第17話勘違い

 カフェの入り口では人目につくということで、遥とスミレは店の裏に回った。辺りには誰も居ない。話しをするのにはちょうど良い場所だった。

 スミレはもじもじとした様子で、なかなか話を始めようとしない。仕方が無いので、遥の方から訊くことにした。

「あの、お話と言うのは……?」

「あっ、えっと……」

 スミレは意を決した様子で、ぎゅっと両手を握りしめて、少し震える声で遥に言った。

「遥さん! 遥さんは、お、お付き合いしている方とか居るんですかっ!?」

「……えっ!?」

 まさか、そんなことを訊かれるなんて思ってもみなかったので、遥は心の底から驚いた。てっきり、直接モーヴに話しかける勇気がないから、代わりに遥にモーヴのことを訊き出そうとしているのだと思っていたのだ。

 交際している人が居るのかどうかなんて訊かれたことは無い。どぎまぎとしながら遥は答えた。

「……居ませんよ。誰とも付き合ってません」

「ほ、本当ですか!? じ、じゃあ、好きな人とか居ますか!?」

「っ……」

 遥の反応を見て、スミレは目を見開く。

「あ、そっか……居るんですね、好きな人……」

「い、いえ、別に俺は……」

「あっ、気にしないで下さい! そっか……もしかして、その人ってモーヴさん……?」

「な……」

「あっ! やっぱりそうなんだ! そっか、それなら仕方が無いか……」

 一人で納得するスミレに、遥は震える声で問うた。

「な、なんでそう思うんですか!?」

「えっ? だって、遥さんの顔に書いてあるし」

「書いてあるって……」

「さっき、モーヴさんが席を移動したでしょう? その時の遥さん、めちゃくちゃ嬉しそうだったから……」

「……」

 自分はそんなに顔に出やすいのか、と遥は大きなショックを受ける。恥ずかしすぎて、すぐ傍のゴミ置き場に飛び込みたくなった。思わず両手で顔を覆った遥に、スミレは力強く言った。

「そういうことなら、私、応援します!」

「へ? 応援……?」

 遥はスミレの目を見る。その瞳はきらきらと言うよりぎらぎらと光を放っていた。少し、恐怖を感じさせる眼差しだ。

「実は私、そういうのが好きで……」

「そういうの?」

「つまり……ボーイズラブって分かりますか? それです」

 その言葉は、どこで聞いたのかは忘れたが聞き覚えがあった。確か、男性同士の恋愛の作品のことをそう呼ぶのだったと思う。自分がその対象にされているという事実に、遥は頭を押さえた。

「……応援なんて良いです」

「えっ? どうしてですか?」

「こんな恋、どうせ叶いっこないんです……スミレさん、俺は貴女とモーヴさんはお似合いだと思うんです。だから……」

「きゃーっ! 熱い展開来たーっ!」

「す、スミレさん!?」

 頬を押さえながら、スミレはその場に崩れ落ちた。熱い展開? なんのことだ? と疑問に思いながらも遥はスミレの横に屈んだ。

「あの、気分が悪いなら中に戻りましょう……?」

「いえ、気分は最高です。大丈夫、私は正常です」

「は、はぁ……」

「遥さん、私はますます貴方を応援したくてたまらなくなりました! とりあえず、連絡を交換しましょう」

「あ、お客様とのそういうやり取りは禁止されていて……」

「じゃあ、私が勝手に渡したってことで……はい!」

「あ……」

 ジャケットのポケットからメモ帳を取り出したスミレは、さらさらとそこに自分の携帯番号を書き、そのページをちぎって無理矢理、遥の手に握らせた。どうしたものか、と悩んだ遥だったが、仕方無いな……とそれをエプロンのポケットに入れる。それを見届けたスミレは満足そうに頷くと、さっと立ち上がりカフェの入り口の方に向かって歩き出した。

「連絡、絶対に下さいね!」

「……はい」

 スミレの圧力に負けて、遥は小さく頷いた。


 カフェに戻ると、店内に居た者全員が遥とスミレを見た。マスターとサクラはにやにやと口元に笑みを浮かべている。それに気が付かないふりをして、遥は自分の席に戻った。

 遥はモーヴに視線を送る。モーヴはにやにやと笑うこと無く、静かにコーヒーカップを傾けていた。

 ――モーヴさん、なんだかちょっと雰囲気が変だ。

 そう思いながら、ぼんやりとモーヴを見つめていると、顔を上げた彼と目が合った。モーヴは微笑む。だが、その微笑みはいつもの柔らかいものとはどこか違っていて、無理矢理に作られたような不自然なものだった。

「お話、終わったの?」

「あ、はい」

「そう……」

 どんなことを話したの、とも訊かずに、モーヴはコーヒーとケーキを黙って味わっている。いつものモーヴなら、楽しそうに遥のことをからかってきそうなものなのに。

 どこかよそよそしい態度のモーヴのことを、遥は不思議に思いながら見つめていた。


「……」

「……」

 カフェからの帰り道、遥とモーヴは黙ったままで、ゆっくりと歩き続けている。上空をカラスの群れがすっと通過したが「カア、カア」という鳴き声しか聞こえないので、あれはモーヴの使い魔ではないんだな、と遥は思った。

「……」

 遥は無言で歩くモーヴの表情をちらりと見上げる。彼は真っ直ぐに前を向いたままで、一度も遥の方を見ようとはしなかった。

 ――モーヴさん、もしかして怒ってる……?

