第24話暗闇の中で

 遥はモーヴに抱きかかえられたまま、アパートに戻った。そこにはすでにボリーの姿があり、自分の使い魔となにやら話し込んでいた。

「た、ただいま戻りました……」

 遥が力無くそう言うと、ボリーと使い魔は一斉に遥のもとに駆け寄る。

「遥っち……!」

「遥様……」

 言葉を探しているかのようなボリーたちに、遥は「平気です」と笑顔を作って言った。モーヴが暗い顔のままで口を開く。

「遥、とりあえず横になろう。良いね?」

「……はい」

 蹴られた腹部が痛いが、横になるほどではない。けれども、真剣な表情のモーヴに「そんなことをしなくても大丈夫です」と言う勇気は遥には無かった。大人しく布団の上に横になると、モーヴは遥にそっと毛布をかけた。

「俺っち、魔術で追跡したんだけど……」

 ボリーが少し俯いて話す。

「あの男、酒を飲んでいたよ。しかも……車の運転もしてた! これって飲酒運転じゃね? 犯罪じゃんか!」

 憤りを隠せないボリーはテーブルをばんと叩く。

「ふらふらって車を運転しながら、あの男は駅前のビジネスホテルに入った! 部屋は二百四号室! なんなん!? 遥っちは、なんであの男に酷い目にあわされていたわけ!? 俺っち、警察官の格好をしていなかったらぶん殴っていたところだったよ!?」

「それは……」

「ボリー、あの男性は、あんな風でも遥の実の父親なんだ。だから……あまり乱暴な言葉を使わないで?」

「へ……? 遥っちの親父さん……?」

 ボリーは心の底から驚いたような表情を見せた。遥は、身体を起こして「あんな奴……」と口の中で噛み殺すようにして言った。

「あんな人間に気を遣う必要は無いですから、なんとでも言って下さい」

「遥……」

「あんな人間は、父親なんかじゃない……家族なんかじゃない。俺の家族は、おばあちゃん……祖母だけです」

 遥はそう言って手のひらをぎゅっと握った。揺るがない遥を見て、モーヴは「よし……」と眉を吊り上げて口を開いた。

「暴行に飲酒運転、あの男は重罪を犯しているね。僕の大切な遥を傷付けた罪は何よりも重い……ここは、反省してもらおう」

「賛成! 遥っち! ここは俺らに任せてな!」

「……でも、反省ってどうやって……?」

「ここは、魔王様パワーを使うんだよ」

「勇者様パワーもあるぜっ!」

 にやりと笑う二人のことを、遥は心配そうに見つめていた。


 こんこん、こんこん。

 ビジネスホテルの二百四号室のドアがノックされた。室内で酒を飲んでいた男――遥の父親は顔を上げて、その音に耳を傾ける。

 こんこん、こんこん。

 ノックの音は止まない。男は舌打ちをしながら、部屋のドアを開けた。そして目を見開く。そこには――警察手帳を持ったスーツ姿のモーヴが立っていたからだ。男はもちろんモーヴの正体を知らない。男の目はモーヴの顔など見ないで、突き付けられた警察手帳にくぎ付けだ。モーヴは硬い声で言った。

