第25話賑やかなパーティー

 翌日、遥とモーヴはカフェを訪れていた。二人とも、きっちりとしたジャケットを身に纏い、店内の一番奥の席に座る。コーヒーを注文した二人に、マスターは鼻歌まじりでカウンター越しに言った。

「お客さんとして遥ちゃんが来るなんて珍しいじゃないの! どこかに行った帰り?」

「……いえ」

「オシャレしちゃって! 何だか今日の遥ちゃんは、男前よ?」

 店内に他の客の姿は見えない。

 言うなら今だ。遥は腹を括った。

「あの! マスター!」

 遥は勢い良く立ち上がる。マスターはカップにコーヒーを注ぎながら首を傾げた。

「なあに?」

「ここでのバイトを辞めさせて下さい!」

「ああ、そう……え? な、なんですって!?」

 マスターはカウンターから飛び出して、深々と頭を下げる遥の肩を掴んだ。

「ど、どうしちゃったの!? 遥ちゃん……何か、問題があった? お給料が少ないとか? ああ、きっとそうね!」

「ち、違います! マスターにはいつも良くしていただいています!」

 遥は顔を上げてマスターに言った。

「お、俺……この街を出ることになったんですっ……!」

「ええっ!? なんでまた急にそんなことになったの!?」

「それは……」

「僕から説明させて下さい」

 モーヴも立ち上がり、遥の横に立った。そして、遥と同じように頭を下げながらマスターに向かって話す。

「遥さんと、僕の生まれ故郷で一緒に住むことになりました。なので、マスター、遥の願いを聞いていただくことは可能でしょうか?」

「い、一緒に住むって……えっ!? まさか、アンタたち……ええっ……! そう、こっちでカップルが成立したのかぁ……」

 マスターは髭を触りながら言う。

「そう……分かったわ! 寂しくなるけど……そうね、遥ちゃんには幸せになってもらいたいものね……」

 マスターはエプロンのポケットからハンカチを取り出し、そっと自分の目元を押さえた。

「本当に、月日が流れるのは早いわぁ……アタシがぼろぼろの遥ちゃんを拾ってから、もう何年も経つのよね。そりゃ、遥ちゃんだって恋愛もするし、新しい生活を始めだってするわよね……」

「マスター……マスターには、感謝してもしきれないくらいお世話になりました……ありがとうございます。俺、マスターに出会わなかったら、きっと野垂れ死んでいました。ここまで生きて来られたのは、マスターのおかげです。本当に……ありがとうございました」

「やだぁ、もう……涙が止まらないじゃないの……」

 マスターは鼻をすすりながらハンカチをぎゅっと握りしめた。そして、その拳をモーヴに見せつけて言い放つ。

「モーヴさん! 遥ちゃんのことを悲しませるようなことをしたら、ただじゃ済まないわよ!? 北海道から沖縄……ブラジルにだって飛んで行って、アンタのことをこの手でお仕置きしてやるんだからね!」

「はい。そうならないよう、遥さんのことを幸せにしてみせます――必ず」

 モーヴとマスターは数秒見つめ合い、硬く握手を交わした。

 ――ありがとう、マスター……俺、きっと幸せになります。今も、十分に幸せだけれど……。

 そういえば、と遥は思い出す。父親は探偵を使って遥の居場所を特定したと言っていた。なら、このカフェで働いていることもバレているのでは……。

 遥はおそるおそるマスターに訊いた。

「マスター、ここ最近、変なお客さんが来ませんでしたか? 俺のことを……探しているような」

「ああ、来たわよ。ストーカーみたいな男が」

「……っ」

 震える遥の手を、モーヴは力強く握った。大丈夫、そう伝えるかのように――。

 マスターは、ふんと鼻を鳴らして遥に言う。

「風原遥を出せ! って、うるさいのなんの! 他のお客さんの迷惑にもなったから、外に引きずり出して言ってやったわ! そんな人間はここには居ない、二度とこの店に来るんじゃねぇぞ! って脅してやったの! アタシったらついカッとなっちゃって汚い言葉を使っちゃった……けど、それが効いたのか知らないけど、その男、ふらふらになってどっか行っちゃったわ! 遥ちゃん、ストーカーには気を付けるのよ!? まぁ、もうこの街から出て行くなら問題無いわね!」

