第6話魔王とカラス
右手がぽかぽか温かい。
まるで、日中に干した布団を触っているみたいだ。
遥は辺りを見渡す。黄色い、名前を知らない花がたくさん咲いている場所に遥は立っていた。誰も居ない、静かな花畑。空は高く青く、どこまでも澄み渡っていた。
――ああ、なんて穏やかなんだろう。眠ってしまいたいな……。
そう思った遥の耳に、突然、懐かしい声が響いた。
「遥、そろそろ起きなさい!」
「……おばあちゃん」
ああ、これは夢なのだと遥は確信した。何故なら、声の主である祖母は、もうこの世には居ないのだから。
「おばあちゃん。俺ね、今、ものすごく温かくて眠いんだ」
「まぁ、そんなこと言ってたら寝過ごすよ!」
「今日はもうバイト終わったんだ。だから、寝ていても大丈夫」
「あんた、お客さんを待たせたままじゃないのかい?」
「お客……」
ああ、そうだ。
モーヴだ。
彼が、居るんだ。
喋る、カラスも……。
「おばあちゃん、俺、お化けを見たよ」
「あら、もしかして私のことを言っているんじゃないでしょうね?」
「違うよ……言葉を喋るカラスが居てね、俺、びっくりして……」
「そう、頭をぶつけたのさ。お客さんが心配しているよ。だから、起きなさい」
「でも……」
「そんな悲しい顔をしないの!」
祖母の声が力強くなる。
「いつだって私は遥のことを見守っているからね」
「おばあちゃん……」
「馬鹿息子に虐げられて辛かっただろう? 良いかい、もうあんな馬鹿のことは忘れて、自分が幸せになることだけを考えるんだよ。良いね?」
さらさらと風が吹いた。黄色い花の花弁が宙を舞う。遥は姿の見えない祖母の言葉に、強く頷いた。
「分かったよ、おばあちゃん。ありがとう」
「良い子ね、遥。貴方はとても、良い子ね……」
祖母の声が遠くなる。思わず伸ばしそうになった遥だが、ぐっと拳を握って堪えた。
――おばあちゃん、俺、ちゃんと幸せな未来を手に入れてみせるよ。
口には出さずに、そう心の中で誓った瞬間、遥の身体は柔らかな風に包まれて、やがて花畑の中から消えた。
遥が目を覚ますと、何やら言い合う声が聞こえた。モーヴと――カラスだ。一人と一羽は遥が目覚めたことに気が付いていない様子で、早口で話をしている。
「このままこの人間が目覚めなかったらどうするおつもりですか!?」
「その時は僕の魔術をすべて使ってでも生き返らせてみせるよ」
「馬鹿なことを! モーヴ様、貴方はご自分の立場を分かっておられない! 簡単に人間界に行くなどと言って魔界を留守にして! 魔界で緊急事態があった時は誰がどう対処するというのですか!?」
「部下にちゃんと任せているし、緊急事態なんて滅多に起きないよ。何かあれば君たち魔鳥が知らせに来てくれるんだろう? 何も心配しなくても良いさ」
「モーヴ様! ああ、どうしてこうも考えが甘いのです! 貴方は……魔界の王、魔王なのですよ!?」
「ま、魔王……?」
思わず呟いた遥に、モーヴとカラスの視線が突き刺さる。カラスは「聞かれてしまったか……」と小さく呟き、モーヴの頭の上でふっと息を吐いた。
「そうだ、人間。このお方は魔界で一番の権力者、魔王モーヴ様だ!」
「っ……」
カラスが日本語を話しているという事実がまだ受け入れられない遥は、びくりと身体を震わせた。その様子を見たモーヴがカラスを睨む。
「遥が怯えているじゃないか! ぺらぺら喋るな!」
「ふん、人間の分際で……おい人間、いつまでモーヴ様にくっついているつもりだ! 無礼者!」
「え? くっつくって……」
カラスにそう言われて遥は自身の右手が熱を持っていることに気が付いた。そこを見ると、モーヴが大きな手で遥の手をぎゅっと握っている。倒れた自分を心配して握ってくれたのだろうか。いや、そのことよりも訊かなければいけないのは――。
「あの……モーヴさんは、人間じゃ無いのですか? そちらの……カラスさんも」
「カラスだと!? 人間界の鳥と一緒にするな!」
「うわぁ!」
カラスは翼を広げて遥の頭の上に飛び乗ると、くちばしで遥をつついて攻撃し始めた。慌ててモーヴが遥から手を放し、両手でカラスを遥から引きはがす。
「この馬鹿鳥! 遥が怪我をしたらどうするつもりだ!」
「その時はさっきみたいに治療をして差し上げたらよろしいのではないでしょうかね! もう私は知りません! 今日のところはこれでお暇をいただきます! それでは!」
カラスが高い声で「カア」と鳴いた瞬間、その姿はすっと空気に溶け込むかのように消えてしまった。
室内に残された二人に沈黙が重くのしかかる。
――魔王、って……。
遥はモーヴをちらりと見た。信じられない話だが、この目の前の人物は人間では無いらしい。けれど、不思議な力や喋るカラスを見てしまった遥だ。これは、現実であることを認めざるを得ない。
「と、とにかく……お茶! お茶を飲もうか! ね、遥?」
沈黙を破ったのはモーヴだ。
敬語は抜け、遥のことも呼び捨てにしている。それだけ動揺しているということなのだろうか。
「……そうですね。お茶、飲みましょう」
そう言って遥は寝かされていた布団から起き上がり、先ほどまで触っていた急須の元に向かった。倒れる前に中に入れた熱湯は、もうすっかりぬるま湯に変わってしまっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます