第26話引っ越しの準備

「で、今日は何しに来たの?」

 パーティーからの帰り道、モーヴは上機嫌なボリーに訊ねた。ボリーは、はっとして答える。

「いけねー! 忘れてた! えっとねー、モーヴっちが魔界に帰る日、セレモニーをやるかやらないか、聞いて来いって言われたんだ! クロっちに」

「いらない。やらない」

 モーヴは即答する。ボリーは「やっぱりなぁ」と苦笑してみせた。

「モーヴっちは、そういうの嫌いだもんなー」

「そう、嫌いだよ。大嫌い。ただ帰るだけなのに、何人もの奴らに出迎えられるなんて絶対に嫌だね! 税金の無駄遣いだ! あ……遥、安心して? 遥を皆に紹介する場はちゃんと設けるからね? 盛大なパーティーをやろうね?」

「お、俺を紹介するパーティーですか!?」

 遥は驚いて絶句する。そんなパーティー、恥ずかしいから開いて欲しくは無い。紹介は仕方が無いとしても、どこか小さな会議室みたいなところで、名前だけ紹介してもらえればそれで良い。そう思った。

 モーヴはどこかうっとりとした様子で遥に言う。

「ケーキは……五段重ね? いや、十段重ねが良いな。パーティー会場は色とりどりの花を飾ろう。華やかで、その中にも品があるようなパーティーをやろうね。ボリー、君は勇者モードで参加してね。遥と踊ることは許さないけれど」

「りょーかい! パーティーならどんなやつでも参加するー!」

「ま、待ってください! それこそ税金の無駄遣いですよ!」

 遥がそう言うと、モーヴは、むうとくちびるを尖らせた。

「遥ならそう言うと思っていたけれどね、僕の意思は固いよ! 僕の大切な人を紹介するんだから、盛大にやりたいんだ!」

「そんな、紹介するだけで、そんなに豪華にやらなくても良いです! そういうのは……その、結婚式の時で良いのではないでしょうか……?」

 自分で言っておいて遥は真っ赤になる。結婚式。いつかモーヴと挙げたいと思っていた。そのことを自分から口にしてしまい、遥はとても恥ずかしくなった。

 モーヴは「結婚式か……」と顎に手を当てる。

「良し、分かった。遥の言うとおりにする。けど、結婚式はどかーんと豪華にするよ?」

「ど、どかーん、ですか?」

「そう。ま、まだ先の話だけどね。けど、今からプランを練っておかないと……まずはタキシードを作ることから始めよう。あ、遥はタキシードとドレスどっちが良い?」

「うへぇ。ノロケ話はごめんだよっと! じゃ、俺っちはクロっちに伝えてくるから! ばいばい!」

 そう言ってボリーは指をぱちんと鳴らして、すっと魔界に帰ってしまった。魔術ってすごいな、と遥は何度見てもそう思う。

 くいくいとモーヴが遥のジャケットの裾を引いた。

「ねぇ、遥。タキシードとドレス、どっちが良い?」

 モーヴの頭はすっかり結婚式モードのようだ。遥は苦笑して答える。

「……タキシードでお願いします」

「了解! きっと似合うと思うよ!」

 モーヴはそっと手を差し出す。遥は、迷うことなくそれを握った。

 手を繋いでアパートに帰る。遠いようで短い距離のデートを二人は楽しんだ。


「これは、燃えるからこっち……モーヴさん! それは燃えないですよ!」

「わ、分かった……」

「よし、あとは古紙をまとめて縛るだけ! モーヴさん、そこの紐を取って下さい!」

「う、うん……」

 てきぱきと動く遥に、モーヴは圧倒されていた。この世界のゴミの分別に詳しくないモーヴは、遥の指示に従って、ただただ手を動かすだけだった。

「よーし! 終わり!」

 ゴミ袋を端に寄せて、遥はごろりと床の上に寝転がった。掃除という大仕事をやり遂げた後の達成感が湧き上がってくる。アルコールが弱い遥だが、こんな日は缶ビールをぐいっと飲みたい気分になった。

