第19話水族館デート

 翌日、遥とモーヴは地下鉄に乗って子供から大人までに人気の水族館に向かった。入館するためにチケットを買おうとした遥を、モーヴが制止する。

「ここは、僕が」

「でも……」

「良いから! お嬢さん、大人二枚でお願いします」

 チケット売り場の中年の女性は、モーヴを見て頬を赤らめた。お嬢さん、という言葉に過剰に反応したのだろう。彼女は何度もモーヴに熱い視線を送りながら、釣銭を時間をかけてモーヴの手のひらの上に乗せていた。

「そういえば……」

 水族館の中に入り、歩きながら遥がモーヴに訊ねた。

「お金って、どうしてるんですか? 魔界とこっちの世界じゃ、通貨が違うでしょう?」

 昨日、勇者のボリーもこちらの世界の駅前でファストフード店に行って食事をしたと言っていた。いったい、魔界の人たちはどうやってこちらの現金を手に入れているのだろう。遥の頭に、急にそんな疑問が沸いた。モーヴは財布を指でつまんで振りながら答える。

「両替するんだよ。両替」

「り、両替ですか!? いったいどこで!?」

「魔界中央銀行」

「銀行……」

 モーヴはくすっと笑う。

「そこにはね、いろんなお金が集まっていてね……人間界の、様々な国のお金ももちろんそろっているんだ。僕みたいに旅行で人間界に行く人がすること、それはまず、お金の両替さ」

「へぇ……ん? ちょっと待ってください。僕みたいに旅行って……もしかして、魔界からこっちに来る人って、けっこう居るんですか?」

「居る……かな。まぁ、世界を越えるのってけっこう魔力を使うから、それなりに強い魔力を持った奴しか出来ないけど」

「なるほど……」

 モーヴの魔力って、いったいどれくらいあるのだろう、と遥は思った。今までに見た魔術は……料理を用意してくれるものと、あとは毎日のように日本語を話していることぐらいだ。ああ、やけどを治してもらったこともあったな……と遥は考えを巡らせる。

 ――どれも、そんなに威張ったような魔術じゃないな。

 強い魔力を持っているにもかかわらず、モーヴはそれをひけらかさない。そういうところにも、遥は好感を持てた。

「あ、深海魚のコーナーだって! 行ってみようよ」

「……えー」

 あまり乗り気ではない遥に、モーヴは不思議そうに言った。

「どうしたの遥? 深海魚は嫌い? いろんな形の魚が居て楽しいはずだよ?」

「……グロテスクなのが多そうですよね。俺、そういうのはあんまり得意じゃないです」

「ああ、確かに目がぎょろぎょろしていたり、うろこが変な色をしていたりするよね、ああいう魚って」

「それに、せっかくデートスポットに来たんですから、それらしいところを回りましょうよ」

「それらしいところって?」

 首を傾げるモーヴに、遥は乏しい知識を精一杯絞って言った。

「……大きな水槽のコーナーを見て回るんですよ。えっと……ジンベエザメとか……名前は分からないけど狂暴じゃない魚とか……とにかく、そういう魚を見るんです。そうやってカップルは楽しむんですよ。きっと……」

 水族館でデートなどしたことは無い遥だ。だから、これはすべて遥の勝手なイメージでしかない。モーヴは納得してくれただろうか、と彼をちらりと見ようとしたその時、ズボンのポケットのスマートフォンが震えた。遥はモーヴに断りを入れる。

