第13話共通の好み

「……ん」

「遥、起きた?」

「……んんっ?」

 モーヴの声が近い。そのことを疑問に思いながら遥はゆっくりと目を開けた。すると、飛び込んで来たのはモーヴの透き通るような瞳で――。

 ――ああ、俺、モーヴさんに一緒に居て欲しいって頼んで……っ!

 遥は慌てて飛び起きると、布団の上に正座をした。

「お、俺っ、めちゃくちゃなわがままを言っちゃって! す、すみませんでしたっ!」

「ふふ。どうして謝るんだい? わがままを言ってって頼んだのは僕なのに」

 モーヴも起き上がり、布団の上に足を崩して座る。

「ぐっすり眠れたみたいで良かった。気分はどう? しんどくない?」

「平気です……あの、モーヴさんは眠れましたか?」

「ううん。ずっと起きていたよ。遥の寝顔、可愛いね。見ていて飽きなかったよ」

「っ……!」

 恥ずかしさに、血液が顔にぶわっと集まるのが分かった。自分の寝顔なんて見たことが無いから分からない。モーヴは可愛いだなんて言うけれど、きっと間抜けな顔をしていたに違いない。遥はどきどきしながらそう思った。

「あ、えっと……お見合い! お見合いは結局どうなったんですか?」

 話を逸らそうと、遥は思い出したようにそう言った。途端に、モーヴは深い溜息を吐く。その表情は今までとは打って変わり、暗いものになってしまった。

「駄目。ぜーんぜん駄目だった」

「駄目って……お相手と相性が悪かったんですか?」

「そう。どこの令嬢か忘れちゃったけどね、もう最悪」

 モーヴは宙を見ながら低い声で続ける。

「僕のことを全否定してくるんだ。僕が何かを発言する度に、それは違うと思います、間違っていると思いますって。その令嬢の両親に言わせると、ウチの娘は誰にでも意見できる芯の強い子です、ってさ! 確かにそうかもしれないけど、僕は価値観の違う人とは結婚できないね! あれも違う、これも違うって言われてばっかりじゃ疲れちゃうよ!」

「それは、そうですね。意見を言うのと、その人の考えを否定するのはちょっと違うんじゃないかと俺も思います」

「ああ、良かった。遥に分かってもらえて……あのカラスの使い魔は、僕が承諾しなかったことに怒って家に籠っちゃったよ。今日は一日ヤケ酒だね、あの調子じゃ」

 ははは、と笑ってモーヴはズボンのポケットから神社で買ったお守りを取り出した。金糸で「縁結び」と刺繍されたそれは、きらきらと輝きを放っている。

「頼むよ、君だけが頼りなんだから」

 そう言って、モーヴはお守りをそっと両手のひらで挟んだ。神に祈るようなその姿は、まるで美術館に展示されている絵画の一枚のようだ。祈っているモーヴ自身が、魔王ではなく神のような、そんな美しさを感じさせる。そんな神々しさに、遥は思わず息を呑んだ。

 モーヴは二分ほどお守りに祈りを捧げた後、それをポケットに仕舞った。

「無力な僕には、祈ることしか出来ないんだ」

 苦笑するモーヴに遥は「そんなこと……」と首を横に振った。

「そんなことないですよ。モーヴさんは魔術という超人的な力が使えるじゃないですか。無力なんてことは無いですよ」

「ふふ、遥は本当に優しいね」

 モーヴはくるくると自分の髪をいじりながら苦笑して言う。

「魔術が全部、解決してくれたら良いんだけどね……人の心を魔術で動かすのは禁忌だからね」

「そうなんですか?」

「そうだよ。そんなことを認めてしまったら、魔界は操り人形だらけになってしまうかもしれない。だから、人の心に魔術で干渉することは法律で禁止されているんだ。僕の、ひいひい……ひいひいおじい様あたりの人が作った法律だって聞いているよ」

「へぇ……確かに、恋愛面とかで魔術で無理に好きでもない人を好きにさせられてしまったら、人生が終わっちゃいますもんね」

「そうなんだよ。だから、自分で探すしかないんだ。運命の人、初恋の人は」

 遥はモーヴの顔をちらりと見る。今まで気が付かなかったが、そこにはうっすらと疲れが感じられた。

 ――モーヴさん、自分も疲れているのに、俺の心配ばかりして……。

 とてつもなく申し訳無い気持ちになった遥は、食事の用意をしようと思い立ち上がろうとした。だが、上手く力が足に入らず、目の前のモーヴに向かって倒れ込んでしまう。

「危ない! 遥、大丈夫!?」

「……平気です」

 遥のことを抱きとめながらモーヴが言う。

「もしかして、身体が弱いの?」

「いえ、寝起きだからふらついただけです。いつもは本当に元気ですから……」

 枕元の目覚まし時計を見ると、針は七時を指していた。部屋の暗さから夜の七時だと分かる。いったい何時間、モーヴに腕枕をさせていたのだろう。ますます申し訳無さを感じて、遥はぐっと身体に力を入れて今度こそ立ち上がった。