「お疲れ様、遥」

「モーヴさんも、お疲れ様です。手伝っていただけて、助かりました」

 パーティーから数日かけて、やっと掃除が終わった。明日は――魔界に行く日だ。遥は、数年過ごしてきた自分の部屋をぐるりと見渡す。数々の思い出が浮かび上がって、遥の心を懐かしくさせた。

「……ここを出るのが寂しい?」

「そう、顔に出ていましたか?」

 遥が笑いながらそう訊くと、モーヴは「うん」と頷いた。どこか不安そうな表情を浮かべるモーヴの手を、遥はぎゅっと握る。

「寂しくないって言ったら嘘になります」

「……うん」

「でも、希望の方が今は大きいんです。魔界ってどんなところかな、人間界とはどう違うのかな……ってわくわくしています」

「……うん」

「毎日、モーヴさんに会えるんです。ね、何かルーティンを決めておきましょうか?」

「ルーティン?」

「そうです。例えば……毎朝、おはようのキスをするとか」

 遥の提案に、モーヴはくすっと笑って言う。

「遥って、ロマンティストだね」

「それはモーヴさんもでしょう?」

「そうだね……でも、キスは朝だけじゃ足りないなぁ……」

「ん……」

 モーヴは遥に顔を近付ける。反射的に目をつぶった遥のくちびるに、自分のくちびるを押し当てた。

 触れるだけのキス。温かい。そのぬくもりに酔っている遥の頬に手が添えながら、モーヴは遥に囁く。

「口、開けて?」

「あ……」

「今日は、いっぱいキスしよう……」

 ちゅっと音を立てて互いのくちびるが合わさった。すぐに遥の開いた口の中に、モーヴの舌が入ってくる。舌と舌が絡み合う度に、ぐちゃぐちゃと湿った音が耳に響いて、どうしようもなく遥のことを興奮させた。

 モーヴが空いていた手で、遥の身体に触れた。そっとシャツをめくられて、思わず遥は身体を強張らせる。モーヴは「変なことはしないよ」と怪しく笑った。

「あの男につけられた傷の治療がまだだったよね。待っていて、すぐに治してあげるから……」

「モーヴさん、待って……」

「ほら、ここ……」

 モーヴは露わになった遥の腹にそっと指を這わす。そこには、青紫色の痣が出来ていた。それを見たモーヴは眉をひそめる。

「こんなになって……綺麗な肌が台無しだ」

「ほ、放っておいたら勝手に治りますから……」

「駄目。丁寧に、治療してあげるからね……?」

 そう言って、モーヴはその痣に舌を這わした。与えられるねっとりとした感触に、遥は思わず腰を跳ねさせた。

「モーヴさん、何してるんですか……っ!?」

「ただの治療だよ? 前にやったように手でやるよりも、こっちの方が良く効くんだ……ほら……」

 モーヴが舐めた部分の痣が薄くなっている。どうやら、治療と言うのは本当のようだ。しかし――。

 ――身体、熱いっ……。

 モーヴが舌を這わす度に、身体中の血液が沸騰しそうなくらいに熱くなる。心臓がどきどきしすぎて眩暈がしてきた。次第に吐く息も荒くなる。遥はぼんやりする頭で、視界に入ったモーヴの頭を掴んだ。

「はぁ……っ。モーヴさん、もう、良いからっ……」

「もう少し、もう少しで痣は消えるよ……」

「あ、あっ……ん……」

「もしかして、遥は舐められて感じているのかな?」

「違うっ……」

「なら、良いよね? ほら、もう終わるから……最後にここを……」

「っ……! あ、っ……!」

 ぺろり、とモーヴは遥の臍を舐めた。その刺激で遥は――。

「はい、綺麗になったよ。もう痛みも無いはずだ……遥? どうしたの? 遥?」

「モーヴさんの馬鹿っ!」

「っ!?」

 遥の傍にあった枕を顔面に投げつけられて、モーヴは背中からその場に倒れた。


「遥、ごめんってば!」

「……」

「機嫌を直しておくれよ……」

「……知らない! モーヴさんなんて、知らない!」

「まさか、そんなに感じてくれているって思わなかったんだ。だから……」

「う……」

 まさか、腹を舐められただけで感じて達してしまうなんて……遥は恥ずかしいやら情けないやらで、モーヴの顔をまともに見ることが出来ない。普通はこんなことにならないのではないか。遥は赤い顔でそう思った。

