第9話 朧月夜と祖母の話 過去


一、過去(むかし) 花見


 春爛漫。始まりは木槿の広場。

 その日も私達は、何の打ち合わせもなく広場に集まっていた。

 ひなたぼっこをしていた美苗が、いつもの口調で気持ち良さそうに呟いた。

「春ぅ。桜の季節だねぇ~」

「やっぱ花見でしょ」

「花見……」

 ――という訳で、桜の名所として知られる川の堤に来た私達。

「わーい」

 美苗は早速屋台に向かって走って行った。花より団子だ。

 残された私達は、桜のトンネルの下を、美苗を見失わない程度にゆっくりと歩いて行く。


 私、岩瀬鈴(イワセスズ)。

 山に囲まれた、周りの空気も人も穏やかな町に住む普通の(――と言いたい)十五歳の女の子。

 どうしてまともに「普通の」と書けないか?

 《外》の人達から見たら普通じゃないから。

 ひとつめ――私達の住んでいる所ではほとんどの人が風や木と話せる事。言葉通り、「風の噂」を聞くことが出来るって訳。でも《外》では風と話さないように言われてる。怪しまれるからって。

 ふたつめ――私の家には(自称)《悪魔》が居候していること。

 それが今、私の隣で一緒に歩いている(たまに弟と間違えられる)この子。通称・クロ。

 今のところ彼の本名を知っているのは私だけ。

 三年前の夏、去年の秋、冬と付き合いは長い。おかげで巻き込まれた非日常的な事件も多い。

 見た目は十歳、実年齢(人間の単位で)百歳。私より遥かに長生きな彼にも知らない事があったなんて――。

「意外…」

「何が」

 どこか拗ねた感じの声が返ってくる。何を意外と言われたのか、分かってて聞いてるんだろう。

「何って、もちろんシャルトが花見を知らなかったって事」

 シャルトがあからさまに不機嫌な顔をして逸らす。

「今までそれどころじゃなかったからな。

 人間同様、命の短い花なんて、見る前に散ってる――なんて、時間の流れ方が違う世界のお前に言っても分かんないか」

「……今バカにした?」

「さぁな」

(そんなに拗ねなくったっていいじゃない)

 私とシャルトの間に流れる沈黙。

「二人共、こんな所で喧嘩していたら周りの人に迷惑がかかるよ。……それでも続けると言うのなら、僕は鈴さん側に付きますが」

 相変わらずの長い台詞で二人の間に割って入ったのはカシギ。事あるごとに現れてはクロをいじって遊ぶ。おかげでクロはカシギを見つけると嫌そうに彼を見る。

「何でお前がここにいるんだ?」

「居ちゃいけないかい?」

「……」

 笑顔で返すカシギから顔を背けて、私から離れないように――でもカシギからは出来るだけ離れる位置に移動する。

 そんなにカシギの事、嫌なの?

 クロは黙って私の服の裾を握っていた。


 桜の木の下。ひなたぼっこ。

 ぼんやりと何も考えずに桜を見上げていると、枝の間を動くものが見えた。

「……?」

 鳥にしては大きい。人の子供にしては小さすぎる。

「……(小猿かな?)」

 でもこんな所に猿なんているのかな…?

 一人で考えていると、ようやく美苗が帰って来た。いくつもの袋を提げ、手にはタコ焼きを持っている。

「何見てるの~?」

「え…ううん。何かいるかと思ったけど、見間違いみたい」

 笑ってごまかそうとした時、頭上から《何か》が降ってきた。

『ふぎゅっ』

 人に見つかり、枝から落ちて来たそれは、悲鳴にも間抜けさが出ている。

「わぁ~。かわいい~」

「本当だ……」

 桜色の髪、若葉色の目、尖った耳――私の膝ほどもない小さな体を起こしながら、小人はぼやいた。

『はわわぁ。ドジっちゃった。

 もう少しで枝の端で花が咲くところだったのに』

 体に付いた花びらを払い落としながら、小人は私達を見た。

『………えと……見えちゃってます?』

「ばっちり。あ、でも他の花見客には見えてないと思うから安心して?」

 何を安心しろと言うのか、自分でも分からないまま言葉が出ていた。

 小人が私達を見回す。

『あ~…ども。桜の精やってます。《ゆすらうめ》です』

 簡単な自己紹介をして『てへ』と笑う。

(ドジな桜の精……?)

