第14話新たな訪問者
……ケキョ、ホーッ……ケキョ……。
遠くでウグイスが鳴いている。まだ慣れていないのか、その鳴き声はまだ下手くそだ。この声を聞くと、ああ、春だなぁ、と遥は思う。初めてのことを上手く出来ないのは、鳥も人間も同じなんだな、とどこか心がほっこりした。
「うーん……鳥? 声……」
「わっ……」
眉間にしわを寄せながら、モーヴはぎゅっと遥を抱きしめた。すっかり抱き枕状態の遥は身動きが取れない。なので、声でモーヴの眠りを覚ますことにした。
「モーヴさん、朝ですよ。おはようございます」
「……朝? ああ……おはよう、遥。良い朝だね」
そう言うとモーヴは遥を腕の中から解放して、布団の上に座ってぐっと両腕を宙に伸ばして背骨をぽきりと鳴らした。
「さっきね、変な鳥の鳴き声みたいなのが聞こえたんだ。高くて、途切れ途切れだったけど……」
「それはウグイスですね。まだ新人だから上手に鳴けないけど、上手くなったらものすごく綺麗な声で鳴くんですよ?」
「……ウグイス。ああ、名前は聞いたことがあるよ。ワビサビってやつの鳥だね?」
「え、ワビサビ……どうなのかな? 良く分かりませんけど」
布団の上で会話を続ける二人の耳に、こんこんと玄関のドアを叩く音が聞こえた。二人はその音に反応してぴたりと会話を止める。朝からいったい誰だろう……と遥は首を傾げた。大家さんだろうか。けど、家賃はちゃんと払っているし……よほどのことかもしれない。遥は立ち上がり、ドアに向かって歩き出した。
鍵を開けようとしたその時、外から見知らぬ男性の声が聞こえた。
「おっはよー! モーヴっち、もう起きてるー?」
「っ……!?」
遥は、鍵に伸ばしていた手を引っ込めて一歩下がった。誰だろう。今、モーヴのことを呼んでいたようだが、おかしい。このアパートの住人で、モーヴの姿を見たことがある人は居るかもしれないが、名前まで知っている人は居ないはずだ。
遥は振り返ってモーヴを見た。彼は頭に手を当てて「あーあ」と小さく呟く。そして、立ち上がって遥をかばうようにして、ドアノブに手をかけた。
「も、モーヴさん……!?」
「遥、僕から離れないでね」
そう言われた遥は、咄嗟にモーヴが身に着けているスウェットの背中の部分を掴んだ。その間にも、こんこんとドアを叩く音は止まない。
「モーヴっち! 朝だよー! 起きろー!」
「もう起きてるよ!」
施錠を解いてモーヴは勢い良くドアを開けた。開けられたドアが思いきり額に当たり、ドアの向こう側の人物はその場に崩れ落ちた。
「痛いなぁもう! モーヴっち荒いよ! ご機嫌斜め、的な?」
「朝からうるさくされたら誰だって気分を悪くするよ! しかもここは友人の城なんだ! それをわきまえて静かにしたまえ!」
「はいはーい。ごめんなさーいっ」
とりあえず入れてよ、とその人物はずいずいと部屋の中に靴をちゃんと脱いでから入って来た。モーヴに劣らないほどの長身のその人物は、とても派手な見た目をしている。髪の毛は右半分がピンク色、左半分がオレンジ色だった。瞳の色は深い焦げ茶色で、落ち着いた印象を受ける。身に着けているのは赤いパーカーと、膝のところが破れているデニム。玄関で脱がれた靴は虹色だった。
彼は遠慮の様子を見せること無く、よっこいしょ、とローテーブルに着いて肘をつく。
「俺っち、オレンジジュースでよろしく!」
「あ、はい」
反射的に返事をした遥に、モーヴが「待って、待って」と止めに入った。
「人様の家で、君は良くそんな態度が取れるね!? そもそもどうしてこの世界に来たんだい!? ボリー、君は今の季節は視察で忙しいんじゃないのかい?」
ボリーと呼ばれた派手なその人物は「うーん」と頭を掻く。
「だって、モーヴっちに会いたくなっちゃったんだもん!」
「……は?」
「俺っち、果物を食べきれないくらい助けたオバーチャンに貰ったわけ。だからモーヴっちのところにおすそ分けに行ったんだけど、なんか留守だって門番が言うじゃん? どこ行ったのって訊いたら人間界って言うじゃん? これは会いに行かなきゃーってパターンじゃん? だから俺っち、はるばると人間界にやって来たってわけ」
「……はぁ」
