第4話宿無しの旅人
「……で? そちらのイケメンを公園で拾っていた、と」
くすくすと笑いながらマスターは、カップに入ったコーヒーを二つ用意して遥と男性のそれぞれに差し出した。
カフェに戻った頃にはとっくに開店時間は過ぎていたが、マスターは怒ることなく「とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着きなさいな」と二人をカウンター席に座らせた。
「はい、貴方にはこれ……お名前なんて言うの?」
ハムとタマゴのサンドウィッチを男性に渡しながらマスターが問う。男性は背筋を伸ばして口を開いた。
「モーヴと言います」
「あら、外国の方?」
「えっと……」
「日本語がお上手ね。日本に来て長いの?」
「いや……そうでは無くて、半分、こっちの血が入っていて」
「ああ、なるほど! お父様かお母様のどちらかが日本人なのね! だから日本語がお上手ってわけね!」
「そ、そうです」
男性――モーヴの首筋に汗が滲んでいることを不思議に思いつつも、遥は二人の会話を黙って聞いていた。半分が日本の血なら、もう半分はアメリカだろうか? イギリスだろうか? そんなことを想像しながらモーヴのジャケットから覗く白い手首を眺めた。先ほど「細い腕」と言われたが、モーヴの手首もがっちりしているわけでは無く、どちらかと言えば細い方だ。ただし、手のひらは男らしく指も長かった。
遥は自分の手のひらをこっそりと見て溜息を吐く。男にしては小さな手。高校生の時、体育の授業で身長の順番に並べばいつだって遥は先頭だった。二十歳を過ぎても身長に大きな変化はない。だが、小さな奇跡を信じて、遥は今でも牛乳を飲み続けている。
「お住まいは? ここから近いの?」
「いえ……まだ宿を決めていなくて」
「あらまぁ!」
マスターが大袈裟に声を上げた。
「宿ってことは観光ね! それなのに泊まるところを決めていないなんて!」
「ええ、いつも行き当たりばったりの旅なので」
案外、大雑把なところがあるんだなぁと遥は思った。自分が旅行に行くとしたら、念入りに下調べをしておかないと落ち着かないだろう。それに――。
――旅行にしては、荷物が少ないな。
モーヴのズボンの後ろポケットからは茶色い長財布が少し顔を出しているが、他に荷物が見当たらない。宿に先に荷物を送っているというのなら話は分かるが、モーヴは宿を取っていないと言っていた。男の一人旅だから身軽なのだろうか。いや、荷物が財布だけというのはやはりおかしい。先ほども、カラスに群がられていたし……このモーヴという男はどこか怪しい。
「あの……僕の顔に何かついていますか?」
「……っ!?」
無意識にモーヴを凝視してしまっていた遥は、モーヴに声をかけられてはっとした。じろじろと見られて、きっとモーヴは不快に思っただろう。遥は謝罪した。
「すみません、何でもありません」
「そう?」
ふっと微笑みモーヴは首を傾げる。その表情からは怒りは感じられない。遥はほっとして息を吐いた。
「モーヴさんがイケメンすぎて見とれちゃってたのよね?」
冗談じみた様子でマスターが笑う。
「ねぇ、宿が無いなら、遥ちゃんのアパートに泊めてあげたら? そうすればお金も浮くし」
「え? ええっ!?」
思わず大声を上げてしまった遥だ。そんな遥にマスターは「だってぇ……」とくちびるを尖らせながら言う。
「人助けは大事よ? 本当はアタシの部屋に泊めてあげられたら良いんだけど……アタシ、きっとモーヴさんのことを離せなくなっちゃうわ」
「離せなくなるって、そんな……」
「ね? 良いじゃない。遥ちゃんも困っている人を助けることの大切さは良く分かっているでしょう?」
「う……そうですね」
マスターに助けてもらった過去のある遥は、ふう、と息を吐いてモーヴに向き直った。
「あの、勝手に話を進めてすみませんが、良かったらうちに泊まりませんか? む、無理にとは言いませんけど、その……例えば、宿が見つかるまでの間まで、とか」
「……日本人が親切と言うのは本当だなぁ」
「え?」
「いえ、何でもありません」
モーヴは手を伸ばし、そっと遥の手を取ると目をつぶって軽く頭を下げた。
「貴方の心遣いに感謝いたします。どうか、僕を貴方のお家に泊めて下さい」
まるで神に祈りを捧げているかのような仕草のモーヴにどぎまぎしながら、遥は口を開く。
「お家って言うか、アパートですけど」
「それも、狭くて古いわよぉー。夜はお化けが出そうなとこ」
「ふふ……お化けですか。それは楽しみです」
そっとモーヴは遥の手を放し、立ち上がり改めて頭を下げる。
「よろしくお願いいたします……遥さん」
「こちらこそ、モーヴさん」
軽く握手を交わした二人を見て、マスターはぱちんと手を叩く。
「それじゃ、さっそくモーヴさんを遥ちゃんのアパートに案内してあげなさいな」
「えっ、でもまだバイトの時間で……」
「ちゃんとお給料は出すわよ! 旅行って意外と体力を使うものなの! 早くモーヴさんを休ませてあげて!」
「は、はぁ……」
遥はちらりとモーヴの顔を見た。その表情は困ったように眉が下がっていて、ここはマスターの言葉に従おう、と無言で訴えているように見えた。
「それじゃ、荷物とか取って来ます」
遥はモーヴとマスターをその場に残し、駆け足でスタッフルームに向かった。エプロンを外すとはらりと黒い羽が舞い落ちる。それは、カラスの羽根だった。きっと公園でカラスが飛び立った時にエプロンにくっついてしまったのだろう。
「……」
衛生面が気になって、店のゴミ箱にその羽根を捨てる気にはなれなかった遥は、それを自分の鞄の中に入れた。後でアパートのゴミ箱に捨てれば良いや、そう思いながら。
スタッフルームを出る際に、いつも身だしなみをチェックしている鏡を覗いた。
――可愛い人。
モーヴの言葉を思い出して思わず赤面した。男に向かって可愛いと言うのは変だろう。だが、褒められて悪い気はしない。実際、遥は童顔だ。それがコンプレックスなのだが、モーヴのストレートな言葉は何故だか胸をぽかぽかと温かくさせた。本当に、モーヴというのは不思議な人だと思う。
遥は少しだけ前髪を整えてから、スタッフルームを後にした。
謎多き男、モーヴを自身のアパートに案内するために――。
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