「あの、電話に出て来ても良いですか?」

「うん。急がないで良いよ」

 モーヴから少し離れたところで通話ボタンをタップする。急いでいたので誰からの発信か確認しなかった。なので、聞こえてきた声に遥は驚くことになる。

「もしもし?」

『もしもし? 私、スミレ。今、貴方の後ろに居るの……』

「っ!?」

 咄嗟に遥は振り返る。だが、そこにスミレの姿は無かった。遥は寒気を感じながら、通話口に向かって文句を言う。

「スミレさん! 変なことを言わないで下さいよ!」

『あはは! ごめんなさい!』

「と言うか、どうして俺の番号を知ってるんですか!?」

 スミレから携帯番号を渡されただけで、遥は自分の番号を教えていない。どうやってスミレは遥にかけてきているのだろうと不思議でたまらなかった。

 スミレは「ふふふ」と笑いながら言う。

『カフェのマスターに教えてもらっちゃったんです!』

「な……」

『だって遥さん、連絡くれないんですもの。だから、マスターにさっき相談したんです。どうしても遥さんと話したいって。そうしたら、マスターはご機嫌で教えてくれましたよ?』

 個人情報! と遥は心の中で叫んだ。そんな遥に気を止めず、スミレは「それで」と話を続ける。

『今、どこに居るんですか? なんか、ざわざわしてますけど』

「ああ、今は水族館に居て……」

『水族館!? まさか、モーヴさんと!? デート! デートですね!?』

「いや、デートって言うか……」

『デートなら、まずは水槽のお魚を見るんですよ!? それから、定番のイルカショーですね! それが終わったら、ペンギンの! ペンギンのコーナーに行ってみて下さい! そこでペンギンの親子が見られたらラッキーなんです!』

「ら、ラッキー?」

『そう! ペンギンの親子を見たカップルは、永遠に幸せになれるってジンクスがあるんですっ! 絶対に見て下さいね!』

「いや、そんなことを言われても……」

『それじゃ、邪魔者はこの辺で消えます! 遥さん、ファイト!』

「あ、ちょっと……」

 そこで電話は一方的に切れた。遥はしばらくスマートフォンの黒くなった画面を眺めていたが、モーヴを待たせていることを思い出して、急いでそれを仕舞ってモーヴのもとへ急いだ。だが――。

「オニーサン、どこの国の人?」

「マジでイケメンじゃん! アタシらと一緒に行こうよー!」

「いや……僕は……」

 ――な、ナンパされてるーっ!

 モーヴは少々派手な女性二人に声をかけられていた。一人はモーヴよりも濃い金髪で、それにはウエーブがかかっている。もう一人はグレーの髪色で、そこにはカラフルなヘアーアクセサリーがきらきらと輝いている。どちらの女性も服装は軽めで、まだ朝晩は肌寒い季節だと言うのに、デニム素材のショートパンツを素足で履いていた。

 金髪の女性が、モーヴの腕をつつきながら言う。

「オニーサン、ぼっちでしょ? 独りぼっちでしょ? なら、良いじゃん! 遊ぼうよー!」

「いや、僕は人を待っているだけで……」

「そんな人、どこに居るのぉ? 居ないじゃん」

「もうすぐ帰って来ると思うんだけど……あ、遥!」

 ばちんとモーヴと目が合った。ナンパ女性二人も顔を遥に向ける。遥は駆け足でモーヴたちのもとに向かった。

「すみません、遅くなって……」

「良いよ。電話、急ぎの用じゃなかった?」

「はい、大丈夫です」

 遥とモーヴの会話に、グレーの髪の女性が入ってくる。

「え? マジで待ち合わせかー」

「てか、男二人で水族館? アタシら女二人で水族館。これってダブルデートのコースで決まりっしょ?」

「……はい?」

 首を傾げる遥に、グレーの女性は高いテンションで言う。

「小さいオニーサンもぉ、可愛い系だしー? これはゲットしないともったいないしぃ?」

「ゲットって……」

「ね! 水族館は止めにしてもっと別のとこ行こうよぉー! もーっと楽しいとこ!」

 にやりと笑う女性の迫力に負けて、遥は思わずモーヴの背中に隠れた。モーヴは「大丈夫だよ」と遥を安心させるように、小さく震えるその肩に触れた。

「すみませんが、僕たちはこれからこの水族館の視察を行わなければならないのです」

 微笑みながらそう言うモーヴに、女性たちは「視察ぅ?」と首を傾げる。モーヴは笑顔のままで続けた。

「実は私たちは一般客のふりをした、本部の者なんです。我々は定期的にお客様のふりをして、水族館の従業員の勤務態度や館内の衛星管理が適切であるかどうかを見回っているのです。ですからお客様、せっかくの魅力的なお誘いは嬉しいのですが、我々には仕事がありますので同行は出来かねます。どうか、ご理解ください」

