第16話サプライズ訪問

「あらぁ、縁結びの神社に行ってきたの?」

「はい、地下鉄で……」

「ああ、あそこね! アタシも若い頃に行ったわ!」

 遥はカフェでアルバイトの真っ最中だ。だが、まだ客が入っていないので遥とマスターは世間話をしている。マスターは遥がコンビニでもアルバイトをしていることを知っているので、カフェではあえて空いている時間にシフトを入れさせてくれているのだ。

 遥はちらりと店の一番奥の席を見た。そこには、一杯のコーヒーを注文したモーヴの姿がある。一人で留守番をするように言ったのだが、どうしても遥に同行したいと言って聞かなかったのだ。遥は駄目もとでマスターにモーヴを連れて行って良いか訊いた。するとマスターは「イケメンは大歓迎よ! きっと知らない土地で一人でお留守番は心細いのね!」と言って快諾してくれたのだった。

「お守りを買ったんですよ。ほら」

 遥とマスターの会話に入って来たモーヴは、ズボンのポケットからピンク色のお守りを取り出してマスターに見せた。その表情はどこか誇らしげだ。

「あらぁ……可愛い! それに、お守りを大切に持っているモーヴさんはもっと可愛らしいわ! 食べちゃいたいくらい!」

「た、食べ……!?」

「ジャパニーズ、ジョークですよ。モーヴさん」

 少し怯えたような仕草をしたモーヴに、遥は冷静に説明した。マスターは「うふふ」と、いたずらが成功した子供のように舌を出す。

「さて、と……そろそろかしら」

 時計を見るマスターに遥が問う。

「予約を入れたお客さんが居るんですか?」

「うーん。予約っていうか……ただ連絡があっただけって言うか……」

 その時、からん、とドアの鐘が鳴った。遥は姿勢を正す。

「いらっしゃいませ……って、サクラさんとスミレさん!?」

「こんにちは、素敵な店員さん」

「こんにちは! 先日はお世話になりました!」

 現れたのは、杖をついたサクラと片手に紙袋を持ったスミレだった。二人に会うのは駅で別れた時以来で、遥は突然の再会に驚いてマスターの方を見る。

「マスター、お二人が来られるなら初めから教えておいて下さいよ!」

「うふふ。サプライズってやつよ、サプライズ!」

 楽しそうに笑うマスターに、スミレが手にしていた紙袋を手渡した。

「これ、オリジナルのケーキとそのレシピです。父が、よろしくと言っていました」

「あらぁ! ありがとう! 本当に貰っちゃっても良いの? お父様のお店のレシピって言ったら、誰もが喉から手が出るくらい欲しがるようなものなのに……」

 そう眉を下げるマスターに、スミレは力強く言った。

「これは店は関係無い、父が個人的に作ったレシピです。心優しい店員さんが居るお店で是非、提供して欲しいって。なんなら、父の店の名前を出しても良いと言っていました」

「まぁ、そこまで言っていただけるなんて……アタシったら幸せ者だわ……、どれもこれも遥ちゃんのおかげね!」

「いえ、俺は何も……」

「あら? モーヴさん……?」

 スミレが奥に座っているモーヴの姿を見つけた。モーヴは立ち上がり、深々と頭を下げる。

「お久しぶりです。その後、ご主人のお身体の方は……?」

「ああ、そうだった! 主人が入院した時にお会いしたのよね!」

 サクラは笑顔で言う。

「検査の結果、ただの風邪だったの! けれど、歳が歳だから肺炎になるかもしれないからって、一週間入院して様子を見ることになったのよ。今はまだ点滴をしているけれど、安定しているし大丈夫!」

「それは良かったです。心配しておりました」

「その節は本当にお世話になって……そんな端っこに居ないで、こちらにお座りになって?」

 入り口近くの席にサクラとスミレは座った。呼ばれたモーヴは「でも……」と、ちらりと遥の方を見る。アパートを出る時に「仕事の邪魔だけはしないで下さいね」と遥が言ったのを気にしているのだろう。遥は苦笑しながらモーヴに言った。

「お二人のところへ言って下さい。サクラさんとスミレさん、きっと喜びますよ」

「けど、良いのかい? 邪魔にならない?」

「なりません。さぁ、カップは俺が運びますから……」

 コーヒーカップとソーサーを手に取ると、遥はスミレの隣にそれを置いた。少し遅れてモーヴがその席に着く。その様子を見た遥の胸がちくりと痛んだ。

 ――やっぱり、あの二人はお似合いだ……。

 スミレは派手な女性ではない。髪は明るい茶色に染めているが、身に着けている洋服やアクセサリーはシンプルなデザインで、落ち着いた女性の雰囲気を醸し出している。遥は無意識にスミレの左手を見た。その指に指輪ははめられていない。