 その場に居合わせた五人が動きを止めた。

『あ……あれ?』

 ゆすらうめの方も、私達からの反応が無くてどうしたらいいのか分からないようだった。

 美苗が私の肩をつつく。

「鈴ちゃん、私…木の精見たの初めて……」

 美苗もどう反応したら良いのか分からないみたいだけど、目を輝かせて感動しているらしい事は分かった。

「で? ゆすらうめ…君」

 奇妙な形で固まった空気を元に戻そうとしたのはカシギだった。

「周りを見ても君の同類は見当たらないけど、姿を見せたのは何かあっての事なのかな?」

『無理して「君」とか「ちゃん」とか付けなくても良いですよ。僕どっちでもないですから』

 呼ばれ慣れていないのか、むず痒そうな顔をしてそう言った。

『訳なんて無いですよ。ただ、人の集まる時季だから……食べ物を少し分けて貰おうかと』

「食いしん坊さんなんだぁ。どれ食べるぅ?」

 早くも馴染む美苗と、三食団子を貰って嬉しそうに笑うゆすらうめ。

 ……この二人、凄く気が合いそう……。

『それと、この付近で争いが起こる気がしたんです。

 せっかく外に出たんだし、ついでに花を全て咲かせておこうと思ったんですよ』

 ――争い?

 ゆすらうめが木を見上げる。

『外に出ていられる限界が来たみたいです。今日はここまで。

 また団子くださいね~』

 早口でそう言って姿を消した。

「……何だったんだ?」

 私達はしばらく、空に枝を広げる桜の木を見上げていた。



 * * *



「やっとここまで来れた」

 風になぶられる橙色の短いくせっ毛に隠れるようにして、青い目がちらついて見える。立っているのは山に囲まれた町の上空なのに、海を映したような色をしている。

 白い大きな翼を広げ、視線を落とす。足元には集落。

 顔を上げて周りを見回す。

「――よし、いない。

 ここで見つかったら、奴に仕返しも出来ないまま連れ戻されるからね。慎重に行こう」

 静かに降下を始めた少年の視界に、ふと人形――ただ人の形をしていて、目や口の位置が分かる程度にペンで印を付けられているだけの、髪も指も無い――が映った。

「……人形?」

 空から降ってきたのではなく、地上から飛んで来たように見えた。どちらにしても、普通に考えればありえない話だが。

 人形はなぜかハリセンを手にしている。

 二人の距離は否応無く近付いていく。

「!!」

 ハリセンで思いきり頭を叩かれ、少年は目標地点から外れた場所に墜落した。




  * * *



 岩瀬家玄関――。


「花見……ですか」

 その日、久しぶりに訪れた友人の家に、目的の人物はいなかった。

 迎えてくれたのは鈴のお母さん。

「そう。美苗ちゃんとクロ君と鈴の友達――後、彰と杉本君も行ったから、堤まで行けば会えるはずよ」

「(みんなで花見……美苗の提案だね。これは)ありがとうございます。行ってきます」

 足早に歩き始めて、幾分も進んでいない所でルイは立ち止まった。

 ――何か違う。

 そう思った直後、公園の木の枝が大きな音を立てて折れた。

「っ!?」

 迷いは一瞬。恐さより好奇心の方が強かった。公園に入って、枝の折れた木に近付く。

(一体何が――)

 緑の葉の中に、白い布が見えた。動いている。肌、オレンジの髪……。

(人…?)