「警察の者です。このホテルに凶悪犯が逃げ込んだという情報が入りました。何か、心当たりはありませんか?」

「い、いや……知らん。俺は何も知らない……」

「そうですか……とにかく、このホテルは危険です。すぐに外に避難して下さい」

「わ、分かった……」

 男はホテルのスリッパのまま、転がるようにしてその場を後にした。その様子を、モーヴは冷たい目で見つめる。

 男の姿が見えなくなったのを見届けてから、モーヴは指をぱちんと鳴らした。すると、彼の姿は一瞬にしてその場から消えてしまった。

 ぜえぜえと息を切らして男はホテルの外に出た。すると、警備員の格好をしたボリーが男に声をかける。

「避難される方ですよね? こちらへどうぞ。公園がありますので、警察からの連絡があるまでそこで待機して下さい」

「分かった。一人で行けるからついて来なくても良い……」

「そういうわけにはいきません。さあ、私について来て下さい」

 ボリーに誘導されて、しぶしぶ男は公園に入った。ぺたぺたと間の抜けたスリッパの音が夜の公園に響く。男は公園を見渡して眉をひそめた。

「なんだぁ? 俺以外、誰も居ないじゃねぇか……」

 そう男が呟いたその時、上空でカラスの声が響いた。カア、カア、カア、とカラスは鳴く。暗闇に溶け込んだその存在は、不気味以外の何ものでも無かった。

 男は、ぞっと背中を震わせながら公園内のベンチに腰掛けた。その時――。

「カア、カア、カア!」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 先ほどまで姿を見せなかったカラスたちが、すっと姿を現した。彼らは目を赤く光らせ、男に向かってくちばしを当てて攻撃を始める。途端に男はカラスに包まれて真っ暗な闇に溶け込んだ。

「な、なんだ!? だ、誰か……! 警備員! 助けてくれ!」

 男はボリーに向かって叫んだ。だが、ボリーは「何も聞こえねー」と宙を見ている。

 カア、カア、カア。

 カラスの数は数十羽、いや、数百羽を超えているかもしれない。ばさばさと羽がぶつかり合う、奇妙な音が公園内を支配していた。

 かつ、かつ、と革靴の音を響かせて現れたのはモーヴだ。モーヴは口元に笑みを浮かべながら、カラスの群れの方に向かって言った。

「このままカラスの餌になるか、二度と遥に関わらないか、どちらか選ばせてあげよう」

「な……!?」

 遥の名前が出たことに驚いたのか、男は一瞬だけ黙った。だが、すぐに喚き始める。

「遥だと!? これはあいつの差し金か!? クソっ! 助けろ! 遥! 助けろ!」

「気安く遥の名前を呼ぶのは止めてもらえるかな?」

 モーヴの声はどこまでも冷たい。

「カラスは雑食なんだよ? 肉、きっと好きだよね。君はとても不味そうだけれど」

「痛い! 止めろ! 止めさせろ! 誰なんだよお前は!」

「黙れ!」

 モーヴは力強く怒鳴った。

「遥の傷はもっと痛いはずだ! このくらいで弱音を吐くな!」

「うるさい! あいつは、一生俺のサンドバックとして生きるべきなんだよ! 他人にとやかく言われる筋合いはない! 痛い! 早くこのカラスを退けろ!」

「……食らいつくせ。骨まで、ね」

「カァァ!」

「ぐわぁぁぁぁぁぁ!」

 カラスたちは攻撃をつつくことから、ついばむことにチェンジした。肉をつねられるような感覚に、男は悲鳴を上げる。

「痛い! 助けろ……助けて下さい!」

「どうする? さっきも言ったけれど、餌になる? それとも……」

「分かった! もう、もう遥には近付かんから! このカラスを消してくれ!」

「……ふん。消えるのはお前だよ」

 モーヴはぱちんと指を鳴らした。すると、集合していたカラスたちが一斉に飛び立つ。そこに、群がられていた男の姿は無かった。

「あーあ。モーヴっち、あの男、この世から消しちゃったの?」

「人聞きの悪いことを言わないで欲しいね。あの男はちゃんとホテルの部屋に戻したよ。今頃、パニックになってるんじゃないかな? カラスに化かされた、とか言って……遥、もう出てきても大丈夫だよ? 出ておいで?」

