く。
「どうして」
返事の代わりに、そう言っていた。
声の主が口にした、その名前は……。
「一応、お店は閉まってるんだけど」
現れたのは、子供。
短い黒髪、黒い寝巻き。灯りがなければ闇に溶けてしまいそうな子供。
だけどその紫の瞳だけは、最後までそれを拒むんじゃないか。
一瞬そんなことを考えながら、問い掛ける。
「どうして、ウルズの名前を口にしたの?」
子供は首を傾げながら、私の傍に来る。
右手に燭台を持ち、左手には古びた赤い本を抱えている。
「今はもうない国の歴史書を読んでたら、その名前が出たからつい」
ほら、と言いながら本を私の方に近付けてくるから、それを手に取る。
「どこら辺だったかな、そこに、敵国の将の処刑のことが書かれていて、その場に彼女がいたんだって。挿し絵もあるんだけど、本当にこんな顔だったのかな」
適当に紙を捲っていく。
「彼女はその時捕まっていたらしいんだけど、虜囚をどうして処刑場に連れてきたんだろう」
「……そんなの、決まってる」
捲った末に、指が止まる。
処刑台を見つめる、女の横顔が描かれた挿し絵の所で。
「処刑される男が、ウルズの恋人だったから、見せしめに」
横顔に、指を這わせながら、文章にもざっと目を通す。
ウルズ・スタフォードの名前と共に、処刑される男の名前も記されていた。
私の両親の名前だ。
「えっ、そんなことどこに」
「……そう、教えられてきたのよ」
思わず、膝から崩れ落ちた。
お姉さん、なんて子供が呼び掛けても気にせず、その横顔を見つめる。
「……本当に、こんな顔、だったのかしらね」
「……ちょっと待ってて」
子供がどこかに行く。
大人でも呼びに行ったのかと思ったけど、構わず、そこにいた。
すぐに立ち上がれそうになかった。
──その為に旅をして、結局、どうでもいいとやめた目的。
こんな所で見つけるなんて。
「お姉さん」
子供が戻ってくる。足音は一人分。
どうでもいいと、顔を上げずにいたら、頬に何か柔らかいものが触れる。
顔を上げれば、間近に子供の顔が。
どうやら、タオルを持ってきてくれたらしい。
「濡れちゃってるから、その、拭かないと」
「……」
お嬢様よりも少し年上と思しき、男の子。
同じくらい、優しい子だ。
「……ありがとう」
それが、シリウスとの出会いだった。
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