第30話 初めての喧嘩

「リナ、待ってーー」


 リナが振り返らずに暗闇の中、歩いて行く。


「リナーーーー!!」


 叫んでも声は届かない。リナが進んだ先には、黒いモヤがあり、僕は慌ててリナを連れ戻そうとしたが、身体が動かない。


 そのうちに、リナはモヤに取り込まれてしまった。


「!!!!」


 手を伸ばした瞬間に、僕は目を覚ました。


 伸ばした手は、天井に向かっている。

 どうやら僕はベッドの上にいるらしい。


「夢……?」


 夢だとわかり安心するが、まだ心臓がドキドキして、僕は汗だくだった。


 辺りを見渡せば、騎士団の救護室だということがわかった。


 また僕はリナに癒しの力を使わせてしまったのか。軽くなった身体を起こして申し訳なく思った。


 しかし、まだ眠い。


 半分ぼーっとしながら、僕はどうしてこうなったのか思い返す。


 ………。


 僕はリナに余計なことを言ってしまったかもしれない。


 リナは聖女としての仕事に誇りを持っている。僕もそんな彼女がとても尊いと思う。


 でも。僕はあの時、婚約者を盾にリナに職務放棄させようとしたのだ。


 あああ……顔を合わせづらい。


 僕が頭を抱えて思い悩んでいると、救護室のドアがノックされた。


 僕が返事をすると、ドアは開かれ、リナが顔をのぞかせた。


「体調、どうですか?」

「だ、大丈夫。ありがとう……」


 僕は思わず顔をそらしてしまった。


 リナはそんな僕の近くまでやって来た。


「どうして言ってくれなかったんですか……」


 声に怒りが滲んでいた。こんなリナは初めてだ。


 恐る恐るリナを見上げれば、リナは僕を真っ直ぐに見つめていた。


「そんなに無理して……言ってくれれば癒しの力だって使ったのに……!」

「そんな、個人的なことでしょっちゅう使ってもらう物じゃないだろ……!」


 リナの責め立てに僕は思わず反論してしまった。リナは益々怒った顔をして。


「私のためですよね……?」

「え?」

「私のためにそんなに無理をしてたんですよね?!」


 リナは目に涙をうっすら浮かべて怒っていた。僕は何も言えなくなってしまい、しばらく沈黙が続いてしまった。


 まただ。僕はいつも上手く気持ちを言えない。


「……ない」

「え……?」


 沈黙を破り、ポツリとリナが呟いたが、聞き取れない。


「私のためでも、嬉しくない!!!!」


 キッパリと僕を見てリナが言った。


 僕はショックで、混乱した。


「僕は婚約者なんだから、リナを守るのは当然だろ!!」

「無理して倒れれてまで、守って欲しいとは思いません!!」


 気づけば、また僕たちは言い合いになっていた。


「じゃあ、誰がリナを守るんだよ?!マリウスか?!」

「何でそこでマリウスが出てくるんですか……!」

「彼は格好良くて優しくて僕よりも大人で、強いもんな」

「そうですね」

「!!!!」


 僕はマリウスに感じていた劣等感を吐露した。それでも彼女なら僕を選んでくれると、信じていた。


 でも彼女はマリウスを肯定した。僕は、言いようのない絶望感に苛まれた。そして思ってもいないことがまた口から出てきた。


「じゃあ、マリウスに守ってもらえば良いだろ!!」


 彼女は目を大きく見開いて、僕を見た。そしてーー


「仕事上、マリウスに守ってもらうのは仕方ないことです」


 冷静に答える彼女に、僕は益々カッとなってしまった。


「本当に仕事だけの関係?」

「どういう意味です?」


 僕の言葉に、彼女の顔が険しくなる。


「随分親しそうじゃない。本当に仕事だけの関係かって聞いてるの!」

「……!レインよりも長く一緒にいるんだから、親しいのは当たり前だと思うけど?!」


 いつもならそんな言い方をしない彼女に、僕は冷静さを失ってしまっていた。


「じゃあ、マリウスと婚約すれば良いだろ!!」


 思わずそんなことを口に出せば、彼女は驚いた顔をしていた。そしてすぐにムッとした顔で。


「本当にそう思ってます?」

「ああ……!」


 思ってない。そんなこと思ってない!!

 

 でも僕は言ってしまったことを撤回することも出来ず、引っ込みがつかなくなってしまった。


「そうですか……」


 そう言うと彼女は、くるりと背を向けて、ドアの方に歩いて行ってしまった。


 僕は情けなくも、呼び止めることも出来ず、そのまま彼女を見送ってしまった。


 バタン、とドアが閉まり、僕は再び救護室で一人になってしまった。


 あんなに怒っている彼女は初めてだった。


 僕は今度こそ捨てられるかもしれない。


 激しい後悔が僕を襲い、そして同じ過ちを繰り返す自分に嫌気が差した。


「消えてしまいたい……」


 僕はベッドに倒れ込んだ。


 さっきまであんなに眠かったのに、胸がギュッと掴まれたように苦しくて、眠れない。


 いっそこのまま眠りに落ちて忘れてしまいたい。そしてこの出来事が夢だったなら良い。


 そんな情けないことを考える僕は、何度やり直しても同じことをしてしまうのだろうと思った。


『一人で抱えすぎないこと』


 シスターに言われたことを思い出す。


 すみません、シスター……


 僕はどうしようもないダメな男です。


 どうしようもない反省と後悔を繰り返しながら、僕は救護室のベッドの上で布団にしばらく籠もり続けた。

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