第10話 朧月夜と祖母の話 過去2
三、過去(むかし) 夜桜
ルイちゃんが帰って来た時はいつも私の家に泊まる事になっている。
けど、自分より大きな人を運ぶのって大変…あ、そんなに大きい訳じゃなくて(私が小さい訳でもなくて)…背が高いの。私より少しだけ。
髪が短いせいで男の子によく間違えられるって、たまにぼやいてた。
あれ…話がずれてる?
とにかく、ルイちゃんを二階にある自分の部屋まで運ばなくちゃいけないのに、力がなくて困ってたの。
で、呼び出したのが風三百三十七号。
風の力でルイちゃんの体を浮かせて、部屋の中まで運んでもらった。
三十七号は
『また何かあったら呼んでよ!』
きらりと笑って吹けて行った。
ルイを寝かせて、窓ガラス越しに空を見る。
ジェラルドの髪みたいな、綺麗なオレンジ色が広がっている。
「なんだかなぁ……」
呟きは静かな部屋の中に消えた。
美苗を家まで送ることになったシャルトとは、この窓で待ち合わせ。
ぼんやりと窓の外を覗く。車の通り過ぎる音、子供のはしゃぐ声。鳥の鳴き声も、すぐ裏にある川の音も、遠くに聞こえる。
黒いものがオレンジ色の空を隠し、窓ガラスを叩いて私を現実に呼び戻した。
「早く開けろよ」
「ちゃんと美苗送って来てくれた?」
窓を開けながら聞く。
翼をたたんだシャルトは、窓のふちに腰を下ろした。視線が泳いでいるところを見ると、私が言った所とは別の場所に置いて来たらしい。
「シャルト……」
「…お、怒るなって」
慌てて弁解するシャルト。
別に怒ってはいないんだけどな……。
「ちゃんと美苗の家までは届けたぞ!」
「家のどこ?」
「庭」
……ああ、うん。何となく分かる。けど……
「頬つねりの刑~」
「あにふんらおー」
夕飯の時にお兄ちゃんから「部屋を使ってもいい」って言われた。昼間の大所帯を見て、彼等がまた家に泊まるのを予想していたんだろう。
でも、と、お母さんが心配する。
「あんたはどこで寝るの?」
「友達ん家に泊めてもらう事になってる」
「またそんな勝手にっ! 杉本君は?」
「もう行ってる」
「……」
お母さんはまだ何か言いたそうだったけど、それ以上何も言おうとしない兄を見て「やれやれ」と嘆息した。
ユキからの連絡があったのは、夕飯が終わってすぐだった。
『鈴さん。カシギさんが目を覚ましましたよ』
風が、わずかに開いている窓の向こうから報告してくれる。
「ふふっ。なんだかんだ言っても、やっぱり伝えてくれるんだよね」
『……』
「ありがと。シャルトを連れてすぐ行くって伝えて」
風が消える。
窓を閉めて振り向くと、すぐ後ろに立っていたのはシャルト。
「……もしかして、聞いてた?」
シャルトは黙って頷いた。
「じゃあ準備――」
「出来てる」
「よし、出発」
私達は家を抜け出した。
後を追けられているのも知らず、木槿の広場へ向かう。
* * *
ゆすらうめはそっと枝の間から彼の様子を窺っていた。
提灯・燈籠の明かりによって、闇の中から浮かび上がる桜の樹。
その枝の上から下を見ることはあっても、下から明かりの届かない枝の間を見ることはない。
ゆすらうめが動くと、風もなく枝が揺れる。
落ちた花弁が針を持つ右手の上に落ちた。
人形師の視線が針の先から右手の花弁、桜の枝へと移ってゆすらうめを見付けた。
「やぁ…こんばんは」
ふわりと笑って挨拶する。
その笑顔に、ゆすらうめは少しだけ――いや、大分警戒を緩めた。
『こんな所で人形作りですか』
「うん。これも仕事の内だからね」
ゆすらうめは枝から降りると、出来上がって箱に入れられている方の人形を見た。
どれも縫い目が粗く、髪も無い、のっぺらぼうだった。
そのうえ同じ物は一つとしてない。
『……不器用なんですか?』
ゆすらうめの問いかけに、人形師が首を横に振る。
「わざとだよ。これは壊されてもいいように作ってあるんだ。消耗品だからね」
『こんなにたくさん?』
「うん」
話しながらも作業を進める。
作られては箱の中に積み上げられる不格好な人形。
箱の隣に座っていたゆすらうめには、彼が人間のようには感じられなかった。
『……どうしてぼくが見えるんですか? 枝の上に居る時は姿を消していたはずなのに…。
風や木と話せる人はよく来ますけど、姿を消している時にぼくを見付けたのは、あなたが初めてですよ?』
「へぇ」
人形師が、きゅっと目を細める。
「それはきっと、ワタシが人間じゃないから…だろうね」
作り上げた人形を箱に。裁縫道具もまとめて片付ける。
「ワタシは人形師。
人形を操り、人を操り、渡り歩く者――」
人形師が微笑む。
桜堤を照らしていた月が薄雲に隠れた。
* * *
木槿の広場に着いた。
カシギは回復して、ナユタも彼の隣に大人しく座っている。
ユキが私達を見て走り寄る。「助けが来た!」という表情に見えなくもない。