「……キス」

「へ?」

「キス、いっぱいしようって言ったのはモーヴさんなのに、途中からキスじゃ無かった……」

「え? あれもキスにカウントしないの?」

「……は?」

「だって、くちびるだけにするのがキスじゃ無いだろう? 手の甲にしたり、頬っぺたにするのもキスだろう? だから、お腹にするのも、キスだよ」

「そ、そうでしょうか……なら、まぁ……良いです、よ」

 なんだか上手く丸め込まれた気もするが、まぁ、もう良いか。そう思い遥はモーヴの方を見た。すると、彼は「遥!」と言って思い切り遥のことを抱きしめた。

「遥! もうその愛おしい顔を見せてくれないのではないかと不安で仕方無かったよ!」

「……もう」

「遥、好き。大好きだよ。もうお腹を舐めるのはしないからね?」

「え……いや、それは別に……ちゃんとした、そういう場面でなら、良いですけど……」

「えっ?」

 遥は視線を泳がせながら言った。

「つまり、その……」

「……ベッドの中、とか?」

「……っ、そうです! そういった場面です! 俺、キス好きだし!」

 やけくそ気味に遥は言う。恥ずかしかったが、決して嫌では無かった。それに――。

 ――モーヴさんは、ちゃんと心配して傷を癒してくれたんだし……。

 遥はそっと自分の腹を触った。ずっと、ずきずきと痛みがあったが、それはきれいさっぱり消えている。

「……ありがとう、モーヴさん」

 そう小声で言った遥のことをモーヴはぎゅっと抱きしめる。

「……魔界に行ったら、もっといちゃいちゃしようね?」

「……っ。はい、楽しみにしています」

 強気に言う遥に向かって、モーヴは微笑む。そして、触れるだけのキスを遥に送った。


 その日、遥は夢を見た。

 黄色い花畑。

 その真ん中に、良く知った顔の人物が立っていた。

「……おばあちゃん」

「遥」

 二人は数メートル離れた距離で向かい合う。遥は笑った。作り笑顔では無い、自然な笑みだった。

「おばあちゃん、俺、大切な人を見つけたよ!」

「そうだね。もう、私が見守っている必要は無いみたいだね」

「……うん。だからおばあちゃん、もう心配しないで、安心して? 俺なんかに構っていないで、どうか、どうか……」

「分かっているよ、遥」

 祖母はにっこりと、太陽のように微笑む。同時に、その身体が金色に輝きだした。

「おばあちゃん……」

「遥、良い子の遥……ずっとずっと、幸せになるんだよ。もしも悲しいことをその人にされたら……私は魔界にだって飛んで行ってよみがえって、化けて出てやるからね」

「おばあちゃん……」

「ふふっ」

 二人は笑い合う。

 もう、お別れの時間だ。

「おばあちゃん、俺を育ててくれてありがとう。たくさんの愛情をありがとう」

「遥も、私の孫として生まれてきてくれてありがとうね。この世に生まれてきてくれてありがとうね」

「……おばあちゃん」

「遥、それじゃあまたね。あと百年後くらいに会いましょう」

「うん……またね、おばあちゃん」

 ぱあっと光が空間に広がる。遥はその眩しさに目を一瞬だけつぶって、開いた。

「っ……?」

 目に飛び込んで来たのは、片付けられて殺風景になった自分の部屋だった。遥は、モーヴの腕から抜け出して、周りをきょろきょろと見渡す。夢だ。分かっている。幸せな夢だった――。

「ん? 遥、どうしたの?」

 まだ眠たそうな声でモーヴがごにょごにょと言う。

 遥は、晴れやかな笑顔で答えた。

「何でも無いですよ。ふふ……」

「うん? 良い夢でも見た? ……とにかく、まだ早いから、もうちょっと寝ていようよ」

「そうですね」

 遥は再び、モーヴの腕の中に戻った。確かな優しさを感じながら、もう一度目を閉じる。心はとても、穏やかだった――。

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