第6話 冬の天使達



「この狭い箱の中から

 逃げ出すことが出来たら……」


 ぼくは、そんなことを考えていた。




 * * *



 季節は冬。

 扉を開けると風が冷たい。

(でも、雪は降らないんだよね……)

 お兄ちゃんにお使いを頼まれて――っていうより使いっ走りだね――引き受けたものの、寒いのはあまり好きじゃない。

「鈴」

「!?」

「どうしたんだ? ぼんやりして」

 そうだった。シャルトもいたんだ。

「空に何かいるのか?」

 そう言って空を見上げる。

 視線は上向きだったかも知れないけど、別に空を見ていた訳じゃ無いんだよ?

 そう言おうと思ったけど止めた。

 私が声を出す前に、シャルトが私の手を引いて、少し早い速度で歩き出した。

「いつもの広場行くぞ。ここだと周りがうるさくなる」

「……??」


 風も無いのに揺れる木がある。

「木槿(むくげ)久し振り」

 しきりに葉を鳴らして、今日はなんだか落ち着きが無いように見える。

 どうしたんだろう。

「鈴」

 シャルトが上を指差した。

 見上げると――。

『また来るよ。ザワザワ』

 少しずつ近づいてくるのは白い粒。

 大粒の真珠みたいなのがいっぱい降ってきて、

 ぽすんっ

 一緒に降って来たのは真っ白な女の子だった。

 受け止めたシャルトは、どうしたらいいのかという目で私を見る。

「……木槿、もし誰か来たら足止めよろしくね!」

 白い玉を一つ拾うと、木槿の広場よりも奥、人のなかなか来ない場所を目指して走った。後ろをシャルトがついてくる。


「ん……ん~?」

 女の子が目を覚ました。

「?」

 私とシャルトを交互に見て、首を傾げる。

 状況が読めていない彼女に、私は簡単な自己紹介をした。

「私は岩瀬鈴。で、こっちはシャルト。

 あなたの名前は?」

「わたし…は、アイリスです。皆には《白(しろ)》とか《銀(しろがね)》とか呼ばれてます」

「へぇ…」

 呼び名の通り、彼女の姿は真っ白だったし、髪と目の色は銀色だった。

「……ユキって呼んでいい?」

「はい………っ!! そ、そうです! 白い玉、知りませんか!?」

 急に勢いよくしゃべり出したユキ。

 どうして今ここにいる事になったのかを思い出したみたいな反応だった。

「白い玉って……これの事?」

 私はさっき拾って来た玉を見せた。

「あぁ! それです!」

 真珠みたいな真っ白な玉。

 シャルトが持っていた黒い玉・カルルによく似ている。ただ色が違うだけ。

 ユキは私から白い玉を受け取ると、玉の名前を呼んだ。

 白い玉から羽が生え、ユキの周りを飛び回る。

「そういえば、白いのがぱらぱら降ってきたな。あれも同じか」

「はい。全て集めて届けなくてはいけません」

「探すの手伝ってやる」

「! ありがとうございます!」

 嬉しさで輝いていた笑顔が曇る。

「どうしたの?」

「……いえ……気にしないでください」

 笑って答えようとしているけど、明らかに無理しているのが分かる。

「気にしてんのはお前の方だろ。こんな所で天使だとか悪魔だとかこだわってんなよ」

 ……天使…?

