すれ違う私たち KAC20227【出会いと別れ】

霧野

とある春の休日

 春は出会いの季節、なんていうけれど。出会いがあれば、もちろん別れがある。


 僕らは出会いと別れを繰り返す。


 それはもう、永遠とも思えるくらいの時間。

 


 ある時には歓喜に満ちた抱擁を交わしたのに、いつしかすれ違い、そして離れてしまう。


 いつまでこんなことを繰り返せばいいのだろう。



 彼女は哀しげな声で、言った。


「私たち、まるで別れるために出会っているみたい」


 僕の胸に彼女の温もりが伝わる。けれど、その温もりが長くは続かないことを、僕らは知っていた。


 背の低い彼女の細い体をかき抱く。

 少しでも長く。どうか、もう少しだけ。


「また会える。離れてしまっても、心はいつも一緒だ」

「ええ、そうね……でも、離れたくない!」

「僕だって!」


 強く求め合うけれど、時は無情にも二人を引き裂くのだ。


 僕らが永遠に抱き合える時。それは、この世界が終わるとき────




   ⏰



「悠人、いつまでやってんのよ。さっさと捨てなさいよ」


 正座の姿勢で、俺は滲む涙を袖口で拭った。


「はぁ? あんた、泣いてんの? 自分で落として壊したんでしょうが」


 呆れたような声が癇に障る。が、姉の言う通りなので言い返せない。



「……でも、壊れた時に初めて、彼らは一緒にいられるんだ。もうちょっと待って」


 俺は洟をすすりながら、前面の透明パネルを金属製の物差しで慎重に取り外した。どうせ捨てるのだから割ってしまっても良いのだが、やはり美しいままの姿で葬ってやりたかった。


 長針と短針をピッタリと揃え、12時ちょうどの位置に合わせる。


(おつかれさま。今まで毎朝起こしてくれて、ありがとう。これからは、君たちはずっと一緒だ……)


 そう思ったところで、また涙が溢れ出す。



「キッモ!! あんたもしかして、また変な妄想を…」

「変で悪かったな。でも、この長針と短針は生まれた時から一緒なのにずっとすれ違い続けて…」


 背中を強く蹴られて倒れ込んだところを、姉がさっと手を伸ばし目覚まし時計をひったくった。


「早くしないとゴミ収集車来ちゃうでしょ。それにあんただって出かけるって言ってたじゃん」

「わかった。わかったから、せめてカバーを」



 壊れてしまった目覚まし時計は、見た目だけは綺麗な姿に戻り、ゴミ収集車に乗せられた。すぐに破砕されてしまうけれど、せめてその瞬間までは一緒にいて欲しい。長年愛用してきた者の、せめてもの手向けだ。


「……あんたのその妄想癖、いよいよヤバいからね。そんなんでまともな日常生活送れてんの?」


 ───大きなお世話だ。世知辛いこんな世の中、妄想という逃げ場でもなけりゃ俺は潰れてしまう。まともな日常生活ってやつを送るためにも、俺には妄想の世界が必要なんだ。


 姉の小言には耳を塞ぎ、去ってゆくゴミ収集車のメロディに思いを乗せるように、俺は長針と短針のひとときの幸せを願った。




  ⏰



 クラブ二頭竜に着いた時、すでに剣豪・岩本さんはビールを飲んでいた。


「やぁやぁ、悠人くん。失礼して、お先にやってるよ」


 そう言いながら、俺の背後を気にしている。残念、今日は姉と一緒じゃない。俺一人だ。

 姉は数日前に出会ったこの剣豪さんを気に入ったようだった。剣豪さんの方も、どうやら満更でもないみたい。

 でも俺は、「あんまりガツガツいく女は敬遠されるよ」などと男心を吹き込むふりをして、姉を牽制している。だって、さっさとくっつかれてしまったら、彼から『二刀流倶楽部』の話を聞き出せないじゃないか。まことしやかに囁かれていた都市伝説、『二刀流倶楽部』が実在していたのだ。ここは是非とも色々聞きたい。

