第5話 姉
「あぁー」
「どうしたのよ」
机に屈する俺に母が興味なさげに聞いてくる。
「いやー、そっとしておくべきなのかなー。どうしよう、冷静に考えたら突然俺なんかが来たら恐怖以外の何者でもないよな」
「は? あんた何言ってるのよ」
「ん……あ、何でもない。ちょっと寝る」
記憶が消えてますように、俺はそう願いながら自室のベッドに倒れ込む。
よくよく考えてみれば、そうだよな。相手の気持ちを露知らず、勝手に人の家に入り込んで、ノックもせずに部屋に上がって。元気そうだったのは何より良かったけれども。
後はもう何も関与しないのが吉なのかなぁ。ふーむ。
――コンコン。
ノックがなる。ガチャッとドアが開くと、母がプリント一枚片手に入ってきた。
「ん?」
「これ、修学旅行のやつ。判子押しといたから」
「あーそれか」
受け取り、すぐさま鞄へとしまう。母がじっとこちらを見つめているのを確認しつつも、布団をかぶり目を瞑った。
「ねえー大地」
俺の睡眠を妨げるように声をかけてくる。
「なんすか?」
「はやくバイト探しなさいよ」
「いきなり。うん……分かってる」
「皆もバイトしてるんでしょ」
「別に皆がしてるわけじゃないけど――」
「しなさい。分かった?」
「…………はい」
母が若干強くドア閉めた。
バイトなんてしたくなーい、ていうのは甘えん坊か。でも遊ぶこともないから金いらないし、モチベーション保てるのかなぁ。
はぁ。
まーその前に川見か。怖がられたかな、なんて。気にしすぎなのは分かるけど、あれはやべぇだろ。
「はあああ。寝て何もかもを忘れたい」
枕に向かって気持ちをぶつける。そんなことしながら深いため息をついたと同時に、ある声が聞こえてくる。
『何か、嫌なことでもあった?』
懐かしいこの声。姉だ、パッとあの頃の出来事が脳裏に浮かび上がる。
俺がまだ九歳のとき。
学校に行かず不登校だった。友達もいないし、何やっても上手くいかない。そんな自分が嫌になり、何をするにもやる気が出ない。こんなしんどい世界に、なんで自分は生きないといけないのか分からなくなっていた。だから学校に行く気もなくなった。今でこそ何て甘ったるい奴だって思うが。
そんなある日。いつものように布団に籠もっていると、そっと部屋のドアが開いた。
「ん?」
「ちょっと失礼。母さんに聞いたよ、最近学校に行ってないって」
入ってきたのは姉の秋帆だった。セミロングで薄茶色の髪色は地毛で、それだけで男子が寄ってきそうな魅力がある。まるで心の中を現してるかのような、透き通った瞳でこちらを見つめている。
「まぁ……ていうか、そっちこそ学校は?」
中学二年の姉。来年には受験と、大事な時期なはず。
「いやー寝坊しちまってね。いまさっき起きたとこなんだよ」
にしては寝癖一つなく髪は整っていて、瞼もしっかりと開いている。
「ふーん。なら僕のことはいいから、早く行ったら」
姉の返答も待たずに、僕は深く布団を被った。正直、今は誰とも喋りたくなかったし、姉が僕と関わるのは勿体ない、そんな気がしたからだ。
「ねえ大地。何か嫌なことでもあった?」
少し間を開けてから、姉は心配そうに声を曇らせながらそう訊いてきた。
特にいじめられてたわけじゃない。ある出来事がきっかけで、ていうわけでもない。でも僕は無視して黙っていた。するとドアが開閉する音が聞こえ、ふとそこを見ると姉は消えていた。僕は自然とため息をつきながら、そっと目を閉じた。
「よいしょ! 到着! お待たせ!」
数分が経ったとき。別に呼んでもないのに、姉がそんなこと言いながら部屋に入ってきた。
「なに、まだ学校に行ってなかったの? ゲッ!」
布団から顔を出してみると、姉は満足げな笑みを浮かべながら大きな箱を担ぎ上げていた。
「な、なにそれ。危ないよ」
「大丈夫! 大丈夫!」
ドンッと音を立てながら床に置くと、早速箱の中身を取り出し広げ始める。
「え、これって」
中に入っていたのは、もう捨てたと思っていた大量の遊び道具。トランプやスゴロク、海賊危機一髪など、何から何まで入っていた。
「まだあったんだ、これとか懐かし」
「一応ね。母さんが捨てようとしてたの止めて、部屋に置いてたの。いつか使うと思ったから」
それじゃ何しようか、囁くように言いながら姉はいろいろとさわり始める。もしかして今から遊ぶつもりなのか、それより。
「それより学校は?」
「え? 学校? あ……そうね、今日は休み!」
「へ? いやあるでしょ、普通に」
「あるけど、私たちは休み。だから宣言します! 今日十一月二十日は、大野家だけの祝日とします! はい、だから学校は行かなくていい」
そう声を張り上げながら、姉は宣言した。
「何言ってるの? 祝日?」
「そう! ねぇ大地。今日は大地と私だけ、他の子には内緒で二人だけで、楽しいことしようよ」
そう言って笑ってみせた姉の笑顔は輝いていた。
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