 呆けている私を見て、シャルトは「気付かなかったのか?」という表情をした。

「行くぞ」

 シャルトの言葉に、動いたのは私だけ。

 ユキは立とうとしない。

「届けなくていいのか?」

 ユキが唇を噛み締める。

 早く全ての玉を集めて届けなくてはいけない。でも悪魔の手を借りるのは気が進まない……。大方そんな所だろうけど、

「私も、迷ってる場合じゃ無いと思うな」

 ユキが顔を上げて私を見る。

 眉根を寄せ、もう一度俯いてから立ち上がった。

「……お願いします」


  * * *


 ――こんなに走り続けたのはどれだけ振りだろう。

 広場に残っていた玉を広い、私達が戻ってくるまでに広場に来た人を木槿に聞いて玉を回収して、また戻って来て草むらの中を探して……それでもまだ揃わない。

「あと五つ……」

 雲に色が着く。

 日が沈んでいく。

「揃ったら……帰っちゃうの?」

「……はい」

「でもさ。その前に、そこにいる悪魔をやっつけてくってどお?」

 頭の上から知らない声が聞こえて、見上げると、三人の男の子が浮かんでいた。

 一番左の男の子が手を挙げ、順番に名乗っていく。

「僕は長男、リーズです」

「ボクは次男、ルーク」

「ぼくは三男、レイテ!」

 ……誰?

 名乗ってるのに「誰?」っていうのも変かもしれないけど。

 疑問に答えてくれたのはユキ。申し訳なさそうに「わたしの……弟です」と言った。

 ユキの兄弟か~。言われてみれば似てるかも。

「…おい? 鈴…?」

 あ~。シャルトの声だぁ。

「現実逃避か」

 ……難しい言葉知ってるじゃない。

 逃げて何が悪いの。

 シャルトが来た時はシャルト一人だったし、「悪魔だ」とか言ってたけど全然それらしくなくて――諍い事に巻き込まれるとは思ってなかったけど――なんとかなった。

 でも今度は「天使」だよ!?

 しかも四人も!

 ちょっぴり逃げるくらい良いじゃないの。

「だめよ!!」

 え……!?

 一瞬、ユキにまで心を読まれたのかと思った。

 でも、彼女の向かう先にいるのは中に浮く三人。

「――シャルトさんは悪魔らしいけど……でも、私の仕事を助けてくれたわ! 本来なら貴方達がしなきゃいけないことをですよ!?

