第15話気付いた気持ち

「で? 訊いちゃうけどー、モーヴっちはなんでこの世界に来てるの? 視察じゃ無いっしょ? あの使い魔っち捕まえて問いただしたら、仕事じゃないって言ってたしー?」

 ほかほかと湯気を放つマグカップの牛乳をちびちびちと飲みながら、ボリーはモーヴに問うた。モーヴはすっと目を逸らす。本当のことは言いたくないようだ。それを読み取った遥は「そういえば……」と話題を変えようと口を挟む。

「使い魔さん、どんな様子でした? 怒ってるって聞いたんで……」

「ああ、めっちゃ酒飲んでひっくり返ってたよー」

 ボリーが髪のピンク色の部分を触りながら言う。

「モーヴ様の分らず屋とか、モーヴ様の馬鹿魔王とか、ぶつぶつ言ってたよん。モーヴっち、あいつと喧嘩でもしたわけ?」

「……喧嘩はしていないよ。ただ、向こうが勝手に怒っているだけ」

「なんで怒ってるん? あれはそうとうキレてたよ?」

「……僕が、見合い相手と結婚を決めなかったから」

「あー……それ系のイザコザかー」

 ボリーは息を吐く。

「イマドキ、結婚なんか別に急がなくても良いっしょ? あの使い魔っちは考えが古いなぁー。俺ら、まだ三十三歳じゃん? まだまだ遊びたいってオトシゴロなのになー」

「えっ、お二人とも、まだそんなにお若いんですか?」

 遥は驚く。魔王、と聞いて勝手に二百歳とか、三百歳とか、人間離れをした年齢を想像していたのだ。自分とほんの少ししか変わらないその年齢を聞いて、遥は親近感を持った。

 遥の「若い」という言葉を聞いて、ボリーは嬉しそうに目を細めた。

「そう! 俺たちは若い! 遥っちはいくつー?」

「二十三歳です」

「マジ!? 超若く見えるじゃん! 羨ましー! てか、俺らと十歳違い? うおお、ピッチピチじゃん! ちょっと触って良い?」

 遥の頬に向かって手を伸ばしたボリーのそれを、モーヴがばちんと振り払った。そして、いつもより少し低い声で言う。

「……僕はね、そろそろ真剣な恋愛をしようって決めてるんだ」

「え? え? え? それは何? もう遊ばないってこと!?」

 振り払われて痛むのだろうか。ボリーは右手をすりすりとさすりながら目を丸くした。

「もうオネーチャンの店には行かないってこと!?」

「オネーチャンの店……」

「違う! 違うよ遥!」

 慌ててモーヴが弁明する。

「バーだよ! ただのバー! そこで飲んでいたらね、いろんな女性たちが……その、声をかけて来てくれるんだ。そういう意味だから! 変なお店には行かないからね!?」

「なるほど……」

 二人していかがわしい店に行っているのかと想像してしまった遥は、そんな想像をしてしまったことに心の中で詫びた。

 モーヴは意を決した様子で、真剣な表情でボリーに向かって言う。

「僕は、この世界で探したいものがあってここに来たんだ」

「探しものぉ? それってどんな感じのやつ? 俺っちも手伝ってやんよ?」

「無理だよ。それは決して目で見ることは出来ないものだから」

「じゃあ、魔術で探せば良いっしょ?」

「それも駄目だ。魔術は使ってはいけない。それは人の心だから」

「人の心?」

「そう、僕が探しているのは……初恋、さ」

 ボリーは数秒硬直した後、首の骨をぽきぽきと鳴らしながら「あー……」と口を大きく開けて息を吐いた。

「それ、前に言ってたやつ? 僕には初恋が足りないんだーって、酔いながら」

「えっ、待って。酔いながらってどういう意味?」

「オネーチャンの店で決まってモーヴっちは初恋について語ってるんよ? もう何十回と聞いてるから、別に驚かないわー、って感じ」

「な……!」

 みるみるモーヴの頬が赤く染まる。よっぽど恥ずかしかったのだろう。酔った時に恥ずかしいことを語ってしまうというのは、心にけっこうなダメージを与える行為だろう。遥は少しだけモーヴに同情した。

