第18話続いて欲しい時間

「遥、何か手伝うことは無い?」

「大丈夫ですよ、もうすぐ出来ますから……」

 ぐつぐつと鍋の中で、スーパーで買った野菜と肉が躍っている。肉は炒めるが野菜は炒めずにじっくりと煮込むのが遥流の作り方だ。これは祖母から受け継いだレシピで、遥にとっての「お袋の味」になっている。

「あとは、ルウを入れて……」

 そう遥が呟いた時、玄関のドアがこんこんと鳴った。このパターンは……と、遥はコンロの火を止めて玄関に向かいドアを開ける。そこには、またド派手な格好をしたボリーが立っていた。

「こんばんはっすー! 遥っち、こないだぶりー!」

「……あはは。こんばんは、ボリーさん。どうぞ、上がって下さい」

「遥っ!」

 遠慮無しにどかどかと部屋に入るボリーを見て、モーヴが悲鳴を上げる。

「知らない人を簡単に家に上げちゃ駄目じゃないか!」

「いや、知らない人じゃないですし……」

「うへぇ。モーヴっちマジで冷たーい! 氷河期か! 知らんけど!」

 勇者モードはどこへやら。ボリーはけらけらと笑いながら、片手に持っていたペットボトルを傾けて中身をごくごくと飲みだした。それはオレンジジュースだった。好物なのかな、と遥は思う。