見回すと、リーズもジェラルドもいない。遊びに行ったらしい。
「あの……」
遠慮がちに口を開く。
「カシギさん、どうして自分が倒れる事になったのか……全部分かってるそうなんです……」
「どういう…事?」
「なんだそれ? おれを襲ったのは、操られてたからじゃなかったのか!?」
シャルトが直接カシギに怒鳴り込む。
対してカシギはにまりと笑って言った。
「いやいや、あの時は確かに操られていましたよ。三割位だったけどね」
……つまり、動こうと思えばいつでも動けた、という訳ね。
「ナユタは?」
名前を呼ばれて顔を上げたナユタに、どうして手出しせずに見ていただけだったのか聞いた。
答えは不満な顔と声で返ってきた。
「私だって止めたかったわ。あんなの……カシギらしくない」
「手を出さないように言ったのは僕ですよ。
僕に糸をかけた人物が何をしたかったのか、確かめたかったので」
なんか言い訳っぽい。
「じゃあ、《本来の仕事》っていうのは…?」
「あぁ。建前ですよ」
建前っていうような目じゃなかったんだけど……。
「それで、何か分かったのか?」
シャルトはかなり気が立ってるみたい。「何も分からなかった」と答えれば噛み付いてきそうだ。
「そうですね――例の如く《ヒース》を狙っているという事と、この人形の持ち主であるという事だけ、ね」
いつの間に取ったのか、カシギの手には人形が乗っていた。
植物と一緒にシャルト達に攻撃を仕掛けてきた人形だった。
「ぅわぁ!」
いつの間に帰って来たのか、人形を見てジェラルドが悲鳴をあげる。すぐ後ろにはリーズもいる。
余程嫌なのか、木槿の後ろに隠れてしまった。
「………」
カシギは、手にしている人形をジェラルドに向けて突き出すように差し出した。
避けるように慌てて隠れようとするジェラルドは、泣きそうな顔をしている。
人形を怖がっているのを分かっていながら突き付けているカシギの方は楽しそうだ。
……止めさせた方がいいよね。
「カシギ、からかい過ぎはダメだよ。
ジェラルドも。この人形もう動かないから……て、聞いてよ」
どう言ってもやっぱり警戒されてる。視線は人形から外さず、ユキとリーズの後ろに回って腰を下ろした。
カシギもつまらなそうにナユタの隣に戻る。
リーズから質問が出た。
「悪魔達から狙われている《ヒース》って何なの?
一度、暴れてるのは見たけど、なんであんなの欲しがる訳?」
「え…」
ここは当人達に答えて貰う事にする。
「じゃあ、説明を分かりやすくお願いします」
「《ヒース》というのは、強大な力の名前です」
そう切り出したのはカシギ。
「これまでにも《ヒース》という力を宿した者はそれなりに居ましたが、力が目覚めたのは、クロ君を合わせてたったの三人。前の二人は魔力の強さに身体が耐え切れず、その場で消滅したそうですよ。
たったの三人……ですが、クロ君は異例だよ。消えずに今も生き続けているどころか、ヒースがクロ君に協力して助けている……」
カシギがシャルトを見る。
「変…なのか?」
「本人は自覚が無いようですがね」
首を傾げて聞くシャルトを鼻で笑ったカシギ。
わざわざ反感をかって楽しんでいる。
「ていうか、前半、明らかに丸暗記だろ!」
「そもそも常識ですね。
ああ。《ヒース》は魔王を凌ぐ程の力があり、それを恐れて魔王は《ヒース》を回収しようとしている――という事を言い忘れていましたね」
「あ! それ言うつもりだったのに!」
「残念。早い者勝ちですね」
悔しがるシャルトを見て、ふふっと笑う。
「で、言うつもりだった情報を先に言われたシャルトは? 《ヒース》について」
「嫌味か」
……そんなに睨まなくったっていいじゃない。
「……目覚め方によって暴れたり、大人しかったりするのは既に知ってるだろ? 暴れる原因の半分近くは起こされ方が悪かったから。
他には宿り主の気持ちに同調してって事もあるらしい」
「あの……」
ユキが遠慮がちに手を挙げる。
「天使にも憑くという話を聞いたことがあります。
でも、消されたなんて話は聞いてないので、こちらでは目覚めていないみたいですね」
天使にも憑くんだ……。初耳。
「……人間にも、憑くのかな…?」
ざっと音を揃えて視線が私に集まった。
予想外の出来事に、座っているにも関わらず、思わず後ずさってしまう。
「な…何?」
「いや……」
シャルトは目を逸らし、カシギは「そういう可能性もあるでしょうね」と微笑んだ。
私、変な事言ったかな…?
「ナユタ……カシギって、強いの?」
「強いわよ。
本当ならあんな奴の言いなりになんてならずに済んだのに…」
操られていた本人よりも悔しそうな顔をして、服の裾を強く握る。
「ええ、もちろん。いつでも抜け出せる状態でしたよ」
にこやかに答えるカシギ。
だったら、どうして操られてたんだろう…?