 それはストーカーでは無く、実の父親です。なんてことを正直に言う気にもなれず、遥は「はい」と苦笑しながら素直に頷いた。


 それからは、ばたばたと忙しい日々が続いた。

 コンビニにもアルバイトを辞めると言うことを伝え、アパートの大家には引っ越すということを伝えた。どちらも、すんなりと話は通り、遥は引っ越しの用意に追われていた。

「えっと、これは燃えるゴミ……こっちは燃えないゴミ……」

「ねぇ、遥」

「わ! ちょっと! 急にくっつかないで下さいよ! びっくりしました!」

 背後からモーヴに抱きしめられて、遥は赤面しながらそう言った。モーヴは抱きしめることなど慣れているだろうが、遥はまだそれに慣れない。そんな様子を、モーヴはいつも楽しそうに眺めている。

「遥、持って行くもの、本当にあれだけで良いの?」

 モーヴは部屋の真ん中に置かれた、機内持ち込み可能なサイズのキャリーケースを指差す。そこには、遥が魔界に持って行く荷物が詰められていた。少なすぎる荷物を見て、モーヴは心配そうに遥に言う。

「遥、無理に荷物を減らす必要は無いんだよ? 魔界の僕の城に、ちゃんと遥の部屋を用意させているから……なんなら、部屋のもの全部持って行っても良いんだよ?」

「それは駄目です。これを機会にちゃんと部屋を片付けるって決めているんですから! それに……生活必需品はもともとそんなに持っていないので、あれだけで十分なんですよ」

 もともと部屋に荷物が少なかった遥だ。今、分別しているのは百円ショップで揃えた小物ばかりで、大切なものでは無い。必要かどうか分からないが、身分証明のために作ったパスポートや印鑑は、キャリーケースに仕舞ってある。銀行の契約はすべて解約して、貯めていた現金もちゃんとそこに入れておいた。

「明日は、燃えるゴミの日! 燃えないゴミはマスターが預かって出しておいてくれるって言っていたから……って! もうこんな時間だ! モーヴさん、そろそろ出ましょう!」

「ああ、そうだね。そろそろ行こうか!」

 二人はアパートのドアを開けて外に出た。


 遥とモーヴが向かった先はいつものカフェだ。マスターに、午後一時に来るようにと言われていたので、二人はそれに従った。

 カフェのドアを開けた瞬間、ぱあん、と乾いた音が響いた。それは、パーティー会場で使われるクラッカーが弾ける音だった。

「遥さん!」

「モーヴさん!」

「カップル成立、おめでとう!」

 遥とモーヴは、目をぱちくりさせて店内を見る。そこには、マスターとサクラ、そしてスミレの姿があった。三人は遥とモーヴのことを、拍手と共に店に迎え入れた。

「遥さん、おめでとうね!」

「あ、サクラさん……ありがとうございます」

 サクラは柔らかい微笑みで遥に言う。

「本当は、孫のスミレとくっつけば良いな……って思っていたんだけれど、そう簡単にはいかないわね」

「あ、あはは……」

「モーヴさんと幸せになってね。約束よ?」

「……はい」

 遥はサクラに一礼した後、カウンターでにやにやしているマスターに声をかけた。

「マスター! これって……」

「じゃじゃーん! サプライズ大成功!」

 マスターは嬉しそうに手を叩く。

「今日はお店を貸し切りにして、遥ちゃんとモーヴさんの門出をお祝いするパーティーを開催します! ほら、主役は座った座った!」

「……マスター、サプライズ好きですね……」

「うふふ。大好きなの!」

 マスターに促され、遥とモーヴは中央のテーブルに着いた。そのテーブルの上には、イチゴのチーズケーキやチキンナゲット、フライドポテト、海藻サラダに魚の造りなど、様々な料理が並んでいる。