 周りには、白い大きな羽が散っていた。

(空から降ってきた人……。美苗が喜びそうな話ね)

 ルイはまだ折れた枝の中に埋もれている人を起こしにかかった。

 体は細い。もしかするとルイよりも軽いかもしれない。

 顔を隠すように重なる枝や葉を除けていくと、出てきたのはルイとそう歳の違わない少年だった。

「おーい。目ぇ開けてよ」

 ぺちぺちと頬を叩く。

 少年がわずかに身じろいで――目を開けた。ルイを見ると、折れた枝の上から勢いよく起き上がった。

 少し癖のあるオレンジ色の髪、海のような深い青色の目、ゆったりとした白い服――背中には白い大きな翼があった。

 服についた葉を払い落としながら、少年が改めてルイを見る。

「……何驚いてんのさ。起こしたのはそっちだろ」

 その一言の間に、ルイはある答えを引きずり出した。

(……仮装?)

 途端に少年の表情が不機嫌になる。

「言っとくけど、この恰好、仮装なんかじゃないからね」

「!?」

「僕の名前はジェラルド・トーン。

 君達人間は僕らをまとめて《天使》と呼ぶね」

 まるでルイの心を読んでいるかのように話すジェラルド。

「……ところで、《クロ》って奴、知らない?」

「クロ…君?」

 ルイは鈴の家に居候しているというクロを思い出した。初めて会ったのは去年の秋。

 今どこに居るかはついさっき聞いたばかりだ。

「……会いに行く?」

 ジェラルドは黙って頷いた。





  * * *


 空き容器の山に、焼きそばの容器が追加された。

 山積みになっている容器の横に座っているのは美苗……。

 ゆすらうめに「食いしん坊さんなんだねぇ」なんて言ってたけれど、絶対ゆすらうめよりも美苗の方がよく食べてると思う。

 一体どれだけ食べるのだろう? 小柄な体のどこにこんなにも多くの食べ物を収められるのだろう? ――なんて心配になってくるこっちの気も知らず、りんご飴に手を出す。

「美苗……食べ過ぎじゃない?」

「まだいけるよ?」

 シャルトが綿菓子に手を出す。夏祭りで一度食べてから気に入ったらしい。

「わたがし、貰うぞ」

「うん」

 袋を開けて食べ出すシャルト。嬉しそうに見えるのは私だけかな…?

 シートの上に積まれていたゴミが芝生の方にも転がり始めている。

 方って置けなくなって、私は空容器を片付け始めた。ある程度まとめてからごみ箱へ捨てに行く。こういう時に人数が多ければ楽なんだけど、カシギとナユタの姿が見当たらない。仕方がないので一人で捨てに行く。