 丁寧に断りを入れるモーヴのことを、女性二人はぽかんと眺めていた。だが――。

「な、何それ……」

「それって……」

 金髪の女性が興奮気味に声を上げる。

「スパイってことじゃん!」

「マジ、テンション上がる! ドラマの世界じゃね? 超カッコイイー!」

「……」

 遥はきゃあきゃあとはしゃぐ女性たちの声を、モーヴの背中越しに聞いていた。こんなにも簡単にナンパから逃げられるなんて……モーヴはやっぱりすごいな、と思う。隠れてしまう自分とは大違いだ。遥は少し落ち込んだ。

「それじゃ、お仕事がんばー! イケメンのオニーサン!」

「そっちのウブなオニーサンも、ばいばーい!」

 すっかり納得した女性たちは、手を振りながら売店の方に向かって歩いて行ってしまった。遥は息を吐く。ナンパの現場に遭遇するのは初めてで、疲れがどっと押し寄せて来た。

「遥、災難だったね」

 モーヴが苦笑しながら言う。遥は「はい……」と小さく頷いた。

「それにしても、モーヴさん、あしらうのが上手いですね」

「そうかな? これでも焦っていたんだよ? どうすれば、あの二人がどこかに行ってくれるかな、って」

「まさか……魔術を使ったんじゃ?」

「無い無い。前にも言っただろう? 人の心に干渉するのはご法度さ」

 ひょっこりとモーヴの背中から出て来た遥に向かって、彼は笑顔で言った。

「さて……デートを始めようか!」

 そう言ってモーヴは手を差し出す。いったいなんだろう、と遥はじっとそれを見つめた。

「……?」

「……」

「……モーヴさん?」

 どうしたんです、と漏らす遥に、モーヴはむうとくちびるを尖らせる。

「手だよ! 手!」

「はい? 手?」

「そう! 手! 手を、繋ぐの!」

「え、ええっ!?」

 驚く遥に、モーヴは「ほら!」と手のひらをぐっと広げて見せる。

「デートなんだから、手を繋ぐのは当然だろう?」

「な……モーヴさん、これはデートそのものじゃないでしょう?」

 どきどきとしながら遥が言う。

「モーヴさんは、デートスポットに行ってパワーを貰うんだ、そうしたら初恋が見つかるかもしれない、そう言っていましたよね?」

「……言った、かもしれない……」

「だから、今日はパワーを貰いに来ただけです。デートじゃ……デートなんかじゃないんですよ?」

 これが本当のデートだったらどれだけ嬉しいか。遥はぐっとその言葉を飲み込む。

 ――モーヴさんの役に立つって決めた……決めたから……。

 館内はカップルの姿が目立つが、女性同士の客の姿も見られる。これなら、モーヴは初恋を見つけられるのではないか。遥はそう思った。

「それじゃ、さっそく……」

 見て回りましょう、そう言おうとした遥の手を、モーヴは自然な動作で取ってぎゅっと握った。遥は「えっ!?」と声を上げる。

「も、モーヴさん!?」

「人が多いからね……遥が迷子にならないように、繋ごうね」

「あ、ちょっと……!」

 手を繋いだまま歩き出すモーヴに、遥は慌ててついて行く。握られた右手が恐ろしいほどに熱い。ばくばくと心臓が鳴って、もう何がなんだか分からなくなった。

 ――俺、モーヴさんと手……繋いじゃってる……。

 もしかしたら、自分の早い鼓動がモーヴに伝わってしまっているのではないか。遥はそのことに心配しつつも、与えられるモーヴのぬくもりをただ黙って感じていた。

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