「どうせ戦いを楽しんでたんでしょ」
ぽそっと聞こえた呟きに、ナユタが何の前触れもなく黒魔法を放った。が、力は効果を発揮する前に消された。
ナユタがジェラルド達を庇うようにして翼を広げたユキを睨む。
「邪魔しないでよ!」
「邪魔しますよ!!」
ユキも負けじと睨み返す。
「ちょっと! ケンカしてる場合じゃないって」
私がユキを抑えて、カシギがナユタをなだめる。
「ナユタ、ケンカはこの話が終わってからだよ。
少し待てばいくらでも暴れさせてあげるから」
「……。(止めるんじゃないんだ)」
「……(ジェラルドがあんな事言うから)」
「……に、睨むなって…」
柔らかい風が通り過ぎて、木槿が枝を揺らす。誰かから伝言が来たらしい。
この町では、たまに風や木が通信手段として用いられる。
『ゆすらうめから伝言だよ。
今夜、町が眠った頃に桜堤に来るようにだって。ザワザワ』
町が眠った頃――?
腕時計を見る。現在二十時前。
シャルトが私の左手を握って立ち上がる。それでも身長差があるから見上げる形で聞くことになる。
「帰るのか?」
「……うん。いったん家に戻るよ」
カシギが立ち上がり、シャルトと反対の手をとる。ジェラルドを睨んでいたナユタの視線が即座に私の方に向けられた。
……怖い。
カシギが爽やかな――だけど裏もありそうな――笑顔で言う。
「家まで、送りますよ」
「お兄ちゃんが行くなら私も!!」
ナユタが駆けて来て、私とカシギの間に割り込む。
ユキ達も後に続く。
「私も行って良いでしょうか」
「ジェラルドも来る?」
「……悪魔と一緒に、か?」
「文句あるなら来るな。そもそも、家までならおれ一人で十分だ! 何ぞろぞろとついてこようとしてんだよ!!
そんなにおれが信用出来ないか!?」
私以外の全員が顔を見合わせてから頷いた。
「信用出来ないっていうか」
「頼りなさそうというか…」
「ちっこいからね」
「おい、外見は関係無ぇだろ」
言いたい放題言われて、シャルトかなりご立腹……。
頷いた中でも他と反応が違ったのはカシギ。真正面から言う。
「君が僕を信用していないように、僕も君を信用出来ない。
人形師に狙われているのは君だよ? 二人きりになって巻き込まれた鈴さんに危害が及ぶとも限らない。
今はまだ人形を使ってるみたいだけど、もし鈴さんが操られた場合、どうするんだい?
君は鈴さんを守りきれるのかな?」
自分の対象者を傷付けるのは許されない――彼が言いたいのはこの事だろう。シャルトの仕事に関する決まりのひとつ。秋に出会ったペインにも言われてた――。
カシギなりに心配してくれてたんだと思う。でも、シャルトを見るカシギの目は冷たい。
シャルトは地面にしっかりと足をつけて、はっきりと言い返した。
「守る! 相手が人形師だろうが何だろうが関係無ぇ。
守ってやるよ! おれ一人で!!」
言い切った。
カシギの口の端が上がった。
笑っている。
「言ったね? 『おれ一人で』守ると、確かに言いましたね」
ナユタの手をとり、広場の中央まで戻る。
シャルトはカシギを睨んでいる。相手には全く効いてないみたいだけど……。
「では、今回僕たちは手を出しません。せいぜい頑張ってください」
シャルトは何も言わない。
自分で選んだ、その結果だ。
「……」
カシギが困ったように肩を落とし、右手を出す。ビー玉サイズの黒い玉が羽ばたいて、私の肩に止まった。
「見張りは付けさせてもらいますよ」
「……行くぞ」
シャルトはカシギを一瞥して、森の出口へ向かった。
「待って……て」
追いかけようとした足が止まる。
「連れていけ」とでもいうように、目の前で飛んでいるのは三つの白い玉。
(――ユキ達も残るのね)
私は三つともポケットに押し込んで、シャルトを追い掛けた。
* * *
「……本当にいいの?」
「何がだい?」
「いくつか……嘘ついてたでしょ」
カシギの表情が一瞬固まるが、すぐに笑顔に戻る。
「さすが僕の妹。見抜かれてたか」
「何年一緒に居ると思ってるの。お兄ちゃんの考えてる事くらい分かるわよ。
手出しはしないっていってたけど、見に行くつもりでしょ」
カシギはナユタの髪を軽く撫でた。
「まぁ……今回はクロ君の苦しむ姿でも見ようかと思ってね」
「うっわー。悪魔だ」
カシギの言葉に、またジェラルドが茶々を入れる。
「……本当の事だし、こんな騙して楽しめる相手もいない所で嘘をついても仕方ないでしょう」
シャルト達の消えた方向を見やって、カシギはあっさりと答えた。
「開き直ったな」
「《素直》なだけだよ。
……どうしたんだい?」
カシギの声にも振り返らず、ナユタは足音を消して茂みに近付いた。
* * *
《ヒース》……悪魔……天使……???
(いや、確かジェラルド君は自分で天使を名乗ってた。天使がいるなら悪魔がいても……おかしくない……?