 貴方達も天使なら天使らしく――」

「そこの黒いのを倒す!」

「いえーい! ルーク、かっこいいー!」

「こらっ! やめなさい!」

 ユキの制止も聞かず、三人は降りて来た。

 シャルトを値踏みするように見ると、ルークは呟いた。

「こいつならレイテの魔法で十分でしょ」

 その言葉を聞き取ったレイテの右手が淡く光を発する。

 小さな、けれど強く白い光が弾けた。

「!!」

 弾けた光を後ろに跳んで避ける。

 カシギの時みたいに周りにも被害が出るのかと思っていたら、光が触れた所に特に変化は見られなかった。

「これ、悪魔にしか効かない魔法だから。周りへの被害はほとんどないんだ」

 嬉しそうに解説をしてくれるレイテ。

 対して、見上げるシャルトは少し体が怠そうだった。

「……なるほど。光を浴びるだけでも、効果は出るのか」

 怠そう……だけど、まだ余裕のある表情だった。

「けどさ、これくらいなら、おれにも――」

 言葉の途中で二撃目が来た。

 今度は避けもせず、右手を思い切り突き出して呪文を叫んだ。

 黒い、靄(もや)のようなものがレイテの放った光を包み込み、消えた。

「おれにも――打ち消すくらい出来る」

 対等の位置だぞとでも言うように笑って見せるシャルトに、レイテ達はたじろいた。

 攻撃が打ち消されるとは思ってなかったみたいな反応。

 ユキが三人を追うように飛ぶ。説教中のようだ。

「今日はここまでー!」

「次にはしっかり決着つけようねー!」

 三人は姉の説教から逃げるように飛び去った。


 彼らはシャルト達にまた会える事を確信していた。



 * * *


「はぁ……」

 空を見上げてため息をついた。

 吐き出した白い息が流されていく。

「……すみません」

 ユキがしょぼんとして謝る。

「え!? 何謝って……ユキが悪い訳じゃないよっ!?」

「でも……」

 ユキは心配そうにシャルトの方を見た。

 具合が悪そうなのが気になるらしい。

 私はシャルトをおぶってあげた。

「やっぱ、小っこいと軽いね」

「……」

「……攻撃を打ち消せたからって、無理しないでよね」

「……」

「シャルト~? 返事は?」

 しばらく間をおいてから仕方なさそうに「…わかった」と返事が返ってきた。

「さ、帰ろっか……っと。ユキはどこか泊まったりするの?」

「え?」

「決まってないんだったら私の家、来ない?」

 言ったものの、空いてる部屋があったかどうか自信がない。

「親の許可も必要だろ?」

「そうそう。……ちょっと! また心読んだの!?」

「違う!聞こえてきただけだ!!」

 ――ふーん。

 歩きながら話していたから、もう家が見える場所まで来ていた。

「じゃあ……お世話になります」

「うん。じゃ、ユキは私と一緒の部屋。

 シャルトはお兄ちゃんの部屋に行ってね」

 ユキは頷いてくれたけど、シャルトからは反論が出た。

「おれも同じ部屋がいい!!」

 おぶっているせいで声が近い。

「……耳元で騒がないでよ。仕方ないでしょ? 人数増えたら部屋が狭くなるんだから」

「広くすればいい」

「無理言わないの」

「……」

 黙り込んでしまった。

 何か策でも考えているのかな……?

「ねぇ、シャルト?」

 返事はない。

 私は構わず続けた。

「今年で何歳だっけ?」

「……九十九」

 よし。反応あり。

「九十九ね。もう十分一人で寝ててもおかしくないよ?」

「……子供扱いするな」

 あ……不機嫌度アップ。まあいいや。

 私が次の言葉を言う前に、シャルトからひとつの提案が出た。

「だったら、おれが――」

  え?

 シャルトが言葉を間違えたのかと思った。でなけろば聞き間違いだと。

 何拍も遅れて、ようやく言葉が耳から頭にまで届いた。

 ええっ!?

 シャルト、そんな事まで出来るの!??

 一緒に住んでいた私も気付かなかったこと。人間では不可能なこと。

「ヒースの力を借りたから出来ることなんだ。おれ一人じゃ無理だったな」

 ぽりぽりと頭を掻きながら言うシャルト。

 子供の姿だから分かりにくいけど、男から女、またはその逆という風に、性別まで変えてしまうことが出来るらしい。そしてさらに小柄になっている。見た目も、ユキのように白くなっていた。一時的に天使と悪魔の力がお互いに影響与えないようにしているらしい。

「ヒースの力って、凄いね」

「物壊すだけじゃなかったな」

 そう言って、シャルトは笑った。


 次の日にはもう、シャルトは元気になってて、また玉探しをしていた。

 ユキが空から降って来たから木の枝に引っ掛かっているのもあるかもしれないという意見が出たからだった。

 それなりに早い時間だったから、まだ木の葉に露が残っていた。

 細い枝が揺れると、葉に付いていた露がぱらぱらと降る。

「木の上……か」

 見上げてみる。結構高い。

「ん? 高いところ、苦手か?」

「ぅ……」

 「うん」としか言いようがない。

 小さい頃は木登りもしてたけど、一度落ちてからは登ろうとしなくなった。

「なら、鈴は下の方だな」

 シャルトは翼を出して飛んだ。そのあとを黒い玉が追い掛けていく。


「見つかんないよぉ~」

 一日中広場の中を探し回って疲れた私は、木の根元に座り込んで、地面に広がる木々の影を見ていた。

「休憩か?」

「だって……全然見つからないんだもん。休みって程の休みも入れてなかったし」



 四時半を告げるサイレンが聞こえた。

 薄暗くなる空から三つの影が音も無く現れ、ゆっくりと大きくなってくる。

(上?……から何か落ちてくる……っていうか、降りて来てる)