 もちろん姉には「俺が仲を取り持ってあげる」と請け合っているし、剣豪さんには姉の連絡先をちらつかせている。抜かりはなかった。

 俺だって何も、二人の邪魔をしたいわけではないのだ。



 『二刀流倶楽部』。それは、2つの分野で稀有な才能を発揮するものだけが入会を許される倶楽部。らしい。剣豪・岩本さんによれば……


 あ、この岩本さんというのは、なんちゃらという武道だかの二刀流免許皆伝。それで剣豪と呼ばれているんだけど、みんな気軽に呼ぶので最早あだ名みたいな扱いになっている。


 その岩本さんをもってしても、倶楽部への入会は果たせなかったらしいのだ。



「言葉通りの『二刀流』じゃダメなんだ。あの有名なオオタニ選手だって入会はできないんだから」

「へえ、そうなんだ。どんな人がいるんですか?」

「それは……」


 岩本さんが黙り込んだ。唇を噛み、思い直したようにビールを呷る。


「それは言えない。秘密の倶楽部だからね。と言っても俺は、顔を見ただけで名前を知ってるわけじゃない」

「でも、どんな分野で活躍しているかぐらいは」

「だって、それを教えたら調べるだろ? そしたらいずれバレる」

「バレたら、どうなるんですか?」


 岩本さんはぶるっと身震いをした。グラスを置いた手は、小さく震えていた。


「わからん。だが、メチャクチャ強そうなやつやごっつい金持ち、なんかヤバそうなやつもいた。下手に言いふらすと自分の身が危ない……かも、しれない」



 棒を持たせれば無敵、とさえ常連の間で噂される岩本さんが、ここまで怯えるなんて……


 噂の『二刀流倶楽部』、よほど恐ろしい集まりに違いない。ぞくぞくするような興奮と好奇心が頭をもたげてくる。

 やっぱりこれは、小説のネタになる────




  🤡




 翌日、俺と姉は某所の大道芸フェスティバルに来ていた。


「ねえ、いないじゃない。岩本さん、ほんとに来るって言ってたの?」

「言ってたよ。でも時間については何も……」



 昨夜、二刀流倶楽部の話を聞き出せなかった俺は、姉を餌に剣豪を自宅へ招待した。だが、ここに来る予定だからと断られたのだった。

 何故彼が、大道芸のフェスティバルなんかに。大道芸にさして興味もなさそうな口振りなのに。

 姉とは違った意味で、俺は彼に興味津々だった。


「あっ! みつけたー!」


 姉の指差す方を見ると、たしかに岩本さんの姿。が、両脇にふたりの美女を引き連れて……いや、連行されている?


「岩本さーん」

「あっ、飯田橋さん」


 明らかにたじろぐ岩本さんの様子に、隣の姉が纏う空気が変わった。長年この人の弟をやっているから、わかる。これは戦闘モードだ。


「わぁ、こんなところで奇遇ですね。そちらは……お友達?」


 笑顔がやばい。思いっきり他所行きの猫撫で声もやばい。それらが俺に向けられたものでなくても、背中に汗が滲む。



「あら。ケンゴーさんったら、こんな可愛らしいお友達がいらしたのね」


 黒髪を一つに結った美女1が岩本さんに腕を絡め、挑発的に微笑む。

 姉の闘気レベルが上がった。

 ショートカットの美女2が反対側の肩に手を置き、可愛らしく小首を傾ける。

 姉の闘気レベルがさらに上がる。


「ごめんなさい。ケンゴーさん、もうしばらくお借りするわね」


 その言葉に姉がブチ切れた気配がした。静かにキレたこの人はやばい。八つ当たりが俺に来るのだ。



「悠人、あたしちょっと用事思い出しちゃったから帰るわ。じゃ、みなさん


 ものすごく含みを持たせ笑顔の「ごゆっくり」を置き土産に、姉はクルリと踵を返し駅の方向へと歩き出した。彼らに背を向けた瞬間、俺をじろりと睨んで。

 長年この人の弟をやっているから、わかる。これは「お前、なんとかしろ」の指令だ。


 わかってる。言われなくてもそうするつもりだ。このまま帰ったんじゃ、俺の身が危ない。


 遠ざかる姉の背中を見送っていると、その姉から着信である。


『ケンゴーの馬鹿。変態。女ったらし』


 随分とお怒りのようだ。どう見ても彼らはそんな関係じゃないと思うのだが、目の前の3人は姉の目にはそう見えたらしい。


 祈るような思いで、俺はスマホをポケットにしまった。




   ⚔



 まずい。この二人が「二刀流倶楽部のメンバー」であることが悠人くんに知れたら、そして彼が倶楽部の存在を知っていることがこの二人にバレたら……彼が危ないし、俺の身も危うい。かも、しれない。ここはなんとしても誤魔化さねば。

 そう思う矢先から、「とある財団の御令嬢にしてトップ、そして世界屈指のトレジャーハンター」が美織さんを挑発しにかかる。それを受け、美織さんが臨戦体制に入った。剣の道を極めた俺だ。人の発する戦いのオーラには敏感なのだ。

 もう一方の「書道家にして世界屈指のプロクライマー」もすぐさま参戦した。二人がかりで美織さんを挑発しているのだ。


 でも、なぜ? 訳がわからない。


 俺は今日、「天才数学者であり世界的大道芸人」である倶楽部メンバーさんがここでパフォーマンスをすると知って見に来ただけなのだ。「数学者・大道芸人」で検索したら、彼の名前と写真が出てきた。さらに、この催しの情報も。

 そうして来てみれば、この二人に見つかってしまい、どのようにしてこの催しを知ったのか尋問されていただけなのだ。


 なのに何故、彼女達は張り合ったのだろうか。何故美織さんは怒って帰ってしまったのか。俺は嫌われるようなことをしただろうか。出会ったばかりなのに、早すぎるお別れとなるのだろうか。


 俺が一体何をした? 俺に恋人ができないのは何故だ? 俺はどうしたらいい?


 頼む、誰か教えてくれー!



   ⚔




 ぐったりと疲れて、俺は帰宅した。


 あの後、岩本さんの両脇の美女にこっそり謝られた。「彼女のヤキモチが可愛らしくて、つい悪ふざけしちゃった。ごめんね」「ケンゴーのあたふたする様子も面白くって、悪ノリしちゃったの」


 ……だそうだ。まぁ、彼をからかいたくなる気持ちはわかる。なんといってもリアクションが良いのだ。真面目な人なのだろうと思う。

 そして、彼らがお友達の大道芸人を応援しにきたということもわかった。岩本さんが終始挙動不審だった気もするが、まぁいい。

 これで姉の機嫌も直るだろう。



 玄関へ入ると、靴箱の上に小さな包みが置かれていた。「悠人へ」と姉の字で書かれた付箋が貼ってある。なんだ?


 包みを開けてみると、それは新しい目覚まし時計だった。長針と短針の出会いも別れも存在しない、デジタル式の。




 終

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