君に色々経験させてあげると言うお姉さんに出会った話

風親

君に色々経験させてあげると言うお姉さんに出会った話

「泣かないんだね」

 お別れの場でそのお姉さんは、腰をかがめながら僕にそう話しかけてきた。

「別に、一年くらい一緒にいただけだし……」

 事故があった。

 そのせいで、僕がいた村はみんな引っ越しすることになってしまった。元々、人は少なかったし、それほどショックではなかった。ただ、やっと慣れてきた学校も転校しないといけないのが面倒だと思うだけだった。

 同級生や後輩は、離れ離れになってしまうのが悲しいのか女子だけではなく男子もみんな泣いていた。

「泣かないで偉いと褒められるのは、小学生低学年までだよ」

「そうなの?」

 それには、僕はちょっと驚いたような声でお姉さんを見上げた。

「人生経験が少ないから、色々、想像することもできなくて泣けないんだよ」

 そうだろうかと僕はわずかに首をかしげた。

 色々、悲しい事件がありすぎて僕は何も感じなくなってしまったのだと思っていた。

 母さんが亡くなった時は悲しかった気がする。でも、他の大人に迷惑をかけちゃいけないと押し殺していたような気がする。

「おじいちゃんが、孫が歩いているのを見ただけで涙がでるのはそういうことなのかな……」

 おじいちゃんの涙腺が弱かったのは、今までの自分や娘を育てる苦労を思い出してしまうというところもあるのだろう。

 確かに、僕はここ一年くらい友達とは上辺だけの付き合いで、それ以外は引きこもっていたから今、悲しくないのだと言われればそうなのかもしれないと思う。

「私がこれから君に色々、経験させてあげるよ」

「余計なお世話です」

 いたずらっぽい笑顔に、僕は照れたようにそう答えた気がする。

「じゃあ、私には時間がない。さっそく一緒に行くことにしよう」

 本当は遠い親戚の家に行く予定だったらしい僕は、母さんの教え子だというこのお姉さんに引っ張られていくことになった。


「あれって、ほとんど誘拐ですよね。犯罪ですよね」

 僕は彼女の朝ごはんを作ってあげながらそう文句を言っていた。

 東京で僕は生活力のない彼女の世話をしながら学校に通う毎日を過ごしていた。

「まあ、いいじゃない。毎日楽しいでしょ」

 朝からへらへらと笑う二日酔いの彼女は、僕がいなければどうやって生活していたのだろうと心配になってしまう。

「確かに色々、経験はさせてもらっているけれど……」

 意外なことに彼女は学者だった。色々な場所の地質を調査するとかで、毎週のように連れ回されていた。色々なところへ旅をして、色々な人と出会った。

 学校にも通わせてもらって、友達もできた。大学にも受かり、春から通えることになったのも彼女に勉強を教えてもらったおかげでもあった。

 でも……。

「僕は、家政夫じゃないんですから。自分のことは自分でやってください」

「えー。そのために連れてきたのに」

「なんてことを言うんですか」

 僕が怒り、彼女は笑っていた。これが僕たちの日常だった。

「でも、本当に僕がいなくなったら生活できるのか心配ですよ」

「うーん。ずっと居てくれればいいんじゃないかな」

 彼女はそう言った。これもいつものことだった。

「またそんなことを……」

「結婚しないかい?」

 今日はちょっと意外な一言を、ずいぶん男前な顔で言われた気がする。随分だらしのないパジャマ姿のままだったのが残念ではあるけれど。

「これも、経験だよ」

 彼女の言葉に、僕は軽くため息をついた。

 呆れていたわけじゃない。そんな演技だ。

「仕方ないですね。もう放ってはおけないですから」

 結婚しましょうと言いながら、僕は彼女をベッドに押し返すようにして覆いかぶさってやった。

「え、ちょ、ちょっと君。こんな朝っぱらから、あっ、あっ」


「パパ」

 三年後。僕は彼女のお墓の前で娘に手を引っ張られていた。

「ママは?」

「遠い遠いところに行ってしまったんだ」

 彼女は不治の病だった。元々、長生きはできないと自分でも分かっていたらしい、痛みをごまかしつつ毎日を生きていた。 

 それでももうちょっと健康に気をつかってくれれば、あと数年くらいは生きてくれたかもしれないと僕は残念で仕方がなかった。

「泣かないでパパ」

 座り込んだ僕の頬を娘が拭う。

 大粒の涙が溢れていた。

 僕はやっと泣けるようになったのだ。

 全て彼女のおかげだった。

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