3話あたり
「どいたどいたー!!」
住人達をかき分け、街中を疾走する。一歩を踏み出すたびに血が体を巡り、体で風を切る感覚が伝わってくる。家からの脱走はこれがたまらないからやめられないのだ。
「あそこだ!お嬢様を捕らえろ!」
大柄の男、ブリムの大声で周りから好奇の目線を一身に受けるが、気にせず全力疾走を続ける。十数回目の脱走ともなると執事達の動きも洗練されてきて、何度も追いつかれそうになる。牽制として弱い水砲を幾らか後方に飛ばすが、大した効果はなく距離は縮まる一方だ。
「ジリ貧ね……げ」
前方から長身の影が飛び出してきた。まあ予想はできたが、案の定先回りされていたようだ。しかも執事一厄介なクイントに。
「もういいでしょうお嬢様。潔く捕まってください」
気怠げに言う彼女だが、まだ秘策が残っている。
「悪いわね! 私、諦めが悪いの! 『インクレス』!」
詠唱と同時に自らを中心にして、勢いよく水を放出する。周囲の住民に被害が及ばぬように威力は控えめだが、目眩しには十分だ。勢いに任せてそのまま離脱
———と、思いきや、前に激しくつんのめる。クイントの右手が足をがっしり捕らえ、離そうとしない。
「面倒なんで、もう帰りますよ」
このまま家まで引きずられて、飽き飽きした生活の続きだなんてまっぴらだ。すっかり一仕事終えた雰囲気で、気が緩んでいるクイント。近いが、まだもう少し距離の離れているブリム。ここまできたらやることはただ一つ。
「気合いと根性、よ———!!」
クイントの握力が再度強くなるが、お構いなしだ。一度抜けてしまえば地の利はこっちにある。
「ふんぬ!」
最後の一踏ん張りで、足の痛みの代償に自由を得た。こうなればもうこっちのものだ。数少ない余力でもう一度規模を絞ったインクレスを放ち、二人の動きを短期間だが封じる。その間に道を曲がり、地図にない路地を目指す。
その路地に入ることさえ、それさえできれば———
※ ※
「一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「はい? なんでしょうか?」
「つい先ほど女性がここを通ったと思うのですが、どちらに行ったか教えてくださいませんか?」
「あぁ、彼女なら路地の奥に走って行きましたよ」
「そうですか、ご協力感謝します」
「……あ〜怖かった! で、一体なんなんだ君は!」
一か八かで路地で黄昏ていた男に声を掛けたのは正解だった。
「私はクリス・メディアム、ありがとう、助かったわ。あと、名前を教えてくれないかしら?」
「俺はアイディオ、アイディオ・セアンだよ。俺からは、もう少し詳しい説明を望んでおくよ」
青年は、気だるげにそう名乗った。
「説明ねぇ、どこから話せばいいかしら」
アイディオと名乗った黒髪の青年の問いにはっきりとした回答を出せずにいると、向こうの方から歩み寄ってくれた。
「じゃあ、さっきのやけにガタイのいい男は誰なんだ!というか、なんであんなやつに追われていたんだ君は!」
アイディオはやけにがっついて質問をしてくる。
「あぁ、ブリムのことね。あいつはうちの執事の一人よ。彼、強面だけど甘いものには目がないのよ?」
「執事ぃ? なんで執事に追われるようなことに……というか、いや、まあ、趣味は人それぞれなんだけど、それはそうとして、」
「まあ、家から脱走しまくってるからでしょうね。お父様は私に”お勉強”してほしいみたいだし、一応私、侯爵家の長女だし」
「侯爵家だって? いやその金髪、青い目、メディアムってもしかして……」
この男、いちいち女々しい反応を取ってくるのが癇に障る。男ならもっと堂々としてなさいよ。
「御明察ね、最高の我が家にご招待でもしたらいいかしら」
「もしかして、君は自分の家のことが嫌いなの?」
「当たり前よ。ちょっと私に魔法の才能があったからって、家の立て直しができるなんてみんなで信じ込んで、バカバカしく感じるわ。それに私、魔法の燃費悪いし」
家の愚痴となると、堰を切ったように言葉が溢れ出てくる。初対面の青年に言ったところで仕方がないというのに、自分の性格の悪さを実感する。
「口に付き合わせて悪かったわね。あんたのMPだけもらっていくわ」
立ち去る際にアイディオの肩に触れ、先刻消費した分のMPを吸収する。MPとは生命力のようなものだ。無理矢理吸い取ればまあロクなことにならないが、侯爵家の令嬢と出会ったなんて流布されても敵わない。気を失って目を覚ましたら夢か何かだと思うだろう。
「——————は?」
「ちょ、ちょっと待って、何が何だか——————」
アイディオはMPを吸収される経験がないのか状況を理解できていない。だが、もはやそんなことはどうでもいい。
紡がれた言葉を遮り、彼の肩を強く握り直す。
「予定変更、あんたはルイス家にご招待決定よ」
この男、アイディオ・セアンは——————MPが多すぎる。
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