「ご飯にしましょう。えっと、何があったかな……」

 冷蔵庫に向かうと、朝に買った牛乳のパックが入っていた。遥の後をついてきたモーヴがそれを覗き込みながら言う。

「それ、冷やさないといけないと思って魔術で仕舞っておいたんだ。冷凍じゃなくて冷蔵であっているよね?」

「はい。ありがとうございます」

「良かった……僕は、料理はまったく駄目でね。使用人が作ったものばかり食べているから食材についてはそんなに詳しく無いんだ」

「そうなんですね」

「だから、輸入とか輸出とかの会議で困ってしまう。勉強はしているんだけど、これがなかなか難しいんだよね……」

 ローテーブルの上には、牛乳と一緒に買った焼きそばパンとメロンパンが乗っている。どうやら牛乳は冷やすもの、パンは冷やさなくて良いもの、という認識をモーヴはちゃんと持っているようだ。遥はそのことに安心しながら、冷蔵庫の中を漁る。使いかけの味噌、マヨネーズ、ケチャップ……調味料だらけだ。腹を満たすようなものは無い。冷凍庫を開けてみたが、氷しか入っていなかった。

「遥、料理をしようとしているの?」

「あ、はい。でも、買い物に行っていないから何も無いや……」

「僕がまた用意するから、あっちに座ろう? ね? 立ちっぱなしは駄目だよ」

 モーヴに手を引かれて、遥はテーブルに着いた。

 ――モーヴさん、心配性だなぁ……。

 そう思うけれど、モーヴの気持ちがとても嬉しかった。遥はテーブルの上のパンを指差してモーヴに問う。

「これ……夕飯には少ないですけど、ちょっとはお腹が膨れると思うんです。一個ずつ食べましょう。どっちが良いですか?」

「これは、パンだよね? この、麺が乗っているのは何?」

 モーヴは不思議そうに、焼きそばパンの焼きそばの部分をビニール袋の上から指でなぞった。遥はふふっと笑ってから説明する。

「これは、焼きそばパンと言います」

「焼きそば……って、あの焼きそば!? 麺をソースで絡めてある……!」

「そうです。その焼きそばです」

「なんということだ……焼きそばとパンが融合しているなんて!」

 じゃあ、そっちは何!? とモーヴは興奮気味に問う。遥はそれに答えた。

「メロンパンです」

「メロンって、あのちょっとお高い果物の?」

「そうですよ。これは、中にメロンのクリームが入っているタイプのやつですね」

「へぇ……メロンを輸入するかしないかで揉めたから、メロンについては良く覚えているよ。何回か食べたけど、甘くて美味しいよね」

「はい。俺はあまり食べたことは無いですけど……」

「僕だって、仕事じゃ無けりゃ食べないよ! 贅沢な品だもん」

 魔王という人は、贅沢な食事ばかりしていると勝手なイメージを持っていたが、どうやらモーヴは庶民的らしい。そのことに遥は安心しつつ、もう一度モーヴに問うた。

「モーヴさん、どっちのパンが良いですか?」

「うーん……それじゃ、焼きそばパンをいただこうかな?」

「はい、どうぞ」

 遥は焼きそばパンをモーヴに手渡す。モーヴは丁寧にビニールの袋を破ると、ぱくりと焼きそばパンに齧りついた。

「……美味しい! これは、美味しい……! 麺とパンって合うんだね! これはすぐにでも魔界に取り入れよう!」

「ふふ、良かったです。お口に合って」

「特に、この紅生姜が味を引き立てているね! ああ、紅生姜は知っているんだ。牛丼屋にたくさん置いてあるからね!」

 そう言いながら、ぱくぱくと食事を続けるモーヴを見て、遥はとても嬉しい気持ちになった。

 ――俺も、焼きそばパン好きなんですよ?

 食べ物の趣味が合う人に出会えて、遥の心は躍った。もっともっと、一緒にいろいろなものを食べて、共通の好きなものを見つけていけたら良いな。そう思った。

「遥、食べないの? しんどい?」

「いえ、これから食べますから安心して下さい」

 そう言って、遥はメロンパンをひとくち齧った。その味はほんのりと甘く、まるで今の遥の心を映しているかのようだった。

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