神眼少女は絆されない

ひなみ

第0話 私だけの

 日が落ちた頃。

 どうしても星が見たくなった私は、近くの高台まで来ていた。

 それは幼い頃の記憶の中で見つけた星。

 そして私はついにそれを見つけた。


 ――もっとちかくに。ちがう、ほんのもうすこしだけでいいの。


 けれど、突然吹いた風は背中を強く押す。

 地に足を取られ、瞬間、私の世界はぐるぐるとまわった。


***


「ごめんなさい、ケーンさん」

 私は頭を下げた。


「……仕方がない、今日は一人で行ってくるとしよう。いいかい? くれぐれも安静にしているんだよ」

「待ってください。私はこのままで大丈夫です。それにはじめからそういう約束でもあります。決してご迷惑はお掛けしませんから、お願いします」


 互いに押し黙り時が流れる。

 そうしてしばらく考え込んでいた彼は、ようやく深い溜息をついた。


「――失念していたよ。言い出すと君は聞いてくれないからな。それでは支度をしよう」


 彼は私に仕事場と寝床を提供してくれている。この『マリアステラ武具店』の一角が私の鑑定士としての居場所。ここでは主に冒険者から持ち込まれた装備品や装飾品の見極めをおこなっている。


『今後あらゆる武具の目利きを一任する』

 それは実家じごくを飛び出しこの街に一人流れ着いて、場所を借りる段になって契約書において取り交わされた。


 彼は何度言っても心づけおかねを受け取ってはくれない。それにはどのような意図があるのかはわからない。しかしながら、そのお陰もあってか寝る所にも食べる物にも困らないのも事実だ。

 もう何度目になるだろうか、私達は馬車に乗って大きな街の武具商人の店に来ている。そこにはいかにもそれらしいきらびやかな装飾が施された品々が立ち並ぶ。


「これなんかどうだろう?」

 ケーンさんの手にした長剣ちょうけんは、キラキラとした輝きを放っている。


 一見いっけんは整っている物質の表面。

 被っていたフードを下ろし、前髪でおおった左眼を露出させる。


観察眼トレース


 モノと眼の間に薄紙を通すように、視界は次第にゆっくりと灰色一色に変わる。

 するとそれは、パチパチと火花のように浮かび上がる。

 刀身にわずかな赤いほころびを見つけた。


「美術品としては申し分もうしぶんありませんが……、これでは到底」

 首を横に振りながら結果を知らせる。

「その代わりと言っては何ですけど、私としてはあれが」

 奥の方に雑に積まれていた山を指差す。


「ふぅむ。しかしどう見てものような品だが」

「丹念に時間を掛けて研磨けんますれば、その意味はすぐにわかります」

 髪を元通りにフードを深く被ると、反対側の眼で彼に訴えかける。


「だが、君の言う事に間違いがあった試しはない。――店主よ、あれをすべて貰えるか?」


 ケーンさんは二度頷くと、いつものように満足そうな笑みを浮かべる。

 長年店を営んできた彼が言うには私の目利きは確かなようだ。


 仕入れが終わり店に戻った翌日、私はカウンターの前で開店の準備をしていた。


「おいおい、またかよ? ……こりゃまた派手にやらかしたな」

 その声に体ごと向けるように車椅子の車輪を操る。

 いつの間にか入ってきていた男は、包帯で巻かれた私の両足を呆れたように見ていた。


「随分ないい草ね、クレイヴ。特に用事もないのに毎日来なくてもいいんだけど。それも開店前のこの忙しい時に」

「親父さんの店に、新しい商品が入ってないかチェックしてるだけだっての! これはまあ……その、ついでみたいなもんだからいいだろ。ほーら、貸してみろ」

 今日も彼は私から鑑定用道具の一式を強引に取り上げ、手馴れたようにカウンターに一つ一つ音も立てずに配置する。


「そんな事、誰も頼んでないって言ってる」

 開店時刻は間もなくだ。

 その声は聞こえているのかいないのか。彼は憎まれ口を叩きながらも何かと世話を焼こうとする。


「まったく。お前ももうちょっと愛想が良ければ、可愛げがあるってもんだけどな」

「うるさい、余計なお世話」

 物心ついた時にはすでに感情を表現する事ができなかった。それは誰にでもある普通の事なのだろうと思っていた。けれど影での悪口を繰り返し幾度となく聞いて「私は異常」な人間なのだと、幼な心に刻みつけられる事になった。