 三往復した頃、私達の花見スペースに来客があった。

「久しぶりだね、黒いの。楽しそうじゃん」

 ふいと伸びてきた手が、イカ焼きの串を掴んで口に運ぶ。

 シャルトのすぐ横に、色素の薄い少年が立っている。

「ぁ…これ、うまい」

 イカ焼きを頬張る姿はなんだか不思議な感じだ。

 後からもう一人、少年を追いかけてきたらしい女の子。帽子の下には白髪が隠されている。

「リーズ! 勝手に人の物食べて――っ!」

 相変わらずの関係らしいユキと、彼女の弟・リーズ。

 ユキはもっと長い名前を持ってるんだけど、呼びやすいように私が勝手に付けさせてもらった名前。リーズ達からは「アイリス」って呼ばれてる。

 二人とも冬に出会った天使で、当初はそれなりに大変だった……かな。

 ユキの台詞が途切れたのは、美苗が団子を差し出したからだった。

「え…あの……」

「まぁまぁ、そんな怒ってないで一緒に食べよ?」

 団子を勧められ、戸惑いながらも受け取るユキ。

 こうして和やかに花見は続行された。



 * * *



 堤では花見客を楽しませる為に色んな催しをしている。

 開けた場所で、人形を操る男がいた。

 いくつもの人形を同時に操る。その人形は全て手作り。

 少しいびつな物もあるが、まぁそこはご愛嬌。

 人形には触れる事なく、糸も繋げていない。なのに動きは生きているよう。

 人形師が手を高く掲げると、空から落ちてきた人形が手の上に着地した。のっぺりとした造りの人形は手にハリセンを持っている。

 少し前に飛ばしたものだ。

「――集まってきた」

 呟いて、躍らせていた人形を片付ける。

 近くで見ていた男の子が、手の上に着地した人形を興味深そうに見ていた。

 人形師はひとつ、男の子に人形を投げてよこした。

 男の子が受けそこなった人形を拾う。

 何故か自分とそっくりな顔の人形を見て、人形を見るのと同じ目で人形師を見上げる。

「あげよう。お代は後で貰いに行く」

 商売道具を全て木箱に入れ、桜並木に向かって歩き出す。

 目指すは天使と悪魔の集まる場所。




  * * *




 桜の木下に、見覚えのある顔が揃っている。

「(居た居た)鈴ー! 美苗ー!」

 顔を上げてこちらに手を振っているのを確認して、ジェラルドの手を引く。

 自然と速まってしまう心と足を落ち着かせながら鈴達の所へ向かう。




  * * *




「久しぶりだねユキ。今日は何しに来たの?」

「ああっそうでした」

 美苗のペースに流されて、今回来た目的を忘れていたようだ。慌てたおかげで団子を喉に詰まらせかけてむせる。

「けほけほっ……あのっ、人探ししてたんです。人間界まで来たのはいいのですが、見失ってしまって……」

「で、僕の提案でここに来たんだ」

「きっと目的の人物の所へ行くだろうから…と。

 リーズの提案で来たというより、リーズが思い付きで突っ走るのを追いかけて来た、という方が適切だと思いますが……」

 なるほど。

 提案でも追っかけて来たのでも、どっちでもいいや。

 今回来たのは人探しの為で、その人も何かしら目的があってこっちに来ていて、ここで待っていたらその人が来る――と、そういう訳ね。

 …………へ? ここに、来る?

 遅れて来た小さな疑問を口に出してみる。

「何しに私達の所へ?」

「クロさんに会って、弟達の仇をとりたいそうです」

「なっ……!?」

 どうして止めなかったの!?――飛び出しそうになった言葉を飲み込む。

 仇討ちなんて聞いて、ユキが止めようとしない訳がない。止めようとしても抑え切れなかったのだろう。ユキを責めても仕方ない。

 私は風を呼んだ。

 花びらの動きで、風がゆっくりと降りて来たのが分かる。

「この場所以外にも、人間以外の不思議な力を持った人がいないか、調べて欲しいんだけど……」

「はいはいはーい」

 風はテキトーな返事を残してどこかへ吹けて行った。


「何だ、大所帯だな」

「その中に加わるんでしょ? 杉本君と一緒に」

「まぁ……そうだけど」

 加わったのは私の兄・彰(ショウ)と、友達の杉本……えっと、下の名前は忘れた。

 彰兄達は荷物を預けて、屋台に買い出しに行ってしまった。

 登場人物はあらかた出したし、そろそろ落ち着くかと思っていたんだけど――

「鈴ー! 美苗ー!」

 久しぶりの声がした。

「ルイちゃん!」

 遠くで手を振っている。後ろに誰か連れているみたいで、手を振り返したら、後ろの人の手を引いて走って来た。

「わぁー! 久しぶりぃ」

 嬉しくて抱き合うルイと美苗。後ろにいたオレンジの髪の子は、抱き合ってる二人を見てから私達を見回した。

「あぁ!」

「ぁ…」

 ユキ達と少年が互いを指差した。

 ルイと美苗も動きを止めて三人を見比べている。

 まぁ…何となく分かったよ。

 つまり彼がユキ達の探していた人だって事。

 ユキとリーズが、少年の腕をがっちりと捕まえる。

「帰るよ!!」

「鈴さん、ごちそうさまでした」

 飛ぶように――実際飛ぶんだろうけど――帰ろうとする二人の間で、オレンジ色の髪をした少年が必死に抵抗する。

「まっ…何で!? まだ何もしてないじゃん!!」

「これからするんでしょう!?」

「だからお前が消される前に連れ戻す!」

 少年が暴れて二人の間から抜け出す。

「消されるもんか!」

 少年を中心に、風が起こり始めた。


 天使、ジェラルド・トーン。

 仇討ちのために人間界に来て――ただ今、力の暴走中。


「ユキ! リーズ! あの子を止めて。

 美苗とルイちゃんは荷物まとめて!

