私の神様と五芒星

春巻イズミ

私の神様と五芒星

「先生は私の神様です」

 オレは、この高校に赴任した直後から、なぜか一人の短髪の女子生徒に気に入られてしまった。あまつさえ最近では神様呼ばわりだ。

「おい、お前は自分の状況が分かってるのか。神頼みするにしてももう少し何とか……」

 彼女が放課後、教室でオレの目の前に座っているのは、進路の相談だとか、分からない問題があったとか、そういう話ではない。彼女の、竹ノ内たけのうちこころの成績が軒並みどん底の赤点で、このままでは二年の夏休みを補習だけで消費してしまうからだ。

 そのため担任であるオレが彼女に警鐘を鳴らすべく話をしていたのだが、突如竹ノ内はオレに相談を持ち掛けた。

「神様は万能ですから、私の悩みも無事に解決して下さりますよね」

 ちなみにオレを神様と呼ぶのは、オレが数学の教師だからだそうだ。彼女からすれば異世界の言語に聞こえる数式を、母国語のように操る姿に感銘を受けたらしい。

 感性は素晴らしいと思うが、如何せん方向性に難ありだ。

「お前の悩みが勉強に関することだとありがたいんだが……」

 しかし無情にも、竹ノ内は首を横に振る。

「そんなことで悩むような私ではありません! 世界にはもっと大事なことがあります!」

「で、それはなに?」

「ちょっと先生、そこは合わせてくださいよ。神様なんですから」

 神様は空気も読めないといけないらしい。なかなかに難儀な職業だ。

「まあいいです。悩みというのは、クラスの美代ちゃんのことです」

 美代ちゃん……我がクラスの生徒だ。名前は長尾美代ながおみよ。目立つタイプではないが、長い髪を背中に垂らし、どこかお淑やかな雰囲気をまとっている。

「長尾がどうした。人間関係で困りごとか?」

「いえ、儀式です」

「儀式ぃ?」

 予想だにしなかった言葉が出てきてつい素っ頓狂な声を上げてしまう。

「はい、儀式が執り行われたのです、この学校で! しかも美代ちゃんの私物を使ったのです」

「私物を?」

「そうです、私物をです。美代ちゃんが放課後、体育館で友達とバスケをして、着替えに教室に帰ったら、カバンの中身が全部抜かれてて、どこにも無かったそうです」

「全部? それは、財布も含めて?」

「はい、全部です。小物入れから筆箱まで、全部。それでその日、校舎中を探したそうですが見当たらず、諦めて帰ったそうです。で、次の日来てみると、教室中に盗まれたはずの中身が散乱していたのです。机の上や、床の上に。最初はみんなとんだいたずらだと憤慨しましたが、良く見てみると物で模様が描かれていたんです」

「他人の私物を使って模様を、しかも教室に?」

 なんだか不穏な方向に話が進み始めた。

「それに気付いた子が配置を調べて絵に起こしたんですが、そうするとちょうどお星さまの形になったのです」

 星の形? 五芒星とか、六芒星とか、そういう図形的な形のことだろうか。

「ほら、こんな感じです!」

 オレが黙っていると、竹ノ内がプリントにその模様とやらを描いて、見せてくる。

 なるほどそれは、五芒星だった。魔法陣によく使われる形だ。

「これを見てクラスの子たちは大騒ぎですよ。なにせ何者かが魔法陣を描いて、しかもそれを残していったんですから」

 魔法陣、ね。五芒星は確か……。

「それで、詳しい子が言うには、この模様は悪魔から身を守る、という意味があるそうですよ。ということは、誰かが教室を守るために結界を張ってくれたってことでしょうか」

「うーん、まあそうだとしても、そいつは長尾の私物を使う必要はない。ペンか何かで描けばいい話だし、教室を汚したくなければ自分の私物を使えばいい」

「ふうむ、そうですか。ではどうして魔法使いは美代ちゃんの私物を使ったのでしょうか」

 オレには一つ、思い当たる節があったが、それをこいつの前で言うのは少々はばかられた。しかしこいつはこの悩みを解決しない限り勉強に集中してくれないだろう。では、別の何かを……。

「財布の中身は? 抜かれてなかったんだよな?」

 オレの質問に竹ノ内は首肯する。

「ですです。財布も小物入れも、何も抜かれていませんでした。足りないものは無かったそうです」

「とすると、犯人が欲しかったのは情報かもしれない」

「情報ですか? 黒板を写し損ねたとか?」

「そりゃお前だけだ。そうじゃなくて、個人情報だ。住所、電話番号、誕生日、等々。財布や生徒手帳を覗くだけでいろいろ分かる」

「で、でも、そんなもの知ってどうするんです?」

「サプライズがしたかったんじゃないか? 誕生日が分かれば、サプライズで祝うことができるし、住所が分かれば年賀状を送ることもできる」

「年賀状はサプライズじゃなくてもいいんじゃないですか?」

 ごもっともである。しかも、夏を控えたこの時期に住所を欲しがる理由にならない。

「では、もし情報が目当てだったとして、全部の私物をカバンから抜いたのはどうしてですか? 見るだけ見てそっと戻せばよかったじゃないですか」

「たぶん長尾の私物は多かったんだろう? 長尾の私物だけで教室全体に魔法陣が描けるんだ。目当てのものを探し当てるのに苦労しただろう。そして見つけた後、犯人はカバンをごちゃ混ぜに荒らしてしまったことに気が付く。誰かに荒らされたと知れば彼女も嫌な思いをするし、自分の仕業だとバレれば嫌われるかもしれない。それでつい、持って帰ってしまった。それで翌朝、魔法陣上に並べて返すことで、自分の思惑に気付かれないようにした。あくまでこれは儀式のために使われたのだと」

