第11話賑やかな夕飯
「……ふふっ。縁結びか……ふふふ……」
遥はローテーブルに肘をつき、神社で買ったピンク色のお守りをじっと眺めたり、時に揺らしてみたりして、楽しそうに手の中のその存在を確かめているかのようにしているモーヴをちらりと眺めた。
――モーヴさん、嬉しそう。良かった。
夕方にアパートに戻った二人は、少しだけ休んだ後で夕食を取ろうという話をした。また朝のようにテーブルに指で円を描こうとしたモーヴを遥は制止して、少し緊張気味にモーヴに言った。
「夜は、俺が作りますよ。お口に合うか分からないけど……」
「え? 良いの? 面倒臭くない? 魔界で作らせれば一発だよ?」
「毎回そうやって作ってもらうのは悪いですし……うどんがちょうど二袋あるんです。賞味期限が近いので、それを消費するのを手伝ってもらえませんか?」
「うどん! 良いね! それに遥の手料理はとても楽しみだ! それじゃぁ……遥さえよければお願いしようかな?」
「分かりました」
こうして、遥はうどんを茹でることになった。
鍋にたっぷりと水を入れてコンロで火にかける。沸騰したら、ビニールの袋を破りそこに入っていたうどんを湯の中に入れた。湯で時間は三分だ。遥はカフェのマスターにもらったお古のキッチンタイマーをセットして、鍋の中身を菜箸で時折かき混ぜながらタイマーの電子音が鳴るのを待っている。
「遥、何か手伝うことある?」
モーヴがお守りから視線を外し、美しい瞳で遥を見る。幻想的なその色にどきりとしながら、遥は首を横に振った。
「平気です。もうすぐ出来るんで待っていて下さいね」
「分かったよ。ありがとう」
茹で時間は残り一分。
遥はうどん鉢を二つ戸棚から取り出す。これもマスターに貰ったものだ。一つは水色で、もう一つはピンク色。結婚式の引き出物だったの、とマスターは言っていた。こんな幸せのおすそ分けですって感じのものはいらないわ、とマスターはご機嫌斜めだった。そのことを思い出して遥はこれを見る度に苦笑してしまう。
そこに粉末タイプの出汁のもとをさっと入れた時、タイミング良くキッチンタイマーがぴぴぴ、と音を立てた。遥はタイマーとコンロの火を止めて、鉢にうどんと湯をこぼさないよう慎重に流し入れた。
「お待たせしました」
「ありがとう!」
ローテーブルに鉢と箸を並べて、二人は手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
そう言ってから遥は気が付いた。モーヴは、箸を使えないのではないかと。
朝はナイフとフォークだったので何の心配もいらなかったが、箸ではそうはいかないのではないか……そう心配する遥をよそに、モーヴは自然な動作で箸を手に取りうどんをつまんで、するするとそれを口に運んで味わっていた。遥は驚く。
「モーヴさん、お箸の使い方がお上手ですね」
「え? そうかな? 日本人にそう言ってもらえるってことは、そうなのかな?」
嬉しそうにモーヴは笑った。
「魔界では日本食もブームでね……ほら、うどんじゃなくって……そう、ラーメンだ。あれの店がたくさん建ったよ」
「ラーメン? あれって日本食なんですか?」
「え? 違うの? まぁ、美味しいからどこの国のものでも良いけどさ……豚骨とか、味噌とか、塩とか……僕は味噌が好きなんだけど、それは置いといて……とにかく、あれって箸を使って食べるだろう? だから子供から大人まで、箸を使える人って多いんだ」
「へぇ……」
ラーメンを食べる魔族。そして、魔王。想像するのは難しいが、皆がその味を楽しんでいるのならそれで良いか、と遥は思った。
モーヴはうどんをすすりながら遥に言う。
「日本食と言えば……寿司も人気なんだ」
「寿司ですか。俺も好きですよ。滅多に食べませんけど……」
「遥も好き? 僕も好きなんだ! ね、今度、本場の寿司が食べてみたいんだ。連れて行ってよ」
「うーん。回る寿司なら良いですよ」
「えっ? 寿司が回るの!? どれだけ活きが良いんだい!?」
「えっと、ネタが動き回るんではなくて……」
回転寿司のことを説明しようとした遥の視界に、黒い塊が飛び込んで来た。遥はぎょっと目を見開く。黒い塊は――カラスだった。カラスはモーヴの頭の上に乗り、ぎろりと遥のことを睨んでいる。思わず遥は声を上げた。
「モーヴさん! 頭にカラスが!」
「カラスではないと言っただろう! この物覚えの悪い人間め!」
「うわぁ!」
今にも翼を広げて飛びかかってきそうなカラス――モーヴの使い魔を「はいはい、そこまで」とモーヴは両手で捕まえた。
「今日はどんな用事かな? 僕は見ての通り食事中で忙しいんだ」
「モーヴ様! まだこやつと一緒だったのですか!? 早くこんな狭い部屋を出て身分相応の部屋に移って下さい!」
「君はとても失礼なことを言うね。ここは遥の城なんだよ? とても居心地の良い空間さ」
「ふん、立派なお城ですこと! 感心いたします!」
思いきり嫌味を言われたが、遥は使い魔が怖くて言い返せない。昨日のように、くちばしで攻撃されたらたまったものではない。あれはけっこう痛いのだ。
「あ、あの……カラ……使い魔さんも良ければ食べませんか? うどん……」
「カア! 人間の作ったものなど……何? うどん、とな……」
使い魔はしばらく考えた後、ふんと息を吐いて言った。
「食べてやっても良い。モーヴ様の口に入れるものを確認することも使い魔の大切な役目だからな!」
「は、はい……」