 シャルト、カシギ達は?」

「どっか消えた」

 まぁまた木槿(ムクゲ)の広場にでも来るだろう。

 ジェラルドをなんとか押さえ込んで、荷物をまとめた私たちは、周りが騒ぎ始める前に撤収することにした。


 彰兄が戻って来た。

「何で片付けてんだ?」

「私達もう戻るから。これ、使って」

 そう言って彼らの荷物とシートを一枚、彰兄に手渡して、さっさとその場から離れた。


 頼み事をしてすぐに帰るなんて…風に怒られそう……。



 * * *



 人形師は様子を見ていた。

 鈴が兄に荷物を渡してその場から離れようとした時、人形師は人形をひとつ、鈴の鞄に飛ばして忍ばせた。



 ***



二、過去(むかし) 木槿の広場


『これはまた……ずいぶん増えて帰って来たね。ザワザワ』

 木槿は私達を見るなりそう言った。

 花見に行こうかと言っていた三人と、突然の来訪者が四人。二倍以上の人数になって帰ってきたんだからそう言われても仕方がない。

「ジェラルド君、私の隣にいるのが美苗。その前にいるのが鈴。鈴の傍にいつもいるあの男の子が、クロ君だよ」

 ルイの指した人物を順に目で追うジェラルド。その目がシャルトを見つけて止まる。

「クロ……」

 呟いた声にシャルトが振り向く。

 ジェラルドが数歩前に出て、シャルトに近付く。

 頭から爪先まで見て、どこかイメージが違ったのか首を傾げた。確かめようと伸ばした右手は、触れる前に引っ込めて、青い目が真正面からシャルトを見る。

「本当に……あんたがルーク達を消したのか?」

 正確には「ヒースが」なんだけど。言ってもよく分からないよね。

 と、話がおかしな方向に曲がり始めたのはこの頃からかもしれない。

「消した本人にしては……力が小さすぎる気がするんだけど」

「よけーなお世話だ」

 やっと直ってきたと思っていたシャルトの機嫌がまた悪くなる。

 ふと上げた視界の端、異変に気付いたのは鞄が動いたから。

「?」

 気になって鞄を開ける。と同時に飛び出したのは人形。

「いっ!?」

 飛び出した勢いで、私の後ろに来て覗いていたジェラルドの顔面に当たった。

 ぬいぐるみの頭突きを喰らって顔をおさえるジェラルド。

「ご…ごめん。後ろにいるとは思わなかったから……つい、避けちゃった」

 あ。でも、後ろに居るって分かってても避けてたかも知れない。

 ジェラルドに頭突きを喰らわせた人形は、してやったりと私の周りを跳び回っている。

 動く……人形……。

 ルイが人形を捕まえて、「どこに電池が?」とか「どうやって動いてるの?」なんて言って調べてるけど、きっと電池も何も見つからない。

 ルイの持っている人形を見てジェラルドがぼやく。

「……今日はやたらと人形に殴られる……。しかも決まって不格好な奴だ」

 そこで彼の動きが止まった。

 ハリセンこそ持っていないものの、それは空でジェラルドを叩き落とした人形だった。

 慌ててユキとリーズの背後に隠れるジェラルド。

 人形はぴょこんとルイの手から離れると、隠れているジェラルドの方へ跳んだ。

「わわわ…」

 ジェラルドが逃げると、人形が後をついていく。

 ジェラルドはユキとリーズの後ろからルイ、美苗、シャルトを通り過ぎて木槿の方へ逃げる。

 人形も同じ順番でしっかりと追っていた。


 人形が宙で足を動かす。

 いつの間にかシャルトが人形を捕まえていた。

 掴む手に力を込めると、生きているように動いていた人形はぴくりとも動かなくなった。

「やる」

 言葉と共に放り投げられたのは、ただのぬいぐるみ。でも、のっぺりとした小さな子供の落書きみたいな不気味さは消えない。少なくとも動いていた時の方が可愛いげがあった気がする。

 シャルトの左手には、小さな光の球。

「それ、は……?」

「人形の中身」

 人形の……中身…? 《中身》って綿じゃないの?