 私はぼんやりした頭で、影や、姿を変えるシャルトを見ていた。

 そして、聞き覚えのある声が降って来た。

「アイリスの横にいるのは誰だ? 見かけない顔だけど」

「あ! 昨日の人間だ……けど、黒いのがいないね」

 あの三人だった。ゆっくりと着地して周りを見ていた。

 白くなっただけなのに、シャルトであるということに気付いていない(シャルトも黙ったまま見ている)。

「おい人間。黒いのはどこにいる」

「目の前にいるじゃない」

「お前か!!」

「違う! それと人、指差しちゃダメ」

 そんな会話の中、レイテが気付いたらしい。

「リーズ、ルーク。こいつ、肩に黒い玉止めてる」

 カルルが見つかってしまった。

「悪魔の使い魔!」

「やっぱりこいつだ! ぼく達を騙そうとしたな!?」

「そんなつもりは無かったんだけどな……仕方ない」

 シャルトは姿を元に戻した。

「アイリスー? まだ玉を集め切れてないのに、その上、悪魔の肩持つんだね」

「これって《裏切り者》になる?」

「なるなる」

 何やら楽しそうに話しているのは全然楽しそうに聞こえない話題。

 あれ? ちょっと待って……?

「《玉を集め切れていない》って、何で知ってるの?」

「そっ……それは」

 答えられないのか口ごもってしまったリーズの声に、懐かしい声が重なった。

「それはもう、自分達が残りの玉を持っているということをうっかり口に出してしまいましたからね。

 しどろもどろになってしまうのも、仕方ないでしょう」

 声は背後から聞こえる。

「そう」

 三年前の記憶。ヒースに消された二人。

 振り返った先にいたのは

「それは《天使の悪戯》と言うには少し度が過ぎていると、僕は思いますがね」

「「カシギ!!?」」

 私とシャルトは同時に叫んでいた。

「どうして!? シャル…じゃなくて、ヒースがどこかに飛ばしたはずじゃ……」

「ええ。飛ばされましたよ? 訳の分からない所に」

 カシギは笑っている。

「実は、アペリという旅人に会ってね。いくつかの世界を渡ってようやくここに戻って来れたのですよ」


「あいつ誰だろ?」

「《カシギ》って呼ばれてた」

「悪魔かな」

「黒い奴の仲間?」

「やっつけとくべきかな?」

「……あれ? でも《カシギ》って何かで……」

「《ヒース》っていうのも何か覚えがあるような……」

「やっつけとくべきかな?」

「倒す?」

「やっちゃお」

「「「うわああぁぁ!!!」」」

 ごしょごしょと話をしていた三人に、カシギとシャルトの攻撃が当たった。

「お前ら、誰を倒すって?」

 シャルトの周りに黒い気が見える。そして、

「君達如きに僕らが倒せるとでも?」

 冷笑を浮かべるカシギの周りにも……。

(まさに悪魔vs天使!)

 とか考えていたら、ユキが尋ねてきた。

「あの…鈴さん……シャルトさん、怒ってません? 弟達のこと以外で……」

 そう言われて私はクロを見た。

 ――確かにそうかも。理由は多分、カシギ。

 カシギと同じ技で同時に攻撃したということが気に入らなかっのかも。

 (何でカシギなんかと)……とか思ってるのかな?


