第8話 名前を呼んで

 諸々の手続きをして僕は店を出た。

 

 ……彼女は?

 店の前にいるはずの彼女がいないので、辺りを見渡す。 

 反対側の通りに彼女の後ろ姿が見えたので、僕はそこに向かって歩きだした。


 すると彼女は一人の男と何だか揉めているようだった。


 何だ?ナンパか?


 早く助けねば、と気がはやる。二人が何を話しているのかは聞こえない。


「リナ!」


 その男が彼女の腕を掴んで放つ言葉に、全身がざわめき立った。


 僕は彼女の元に辿り着き、彼女の肩をこちらに手繰り寄せた。


「僕のリナに何か用ですか?」

「なっ……」


 男は僕の登場に驚いたが、彼女の腕を離さなかったので、僕はその腕を剥ぎ取り、続けた。


「僕のリナにさわらないでくれるかな」


 男はワナワナと僕を睨みつけて来た。


 ん?赤い髪に赤い瞳。何だか見たことがある。このたくましい身体つきを見るに、騎士団に所属する者だろうか。


 そう考えていると、男もハッとして僕を見た。

 まずい。彼が騎士団員なら、僕のことを知っているかも。他人から彼女に僕の正体がバレるなんて、ごめんだ!


 僕は彼女の手を引いて走り出した。

 彼女も何も言わず僕に引かれて走ってくれた。すぐ近くになら転移魔法も使えるけど、そんな高度な魔法を使えるのは上級クラスだ。


 こんな時にまで僕は、彼女にこんな形で正体をバラしたくない、と思っていた。


 だいぶ走った所で、彼女が息をきらせて声をかけてきた。


「レ、レインさ、もう走れない……」


 我に返り、立ち止まる。


「ご、ごめ……」


 つい彼女を連れて逃げて来てしまったけど、「リナ」と呼んでいたからには知り合いだろう。


 彼女に了承もなく、やってしまった……と思うと同時に、彼女を呼び捨てにする存在にモヤモヤとしだした。


 彼女の手を引いて、路地裏に連れて行く。


「レインさん……?」


 彼女は心配そうに僕を見上げ、僕は抑えられない嫉妬で思わず彼女を壁に押し付けて、壁ドンする形になった。


「あの男、誰……?」

「えっ、あの……」


 即答しない彼女に余計苛立ち、彼女を問いただすように見つめた。


「彼とは知り合いですけど、何でもないですよ」


 僕を真っ直ぐ見つめて彼女が言う。


 何をやっているんだ!!

 僕だって彼女に嘘をついているくせに……!


 彼女の真っ直ぐな瞳に、すぐに反省する。


「ごめん……ヤキモチ焼きました」


 はあー、と僕は彼女の肩に顔を埋めた。


「ヤキモチ……?」


 彼女がポツリと言うので、嫌われたかな?と恐る恐る顔を見れば、彼女は顔を赤くして微笑んだ。


「嬉しいです。それに、名前……」

「名前?」

「リナ、って。さっき呼んでくれたから」


 彼女は赤くなりながらも幸せそうに笑った。

 

 ああ、こんな顔が見られるなら、もっと早く名前を呼べば良かった。


「リナ」


 思わず笑顔で彼女を呼んでしまう。


 彼女は照れて、顔を手で隠してしまった。

 その姿が可愛すぎて。僕は思わず何度も名前を読んだ。


「リナ」

「レインさん、ずるい…」


 そう言って顔を上げた彼女は可愛すぎて。

 僕は思わず彼女の唇にキスをした。


「やっぱりずるい……」


 唇を離せば、真っ赤な彼女がそう呟いた。彼女のこんな顔が見られるのは初めてで。僕はもっと見たくなり、調子に乗って、たくさんキスをした。


 蕩けた彼女の顔が愛おしくて。僕は強く、強く

抱きしめた。


「そんな顔、僕以外に見せちゃダメだよ」

「レインさん以外にこんな顔はしません……」


 彼女の言葉に、ますます僕は彼女を強く抱きしめた。


「あ、そうだ」


 僕はさっきの宝飾店で買ったバレッタを取り出して、彼女の髪にパチリと付けた。


 ピンクゴールドの石が真ん中に付いた、リボンの形のバレッタ。


「レオンさん、これ……」

「リナのイメージにピッタリだと思って」


 何より、指輪がシンプルだったので彼女に華やかな物を贈りたい、という僕の自己満足な所もある。


 もちろん僕の魔法付与付きだ。


「嬉しい。ありがとうございます」


 そう言って彼女はバレッタにそっと手をやり、微笑んだ。その笑顔の瞳の端には涙がうっすらと滲んでいた。


「リナ、指輪が出来たら……」


 話したいことがある、と言いかけてやめた。


「レインさん?」


 彼女が不思議そうに覗き込んで来たので、


「何でもない」


 と言って、彼女の涙を指で拭った。


 指輪が出来るまで待ってて欲しい、なんて今更だ。僕の勝手な都合をここで押し付けるなんて、という気持ちになった。


 どうせ一週間もすれば指輪は出来る。

 その時に彼女には誠心誠意話そう。僕はそう心に誓って、不思議そうにする彼女の唇に、再びキスを落とした。

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