 頭の中に疑問が浮かんだ時には、もうシャルトは球を飲み込んでいた。苦い薬を飲まされた時みたいに顔をしかめる。

 ルイと美苗は何が起きたのか理解できていない。

 ジェラルドが木槿の後ろから出て来てシャルトに呼びかける。

「おい。クロ」

 シャルトは黙って振り向き、次の言葉を待つ。

「あんたは何の為に人間界にいるんだ? 魂を喰う為か?」

「違う」

 シャルトが私の手をとる。

「仕事のためだ」

「仕事?」

「《対象者を幸せにする事》がおれの仕事だ」

 ジェラルドには理解しがたい答えだったのか、首を捻っている。

 私だって改めて言われると違和感を感じる。

 悪魔が人を幸せにする――。

 なら、天使は何の為にいることになるんだろう?

「それで終わりじゃないよ。次があるんだ」

 森の入口に二つの影が現れる。

 ひとつは人。もうひとつは狐。

「僕らはまず《幸せにする事》を、それが終わると次の段階陥れるという仕事をする」

 カシギがシャルトを見る。

「少なくとも、この二つをクリアしないと一人前にはなれないんだよ。年齢なんて関係ない」

「そんなこと…」

「言われなくても分かってるって? 理解出来ていなかったのに?」

 どうしたんだろう。どうしてシャルトを責めているんだろう。

 ルイと美苗はいつの間にか揃って眠っていた。

 周りに記号のような物がいくつか光を発しているのが見えるから、きっと強制的に眠らされたんだと思う。

 今の話を聞かれなくて安心する反面、ちゃんと目を覚ましてくれるのか不安もある。

 カシギが私を見てふと笑う。

「彼女達が心配かい?」

 何があったの?

「何でもない。本来の仕事に戻そうとしただけですよ。ペインが警告したのに聞かなかったらしいね」

「警告?」

 そもそも私達がペインに会った時はカシギはここに居なかったのに、どうして知っているんだろう?

「《さっき本人に会ったんですよ。作業中でしたが、文化祭での話は彼から聞きました》」

 カシギが指を鳴らす。

「鈴さん!!」

「!!?」

 ルイと美苗の周りに生えていた植物が急激に育って、傍にいたユキまで一緒に取り囲んでしまった。

「アイリス!」

 リーズが外から崩そうとしてるけど、何重にも絡まりあった蔓は解けない。

「ジェラルドっ手伝って!」

 リーズが助けを呼んで、二人掛かりで植物の牢を崩しにかかる。

 私は見ているだけしか出来ない。

「(見ているだけなんて……嫌)風三百六十二号……」

 私は静かに呼びかけた。頭上に風の気配を感じる。

「リーズ達の所まで飛ばして」

『クロさんは!? 追い詰められているみたいですけど、放っておくんですか!?』

「どちらにしろ、私が何もせずにここに居たらクロは負けるわ」

 勝算ならまだ――ある!

『……しっかり乗ってくださいよ』

 風が頭上から足元に移動した途端、体が軽くなった。

 シャルトとカシギの上を飛んで、リーズ達の近くに着地。成功。

 さすが春。風の強さが違うわ(それでも長距離は移動できないけど)。

「リーズ、そんな引っ張ってても外れないよ」

「なら、どうしろって――」

「二人とも、火は扱える?」

 反発するリーズの言葉を遮った私の問いかけに頷く二人。

「……て、まさか」

 リーズが、私がしようとしている事に気付いたみたい。

 構わず、今度は檻の内側に問いかける。

「ユキ! 聞こえる!?」

「はい!」

「火、点けるから美苗達を守って!