「ううむ、一旦持って帰るのは何でです? それならその場で……」

「いや、それはできない。長尾は友達とバスケをしていたんだろう? いつ帰ってくるか分からない。それならいっそ……と考えたんだろう」

 竹ノ内は納得しがたい様子だった。うーんと首をひねっている。

 これは少し弱かったか……。まあそれなら、次を試そう。

「他にも仮説はある。長尾の自作自演説だ」

「自作自演、ですか。美代ちゃんが自分で私物を隠して、探して、並べたんですか? 何の為に?」

「彼女がオカルトに興味があったのなら、あり得ない話ではない。さっき出てきた、模様に詳しい子は、長尾とも仲がいいか?」

「ええと、そうですね。最近はそうでもないですが、前は良く一緒にいました」

 なるほど、やはりそういうことか。

「じゃあ、たぶんその子の影響で長尾はオカルトに興味があった。それで一度、教室に魔法陣を描いてみたくなった」

「はあ、それなら休み時間にでも描けばいいじゃないですか。どうしてそんな……」

「あのな、普通の人間はオカルトに興味があることを大っぴらにしづらいもんなんだ。人の目があるところで魔法陣なんか描いたら馬鹿にされるにきまってる、そう考えるのが自然なんだ」

「なるほど、ではなぜ盗まれたことにしたんですか?」

「先に盗まれたと周囲にアピールすることで、魔法陣を描いたのが自分ではないと主張したかったんだろ。これをやったのは昨日カバンの中身を盗んだ犯人だ、と」

「ははあ、それで自作自演を」

「そう。それで彼女はバスケをしに行く前に私物を他の袋か何かに移し替え、どこかに隠した。そして教室に帰ってきて、盗まれたと相談する。誰もまさか長尾本人が隠しているとは夢にも思わないから、長尾は隠した場所周辺を捜索し、友達にこっちにはない、と報告すればいい。友達はそれで納得して、その場所は探さない。帰るときになって袋を回収、一人校舎に残り、私物で魔法陣を描いた。翌朝オカルト好きのクラスメイトに発見されればおんの字、魔法陣は完成する」

 竹ノ内はキラキラした目でこちらを見つめている。なんだかものすごい罪悪感に駆られる。

「なるほどぉ。そうだったんですねえ。いやあ、美代ちゃんもかわいい趣味があるんですねえ」

 なんて、竹ノ内はにやけている。

「これで納得してくれたか? 長尾に言うんじゃねえぞ、気恥ずかしいだろうから」

「先生、いや、神様! ホントにありがとうございました! やっぱり神様は万能ですね!」

 その言葉は、今のオレにはちくりと刺さる。

 だが、オレの気も知らず、竹ノ内はニコニコ微笑んでいる。まあ、この笑顔を守れただけでも良しとするか。


 後日。

 竹ノ内心は退学した。原因は成績不振に加え、クラス内の人間関係が悪化し、竹ノ内がいじめの対象にされたからだ。

 いじめ自体は長らくクラス内部にはびこっていた。春から夏にかけての被害者は長尾美代。主にいじめていたのは同クラスの女子生徒四名。かつて長尾と同じグループにいた生徒たちだ。

 竹ノ内はこの事実に何かの拍子に気が付いて、やめるよう説得する。しかしそれは悪手だった。いじめは終わらず、竹ノ内は説得し続ける。正義感の強いあいつらしい行動だったが、利口では無かった。

 そのうちにターゲットは竹ノ内に向いた。彼女はもともと成績が振るわなかったのもあり、それをダシにいじめは被害者を変えた。

 そう、竹ノ内が持ってきた魔法陣事件。あれは何も自作自演などではない。もちろん個人情報が欲しかったわけでもない。いじめ首謀者による嫌がらせに過ぎなかった。

 物を盗ったのは困らせるため。そして五芒星の形に並べたのは、長尾にあるメッセージを伝えるため。

 五芒星は確かに悪魔から身を守るという意味を持つ。だが同時に、これはまた別の意味も内包するのだ。

 ——逆向きの五芒星は、悪魔の象徴。

 竹ノ内は無意識に順向きの五芒星を描いたのだろうが、恐らく実際には黒板を前にして逆向きの五芒星の形に並べられていたはずだ。

 長尾美代の私物で悪魔を表す。これは長尾がオカルト好きと知ってのいたずらで、長尾に向けた誹謗中傷。

 お前は悪魔のような女だ、という、クラスメイトからのメッセージ。


 竹ノ内の残した退学届けを眺めながら、オレはため息を吐く。

 あのさ、竹ノ内。オレは神様でもなんでもなかったよ。

 オレは自分のクラスの生徒さえ、守ってやることができなかったんだから。

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