モーヴは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。そうとうな衝撃を受けているようだ。その様子を遥は冷蔵庫を開けながら見ていた。
「あ、牛乳しかないな……」
「遥! 何してるの!?」
「いや、オレンジジュースが飲みたいっておっしゃったから……」
「そんなの用意しなくて良いから!」
「でも……」
お客さんには、何か飲み物くらい用意した方が良いのではないかと戸惑う遥に、ボリーがひゅう、と口笛を吹く。
「ジャパニーズ、オモテナシ! 良いじゃん! 俺っち、牛乳でも良いよ?」
「あ、そうですか。なら……」
「遥っ!」
立ち上がり遥の傍らに立ったモーヴが、遥が手にしていた牛乳パックを取り上げる。
「甘やかすと、とことん図に乗るんだよ、あいつは!」
「あいつ、だなんてモーヴっち冷たーい。ねぇ? 君もそう思わない? えっと……君、なんて名前だっけ?」
「あ、遥です。風原遥」
「遥っちかー、よろよろよろしくしくー! 俺っちはボリーって言うのー! ボリーって呼んで、ってまんまじゃん! ウケるー!」
「よ、よろしくお願いします」
独特な話し方だなぁ、と遥は思った。この世界で言うところのチャラい人種に見える。モーヴとはいったいどんな関係なのだろう。気になった遥は素直に訊いた。
「あの、お二人はどういうご関係で……?」
「……飲み友達だよ」
「飲み友達?」
どこかで聞いたフレーズだ。いつだっただろう。あれは確か、出会った日に――。
「飲み友達とか通り越して、飲み親友っしょ!」
「まったく……休暇中だからって羽目を外しすぎだよ。勇者様?」
「ゆ、勇者!?」
思わず叫んだ遥に、ボリーはにやりと笑いながら遥に言った。
「そうでっす! 俺っちの職業は勇者でっすっすー! あはは! その顔、マジでウケるんですけどー!」
「な……」
ぽかんと口を開けて固まる遥を指差してボリーはけらけらと笑う。遥はボリーの言っていることが本当なのか、にわかに信じられなかった。
――勇者って、もっと威厳のあるイメージが……。
困惑する遥に、モーヴが慌てた様子で説明をしだした。
「仕事中は、真面目な奴なんだ。ちゃんと敬語も使えるし、剣の腕も立つし……」
「そうそう。俺っちやる時はやる勇者なんでー。けど、休みの日はとことん力を抜いちゃうタイプなんだよねー」
ボリーはだらんとテーブルに張り付く。
「疲れるっしょ? 二十四時間仕事モード全開だと。だから、モーヴっちとか、親しい人だけの前じゃお仕事モード終了! しちゃうわけ」
「な、なるほど」
その気持ちは理解出来た。遥だって、二十四時間、コンビニやカフェでの接客モードで居ることはまず無い。それは誰だってそうだろう。ボリーは力の抜き方が極端なだけであって、他の人と何も変わりないのではないだろうか。そう思うと、どこか親しみを感じることが出来た。
「モーヴさん、牛乳、飲ませてあげましょうよ」
「ええっ!?」
「なんなら、皆で飲めば良いじゃないですか。出会いに乾杯ってやつですよ」
「……遥がそう言うなら、そうしようか」
「あ、牛乳は温めてちょーだいね! 俺っち、冷たい牛乳は飲めないのでー!」
「……」
「……」
少しの沈黙の後、吹き出したのは遥だ。どうやら甘やかすといけないというのは本当らしい。遥は鍋を取り出して中に牛乳を注ぎながら必死にこみ上げてくる笑いを堪えた。
――また、賑やかになったな。
ボリーはまだ友人と呼ぶには早い関係性だが、すぐに親しい中になれる気がする。この部屋に仲の良い者が集まるのは、とても楽しくて心がくすぐったくなった。
「もう……」
ボリーに対して呆れているモーヴに、遥は微笑んで言った。
「まぁまぁ、三人で温かい牛乳を飲んで心を落ち着けましょう」
「……そうだね。こんなにいとも簡単に遥に甘えてしまうボリーには、ちょっと嫉妬しそうだけど」
――っ!?
何気無いモーヴの言葉に、遥の心臓がどきりと鳴った。
――ゆ、友人! 友達としての嫉妬って意味だから! ……たぶん!
自分にそう言い聞かせて、遥は胸の前で右手をぎゅっと握った。どきどきと心臓が鳴るたびに変な汗が噴き出て来て、とても妙な気分になった。
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