第11話 朧月夜と祖母の話 現在

五、現在(いま)律


 祖母が他界する二日前、屋根の上に人が立っているのを見た。

 でも、瞬きをしたら消えていたから、見間違いだと思った。


 次の日、祖母宛てに平たくて大きな包みが届いた。

 中に入っていたのは出来たての絵画。

 描かれていたのは私と同じ位の女の子。

 どこか見覚えがあると思ったら、祖母の若い頃の姿だった。

「この描き方はペインね」

 祖母が言った。

 ――文化祭の話に出てきた悪魔の名前だ。

  確か、絵を描くのが得意って……まさかね。

 でも、昔を懐かしんで絵を見る祖母は、とても嬉しそうだった。

 私が祖母の笑顔を見たのはそれが最後。


 その日、私は玄関の前に、二日前に見た人を見つけた。

 少し伸びた髪と、濃い緑の目を持つ彼は、私の家を見ていた。

 目が合った。

 ふわりと笑って、

「風の声は聞こえないらしいが、鈴に似ているな」

 意味不明な事を言って、また目の前から消える。

 地面に落ちていた花びらが風に吹かれるだけの道を見つめて――

「……何? あの人」

 少し怖かった。



  * * *


 夜遅く、風の声を聞いた。

『鈴さん、窓を開けてください』

 意図せずとも、八十年前の夏を思い出してしまった。

 あの時、風はもっと強く窓を叩いていた。

 今はとても穏やかで、何か良い知らせでも持って来てくれたみたいだ。

 ――もし彼が居たら…。

 今、家族は皆眠ってる。私は家族に別れも言えないまま向こうに逝かなくてはいけない。

 それでも窓を開けた。

 一番に目についたのは、庭に植えてある小さな桜の木。

 月の光を受けて、まるで桜自体が光を発しているかのようだった。

 視線を上げれば空には月。風。そして…声がした。

「“人にはクロと呼ばせている”――。

 久し振り、だな。約束通り、迎えに来た」

 少し伸びた髪を揺らして微笑む彼がいた。

「シャルト……」

 この名前を呼ぶのはどれだけ振りだろう。

 話の中の単なる名前じゃなく、今目の前にいる彼の名前。

「すっかり背も伸びて…。私より高いじゃない」

「お前が縮んだって言うのもあるけどな」

 部屋の中に入って来たシャルトは、壁にかけてある絵を見つけた。

 しばらくそのままの位置で止まって絵を見ていた。

 私は弱った体を起こして、シャルトの隣まで移動した。

「ペインの描いた絵だな」

「うん。…懐かしい?」

 視線が絵から私に移る。

「この姿に戻ってみるか?」

「冥土の土産に若返り? 面白い事言うようになったのね」

 冗談だと思って笑った私の白い頭に左手を乗せて

「成長したのは外見だけじゃない。

 出来ない事なら言わないさ」

 シャルトは笑わずに言って、右手で絵に触れた。

 視界が大きく揺れて、頭がはっきりとした時には体中の皺が消えていた。視力は回復してるし、音もはっきり聞こえ、髪もすっかり黒くなっていた。

 ふっくらとした足が畳を――あれ?

 恐る恐る足を動かしてみると……浮いていた。

 何これ!?

 浮いている足の下には、老いた私の体。

戻れない。

「何畳に這いつくばってんだ?」

 え…だって…。

「魂を移した絵ごと外に引き出した。

 ……おれが来なくても、お前は今日が寿命だ。

 未練とか、この世に残る奴に言うこと、ないな?」

「……未練…?」

 そんな事突然言われても…。

 何も浮かばない頭でシャルトを見る。

 抜け殻になった私の体を布団に寝かせる彼は、八十年前の約束を果たしに来た。

 中も外も成長して。

 でも私はまた自分の我侭を重ねようとしていた。それじゃダメだ。

 窓辺に立ったシャルトが私に手を差し出す。

「行くぞ」

 自分の体とまっ白になったキャンバスに背を向けて、彼の手を取った。

 地面が遠くなる。


 しばらく空を上り、目印も何もない所で立ち止まった。

「モルト! 居るか?」

 シャルトの呼びかけに答えるように、前方の闇に動くものがいた。

「(ふぁぁ…)いるよ」

 雲の上からむくりと起き上がって、欠伸をしながらこっちまで歩いてきた。

「お。この子か」

 私を見てにんまり笑う。

「オレは――簡単に言えば“案内人”だ。

すぐそこまでの短い付き合いだけどよろしく」

 指差す先にはここと変わらず何もない。

 すぐそこなら案内人なんて――。

「あとは任せた」

「おう! 任せとけ」

 モルトに引き渡される私……。

 …て、ちょっと待って! 何さっさと話し終わらせようとしてんのよ!!