何で鈴、あんな訳分からない会話についていけんのよ………頭抱えてる。ついていけてないんだ。
あ、何か言い合ってる)
彼女は茂みの中から広場での会話を聞いていた。
話によると、彼らの中で人間は鈴だけのようだが……。
しばらくして、クロと鈴が森から出て行った。
(……あ。行っちゃった。
私も戻らなきゃ。居なくなってることがバレたら――)
途端に、隠れていた茂みが開いた。
ナユタと呼ばれていた女の子が自分を見ている。
(見つかっちゃった……)
「聞いていたわね。……鈴の仲間?」
ナユタの後ろからジェラルドも顔を出す。
「ルイだ。何でこんな所に……何その悪戯現場を目撃された子供みたいな顔……」
「きっ…聞こうと思ってここに居たんじゃ……いや、話が気になって聞いていたのは認めるけど、その…だから………ごめんなさい」
言い訳さえ上手くまとまらず、結局たいしたことも言えないまま諦めて謝った。
早く帰らなくてはと焦るばかりで、事態は何も好転しない。
ルイを見ていたナユタの目が、突然攻撃的になった。
何の根拠もない。本能で感じ取った危険。
足が土を蹴り、駆ける。
ルイは逃げ出した。
* * *
家までもうすぐという所まで来て、悲鳴が聞こえた。
聞き覚えのある声だと思って振り向くと、私達が歩いて来た道を追われながら走ってくる人影を見つけた。
「鈴! 助けてぇっ!!」
ルイが半泣きで助けを求める。すぐ後ろを追っているのはナユタだ。
ルイも風と話せるから風に助けを求める事も出来たはずなのに……効かなかったのかな。単に思い付かなかっただけとか……?
「シャルト、ナユタを止められる?」
「……やってみる」
シャルトの周りに別世界の空気が渦巻く。
「影よ止まれ――」
辺りが淡く光だし、動きを止める。
今動いているのは私たち四人だけ。
必死に逃げているルイと、彼女以外には目もくれず追い続けるナユタは、周囲の異変に気付きもしない。
「カシギなら気付くんだろうけどな。
地に縫い付けろ。黒の
黒い光に囲まれ、ナユタが止まった。正しくは「動けなくなった」んだけど――とにかく、おかげでルイは無事私の所まで逃げ切れた。
シャルトが、術に抵抗しようとしているナユタに近付き、ぼやく。
「ほんとはこれ、使いたくないんだけどな……浄化せよ。白の
白く柔らかい光がナユタを包む。
周囲の光もナユタを包んでいた光も消えて、町に静けさが戻ってきた。
その後倒れた二人――ナユタと慣れない能力を使って力尽きたシャルト――を運ぶのは少し大変だった。
家族に黙って夜に外出して、倒れた人を二人も――誰にも気付かれないように、二階にある兄の部屋に運び込み、全てが終わって自分の部屋の戸を閉めた途端に全身から力が抜けた。
私は戸にもたれたまま、同じような恰好で壁に寄り掛かっているルイちゃんを見た。見られた。
シャルト達のこと、兄と美苗にはもうとっくに話してある。
そろそろルイちゃんにも打ち明けようかと考えていた。言う前に見られちゃったけど。信じてくれる…?
「鈴……」
「あっあのねっ、こんな言い方も何だけど、見てもらった通り、あの二人普通じゃないの……自分で《悪魔》を名乗ってる。
これはまだ…ショウ兄以外の家族には言ってないの。今知ってるのはショウ兄と美苗……それと、ルイちゃんだけ…なん、だけど……」
相手の話を切る形で話を切り出してしまった。しかも一息に喋っちゃったし……。
ルイちゃんはじっと私を見続けている。
気まずい……。
たった数分のことなのに、とても長く感じた。二人共黙りこくったまま時計の針だけが進み、短く二十一時を告げた。
「風呂…行ってくるね」
そう言ってルイちゃんは部屋から出ていった。
一人残された私は、部屋の端にうずくまって、時間が過ぎていくのを待っていた。
(どうしよう……すごく気まずいよぅ……)
変に思われただろうか? おもわれてる…よね。
ルイちゃんは何を言おうとしていたんだろう。あんな一息に言わず、話を聞いておけば良かった。
――そういえば、どうしてルイちゃんが外にいたの?
* * *
時計が二十一時を告げた。
私は壁に寄り掛かっていた体を起こして、戸に手をかけた。
鈴が慌てて黙ったまま退く。
「風呂…行ってくるね」
一言残して私は部屋から出た。
誰にだってあると分かっていても、隠し事をされるのはやっぱり嫌だ。
でも鈴を嫌いにはなれない。
木槿の広場でも考えていた。「天使がいるなら悪魔がいても――」……でも、どこかで分かっていたのかも知れないのに、心がモヤモヤする。泣きそう。
「話してくれたって……いいじゃない…」
私だって……普通じゃない体験位したわ。
心境によって天候に影響を与えてしまう少年を家に置いていた事もあった。似たようなもんじゃない。
大体、この町自体普通じゃないよ!? 町民が風や木と話せるなんて。
普通じゃないものだらけ。
でも嫌いにはなれない。
体の冷たさが温かいお湯に溶けていく。お湯から立ち上る湯気をぼんやりと見つめていた。
やっぱり許しちゃうのかな……?