「……はい」

 遥はジャングルジムの傍にある、滑り台の影から顔を出した。頭の上には、白いボリーの使い魔を乗せている。

「護衛、ご苦労さん」

 ボリーがそう言うと、白い使い魔はばさりと翼を広げて主人の頭上に飛び乗った。

「遥様、白い私では目立ってしまい、お役に立てませんでした。申し訳ございません」

「いえ、そんな……傍に居て下さるだけで、とても安心しました。ありがとうございます」

「まぁ、ここは黒い身体の私が一番役に立ったということですね!」

 闇の中からすっと姿を現したのは、モーヴの使い魔だ。使い魔は、ちょこんと遥の頭の上に乗る。遥はびくりと背中を強張らせた。こちらの使い魔はまだ少し怖い。

 黒い使い魔は誇らしげに胸を張って言った。

「いきなり緊急の要請を受けたので驚きましたが、私は急いでこの世界の鳥たちに声をかけたのです! 皆、高貴な私の言葉を聞き入れて、命を聞き入れてくれました。私の! そう私の手柄でございます!」

「はいはい、ありがとうね。それから、そろそろ僕の遥の頭から離れなさい。そこを触って良いのは僕だけだ」

「カア!? 僕の、遥……?」

 黒い使い魔は目をぱちくりとさせてモーヴと遥を交互に見た。そして――。

「カア! 人間……いや、遥様!」

 使い魔は遥の頭上から舞い降りると、遥の正面に立って声高らかに「カア!」と鳴いた。

「モーヴ様のお相手になったのでございますね! 遥様……!」

「えっと……」

 急に態度を変えた使い魔に戸惑いつつも、遥は「……はい」と照れ臭そうに答えた。使い魔は歓喜の声を上げる。

「良かった! お見合いの件は……まぁ、水に流すことにしましょう。さぁ、モーヴ様! 遥様を連れて魔界に帰るのです! やっと、やっと平穏な日々が戻ってくる!」

 使い魔さんも苦労しているんだな。遥は苦笑しながら思った。そして、使い魔の言葉に気が付く。

 ――魔界に、帰る? 俺を連れて……!?

 遥はモーヴに訊ねた。

「モーヴさん、俺、魔界に行くことになるんですか……?」

 モーヴは、はっとして目を見開く。それから、頬を掻きながら遥に言った。

「まぁ……そうだね。来てくれると……嬉しい。……言ってなかったっけ?」

「そんな……そういう大切なことは早く言って下さいよ!」

 遥はモーヴに詰め寄る。

「俺は、カフェとコンビニでバイトしている身なんですよ!? アパートも借りているし……何も手続きせずにお別れ、ばいばいってわけにはいかないんです! ああ、どうしよう。マスターにはなんて言えば良いんだ……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 その場に居た遥以外はぽかんとして動かなくなった。だが、やがてボリーの笑い声でその沈黙は破られる。

「ぶっ……あははは! 遥っち、マジでおもろいのう!」

「え……?」

 首を傾げる遥に、モーヴは苦笑しながら言った。

「遥、魔界に来るのは嫌じゃないの?」

「え? 嫌じゃないですよ」

 モーヴはほっと息を吐く。

「良かった……断られると思っていたから……。遥が、魔界に行くことを拒むより、こっちの世界での手続きとか、そういうことを気にするから……ふふ、面白いなって……」

「わ、笑わないで下さいよ!」

 こちらの世界が嫌いなわけではない。カフェのマスターは優しいし、新たに親しい人も増えた。だが、それ以上にモーヴや、ボリー、使い魔……彼らと共に居る方が楽しい……心の底から楽しいのだ。

 それに、モーヴとやっと心を通じ合えたのに、離れて暮らすのは嫌だと思った。魔界での生活はどんなものになるのかは想像もつかないが、モーヴの生きる世界で自分も生きてみたい。それが遥の望みだった。

「えっと、皆さん……」

 遥は、モーヴとボリー、それから、それぞれの使い魔に向かって深々と頭を下げた。

「今日は、俺のためにいろいろと動いて下さってありがとうございました。俺が、もっと強ければ一人で解決出来たことかもしれないけど、それは結局無理だったし……皆さんのお力が無ければ、俺はどうなっていたことか……本当にありがとうございました」