 モーヴは不機嫌そうにボリーに言った。

「君、ご飯時に人様の城に上がり込むなんて、常識が無いんじゃないか?」

「え? ご飯まだな感じ? 俺っちはもう食べて来たよ? 駅前でチーズバーガーとポテトのセット」

 あれ超美味いよな! とボリーは笑いながら言う。モーヴは呆れた様子で、そんな友人の腹をつついた。

「油の多いものばかり食べていると、太るよ? 僕らもそう若く無いんだから」

「えー、それは困るー。けど、ほら、視察とか鍛錬って体力使うし? 汗かくからプラマイゼロ的な?」

「はいはい。そう思ってたくさん食べていたら良いよ」

「うわーん! モーヴっちがいじめるっ! 遥っち助けて!」

「わ!」

 ぎゅっとボリーに抱きつかれて、遥はどうしていいのか分からずに固まった。相手は勇者様だ。邪険に扱うわけにもいかない。

 ぴったりと遥に張り付くボリーの首根っこを掴んで、モーヴは彼を遥から引き剝がした。

「勇者様? 民を困らせるのはよろしく無い行いですよ?」

「えー? でも遥っちはこっちの世界の住民だから、俺っちの民じゃない……」

「つべこべ言わないの! ほら、さっさと帰るんだ! 僕と遥はこれからご飯なんだよ! 聞いて驚かないことだね、なんと遥の手作りのカレーなんだ! どう? 羨ましい?」

「か、カレー!?」

 ボリーの瞳がきらきらと輝く。

「俺っちもカレー食べたい! 遥っち! 一人前追加で!」

「分かりました」

 簡単に返事をする遥に、モーヴはまた悲鳴を上げる。

「遥! 知らない人に簡単に餌を与えちゃ駄目じゃないか!」

「え、でも……カレーも白米もいっぱいあるし……」

「もう……」

 くちびるを尖らせるモーヴを指差してボリーは笑う。

「モーヴっち、マジでウケるー! 独占欲的なやつ?」

「は? 独占欲!?」

 モーヴの眉間に深いしわが刻まれた。

「君は何を言っているんだい?」

「無自覚かよ! 天然かよ! どうでも良いわ! 馬鹿たれ!」

 そう言って、ボリーは指を鳴らして、自身の姿を「勇者モード」にチェンジした。そして、呆気に取られる遥の手をそっと取る。

「遥、どうかお慈悲を」

「お、お慈悲……?」

「貴方の作ったものが食べたいのです。よろしいですか?」

「え、ええ……どうぞ。中辛ですけど、大丈夫ですか?」

「ふふ。辛いものは好物です……っ!?」

 モーヴが肘でボリーのつむじ辺りを思いきり突いたので、ボリーは頭を押さえてその場に蹲った。同時に変身も解け、ボリーは派手な姿に戻ってしまった。

「痛い! モーヴっちの馬鹿! 阿保! 宇宙人!」

「馬鹿はどっちだ! 遥を誘惑するなんて三千年早いよ!」

 モーヴはさっと遥の前に立ち、遥をかばうかのように両手を広げた。それを見て、すっとボリーも立ち上がり、パーカーの袖をめくってファイティングポーズを取る。

「へへーん。こうなったら、魔術で勝った方が遥っち特製カレーを食べられるってことにしようぜぇ!」

「ふん、望むところ! 魔王の力、見せてやる」

「こっちも勇者様パワーをぶっつけてやんよ!」

 ――魔術!?

 いまいちぴんと来ないが、もし、二人が魔術を使ってこの部屋を破壊でもしたら……間違いなく自分はここから追い出される。それはマズい……! そう思った遥は「ストップ!」と大声で叫んだ。

「喧嘩するなら、カレーは無しですよ!」

「は?」

「え?」

 モーヴとボリーは一斉に遥を見た。遥は腕を組んだまま、コンロのもとに向かう。

「カレーってものは、みんなで仲良く食べるものです! だから喧嘩するなら食べさせるわけにはいきません!」

「は、遥っち……これは喧嘩じゃなくって……」

「決闘って言うんだよ? 喧嘩なんて、良い歳の大人がするわけ……」

 二人の言い分を聞いた遥は、むっとした顔で言った。

「喧嘩も決闘も似たようなもんです! ほら、仲直りの握手をしないとカレー、食べさせませんからね!?」

「う……モーヴっち……」

「喧嘩じゃ無いけど、カレーのためだ……」

 しぶしぶ、といった様子でモーヴとボリーは握手を交わした。それを見た遥は満足そうに微笑む。

「それじゃ、ルウを入れて完成させますんで、座って待っていて下さいね」

「……ハイ」

「……そうさせていただきます」

 すっかり大人しくなった二人を背に、遥はカレーの最後の仕上げに入った。同時に、炊飯器が中身が炊けたということをアラームで伝えてくれる。多めに炊いておいて良かった、と遥は心の中で笑った。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

「ごちでーす」

 食器洗いは、意外なことにボリーが申し出てくれた。遥は断ったが、ボリーは引かず「食べた分はちゃんと返すのがマナーっしょ!」と言って先ほどからシンクの前を陣取っている。