「鈴、風呂出……」
止まる。
鈴は部屋の隅で、なぜかうずくまったまま眠っていた。私が部屋を出る前はあんなに気まずそうにしていたのに……。
「風邪ひくよ」
「ん……」
起きない。
ため息をついて鈴を布団まで運ぶ。
あの子もこうやって運んだっけと、ある少年を思い出す。
「(今はどこで何してるんだろう)……おやすみ」
* * *
時間が経つにつれて、町から明かりが消えていく。
町が眠りに就く。
桜の木の下に、人がいる。
ようやく仕事に一区切り着いたのか、裁縫道具を片付けた。
「さて」
傍らから取り出したのは徳利と猪口。
誰もいない桜堤で、彼は夜桜を楽しんでいた。
* * *
四、過去(むかし)朧
真っ暗だ。
部屋の隅でうずくまっていたはずなのに、いつの間にか布団の中にいて、隣にはルイちゃんが寝ている。
時計を見るととっくに深夜。
私は静かに部屋を抜け出した。
「……やっと起きたか」
部屋の外、戸のすぐ隣にシャルトがいた。私が起きるまで待っていてくれたみたい。
「行くぞ」
歩き出すシャルトの後をついていく。
蒼い夜空に淡い黄色の月。
燈籠と提灯が照らすのは、無人の堤。千本桜。
静かな桜の名所で一人、酒を飲んでいる人がいた。
近付く足音に気付いて顔を上げる。
「……あんたが《人形師》…?」
「オネットです。はじめまして」
一定の距離を保ってそれ以上近付こうとしないシャルトと、猪口を手にしたままふんわりと笑って桜の下に座っているオネット。
髪や目の色は薄いけど着物を着てるし、着流しに徳利と猪口。足元は安っぽい下駄。
カタカナの名前より漢字の方が似合いそうだ。
シャルトは率直に本題に入った。
「目的は何だ」
「《ヒース》を取り戻す――それが今の仕事です」
オネットも素直に答えた。
「カシギを使えば奪えるとでも思ったか」
「いや、あれは単なる遊びだよ。ワタシの存在を知らしめる為の」
二人共率直だけど、オネットの方が少し捻れてるみたい。
オネットが徳利を逆さにして覗き込む。飲み干してしまったらしい。
「そういえば、昼に天使が降りて来ていたね。叩き落としたけど……ま、どこかの木にでも引っ掛かって助かったかな」
逆さにしているうちに溜まってきた雫を嘗める。つまらなそうに徳利を芝生の上に置いて立ち上がった。
「やれやれ。《ヒースを取り戻せ》と命令が下ってからどれだけ経ってる?
双子は別の世界へ飛ばされて、イザラは取り戻すよりも戦いを楽しむ為に近付いて消されたし、ペインは人間の女なんかに懐柔されるし……。
嘆かわしいことこの上なし、だよ」
「《取り戻す》? 《奪い取る》の間違いだろ」
オネットが人差し指を動かす。人形が一体、箱から飛び出て踊る。
「双子は帰ってきたにも関わらず、仕事をしない。《ヒース》を奪うどころか君ごと守っていた。
……こんな小僧などと馴れ合って。
僕だけあの人に怒られたんじゃ、割に合わないからね。腹いせにちょっと弄らせてもらった」
人形は相変わらず踊っている。
肌寒い風が通り過ぎる。
開ききった花から花弁が落ち、風に乗って流れる。
朧月と桜と風――僅かに雨。
人形が踊りを止めた。途端に今まで箱の中に収まっていた他の人形たちが出てくる。
「早速ですが、“ヒース”を渡してくれませんか?」
「出来ないな。と言うより、ヒースはもういない…」
オネットから僅かに視線を逸らした彼の表情が辛そうに見えたのは私の思い過ごしだろうか。
――でも、 居ないってどういう事?
私の表情から心を読み取ったのか、シャルトは冬に起きた、私の知らない出来事を話してくれた。
“ヒース”という力はシャルトのずっと奥に吸収されてしまった。
…要約するとこんな感じかな。
「でも、見えなくなっただけで、いない訳じゃないでしょ」
そう言うと、光のくすんだ目をこっちに向け、すぐに戻す。
「もう、声も聞こえない。
秋に、ヒースの一部をカルルに移しただろ。あれも出来なくなった」
右手にはカルル。左手は私の服を掴んだまま、呟くようにぽつりぽつりと声を発する。
シャルトを中心に風が生まれる。
「……に沈んだ……の光を消して……
風の六 “――」
渦巻いていた風が塊になってオネットにぶつけられていく。
オネットはその場から一歩も動かず、周りに居る人形が身代わりになって攻撃を受けていた。
「火の四“フランユイレ”」
風が収まらない内に次の呪文を唱えると、オネットをかばっていた人形が燃えた。
その後もシャルトは術を使い続けた。
月と提灯、炎に照らされて、闇の中にはっきり見える桜の樹。
桜堤――今ここに居るのは三人だけ。
眠った町の時間を止めて、動けるのは私達だけ――だと思っていたのに……。
「鈴! しゃがめっ!!」
服の裾を思いっきり引っ張られ、ぼんやり立っていた私はバランスを崩した。頭上すれすれを人形が飛んでいった。所々に、細く、銀色に光る物があった。
「……針?」
木の幹に針が刺さったのか、私の頭上を通過していった人形は半端な位置で宙に浮いたままもがいている。
バランスを崩してでも避けないと危なかったみたい。
思考はやたらと冷静だった。
体が震えている。
震えていたのは私じゃなくて私の服の裾を掴んでいるシャルト。
本人は必死に隠しているつもりなんだろうけど、苦しんでいるのは私にもはっきりと分かった。
「シャルト……っ」
「だいじょうぶ……気にするな。
強力な連続魔法に…体がついて来れてない…だけだから」
大丈夫じゃないじゃん!!