 もしかしたら、モーヴは静かにカフェで過ごしたかったのかもしれない。それなのにマスターの「サプライズ」でサクラとスミレがやって来て、カフェは賑やかになってしまった。モーヴはたくさんマスターやサクラに話を振られて、それに一つずつ丁寧に答えていた。ああ、きっとそうだ――静かな時間を邪魔されて怒っているんだ。遥はそう理解して、一歩先を歩くモーヴの名前を呼んで立ち止まった。

「モーヴさん……」

「……うん?」

 モーヴは立ち止まった遥を振り返り見た。そして、自分も歩みを止めてその場に立つ。

 遥はモーヴに向かって、深く頭を下げた。

「モーヴさん、今日はモーヴさんの時間を潰してしまって、すみませんでした! ごめんなさい!」

「……えっ? どうしたの遥……顔を上げてよ!」

「でも……マスターのサプライズ、迷惑でしたよね。俺だってびっくりしたんだから、モーヴさんはもっと驚かれたと思います。きっとモーヴさんは静かに過ごしたかったでしょう? それなのに、あんなに人が集まってホームパーティーみたいになっちゃって……本当にごめんなさい! 怒らないで下さい!」

「遥! 違うよ……違うから顔を上げて?」

 遥はそっと頭を上げた。視界に飛び込んで来たモーヴの表情には焦りの色が見える。モーヴは慌てた様子で遥に言った。

「僕は、怒ってなんていない」

「でも……」

 遥は俯く。

「モーヴさん、なんだかいつもと違うし……」

「それは……ああ、もう、僕ってば格好悪いなぁ……」

 そう言って、モーヴは笑った。それは、いつもモーヴが見せる自然な表情だった。

「その、なんて言うか……」

 モーヴは歯切れ悪く遥に言う。

「そのね……遥がスミレさんと、いったいどんなやり取りをしていたのかが……めちゃくちゃ気になってしまって。いや、僕としては、友達を応援するべきだって分かってる。けど……なんだろう、心がすごく、もやもやしてしまって……そのことを、ずっと考えていて……」

「……えっ?」

「だって……告白されたんだろう? スミレさんに」

 遥は驚いた。まさかモーヴがそんなことを思っていただなんて、想像することも出来なかった。怒ってはいないということには安心したが、さて、あの流れをどう説明すれば良いのだろうと遥は悩む。まさか、遥とモーヴの仲を応援する、と言われたなんて恥ずかしくて口が裂けても言えることでは無い。

「……告白なんて、されていませんよ?」

「えっ?」

 モーヴは目を見開く。

「だって、スミレさんのあの様子じゃ……あれ? おかしいな。マスターもサクラさんも、あれは告白しに行ったんだって騒いでいたんだよ? だから、僕はてっきりそうなんだと思って……」

 ――あの二人ったら!

 遥は騒ぐ二人のことを想像して、頭が痛くなった。

「確かに、付き合ってる人は居るのか、好きな人は居るのか、って訊かれましたけど、最終的には告白されていません」

「あ……そうなんだ。でも、そういうことを訊くってことは、スミレさんはやっぱり遥のことが……」

「いえ、俺のことはもう良いってことで話は終わりました。だから……」

 ――もやもやしていたってことは、やっぱりモーヴさんはスミレさんのことが気になるんだ。

 応援してくれると言ったスミレには悪いが、ここはモーヴに芽生えかけている恋心を優先させよう。遥は痛む胸を押さえながら、笑顔を作ってモーヴに言った。

「一度、デートスポットに行ってみるのが良いですね!」

「デートスポット? ああ、最初に僕が連れて行ってって言ったところだね。よし、遥が都合の良い時にでも……」

「……行くのは俺とじゃないですよ?」

「え?」

 嫌だ、行って欲しくない。けど――。

 遥は目を細めて言う。

「モーヴさんは、スミレさんとデートスポットに行くんです」

「……え? なんで?」

 目を丸くするモーヴに、遥は作り笑顔のままで言い放った。

「スミレさんのことが気になるんでしょう? だから、俺と彼女が何を話していたかが心配だったんでしょう? 俺は……スミレさんのことは恋愛対象として好きではありません。だから、安心してデートを……」

 楽しんで下さい、そう言おうとした遥の肩を、モーヴが力強く掴んだ。

「違う!」

「……え?」

「僕が心配だったのは……遥、君のことだよ!」

 モーヴの声は震えていた。心の底からの湧き出たようなモーヴの言葉を受けて、遥の身体に緊張が走る。

 ――モーヴさん……?