「……遥、顔を上げて?」

「そうよ、遥っち! 困った時はお互い様って言うじゃん?」

「遥様、使い魔にそのような感謝の言葉など……」

 頭を下げる遥に、慌てて皆がそう言った。だが、黒い使い魔はふんと大きな態度で遥に向かって言う。

「感謝されて当然でございます。そもそも、私の予知夢がなければ、遥様、貴方の危機は救えなかったでしょう」

「はい、そうです」

「カア! これからも私を敬い、丁寧に扱うのですぞ! よろしいか?」

「分かりました。使い魔さん……気になっていたんですけど、使い魔さんに名前って無いんですか? 呼びにくくて……」

 横からモーヴが口を挟む。

「彼らに名前なんてものは無いよ。使い魔は使い魔だからね。けど、遥が呼びたいように呼べば良いよ? 僕が許可する」

「え……」

「カア! モーヴ様! 勝手に話を進めないでいただきたい!」

「良いじゃん。けちカラス」

「カラスではありません!」

 言い合いを続けるモーヴと使い魔をよそに、遥は手を顎に当てて考える。カラス、使い魔……黒い、真っ黒……。

「……クロ、なんてどうでしょう?」

「は?」

「おっ!」

 モーヴと使い魔は振り返って遥を見た。遥は自信無さ気に言う。

「モーヴさんの使い魔さんの名前は、クロ。それじゃ、駄目ですかね……?」

「……カア。まぁ、そう呼びたいのなら、そうお呼びなさい! では、私は業務がありますので、ここで失礼いたします!」

 そう言うと使い魔――クロは闇の中に消えて行った。遥は不安になってモーヴに訊ねる。

「怒らせちゃいましたかね……?」

「いや、あれは照れているだけだよ」

「えっ、照れている……?」

「そう。素直じゃ無いからな、あいつ……」

 そう言いながら、モーヴは遥の頭を撫でた。大きな手のひらから伝わる体温が心地良い。ふっと目を細めた遥だが、ボリーの使い魔の「遥様」という声で、はっと我に返った。

「遥様、遥様」

「ど、どうしました?」

「その……私にも、名前をつけていただきたいのです」

「え……? でも、良いんですか?」

 遥はちらりとボリーを見た。彼は両手で大きな円を作って「オッケーだよん!」と笑っている。

「じゃ、じゃあ……シロ。使い魔さんの名前はシロってことで……気に入りましたか?」

「シロ……素敵な響きです。遥様、感謝いたします」

 シロはばさりと翼を広げて「では、私も失礼いたします」と言って、夜の闇の中に姿を消した。

「あいつもー、照れてんなー」

 ボリーが伸びをしながら言う。

「まぁ、魔王様の人生のパートナーに名前を貰ったんだから、そりゃ嬉しいよなー」

「じ、人生のパートナー!?」

 驚く遥に、ボリーは「え?」と疑問を浮かべる。

「え? 何? プロポーズまだなん?」

「え、あ……」

 真っ赤になる遥の前に立ちふさがり、モーヴはボリーを睨んだ。

「ボリー! 君って奴は!」

「遅い! モーヴっちやることが遅い! 中学生か! 知らんけど!」

「僕はね、ちゃんと計画していたんだ! プロポーズは、まず夜景の綺麗なレストランを予約して……」

「あっはは! ロマンティック! モーヴっちは夢見るボーイだなぁ」

 その時、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえて来た。三人は一斉にそちらを見る。

「やべぇ! 本物の警察のお出ましだ!」

「警察!? どうして……」

「きっと、あの男が通報したんだろう。まぁ、すべて幻覚だって処理されると思うけど……」

 サイレンの音はどんどん近付いて来る。ボリーは「よっしゃ! 逃げるぜぃ!」と一足早く駆け出した。

「遥!」

「わ!」

 またもや遥を横抱きにして、モーヴはボリーの後を追いかける。遥は、今度は抵抗することなく、大人しくモーヴに抱かれたまま、夜の街の空気を感じていた。

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