第7話 世界

「お、見えてきたね」

 

木々に囲まれた狭く薄暗い道の先に、ひらけたまるで踊り場のような場所があるのがうっすら見えた。


「あそこがゴール?」

「ゴールっていうか、そうだね、私が連れてきたかった場所」

 

 姉が連れてきたかった場所……。わざわざ隣町まできて、ましてやこんな夜に、その先にあるのは一体。


「よし、到着!」


 姉が声を張り上げる。

 ここが。視界には広々とした芝生の空間があった。ここがこの山頂なのか。そしてバッと目に焼き付いたのは、圧倒的な美しさの夜景。


「す、すげぇ……」


 言葉を失った僕の横で、姉も光る星空を眺めながら笑っていた。

 まるで絵に描いたような美しさ……いや、絵では表せないほどの、まるで生きてるかのような生命を感じる光り輝く星たち。一瞬にして目を奪われてしまう、今までの人生では気づかなかった空の魅力。夢にしかでてこない魔法がここにはあった。


「大地、こっちに来てみてよ」


 いつの間にか前にいた姉が僕を呼ぶ。崖の手前に張り巡らされている柵に掴まり、何やら空ではなく地上を見下ろしている。


「どうしたの? 落ちないでよ」

「落ちるわけないじゃん、いいからいいから」


 急かす姉に呼ばれながら、僕は足を動かした。


「いい? びっくりすると思うよ」

「もう充分びっくりしてるけど……、ていうかこの下にあるのって――うわぁ!」

「ほら、びっくりしたでしょ」

 

 本日二回目にして言葉を失ってしまう。下にあったのは、白く輝く空とは違い、黄色く光る町並みだった。しかもこの町……。


「この町って……」

「そう、私たちが住んでるとこだよ」

 

 僕たちが住んでるところ、がこんなにも綺麗だったなんて。住んでるぶんには気づかなかった。不必要なぐらい足下しか照らさない街灯だって、家々の小さな窓に映る電気の光だって、集まればこんなにも一体感が増すとは。こんなにも暖かさを感じる場所だったとは。

 ちょっと寝転んで休憩しよ、そう姉は言い、僕たちはふんわりとした芝生に寝転んだ。そして姉が口を開く。


「今こうやってこの町を眺めてるのは、世界で私たちだけだよ。あんな暗闇を抜けたものだけが、見れるものなんだ」


 空を見上げながら、それも真剣な眼差しで見ながら。


「私はね……」


 一言そう発して、天に広がる空に手をかざした。


「私が生きているのはこの世界にある美しさ、楽しさ、嬉しさ、喜びを知るためなんじゃないかと思う。ここにいないと分からない、ここに産まれないと分からない、人間じゃないと芽生えないこの感情を味わうために」

「この感情を味わうために……」

「大地、今日一日どうだった? 楽しかった?」

 姉は首を動かし、僕を見ながらそう訊いてきた。お互い目を合わすと、もう一度天を向き僕は言った。


「うん! 楽しかったし、いろいろ遊べて嬉しかった。そして綺麗」

「へへっそれは良かった」

 

 姉は小さく笑い、僕も自然と頬が上がる。


「ずーっとここにいたいな、ずーっとこんな日が続いたらな」

 

 時間も忘れ、醜い過去も忘れ、世界に引き込まれた今日みたいな日が続いてほしい、切実にそう思う。でもそうは行かないのが現実。


「確かにそう、それはみんなが思ってることだよ。一日中ゲームをしたいし……一生を自分の好きに費やしたい、私たちを含め、子どもから大人までみんな」

「好きなことをずっとする、それはできないの?」

「うーん、それは難しいんじゃないかな。でも苦労だって、人生には必要だと思う。今だってこの綺麗な景色を見るために、しんどいけども頑張って走ったし、光り一つない暗闇を通ってきたでしょ」

「うん」

「いろんな幸せの感情を味わうには、こうした暗闇を抜けないといけないのだと思う。嫌かも知れないけど、それでもここに辿り着いたときには、すっかり忘れてたでしょ。往き道のことなんか」

「確かに」

「でしょ」

 

 姉ちゃんはすっと立ち上がると、僕を見た。


「だから大地。私たちが行っている学校にも、いろんな感情が隠れていると思うんだ。もちろん暗闇たるものも存在すると思う。でも私は知りたいの、学校にある幸せを。そしてそれを大地にも味わってほしい。だからさ、学校に行こうよ」

「でも……」

「大丈夫。学校では会えないけど、私がいるから。だから行こ」

 

 ニッと姉は笑いながら寝転ぶ僕に手を差し出した。そして僕は覚悟を決めて、その手を握った


 ――なのに。





「秋帆! 秋帆!」

 

 まるで別の世界に来た気分だ。轟音と共に変わった風景は、地獄と化している。辺り一面瓦礫に囲まれ、空は黒い煙に覆われ、まともに歩くことすらままならない。さっきまで横にいた姉が消えている。どうして、なんで。


「は! いた! 秋帆!」


 僕は何とか視界に姉を捉えることができた、しかし。そこには僕の知っている姉はいない。


「ねえ、起きてよ! 秋帆! 秋帆!」

 

 倒れ込み、頭から血を流し、顔は黒ぎみて。あの明るい姉はどこへ、あの光る姉はどこに。必死に身体をさすって揺らして、声が枯れようとも叫び狂った。それでも、姉の目が開くことはなかった。





 俺にはまだできることがあったんじゃないか、今となってはそう思う。それでもあのとき、あの人に助けられてなかったらここに俺もいない。だから決めたはず、俺は秋帆のぶんまで生きると。身体も心もある俺が。

 ならどうする。秋帆なら、姉なら助けるんじゃないか。家に籠もってしまった子に、生きる楽しさを教えにいくんじゃないか。なら後悔なんてしちゃダメだ。俺が動かないと。

 拳を強く握るようにして、『動こう』俺は心にそう誓った。


 ――よし、明日もう一度、川見に会いに行こう

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