遥は平たい皿を用意して、そこに自分の鉢から数本のうどんを入れて使い魔に差し出した。モーヴの手の中から抜け出した使い魔は何度かうどんをくちばしでつんつんとつついてから、器用にそれを口の中に入れた。
――また、怒らないと良いけど……。
使い魔の様子を遥はどきどきとしながら見つめる。モーヴはその間も食事を続け、やがて「ごちそうさまでした」と手を合わせた。鉢の中は空っぽで、出汁まですべて飲み干してある。モーヴの口に合ったのなら、同じ魔界に住む使い魔の口にも合うだろう。遥はそう信じて祈った。
「……カア」
そう小さく呟いた使い魔の声に、遥の肩がびくりと跳ねた。使い魔は鳴き止むことなく「カア! カア!」と声を上げる。
「美味い! なんだこの麵の食感は! 魔界のものとはまるで違う!」
感激したように使い魔は言う。
「おい人間! これは本当にうどんか!? こんなにコシのあるうどんは初めて食べたぞ! いったいどんな職人が作っているんだ!?」
「えーっと、どんな人でしょうね……?」
近所のスーパーで買った一袋五十円のうどんだ。もちろん人の手も入っていると思うが、工場で機械が作業を手伝っているのだろう。使い魔が想像しているような、一から職人が手作りしているようなものでは無いことは確かだ。
曖昧に答える遥に、使い魔は怒ったように言う。
「人間! お前は自国の文化にもっと関心を持つべきだ! こんなに素晴らしい食文化があるのに、まったく最近の若者ときたら……」
ぶつぶつと言いながら、使い魔はうどんを完食した。つんつんと皿をつついて、おかわりを要求する使い魔をモーヴが再び捕まえる。
「遥の分が無くなるだろう? おかわり禁止」
「……けち魔王」
「けちって言うな」
ぎゅっと両手のひらの力を入れたモーヴだ。それに包まれている使い魔は「ぎょああ!」と悲鳴を上げる。
「ほら、腹ごしらえは済んだだろう? ここに来た要件を早く言うんだ。さもないと……」
「カア! 言います! 言いますから離して下さいませ!」
「も、モーヴさん、その辺にしてあげたらどうですか?」
「……まぁ、遥がそう言うなら」
モーヴが両手の力を緩めたのを見計らって、使い魔はばさばさと翼を羽ばたかせ、今度は遥の頭の上に陣取った。
「カア……カア……モーヴ様、実は今朝、お見合いの話が飛び込んで来まして……」
「えっ!?」
叫んだのは遥だ。
神社に行った途端にこの展開だ。これは縁結びのご利益かもしれない。どきどきと興奮して来た遥とは対照的に、モーヴは冷静な声で使い魔に言い放つ。
「断る」
「カア!? モーヴ様、貴方様は結婚相手を探して旅をされているのでしょう!? 良い話ではありませんか!」
「馬鹿な使い魔だな。僕が探しているのは結婚相手じゃなくって初恋なんだよ!」
モーヴは頭を掻く。
「初恋をして、それで、良いなって思った人と結婚するんだ!」
「お見合いのお相手に恋をするかもしれないではないですか! 一度、受けてみてください!」
「そうかもしれないけどさぁ……お見合い結婚より、恋愛結婚に憧れるんだよね、僕は。遥はどう?」
「えっ!?」
急に話を振られて遥は焦った。遥も、この見合いの話を受けるべきだと思っていたからだ。なので、それを断ると言ったモーヴのことがあまり理解出来なかった。この際、お見合い結婚、恋愛結婚なんてこだわりを捨てれば良いのに、とも感じていた。
「え、えっと……俺は……」
自分にはそんなこだわりは無い。ただ、自分のことを愛してくれる人と結ばれたい。幸せな家族が欲しい。子供は居ても居なくてもどちらでも良い。愛する人が毎日笑顔で居てくれるような……そんな毎日を送ってみたい。
「……」
「遥……?」
「っ……!」
自分の顔を覗き込んでいるモーヴと目が合い、また遥は肩を跳ねさせた。モーヴは申し訳無さそうに眉を下げる。
「ごめんね、変なことを訊いて。困ったよね」
「あ、いえ……俺も急に黙ってすみません。その……お見合いは一回会ってみても良いのではないですか? ほら、縁結びのお守りの効果かもしれないし、神様のお告げかもしれないし……」
「うーん。まぁ、遥がそう言うなら……会うだけだよ?」
「カア! 人間! 良く言った! では、モーヴ様、さっそく魔界に帰りましょう!」
「ええっ!? 今から!?」
「今日の夜にセッティングしてありますので」
使い魔の言葉にモーヴは不満そうに言った。
「結局、行く以外に選択肢は無かったんじゃないか」
「カア! 時間がありません! ほら、さっさと行きますよ!」
ばさばさと翼を羽ばたかせたかと思うと、使い魔の姿はあっという間に消えてしまった。モーヴは「あーあ」と眉間にしわを寄せる。
「それじゃ、ちょっと行ってくるね」
「は、はい。お気をつけて」
「すぐに戻るから、待っていてね」
「分かりました。行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
そう言ってモーヴは指をぱちんと鳴らす。その瞬間、長身のその姿は室内からふっと一瞬にして消えてしまった。
「……行っちゃった」
一人、部屋に取り残された遥の胸がちくりと痛んだ。これはきっと――寂しさだ。久しぶりに賑やかな楽しい時間を過ごせた。だから、その分だけ寂しさが大きくなる。遥は、痛む胸を押さえ、寂しさを忘れるために食事に取りかかることにした。鉢の中のうどんはすっかり伸びてしまっていて、出汁も冷めている。うどんを箸でつまんで口に入れると、何故だかその味は少しだけしょっぱかった。
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