 リーズ、ルーク、レイテの三人は息を合わせて呪文を唱えた。

 シャルトとカシギも唱える。

 黒と白、二つの力がぶつかり合い、白い方が掻き消された。

「「「うわぁっ!!!」」」

 黒の力がまともに三人に当たった。

 その衝撃で、レイテの服からひとつの白い玉が落ちた。

 レイテが拾いに行く前にユキが玉の名前を呼び、手にした。

「あと四個」

 ユキは宙に浮かんでいる三人を見た。

 形勢不利と判断したのか、三人は逃げ出した。

「逃がすかっ!」

 シャルトが追い撃ちをかけようとしたが、攻撃は当たらなかった。

 そして三人の姿は見えなくなった。

 辺りは既に暗くなっていた。


「え……カシギ達も私の家に泊まるの?」

「げぇー」

 いや、シャルトの反応はちょっと酷いよ。

「何だったら屋根の上でもいいので。ね、ナユタ?」

 ナユタは頷きはしたものの、微妙な表情だった。

 カシギの言うことには従うけど、私の所に世話になるのは嫌……とでも言いたげな、そんな表情。

 ――や、屋根の上でもって……近所の人に見られたらどうするのよ。

 思わず溜め息をこぼす。

「……いいよ。お母さんに相談してみる」

「ありがとうございます」



 * * *



「へぇ…外見とそう違わず、中もこじんまりとしているんですね」

 カシギは家の中を、首を巡らすだけで見て言った。

「文句言うなら来るな」

「誰も文句なんて言ってませんよ」

 さっさと追い出したいと思っているシャルトとは逆に、カシギはにっこりと答えた。


「まあまあまあ、鈴の新しいお友達? いらっしゃい」

 台所から出て来たお母さん。カシギとナユタを見て「お友達」と解釈した。ここは話に乗っかっておこう。

「《友達》のカシギとナユタ。今日は皆でお泊りしようって話で……」

 ちらっとお母さんの顔を見る。思い出しているように目が動いている。指の動きも見れば、何かを数えているのが予想できた。

 数え終わるのを待ってから続きを言う。

「……いいかな?」

「ええ。今日は彰も友達の家に遊びに行ってるからね。彰の部屋も使うといいわ」

「ありがとう!」


「二つ、部屋の確保も出来たことだし――」

 二階の廊下、自分の部屋と兄の部屋の間で止まり、皆を見回す。

「部屋割りしようか」

 普通に考えて《男子部屋》《女子部屋》に分かれるものだけど……。

「……お兄ちゃんと一緒じゃなきゃイヤ」

 ナユタが駄々をこねた。カシギの腕に絡まって自己主張。

「カシギと一緒の部屋がいいー!」

 そんなに主張されてもな……。

 でもこのままだと、なかなか話が決まらない。

「カシギはそれでいいの?」

「いつも一緒だからね」

 答えは笑顔で返ってきた。

 双子な訳だし、生まれた時から一緒なんだもんね。うん。この二人はいいとして――

「シャルトは――」

 嫌そうな顔をしていた。

 双子から離れて私の袖を掴む。

「……だったら、おれはこっちがいい」

 そんなに双子と一緒の部屋が嫌なのか……。

「クロさん、」

 ずっと黙っていたユキが口を挟んだ。

「一晩だけ、我慢していただけませんか?」

「なんで」

「一晩だけでいいのです。そちらの――ナユタさんも」

 ユキに名前を呼ばれ、身を固くするナユタ。

「一晩だけ、狐の姿でいてください」

「えー」

 ナユタも不満の意を唱える。

 何だか、どんどんややこしい方に話が……と思っていた私は、思い出した。

 ユキは《天使》、シャルト達は《悪魔》。

 一緒にいると、互いに影響が出てしまうのだろう。


「じゃ、シャルト達はそっちの部屋使って。ユキはこっちね」

「おい! 鈴!」

 うん。ごめんねシャルト。性別を変えられる能力はあえて知らないふりをする。

「一晩だけ我慢して、ね?」




  * * *





 夢を見た。



 目の前をちらちらと飛ぶ四つの白い玉。

 消えたり現れたり……。


(捕まえなきゃ)



 そう思って追い掛けた。


 ひとつ、捕まえた。


(やった。……誰?)