「そういえばー、こないだ視察に行って来たんだけどー」

 器用にスポンジを操りながらボリーが言う。

「西の方、幼稚園の数と職員の数が少ないって困ってた」

「ああ、あの辺はまだ開発の途中だからね。むやみに森を切り開くのも環境に良く無いし……」

「あの森は指定保護動物も多いしなー。なかなか難しいっしょ。それから、汚職事件に関わっていたあの議員が――」

 ――ボリーさん、ちゃんとお仕事しているんだな……。

 勇者様なんだから当たり前のことなのだろうが、ギャップがありすぎて遥は心の中で苦笑した。

 モーヴは慣れているのか、ボリーのギャップに驚きを見せることなく、頷いたり、時に意見を言ったりしている。魔王と勇者。しっかりと連携が取れているようだ。

 ――なんだか、ボリーさんが羨ましいな……。

 自分は魔界のことを詳しく知らない。だから、二人の会話に入ることが出来ない。いつの間にか遥は俯いて、ローテーブルの上をぼんやりと眺めていた。

 ――もしも、俺が魔界の住人だったら……モーヴさんに信頼される仲だったら……。

 そうだったなら……幸せだ。もっともっと近付きたい。それはモーヴに興味を持ってもらわないと叶わないことだけれども――。

「遥……? どうしたの? 疲れた? しんどい?」

「え?」

 黙ったままの遥を心配して、モーヴがそっと遥の肩に触れた。

「あ……ごめんね。置いてきぼりにして」

「置いてきぼり……?」

 首を傾げる遥に、モーヴは申し訳無さそうに言う。

「つまらなかっただろう? 魔界の話なんて」

「つまらないだなんて、そんなこと……!」

 話の内容が分からないことは寂しかった。けれども「つまらない」だなんて思ってはいない。遥は慌ててモーヴに否定する。

「難しいお話をされているんだな、って思いましたけど、つまらないとは思っていないです!」

「そう……?」

「遥っちも一回魔界に来てみたら良いんじゃね? そしたら、ちょっとは理解できるかもー?」

 食器を洗い終えたボリーが遥とモーヴのもとへ戻りながら言った。遥が食器洗いの礼を言うと、ボリーは「当然のことじゃん、気にすんなって!」と笑った。

「この世界も過ごしやすいけどー、魔界も捨てたもんじゃないんだぜー。食べ物の文化は日本に負けるけど、めっちゃデカい建築物がいーっぱいある! 美術館だろ? それから音楽ホール……芸術系のことに誰かさんが力を入れてるから、そういう場が増えたんだー。な、モーヴっち!」

「……まぁ、そうだね」

「モーヴさんが芸術面を発展させたんですか?」

 訊ねる遥に、モーヴは照れ臭そうに頬を搔きながら答えた。

「うん。芸術系の学校を視察した時にね、驚いたんだ。若い人の才能に。当然彼らは自らの才能を活かせる道に進むものだと思っていた。けど、現実は違ったんだ。芸術で食べていける人ってのは一握りで、それから溢れた人は才能とは関係の無い仕事に就くんだって知った。僕は、素晴らしい作品を作る彼らが活躍が出来る場を作らなきゃって……使命感って言うのかな、それに駆られて芸術方面にいままでより多く予算を当てることにしたんだ。古い考えの部下にはめちゃくちゃ反対されたけどね。それでも、時間をかけて何度も話し合って……僕の願いは叶ったんだ」

「……すごい。モーヴさん、ちゃんと魔王様やってるんですね!」

 遥のその発言に、モーヴだけではなくボリーまで吹き出した。二人はけらけらと笑ってテーブルを叩く。

「遥っち、今のはウケる! 魔王に……魔王に、そんなこと言う奴は初めて見た……ぶふふ!」

「遥ったら、僕のことをなんだと思ってるの? ふふ……最高に、可笑しいよ!」

 そんなに深い意味で言ったつもりはない遥は、しばらくぽかんと笑い転げる二人を眺めていた。だが、やがてつられて同じように笑いだす。

「ふふ、だって……モーヴさん、そんな真面目なお話してくれなかったから……ふふ……」

「しないよ! そんな自慢話みたいなことしたくないもん!」

「あはは! 他にもあるぜー、モーヴっちの武勇伝! 遥っち、聞きたい?」

「はい! 聞きたいです!」

「馬鹿なこと言わないでよ!」

 ははは! と三人は笑い合う。酒も入っていないのに、ものすごいハイテンションだ。遥は笑いすぎて浮かんで来た涙を拭いながら思う。こんな時間が、ずっと続いて欲しいと――。

 ――モーヴさん、帰らないで。ずっとこうやって笑って生きていきたい……。

 けれども、モーヴは「魔王」なのだ。いつまでもここに留まることは許されないだろう。早く……早く、初恋を見つけて帰らないと……そう、帰らないといけないんだ。

 遥の胸に、大きな切なさが押し寄せる。

 ――いけない。俺は心が顔に出やすいんだった。

 心の中が外に漏れないように、遥はただ笑い続けた。襲いかかる寂しさを払い除けるように、ただただ、笑顔を作り続けたのだった――。

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