 立ち去ろうとするシャルトを引き止めた。

 やっぱり私、我侭だ。

「……ここで、本当のお別れ…?」

「そんな顔するな。

 おれはここから先には行けないし、こっちの世界にお前を連れて行くことも許されない。

 そういう決まりだ」

 一緒にいられると思っていたのに。こんなの、別れるのが辛くなっただけじゃない…。

「鈴?」

「――じゃあ、最後の最後に…お願い、聞いてくれる?」

 顔を下げず、背すじを伸ばして、目はしっかりと相手を見て――。

「私の孫、律に、風と話せる力を上げたいの。あの町にも、風と話せる人はもう殆どいない。どうせ消える能力(チカラ)なら、未来ある孫に譲れない…かな?」

「子供じゃなくて孫なのか」

「少しでも長く残したいから…。

 ね、私の魂を絵に移しかえれたシャルトなら出来るでしょ?」

 しばらく考えていたシャルトは頷いた。

「聞き入れよう」

 最後はやっぱりとびきりの笑顔で。

「ありがとう」




  * * *


 朝、部屋にいたのは永眠についた祖母。

 夜遅くに亡くなったらしい。

 本当に眠っているようにきれいな寝姿だった。


 葬式が終わって一息吐いた頃、来客があった。

「律、お友達よ」

「(?)はーい」

 誰か見当がつかないまま返事をした。

 母と一緒にいたのは、友達どころか名前も知らない人。

 見覚えは、ある。

 家の前で見かけたあの謎の青年だ。


――なんでいるの!?


「お前の祖母――鈴からちょっと、頼まれ事でな」


――おばあちゃんから…?


 一体何なんだろう――それより、この人と祖母がどういう関係?――と考えを巡らせていると、彼に手を取られた。

「ななななっ何!?」

「昔の鈴より反応激しいな…。

 すぐ終わるから静かにしてくれ」

 彼の冷たい手が私の手を包んだ。

 冷たい…はずなのに、不思議な温もりがあった。

「“移れ”」

 重なった二人の手が微かに光った。

 何かが体の中に入って来たような気がした。

「……何、したの?」

「鈴から預かってきた“風の声を聞く力”を律、お前に移した」

「……へ?」

「耳、澄ませてみろよ」

 訳も分からず、言われるままに耳を澄ます。

『聞こえる? 僕達の事、気付いてくれる?』


――聞こえた…。



「これって…あの…幻聴?」

 あ。呆れ顔された。

「今の奴等は自分で体験しても疑うのか。

 昔はこの町に住んでる奴ら全員がそうやって自然の声を聞く事が出来たんだ」

 それくらい知ってる。

 祖母から何度も聞かされた話だ。

 この青年も同じ事を言うのか。

 私は彼の次の言葉を待った。

「………」

 続く言葉が出てこない。

『…こらえてるよ』

 何を?

 彼の肩が小刻みに震えていた。口の端が歪んでる。…何笑ってんのよ。

「いや、悪い。おれ、お前が思ってるほど若くない――お前の祖母より遥かに年上なんだ」

 ……でもそんなに年をとっているようには見えない。

「――だろうな。

 おれ達はお前らの時間の単位に置き換えると十年に一度年をとる。

 今の姿が“青年”でも、実年齢は“仙人”並だ」

 彼の笑いながらの説明が終わっても、どこか納得が行かなかった。

「(何が引っ掛かっているんだろう?) …………!」

 どうして言葉を口に出していなくてもいないのに会話が成り立っているの?

「あれ? そこら辺もあいつに聞いてたと思ってたんだけど」

 ほらまた……え?

 黒髪に黒い服、人には使えない不思議な力を持つ、祖母より遥かに年上の青年――。

「もしかして…あなたがシャルト?」

「おう」

 もっと子供な姿を想像してたんだけど――。

 私は改めて彼を見た。


――カッコイイじゃん。


 祖母が恋をしたって言うのも分かる気がする。

「でも、やっぱり人の心の中が分かっちゃうのって、よくないよ。

 人は考えてる事が互いに分からないからこそおもしろいんじゃない」

「これでも大分制御出来るようになったんだぞ」

 二人の空気が和らいだ。

 私達は祖母の話で盛り上がっていた。


「――…って本当?」

「ああ。あん時の鈴は傍から見ていて面白かったな」

 思い出し笑いをしながら頷く彼は、私より、祖母よりも遥かに年上のはずなのに、その仕草が可愛く見えた。

「じゃ、預かってきたもん渡したし、そろそろ戻るな」

 帰っちゃう!?

 私は彼をもう少しここに留まらせようとした。

 それでも彼は自分の場所に帰ろうとする。

「まだ帰らないで。もっと話聞かせてよ」

 困った顔で私を見る。

「……“自分を大切にしているか?”」

 へ? 自分を大切に…?

 何だかよく分からないけど

「してるよ」

 そう答えなきゃいけないような気がした。

「“これからも?”」

「これからも」

「……ならいい」

 彼は安心したように笑ってそう言った。

 結局引き止められたのは一分程度。

 仕方無く、見送る事にした。

「また会える?」

 彼は無言で微笑んだまま、私の頭を軽くぽんぽんと二回叩いて消えた。


 残ったのはやっぱり“謎”。



 “風や木と話せる力”を貰った私はしばらく、人の居ない場所から聞こえてくる声に驚いたり、会話をしている所を変な目で見られたり…。

 もう慣れたけどね。

 自然の声を聞けるようになって、よく祖母の昔話を思い出すようになった。

 そういえば、よく言ってたな。「死んだ人は風になって生きている人を見守るんだ」って。


 祖母もどこかで風になっているのだろうか――。








     Heath 終

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Heath 燐裕嗣 @linyuushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