「料理のほとんどは私が作ったのよ!」

 スミレが胸を張って言った。

「ケーキ作りは駄目だけど、こういう料理は得意なの! あーあ、残念。遥さん、私をお嫁さんにしていれば、毎日、美味しいお料理が食べられたのにねー!」

「スミレさん……」

「だ、駄目だよ! 遥は誰にも渡さない! ……あ」

 思わず素になったモーヴは、慌てて咳ばらいを一つした。それを見たスミレは、けらけらと明るく笑う。

「冗談なのに! モーヴさんって可愛いところあるんですね!」

「か、可愛い? 僕がですか!?」

「そうそう。遥さんも可愛いし、お二人は可愛い者同士のカップルですね!」

 うふふ、とスミレは笑みを浮かべる。それはサクラに似た、優しい微笑みだった。遥はスミレに言う。

「スミレさん……応援してくれてありがとうございました」

「良いの良いの! 私、漫画も小説もハッピーエンドが大好きなんで!」

「それって、ボーイズラブの?」

「うふふ。内緒よ、内緒」

 くすくすと笑い合う二人を、モーヴは不思議そうに眺めていた。

「それじゃ、コーヒーを配ります……って、あら? 外に誰か居るわ……?」

 まさか、父親が来たのではないか、と遥は身構える。マスターもストーカーが来たのではと警戒しているのだろう。片手に箒を握りしめて入り口に向かった。

 マスターがドアを開けると、そこにはボリーの姿があった。イメージチェンジをしたのだろうか。今日の髪の毛の色は全体的に水色だった。マスターが「どなた?」と言うと「どもーっす」とボリーは口ごもる。

「えっと、モーヴっち……モーヴさんに用があって……」

「あら? モーヴさんのお知り合いの方?」

「知り合いって言うか、親友、的なー?」

「そうなの!? ちょっとモーヴさん! 親友さんがお見えよ!」

「あ、ちょっと……」

 マスターに腕を引かれ、ボリーは強制的に店内に引きずり込まれた。モーヴは「ややこしいのが来た……」と呟く。ボリーは頭を掻きながらマスターに言った。

「いや、なんかお取込み中的なー? そんな感じだし、俺っちはいったん帰りまーす……」

「お取込み中じゃなくてね、今日は貴方の親友のモーヴさんのパーティーを開いているだけなのよ?」

「えっ!? パーティー!?」

 ボリーの目が輝く。その様子を見て、モーヴは頭を抱えた。

「俺っち、パーティー大好きなんよ! 俺っちも参加しても良い? あっ、遥っち! お久しゅうー!」

「あら? 遥ちゃんともお知り合いなの?」

 目を丸くするマスターに、ボリーは「おうよ!」と声を張る。

「これまた親友的なポジション! 俺っちと遥っちの仲は誰にも何にも引き裂けない……そんな仲……」

「あらぁ! それじゃあ、貴方も参加で決まりね! 待っていて! 今から貴方の分のコーヒーを淹れるから!」

「ありがとございまっす! 牛乳多めでーって、そりゃカフェオレか! ふはは!」

 すっかり場に馴染んだボリーだ。彼はサクラやスミレに自分から話しかけに行って、わあわあと盛り上がっている。そんな様子を横目に、モーヴは溜息を吐いた。

「ごめんね。あいつ、パーティーが本当に大好きなんだ。困った奴だよ」

「ふふ。見ていたら分かります。とっても楽しそうですね」

「……ね、遥」

 モーヴが真剣なまなざしで遥を見つめる。

「後悔しない? 遥は魔界に行ったら二度とは帰れない……ことは無いけど、僕は一生君のことを離さないよ? 僕のこと、重い奴って思っていない?」

 そう不安気に訊ねるモーヴに、遥は心から笑ってみせた。

「後悔なんて、しません。それに、重いだなんて……それだけ好きって思っていただけてるんだって、嬉しくなります」

 遥はそっとモーヴの手を取った。

「俺のこと、一生離さないで下さい。ずっと、一緒に居て下さい」

「……遥。ありがとう……」

「今のって、プロポーズじゃね!?」

「うわ!」

 いつの間にか傍に来ていたボリーが割り込んできて、遥とモーヴの肩を抱く。そして、店内に響き渡る大声で言った。

「みんなー! 今この場で、二人の結婚が成立しましたーっ! 拍手! 拍手!」

 ボリーの言葉に、その場に居た全員がしばらく呆気に取られていたが、やがてぱちぱちという拍手の音と共に、その空気は消え去った。ボリーは口笛を吹く。

「ぴゅう! おめでとうー! 末永く末永く、幸せに暮らしましたとさ!」

「遥さん、モーヴさん、おめでとう!」

「プロポーズしたんだ! 聞いてなかった! もう一回やって!」

「やだぁ、もう……イマドキの子って大胆!」

「も、もう! 皆さん……恥ずかしいなぁ!」

 遥の顔は真っ赤だが、その表情には嬉しさが溢れ出ていた。モーヴは「プロポーズはもっと雰囲気を作ってやろうと思っていたのにな」と呟きながらも、幸せそうに笑う遥の横顔を微笑みながら見つめている。

 パーティーはとても盛り上がり、賑やかなその時間は、夜を迎えるまで続いた。

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