 ――スミレさん、恋人は居ないのかな……。

 もやもやとする心でそんなことを考えていた時、遥はマスターに名前を呼ばれてはっとした。

「遥ちゃん、ホットのカフェオレ四人分よ。運んでちょうだい?」

「あ、はい。けど、四人分……?」

「アタシたちの分よ! 実を言うとね、今日はサクラさんとスミレさんの貸し切りなの、このお店」

「ええっ!? 早く言って下さいよ!」

「ふふふ。サプライズ第二弾も成功ね!」

「マスター……」

「ほら、早く運んでちょうだいな!」

 遥は「もう……」と呟きながら、四人分のカフェオレを運ぶ。マスターは紙袋に入っていたホールケーキを切り分けて小皿に盛り付け、手際良くテーブルに並べた。テーブルは四人席なので、一人余ってしまう。なので、隣のテーブルに遥はカフェオレを置いた後、そこに自ら着いた。

 全員にケーキが配られた後、皆で手を合わせて「いただきます」と合唱して、楽しいカフェでのひと時が始まった。

「あ、イチゴ……」

 目の前のケーキには、贅沢にたくさんのイチゴが乗っている。遥の独り言を聞き逃さなかったスミレがにっこりとして説明する。

「レアチーズケーキなんです。全体がピンク色でしょう? 確か、クリームチーズにイチゴを混ぜたって父は言っていました。それから……なんだっけ……えっと……」

「ふふ、スミレはお菓子よりも和食作りが得意ですものね」

 サクラがカップを片手に微笑む。その姿は上品そのもので、まるで貴族みたいだと遥は思った。

「この子ったら、若いのに煮炊きが得意なの。魚も捌けるんですよ。誰も教えていないのにね……器用なのは父親譲りかしら」

「もう! 私が魚を捌けるのは内緒にしてって言っているのに! おばあちゃんったら!」

「どうして秘密にしたがるのですか? すごいことなのに」

 首を傾げるモーヴに、スミレは真っ赤な顔で答えた。

「だって……女ってそういう……なんて言うのかな、器用すぎたら可愛くないじゃないですか。ちょっとドジな方がモテるっていうか……」

「そうなのですか? 僕の国では強い女性の方が人気がありますよ? 自立してなんでもこなす女性って、とても魅力的だと思うのですが」

「も、もう! そんなに褒めても何も出ませんからね!」

 そう言いながら、スミレはちらちらと遥に視線を送った。なんだろう? と遥は考える。

 ――ああ、説明してくれたケーキを俺が食べたか気になるんだな。

 そう理解した遥は、フォークをケーキにすっと入れた。生地全体は柔らかく、フォークは吸い込まれるようにケーキの中に消える。底の方はビスケットのような感覚で、少しざらざらとしていた。

「いただきます」

 もう一度そう言ってから、遥はケーキをひとくち口に入れた。

「……美味しい」

 全体的にイチゴが使われているので、口の中で甘酸っぱい味がふわりと広がる。柔らかいだけでは無く、底に使われているざらざらとした生地の食感も楽しめる。さすが一流の職人が作ったケーキだな、と遥はしみじみと思った。

「遥、美味しい?」

「モーヴさん?」

 顔を上げると、モーヴが遥が座っている席にコーヒーカップとケーキの皿を運んでいた。遥は驚く。

「どうしたんですか? お皿とか、持ってきちゃって……」

「一緒に食べようよ。遥は一人じゃないか。そんなの寂しいよ」

 ――っ。

 遥の心臓が跳ねる。モーヴの優しさが、とてもとても嬉しくて、それが顔に出そうになるのを、遥は必死に堪えた。

「俺は……平気ですから。モーヴさんはお客さんなんだから、皆の中心に居なきゃ駄目ですよ」

「だーめ。気が付いていない? 遥、ずっと寂しそうな顔をしていたよ?」

「……っ!?」

 それはきっと、モーヴとスミレがお似合いだと考えていたからだ。寂しくなんて無い――いや、寂しいのには慣れている。だから、今更、失恋したってなんてことは無い。モーヴとスミレがくっついたら、また今まで通り、一人に戻るだけだ。なんてことは無い。そう、大丈夫……遥はそう強く心の中で自分に言い聞かせた。

 気のせいですよ、そうモーヴに言って誤魔化そうとしたその時、スミレが立ち上がって遥とモーヴのテーブルにやって来た。その頬は、赤い。

「あの……ちょっと、外でお話、良いですか?」

 ――っ!

 もしかして、モーヴが告白されるのではないか。遥の心臓が忙しなく動く。

 ――ああ、さようなら、俺の恋……。

 モーヴが「恋は落ちるもの」だと力説していたことを思い出す。まったくその通りだと遥は思った。気が付いた時にはもうずぶずぶと、まるで底無し沼に沈んでいるみたいだ。

 心を落ち着かせようと、遥はカフェオレを口に運ぶ。その肩を叩いたのは――スミレだった。

「は、遥さん! お話、良いですかっ!?」

「……へ? 俺?」

 呼ばれたのがモーヴでは無く自分であったことに、遥は心の底から驚いた。

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