 三百六十二号、準備はいい?」

『オッケーです』

 合図を出すと同時に、三つの呪文が唱えられる。

「火の手から我を護りたまえ――《ファイヤプルーフ》!」

「「焼き切れ――《フラン》!」」

 蔓の牢に火が点いた。風を受けて火力を上げていく。

 炎が蔓を焼き切るまで、そう長い時間はかからなかった。

「アイリス!」「ユキ!」

 弟のリーズより先にユキに駆け寄る。

「あ…ちょっと。僕の方が先に声かけたんだけど」

「関係ないよ。それよりも、ユキ、カシギが何か違うと思ったら…糸が見えたの」

「糸…」

 シャルトは広場の端まで追い詰められていた。

「二人を助けてっ!」

 ユキは私に落ち着くように言った。

 まだ眠っている美苗とルイを私に任せて、シャルトの隣まで飛んだ。


 すぐ背後には茂みと川が迫っている。

 広場の反対側では、鈴が天使二人に向かって指示を出していた。

 カシギの手がシャルトを掴まえようとする。

「!(また光った)」

 どうも糸で操られているらしい。

 彼の攻撃から逃げているうちにその事に気付いたが…

「(気に入らないやつだけど、操られているのを倒してもすっきりしないしな……)」

 それまでこちらは手を出さずに避け続けていた。

 でも、そろそろ避けるだけでは危なくなってきた。

「ヒースを取り込んだのに使わないんですか?」

「使わなくても…お前ぐらい倒せる」

 シャルトの強がりにカシギが笑う。

 もしかすると本当に笑っていたのはその向こうにいる奴なのかも知れない。

「ふふっ。《ならさっさと動けばいいのに。動揺していたのかな?》」

「探ってたんだよ」

 カシギから見えないように(見えていたとしても実行するが)シャルトはポケットから黒い玉を出した。淡く光って羽を広げる。

「飛べ、カルル」

 命令を受けて、いつもの飛び方とは全く違う、影を残す早さで飛ぶカルル。

 羽が一本の糸に触れた。

「周りの糸を全部切ればいいんだろ」

「糸を切っても支配を解かなければ解決にはなりません!」

「…え」

 頭上からユキの声が降ってきた。蔓の牢を抜け出せたらしい。

 シャルトの横にカシギと向かい合うようにして着地する。

「おやおや…」

 そうやって笑うカシギはどこか楽しそうだった。


 風が吹く。葉が揺れる。

 茂みの向こうから覗くのは無数の蔓と一体の人形。私の鞄に入っていた物以外にもいたらしい。

 シャルトとユキを捕まえて動きを封じようとする。

「燃えろっ火のニ《――…」

 蔓を燃やそうとしたシャルトをユキが止める。

「なっ…!?」

「そんな事をしたら森に火が移っちゃうかもしれないじゃないですか!!」

「じゃあどうしろって言うんだ!!? おとなしく捕まれって!?」

「違いますっ!!」

 ユキが蔓を避けながらシャルトを睨む。

 争いを好まない天使の目は潤んでいた。

「……っ」

 死角から人形がユキめがけて突っ込んでくるのを見て、シャルトは彼女の手を引いて横へ跳んだ。

 即座に蔓が着地点まで伸びて来て、二人を絡めとろうとする。

 ぎりぎりの所でシャルトが翼を広げ、空中に留まった。

「クロさん…」

 呼ばれてシャルトはユキを見た。

 俯いていて表情は見えなかったが、もう泣いてはいないようだ。

「私が合図したら、彼の背後に着地してください」

「……自分で飛べるんだろ」

「これから使う術は、ながら作業出来ないんですっ」

 地上にいるカシギは相変わらず余裕の笑みを浮かべていた。

 操られている植物が、カシギを護るように取り囲んでいる。

「(気に入らない)……」

「……クロさん…?」

「聞いてないで早くしろ」

 初めて飛んだ時よりは大分マシになった。高く飛ぶことも出来る。遠くに飛ぶのも練習中だ。ただ、同じ場所に留まり続けられない。

「(合図まで…持たないかもしれない……)」

 既に少しずつ高度が下がってきている。

 出来るだけ下がらないように――カシギの操る蔓に捕まらないように――羽ばたかせても、わずかにしか上がらない。