 そして時が経った今でも心無い言葉を掛けられる事も少なくはない。


「まあ、それがお前らしさでもあるんだろうけどな?」

「……わかったような事、言わないでくれる」

「おいおい、そんなににらむなって。――よし。準備は大方済んだな。さてと、依頼主のとこに行ってくらぁ!」

 そう言ってこの店をあとにする、彼のような快活な冒険者に強く憧れていた時期もあった。けれど体の弱く無表情な私には到底向いていないのだとすぐに諦めがついた。


 数々の悪意に触れたおり、私は私に向けられた意図言動をすべて理解し、結果この心はあらゆる人間を拒絶してきた。

 それにも関わらず、誰かの役に立ちたいと思ってしまうのはなぜだろう。それはどうしようもなく途方もない願いに違いないのに。


 あまりにも高くついた代償とも言えるこの瞳。それはそういう願いのためにあるのだと、すでに引き返せないところにまで来てしまったのだから尚更なおさら、そうありたいのだと私は信じてしまっているのだろうか。


***


 店のカウンターに『本日休業中』の札を掛けて、一人街からは少し離れた山道にいる。ケーンさんの欲しがっていた研磨用の素材を取りにいこうと思い立ったのだ。これまでの感謝を彼に伝えられていない私ができるのは、せいぜいこのくらいの事だ。


 幸い車椅子であっても何とかなるくらいには傾斜は緩やかだ。周りには誰もいない。フードを下ろしたまま、素材をいくつか皮の袋に放り込む。

 そして夢中になっていたせいか、気付くと見上げた空は暗くなり始めていた。


 このままでは足元も覚束おぼつかなくなると考えて、いえへ戻ろうと素材の入った袋を膝上に乗せて帰路に着く。

 すると程なくして、何かの影がこちらに近づいてきているのがわかった。


千里眼バードアイ


 全方位、あらゆる遮蔽物しゃへいぶつをすり抜けて生体の反応を感じ取る。

 すると、すぐそこまでに十匹以上の魔物がこちらへと向かってきているのがわかった。


 考えが甘かった。

 この辺りに魔物はいないものとたかくくっていた。現にこれまでもそういった事がなかったのも一因だろう。

 そして、こうなった時に私にできる事はもはや何もありはしない。

 来た道を引き返そうと車輪を回すけれど、すぐに周りを囲まれた。続けて車椅子から落下して尻餅をつく。

 唯一の武器とも言える皮袋を持ち上げられない。辛うじて腰に差していたダガーを投げつけるも、水面に沈んでいく小石のように状況は何も変わらない。


 結局何も成し得ないままに私は消えていく。ただひたすらに苦しいだけの、これは何のための人生だったのだろう。


 ついには間近にまで迫った影に、両眼を硬く閉じて最期の時を待った。


 次の瞬間、何者かがこの場に大声を響かせる。その声に驚いて眼を開けると、見覚えのある背中が縦横無尽に立ち回っていた。


 まるで炎のように吹き出した激しい剣撃が、たちどころに次々と魔物を引き裂いていく。その鮮烈かつ踊るような軌跡に、心を支配されていた恐怖心は立ち消えて、ただただ魅了されていた。

 噂話として、店に訪れた冒険者から伝わって聞いてはいた。彼のような存在は滅多にいないと。そして私は、その光景を目の当たりにして今初めて理解をした。常日頃からの自信に満ちあふれた優しさを支えているのはきっと、あの強さに違いないのだと確信した。


「よう、ケガはないか?」

 息一つ乱す事なく、すべてに片をつけると彼は手を差し伸べた。その力を借りて車椅子に座りなおす。


「クレイヴ……」

「なんだよ。珍しく静かだな?」

「別に…………」


「ま、無事ならいい。まったく、お前はいつもどうして――」

 手足はいまだに震え、言葉を口にするのがやっとで、私は最後まで彼の言葉を聞き取る事はできなかった。

「今、何か言った」

「いいや? さてと、暗くなる前に帰るぞ」

 背後から車椅子を押されて進むこの道の、がたがたと心地の良くない揺れは相変わらずだ。


 この男は私のような弱い人間にすら手を貸そうとする。だからこそ、このお人よしは誰からも好かれる冒険者たらしめるのだろう。そしてこの彼はかつて私が恋焦がれた、なりたかった姿りそうそのものなのかもしれない。


「……ありがと」

「あん? 今何か言ったか?」

「別に」


***


 翌日、店の仕入れを終えるとクレイヴはやってきた。


「また来たの」

「だから、ついでだっての!」

「はいはい。もう気の済むまでやったらどうですか」

「へへっ、言われなくてもそのつもりだ!」


 ――いつもありがとう、たすかるよ。


 その言葉をすぐに表現できそうにはない。けれど、この気持ちだけはいつか伝えなければならない。

 こうして今日という日は変わらず始まりを告げる。


 それからしばらくした昼過ぎ、一人の男が店内に飛び込むとこちらへと駆け寄る。


「これ、やっと自力で拾えたものなんですけど。クレイヴ先輩にここで見てもらえるって聞いて……あの、できますか!?」

 輝くような汗と瞳をたずさえた新米冒険者ルーキーは、息を切らせて興奮気味にまくし立てた。


「……頑張ったんだね。貸してみて。きっといいものだよ」


 これは笑う事も、悲しむ事も、泣く事もできない鑑定士の話。

 そして、この大きな世界の片隅の小さなお話だ。

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