「んで、見つかったん? 初恋は」

「……そんなに簡単に見つかるなら苦労しないよ」

「俺っちの初恋はすぐに見つかったけどなー。幼稚園の時の女の先生! 覚えてない? いつも黄色いエプロン着けててさ……胸の大きな……尻も丸くて……」

「遥の前で品の無い話は止めてもらえるかな!?」

「なんだよう。紳士ぶってさ……遥っちだって男じゃん。ね、遥っちは胸派? 尻派?」

「ボリー!」

「はいはい。メンゴメンゴ」

 けらけらと笑い、まったく反省していない様子でボリーは手をぱちんと叩く。すると、テーブルの上にごろごろと小さな赤い果物が溢れて来た。これは――。

「イチゴ?」

「そうそう、あまーいイチゴちゃん」

 ボリーはイチゴを一つつまんで、ひょいっと口に入れた。

「これ、助けたオバーチャンに貰ったやつ。二人で食べなよ。ヘタはもう取って洗っておいたからー。俺っちってば気が利く男!」

「それは、どうもありがとう」

「人間界の果物、マジで美味いわー。高いけど」

 そうボリーが言って、二つ目のイチゴを食べようとした瞬間、はらりと白い羽根が天井から落ちてきた。遥は咄嗟にそれを拾う。そして顔を上げてボリーの方を見たその時「ひっ」と悲鳴を上げた。何故なら、ボリーの頭の上に白い鷹ほどの大きさの鳥がどっしりと乗っていたからだ。

「あ……ボリーさん、頭に……」

「ああ、うん。鳥っち、何の用―?」

「ボリー様、そろそろ西の森地方への視察へ向かうお時間です」

 凛とした声で白い鳥は言った。遥は手の中の羽根を見てはっとする。

 ――そうか、これを触ったから、あの鳥の言葉が分かるんだ。

 こちらの鳥は、モーヴの使い魔の鳥よりも落ち着いた雰囲気を放っている。急につついて攻撃などしてこないだろうな、と根拠は無いがそんなことを遥は思った。

 白い鳥はモーヴと遥に向かって言う。

「魔王様、そして人間界の方、本日は我が主人がお世話になりありがとうございます」

「鳥っちはいつも真面目だなぁー」

 そう言いながら、ボリーはぱちんと指を鳴らした。すると、まるで早着替えをしたかのようにボリーの服装が変わった。赤いパーカーと敗れたデニム姿だった彼は、一瞬にして白い、騎士が着るような服に包まれている。また、派手だった髪は全体が薄い茶色に変わり、その姿はどこか高貴な貴族を思わせるものに変わった。