 シャルトの羽ばたきが力尽きたのとほぼ同時に、ユキの術が完成した。

 二人が落ちたのはほぼ狙い通りの位置。

「――!」

 カシギが二人の動きを封じるよりも早く、ユキが魔法を発動させた。

 白い光に包まれて、カシギの周りに張り巡らされていた糸が消える。

 一瞬、カシギから黒い靄(モヤ)のようなものが出たように見えた。

 糸の支配から解放されたカシギは、その場に膝をついて倒れた。彼が操っていた蔓も、力無く地面に横たわる。

「……」

 カシギがもうしばらく動けないことを確認して、シャルトも倒れた。

「クロさん!?」

 シャルトは駆け寄ったユキに視線だけを向けて、大きく一息ついた。

「天使なんて……持って飛ぶもんじゃないって……よく、分かった」

「……すみません」

 シャルトがやけに消耗しているのはユキにも原因があるようだ。




  * * *



 ふつっ

 微かな音を最後に、指にかかる手応えが消えた。

「……切られたか。

 そういえば天使もいたな。支配を解いたりするのは得意という訳だ」

 傍にある箱を覗き込む。中には、鈴の鞄に忍ばせたのと同じような人形が詰められていた。

 同じようであって、同じものは二つと無い。

 それぞれ魂を込めて作られている。

 その中に、昼間、わずかながら人形師が会話した男の子とそっくりの人形があった。

 今日新しく出来上がった人形の一つを手にとる。

「もうちょっと待ってみようか」

 静かに笑って桜を見上げる。

 薄桃色の花弁は橙色に染まり始めていた。




  * * *




 太陽の光が柔らかくなってきた。

 今、私の目の前では、天使が悪魔を介抱するという、色んな意味で物珍しい光景が展開されている。

「何でそんな奴手当てするんだよ」

「どんな人でも、傷付いている人を放っておくなんてできません」

「ふーん」

 リーズはつまらなそうにユキと、彼女に介抱されているカシギをみた。

 眉をひそめてジェラルドの所へ向かう。

「……こっちもまだ起きないのか」

「……うん」

 そこでは美苗とルイが敷物の上に寝かされていた。

 二人を見ていた目が私の方に向く。

「起きたら…この二人に何て言い訳するの?」

 言い訳……。

 良い響きでは無い。

 実を言うと、何も考えていなかった。

 隣の小さな切り株に座っているシャルトが口を挟む。

「何も思い付いてないなら、おれがその二人の記憶いじろうか」

「それは…ダメ」

 確かに三年前はシャルトの力を使って、美苗や私の家族の記憶を一部操作してごまかした。

 でも、それってダメでしょう。

 ――じゃあ今までの事を全て話すのか……って言われても、それはそれでまた困る。

 ん? ナユタの状況が全然書かれてないって?

 ……いるよ。

 狐の姿をとっていたせいか、操られなかったみたいで……今はカシギにひざ枕してあげてる。

 どうして広場の入口で見ているだけだったのか…とか、一緒に居たならカシギに糸をかけた人物も知っているのでは…とか、聞きたいことは沢山あるけど、今の所質問は後回しにされている。

 カシギが起きてからの方がいいっていう皆の意見。


 木々の葉が橙色の光を反射し始めた頃、私の頭の中でようやく考えがまとまった。

 美苗達には悪いけど、あの出来事は夢だったということにしといて貰おう。

 下手に説明するよりも、そっちの方がいい気がした。

「シャルト、二人を運ぶの手伝ってくれる?」

 シャルトは黙って体を成長させた。ついでに「たまに子供っぽいところも直らないかなぁ」とか思ったんだけど、無理なのは分かっているからこれ以上は言わない。

「じゃ、ユキ、美苗達送ってくるから。

 カシギが起きたら、風で連絡して」

『そんな事に私を使わないでください!』

 風が抗議してるけど、聞いている時間はない(聞く気もない)。






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