苦しそうに上下する肩。呼吸もまだ落ち着かない。
シャルトはオネットを見た。
オネットに向けて放った攻撃は全て彼を守る人形達が受け、オネット自信は無傷のままだった。
「…まだ、足りないか」
「まあ、人形は幾分壊されましたけどね」
頭を掻きながらつまらなそうにいう。
「――どうして“ヒース”を解放しない?
声が聞こえなくても“力”が使えるなら問題ないじゃないか。そうすれば苦しまなくて済むのに――命を削ってまで守りたいものって何?
そんな弱い力で何が守れる?」
「……」
シャルトがオネットを指差す。目は彼を見据えている。
「…お前には……無いのか? 守りたいと思う、もの…」
シャルトの問いに、彼はあっさり
「無いねぇ」
と答えた。
力の抜けた腕が地面につく。
「そうか…」
声は泣きそうだ。
「無い…のか」
顔は力無く笑っていた。
何かを諦めたようにも見えた。
刹那、
「 “――”!!」
オネットに向けて、何か強大な“力”が放たれた。
「無駄だよ」
飛び出してきた人形がいくつも折り重なって、オネットを守る盾となる。
「数が減ったとはいえ、人形はまだまだある。
いくら足掻いたところで、君が力尽きる方が早いよ」
盾になった人形の大部分が焼け落ちた。これでまた数を減らせた。でも、シャルトの方がかなり危ない状態。
「シャルト…無茶しないで」
きっとオネットはシャルトの命ごと“ヒース”を持っていくつもりだ。
このままシャルトが強力な魔法を使い続ければ、彼の命は確実に危なくなるし、“ヒース”も奪(と)られやすくなる。
そんなこと、させない。
私は服を握っているシャルトの手を外した。
不思議そうに見上げる目を真っ直ぐ受け止める。
「ちょっと休んでて」
シャルトが目を見開く。…気付かれた。
「……風を使ってあいつに対抗するつもりか。それこそダメだ。鈴は黙って見てろ」
聞かない。
シャルトが苦しんでいるのに私は見ているだけだなんて嫌だ。
「黙って見ているだけなら、一緒に家から出て来た意味無いよ」
私は風を呼んだ。
風は昼間と同じ軽い口調で応えると、オネットを見る。
『人じゃないね……あいつ、敵?
こっちで蹲ってるのはキミの友達だったよね』
シャルトの事だろう。まだ止めようとしているのか、折角外した私の服を握り締めたままだ。
あえて視線を戻す。
オネットの足元。
「あそこの――人形の入ってる箱、どうにかならない?」
『どうにかしてみる?』
風がキラリと笑った。
途端に木々の枝を鳴らして、突風が吹いた。
箱の周りに渦を作り、箱と中身を巻き上げる。
風は巻き上げた物を川の上空に運んだ。
持ち上げていた渦が消えて、人形も、裁縫道具も水の中。
「……クッ」
自分の荷物が川に落とされるのを見ていたオネットが、口を三日月形に歪めて笑う。
「クックックッ…あっははははははははは……水に沈めただけでダメになるとでも思ってた?
はっ…これだから人間って言うのは」
目が合った。
次の瞬間にはオネットが目の前に居た。
「浅はかだよ」
一瞬にして間合いを詰められ、声が出なかった。
オネットの手が触れた。軽い力で押された感じだったのに、バランスを取る事も出来ないまま仰向けに倒れる。
私の服をずっと掴んでいたシャルトも引きずられる形でこけた。
「鈴ッ!」
誰かが傍まで走り寄る。
私は起き上がって彼女を見上げた。
――なんで!?
「どうしてルイちゃんがここに居るの!?」
「それよりも鈴! 大丈夫!? 怪我はない?」
それよりも、って……。
私もシャルトも、他の人を巻き込みたくなかったのに。
無意識の内にルイちゃんの腕を掴んでいた。
「!」
ルイちゃんが痛みに顔を顰めた。
でも手が離れない。意識に反して勝手に動いていく。
怖い。
関係無い人を巻き込みたくないのに…っ!!
「シャルトっ!」
助けて。
ルイちゃんを傷付けたくない。
ゆっくりと起き上がったシャルトの呼吸は落ち着いていた。
顔を上げる。その目は静かだった。
何も心配する事はない? 違う。あれは何かを捨てた目だ。
捨てたって…
――…ナニヲ?
いくつかの考えが頭の中に浮かんだけど、信じたくない一心で全て否定した。
不吉な事なんて信じたくない。
でも現実は信じる信じないに関わらず、事実を告げる。
シャルトが魔法を放った。私に向けて。
* * *
――自分の対象者を傷付けてはいけない。
頭の中に、ペインの言葉が甦る。
――もしも傷付けてしまった場合、どうなるか…分かる?