「あ……」

 驚きを隠せない遥に向き直り、ボリーは品のある笑顔で言った。

「遥、美味しい牛乳をありがとう」

「あ、いえ……」

「イチゴ、美味しいから食べて下さいね。モーヴと喧嘩しないように、ちゃんと分けて」

「は、はい」

「では、失礼いたします」

 ボリーは跪いて遥の右手を取り、そこにそっとキスをした。突然の出来事に遥の肩が跳ねる。モーヴは慌ててボリーを遥から引き剝がした。

「ボリー! 君って奴は!」

「ふふ、ではまたお会いしましょう……さようなら」

 そう言ってボリーはまた指を鳴らした。同時に部屋に訪れる静寂。ボリーも白い鳥も、あっという間にその姿を消してしまった。

「……勇者様だ」

 遥はそうぽつりと呟く。モーヴは頭を掻きながら、テーブルの上のイチゴを一つつまんで食べた。

「あれが勇者モードのボリーだよ。馬鹿みたいに変わっちゃうだろう?」

「すごい……」

「ぼ、僕だって、魔王モードの時は凄いんだからね!」

 張り合う気が満々のモーヴを見て、遥は苦笑する。

「そういえば、出会ってすぐの時……モーヴさんが魔王だって分かる前は、なんだか王子様みたいな人だなって思いました」

「え? 本当? 王子か……悪く無いな。魔王って分かってからは、どんな印象を持っているの?」

 興味津々といった様子のモーヴに、遥は「うーん」と悩みながら答える。

「友達であり……」

「友達であり?」

 ――もっと、近付きたい人。もっと、いろんなことを知りたい人。

 自然とそう思ってしまった。

 ――なんで!? モーヴさんは、ただの……。

 ただの、なんだろう。

 時に無邪気で、優しくて、辛い時に傍に居てくれて……この関係は、いったいなんなのだろう……遥の首を、一筋の汗が伝った。

「遥? どうしたの? 黙っちゃって」

「あ、いえ……そうですね、友達であって、頼れる親戚のお兄さんって感じです」

「ええっ!? 親戚のお兄さんかぁ……遠いなぁ……せめて、近所のお兄さんにしてよ!」

「ふふ、じゃあ、そっちで良いですよ」

 どうやら、心の中は読まれずに済んだ。

 モーヴにこんな感情を抱くのは、おかしい。こんなのまるで……恋をしているみたいじゃないか。二人とも、男なのに。そう、男同士なのに……遥はぎゅっと胸の前で右手を握った。

 ――変だ、俺、なんだか変だ……。

 ぐるぐると頭の中でそう思っていた遥の空いている左手を、そっとモーヴが取った。遥は驚いて固まる。

「も、モーヴさん……?」

「遥……僕だって、魔王モードは格好良いんだよ?」

 まだボリーと張り合う気持ちが消えないらしい。モーヴは跪き、ちゅっと遥の左手にキスをした。

 ――っ!?

 遥の全身を熱い血液が駆け巡る。心臓の音が耳に響いてどくどくと周りの音をかき消した。

「可愛い人、こんな僕は嫌いですか?」

「っ……!」

 気品で満ちたモーヴは、ゆっくりと首を傾げて金髪を揺らす。紫色の瞳に移る遥の顔は、はっきりと分かるくらい真っ赤だった。

 ――っ……俺だって!

 やられっぱなしじゃ居られない、と遥は出来るだけ穏やかな表情を作ってモーヴに言った。

「……好きです」

「え……?」

「そういうモーヴさんも、好きです」

「そ、そう……?」

 今度はモーヴが顔を真っ赤にした。それを隠すように少し俯いて、ぼそぼそと遥に言う。

「そ、そうやってストレートに好きって言われたことって無いから……照れちゃった」

「あ……」

 遥も普段他人に対して言わない「好き」という言葉を口にしたという事実に、急に恥ずかしくなってきて俯いた。

 ――何をやってるんだろう、俺たち……。

 しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのはモーヴだった。

「イチゴ……そうだ、イチゴを食べよう!」

「そ、そうですね!」

 無理矢理テンションを上げて、二人はテーブルに着きそれぞれイチゴをつまんだ。イチゴは新鮮な赤い色を放っていて、とてもみずみずしい。ひとくち齧れば、甘酸っぱい味が口内に広がった。

 初恋は甘酸っぱいんだろう、とモーヴが言っていたことを遥は思い出す。あの時はレモンに例えていたが、それはきっとイチゴでも言えることなんだろう。

 ――俺、もしかしたら、モーヴさんに惹かれているのかもしれない。

 口の中の甘酸っぱさを感じながら、遥はそう思った。同時に、胸が苦しくなる。

 ――駄目だ。神社でもお祈りしたじゃないか。俺はモーヴさんが初恋を見つけられるようにサポートするんだ。そう……そうしなきゃいけないんだ。

 それに、男である自分をモーヴが見てくれるはずは無い。そう現実を見ると、また遥の胸がちくりと痛んだ。

「遥、手が止まっているけど……イチゴは嫌い?」

「……いえ、好きですよ。安心して下さい」

 笑顔を作って遥はイチゴを口に放り込んだ。甘くて酸っぱい、恋の味。ああ、気が付かなければ良かった――。

 遥は黙ってイチゴを食べ続ける。胸がいっぱいで苦しくて、美味しさを味わう余裕は消えてしまっていた。

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