 あと数センチ近付けばキスが出来そうな距離で、モーヴは真剣な表情で言った。

「遥、僕は不安でたまらなかったんだ……君が、スミレさんのところに行ってしまうのではないかって」

「そ、それって、どういう……」

「分からない……分からないけど……」

 モーヴはそっと目を伏せる。

「とても怖かった。遥が、スミレさんと言うとても遠くの人のところに行ってしまって、僕のことなんか忘れてしまうんじゃないかって……怖かった」

「モーヴさん……」

 どうしてモーヴがこんなことを言うのかは分からない。だが、彼は今、とても心が不安定になっていることは痛いくらいに分かった。遥は手を伸ばし、そっとモーヴのことを抱きしめた。大丈夫、ここに居るよ、と言うようにゆっくりと、その広い背中を撫でる。以前、遥が苦しくなった時にモーヴにしてもらったように――。

「遥……」

 モーヴがぽつりと遥の名前を呼んだ。遥は返事の代わりに、背中を撫でる手を強める。

「……俺は、どこにも行きませんから」

「うん……」

「モーヴさんのことを忘れることもありませんから、安心して下さい」

「……うん」

 安心を取り戻したのか、モーヴは顔を上げてふっと笑って言った。

「ずっと、一緒に居てくれる?」

「はい、ずっと――」

 貴方が、初恋を見つけて魔界に帰るまでは、ずっと――。

 遥は微笑む。そんな遥の頬に、モーヴが触れた。そして、徐々に顔を近付け……。

「って、うわ! ストップ、ストップ!」

「おっと」

「な、何をするんですか!?」

 今のはキスをする流れだった。遥は驚きのあまりモーヴから離れて一歩大きく後方に飛び跳ねる。それを見て、モーヴは苦笑しながら自分の頬を掻く。

「ごめん……遥が可愛すぎたから、したくなっちゃった」

「軽い! キスとか……しかも男とキスしたくなるって、いったいどんな感情ですか!?」

「え? 僕は男ともキスするけど?」

「……は?」

 ぽかんと口を開けたまま固まる遥に、モーヴは当然のように言う。

「僕は普通に男も恋愛対象だよ?」

「え、ええっ!?」

「ああ、日本は同性婚が出来ないんだったね。でも魔界じゃ珍しいことじゃないし、僕も彼氏が居たことあるし……」

「そうなんですか……」

 ――あれ? なら、俺にもチャンスがあるってこと?

 そんなことを考えてしまった自分の頭を、遥は思いっきり叩いた。突然の遥の奇行にモーヴはぎょっとする。

「は、遥……? どうしたの?」

「何でもありません。己の邪念を消しただけです」

「そ、そう……?」

 モーヴは手を伸ばして、今しがた遥が自分で叩いたところを撫でる。また邪な思いが膨らんでくる遥は、頬を赤くした。モーヴはそれに気が付いていないようで、弾んだ声で遥に言う。すっかり心が軽くなった様子だ。

「では、遥! デートスポットに出かけるとしようか!」

「え? 今からですか!?」

 もう夕方の五時を回っている。今からでは店の閉店時間を考えるとゆっくりと見て回れないだろう。

「モーヴさん、それは明日にして、今日はスーパーで買い物をして帰りませんか? 夕飯、俺が作るので」

「えっ? 疲れているだろう? 今日は僕が用意するよ。その方が楽じゃないか」

「確かに楽ですけど……」

 なんでも魔術で解決するのはどうかと思う。遥はモーヴを見上げて言った。

「俺の手料理は嫌ですか? 上手く無いし、男の手料理だから雑な面が目立つと思いますけど……人間界で人間が作った料理を食べるっていうのも、良いお土産話になると思うんですけど……」

「遥……! やっぱり遥は優しいね! それじゃ、お願いしようかな!」

 納得して笑顔を見せるモーヴに安心して、遥はモーヴに訊いた。

「何が食べたいですか?」

「うーんとね……カレー! カレーが食べたいな! 恋人に作ってもらいたい料理ランキング一位なんだ!」

「そこは、肉じゃがでは無いんですね」

「肉? 何?」

「いえ、何でもありません」

 日本の食文化のすべてが魔界に流れているというわけでは無いらしい。今度、モーヴが魔界に帰るまでに、一度くらい肉じゃがを作るのも良いかもな。そんな思いが遥の胸に芽生えた。

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