(知りたくもねぇ)
以前と同じ答えを繰り返す。
あの時、人質に取られていた鈴を助けようとした。
腕に自信はなかった。
傷つけてしまうかもしれないという不安があった。
他に方法もなかった。
今、目の前で鈴がルイを捕えている。
心の中に二人の気持ちが流れ込む。
――傷付けたくない。
「シャルトっ!」
――助けて。
すぐ目の前には生き生きとした花。
大きく息を吸って……吐いて……呼吸を整える。
花が散った。
生気を吸い取ってしまったらしい。おかげで少し回復できたが……。つやのあった若い芝も、すっかりカサカサになっていた。
傷付けたくないのに。
(ヒース……)
いつまでも頼っていられない。
ゆっくりと起き上がる。
大丈夫。鈴はただ糸をかけられているだけだ。
《心を消して――》
響く。これは記憶の声じゃない。
《不安も疑問も何もかも捨てて――》
別にそうしようと思った訳じゃない。
頭の中が空白になる。
《ごめんね――》
何が起こっているのか分からないまま意識が遠のく。
自分じゃない何かが体を動かし、顔を上げる。
鈴が見えた。
――傷付けたくない。
「もう既に傷付いていたとしても…か?」
自分の声が遠く聞こえる。
鈴は……何か信じられないような表情をしていた。
《耐えてね――》
また声がした。
何かを呟いた気がした。
次に気がついた時、おれが目にしたのは炎に囲まれた鈴たちだった。
* * *
シャルトが放った魔法は、私達を囲むように火の手を上げた。
熱い…。
手から力が抜ける。
少しずつ体に重みが戻ってくる。
手がルイちゃんの腕から離れる。
息が苦しくなるほどの熱さに、私はその場にへたり込んだ。
「鈴!?」
ルイちゃんが心配顔で、うなだれた私の顔を覗き込む。
――なん…で?
「ルイちゃんの方が痛かったはずなのに…どうしてそうやって私を気にかけるの…?
私…傷付けたのに……」
声が震える。
同じ場所に居て、怖い思いもして、ルイちゃんも熱いはずなのに。
零れた涙は乾いた土に吸い込まれていった。
「私ね、もう隠し事のないように、互いに話し合おうと思ったの」
彼女の声は優しかった。
風が出てきた。
炎が揺れる。
手に冷たいものが当たって、顔を上げた。
相変らずぼんやりとした月が見えた。
「…雨?」
二人を囲む炎が小さくなっていく。
「“対象者を傷付けてはいけない”という決まりがあったと思うんだけど?」
傍観していたオネットが、手にしている人形を撫でながら、確認するように言う。
「おれは傷付けたつもりはないし、傷付いてもいない。第一、あれはおれのした事じゃない」
「……ここまで来て責任逃れか」
オネットの腕から人形が飛び出した。何処から出したのか、大きなハリセンを持って。
「ちがう」
シャルトを叩こうとした人形は、ハリセンを振る前にシャルトの手に触れて消えた。
残ったのは足元に落ちたハリセンと、淡く輝く光の玉。
槿の広場でしたように、拾い上げた光の玉を飲み込むシャルト。
黒に近かった目の色が、明るい緑に変わる。
力の使いすぎで苦しんでいたのが嘘のように回復している。
でも、シャルトの表情には嬉しさと辛さが入り交じっているみたいだった。
「あれはヒースだ。……戻ってきたんだ」
まるで言いたくなかったかのような、でも嘘をつけない子供。
シャルトの言葉を聞いて、オネットは嬉しそうな顔をした。
「じゃあ、この戦いもさっさと終わらせなくては。
あの人へのお土産が増えるよ」
残り少ない人形が全て起き上がった。
シャルトが半足引いて構える。
「そう簡単に持っていかれるつもりはない」
ふわり
シャルトは風を呼び、いつかやったみたいに風力を強くしていく。
桜の花が巻き込まれ、散り始めた。
『ほら、争いがおこって花が散り始めた』
ゆすらうめのぼやきが聞こえた気がした。
部分的に強風が吹き荒れている。
『あの人形、なんです? 糸もないのに動くだなんて』
『あんた、鈴達とずっと一緒に居たんじゃなかったのか』
川から這い上がり、跳んできた人形が見えない壁に弾かれ、水を含んだ重い音を立てて、風に巻き込まれた針と一緒に落とされた。
風の弱い部分を縫うように、オネットが攻撃を仕掛けてくる。
シャルトの方はとことん守りの体勢だ。
「守るばかりじゃ駄目だよ」
オネットが長い針を数本構える。
針が飛ばされたのはシャルトではなく、足元の地面。深く突き刺さったそれは淡く光って地面に吸い込まれていった。
「地中なら風の影響は無いよね」
オネットの言葉とほぼ同時。地中を抜けてきた長針がシャルトを刺した。
「っ!!」
急激に風力が弱まった。
シャルトが腕を抱え込む。
目が潤んでいる。
「……ってぇ…。せっかく回復したのに…こんなでっかい針刺しやがって…。
消えろ――“ラステイネイル”」
呟くと、体に刺さっていた針が消えた。
「“ラステイネイル”か……あの双子を消した魔法だね。
…こんな子供が大層な術を」
こんな時でさえオネットは楽しそうに笑っていた。
指示を出された人形が、シャルトの周りを跳び回る。
たまに光を反射する細いものは糸。
「あの針もどこか別の世界へ飛ばされたのか」
「……」
シャルトは動かなかった。
唇さえ動かしていない。
突然、シャルトを中心に火の粉が散った。
火は彼の動きを封じていた糸を伝って人形へ移る。
光熱に包まれ、炭になっていく人形。
束縛からあっさり逃れ、人形を最後の一体まで焼ききったシャルトは、空中から何かを引き出すような仕草を見せた。
「…これで終わりだ」
途端にオネットが蹲る。
「あの術はたまに失敗する事がある。
どこにも行けず、すぐ近くに戻されてしまう場合もある」
冷めた目でオネットを見下ろし、手をかざす。
「お前なんかにヒースは渡さない」
その後オネットがどうなったのか、私は知らない。
突如広がったシャルトの翼に二人の姿を隠され、見えたのは翼から漏れた光…それから、オネットの――叫び。
翼が消えた時、そこにいたのは深い緑色の目をしたシャルトだけだった。
ずっと一緒に見守っていたルイと繋いでいた手を放し、ゆっくりシャルトに近付く。
シャルトが顔を上げて私を見た。
目から透明な粒がこぼれた。
「鈴……」
抱き付かれ、震える声で名前を呼ばれた。
「シャルト…?」
私の腕の中で静かに泣いているのは小さな悪魔。
泣き顔を見られるのは嫌だと、俯いたまま顔を上げてくれない。
「…違う……こんなはずじゃなかったんだ……誰も、消したくなんかなかったのに…っ。“ヒース”は周りの奴らを消す為だけの力じゃないのに…! なんでっ……消えていくんだ、皆…。
鈴……おれ、どうしたらいい…? このままじゃ…いつかお前まで失ってしまいそうで、怖いんだ。
ずっと一緒に居たいのに、一緒に居られる自信が無い。
……自分で自分が信じられないんだ…」
そうやって、泣きながらシャルトが自身を責めている間、結局何も出来ない私はただ見ている他なかった。
声をかけようにも、気の利いた言葉なんて端から思いつかない。
泣き続けるシャルトを見守る私の隣に、いつの間にかルイちゃんが居た。
頭を軽く撫でながら、「クロ君は優しいんだね」と言った。
シャルトは私の服から手を放して涙を拭うと、私達を見上げた。
「…やさし、い?」
「そう」
微笑んで頷いてみせると、少し安心したのか、握り締めていた手が緩んだ。
「クロ君は今のままでいいんだよ。
自分で自分が信じられなくなっても、私達が信じてるよ。
…誰も責めたりしないからさ」
「それに、シャルト自信もだけど、“ヒース”も責めちゃダメだよ。
“ヒース”もヒースなりに、シャルトを守ろうとがんばってたんだから」
「……うん」
風の余韻も収まって、柔らかい夜空が広がる。
枝についている花の数は大分少なくなっていた。
「あ~あ。勿体無いですね。きれいだったのに」
「形あるものはいつかは消えるものなんです」
「良い事言うねぇ~」
「ちょっと! 何仲良くしてんのよ!」
「あ。ルイ達こっち向いたよ」
「いい雰囲気だったのに壊しちゃったな」
「元々そのつもりで来たんですけどね」
いつの間にか堤防の上にカシギ達がいた。
「なんで……いつからそこに…?」
私の問いに答えたのはルイ。
「えっと、私と一緒に来たの。ここに来るまでに会って…」
続けてカシギ。
「いやぁ、久し振りに見る事が出来たよ。ヒースの力とクロ君の苦しむ姿」
にっこりと笑顔でそう言った。
傍観していたらしい。それなりに初めの方から。
既にシャルトはカシギ達の所まですっ飛んでいって暴れている。見たところ、全て避けられてるみたいだけど…。
もう、大丈夫かな。
シャルトはいつもあんな怖さと戦っていたんだね。
力は使いよう。下手したら大切なものまで失ってしまうかもしれない恐怖。
失う前に捨てようとした力。
捨てる前に消えた不安。
シャルトが戻ってきた。桜の樹の下、私の隣に座る。
またふて腐れた顔してる。
「…逃げられた」
見ると、もうカシギ達はいなかった。
素早い……。
きっとシャルトに一発入れられる前に、自分達の場所へ戻ったのだろう。
「帰っていいよ」
シャルトが私を見る。
私はもう一度、続けて言った。
「帰っていいよ。私はもう大丈夫だから」
「おれがいたら周りに危害が及ぶからか」
「違う。厄介払いなんかじゃない!」
もう誤解されたくない。
シャルトは声を荒げた私を見つめている。
「厄介払いなんかじゃないよ……」
力無く繰り返す。
…本当はずっと傍に居て欲しい位だよ。
見つめていただけのシャルトが、そっと手を伸ばして私の髪に触れる。
「おれ、一人前になんかならなくったっていいや」
「…シャルト?」
ふわり…
訳も分からない内に腕の中。不思議な温かさに包まれる。
……子どもだなぁ。
空が白んでくる。
風が優しく吹き抜けていく。
町が目を覚まして動き出す。
「また……会おうね」
「ああ…」
私達は笑ってた。
今度会ったその時には、ずっと一緒に居られると信じて――。
三年前の夏と同じ、小さな悪魔は静かに姿を消した。
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