 玉を捕まえたと同時に私の周りにぼんやりと現れた景色。

 そこには一人の子供がいた。

 黒い髪、虚ろに開かれた目は、色が深すぎて黒色に近い。

 体には大きな傷痕。


(どうして……)


 手を伸ばしても、触れることは出来ない。


(この子…心にも……)


 ぼんやりとした頭で考えていた。

 解らないけど分かったような気がした。

 彼……彼は……


(シャルト、だ――)


 目の前を別の白い玉が飛んでいた。

 私の手は無意識の内に動いていた。


 ふたつ目。


 現れた景色は荒野。

 その中心となる場所に一人の少年がいた。

 彼は泣いていた。声も出さず、静かに涙を流していた。


 カシギの言葉が甦る。

『この町よりも大きな街が一つ、消えてしまった』


 あぁ……これはシャルトの過去……。


 シャルトの感情が伝わってくる。


 哀しい。 苦しい。 ――。

 助けて。 誰かっ。 おれを助けて。


 こんな力なんていらない。

 いらないからっ!!







 * * *




 自分の声で目が覚めた。

「鈴さん?」

 ユキが私を心配そうに見ている。

「……大丈夫。心配しないで」

 午前五時半。外はまだ暗い。

 部屋を出て、隣の部屋からカシギを呼び出した。

「……どうしたのですか? こんな時間に」

「シャルト達は起こさないで……ついてきて、くれる?」

 静かに家を出ると、誰もいない場所まで歩いて行った。

 目的地に着くまでに気持ちが落ち着いてくれるかと思っていたけど、そんなに効果は無かったみたい。

 実は……カシギ達の過去も見てしまった。

 見たのはシャルトの過去の方が多かったけど、カシギ達の過去も、断片的に……。

「……? 何の話ですか?」

「ゆめ……さっき見た……」

 覚えている限りを話した。

 話すうちに、ボロボロと涙が零れてきた。

 零れては頬を、手を、服を、濡らしていく。

 カシギは頭を撫でてくれたけど、なんだか子供扱いされてるみたいだった。

 何も言わずに傍にいて、私の話を聞いてくれた。


 私は泣き疲れて、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 次に意識が戻った時に聞こえたのは、カシギとシャルトの会話だった。

「何でこんな所で寝てるんだ?」

「まぁ、そっとしておいてあげよう。

 クロ君を起こさなかったのも、彼女なりの考えがあったからでしょうし?」

「聞くな」


 しばらく聞き耳を立ててみた。


「――で、鈴と何の話してたんだ」

「過去を――夢で僕達の過去を見たらしい。本当に不思議な子だね。鈴さんは」

 ゆっくりと日が昇る。

「あの頃は君も幼かったから覚えてないだろうね。三年前も、ヒースどころか自分の事すら分かってなかったみたいだったし……」

「おれの過去…?」

「クロ君のは過去だけでなく、傷痕までも。

 きっとあの時の痕だろうね」

 あの時?

「あの時っていつだ?」

 シャルトも同じ所を聞いていた。

 その質問に対するカシギの声は冷たかった。

「前にも言っただろう? 《この町よりも大きな街が一つ、消えてしまった》と。君の中にいるヒースのおかげで大被害だったんだよ」

 カシギがシャルトを指し示した。

 日が昇り、遠くの景色が白んでくる。

「三年前の傷は綺麗に消えただろう? でも、もっと昔からあるはずの傷の方が消えない」

「……?」

「その傷はね、僕達、生き残った悪魔が自分まで消されるのを恐れて君を……殺そうとした時のものなんだ」

「!?」

 ええぇ!!?

 カシギ達がシャルトを殺そうとした!?

 驚きのあまり、声を出しそうになった。

「……でも、出来なかった」

 どうして? ……って、声に出さなかったら答えてもらえないか。

「事件の後、君は施設に入れられた。

 それから後は覚えてるかな?」

「あぁ……まさか、あの頃から八十年以上経ってからその原因を知る事になるとは思わなかったけどな」

 胸が苦しくなった。

 あの、夢を見た時と同じ……。






 ドォン……ッ!!!


 遠くで、雷が落ちたような音がした。

 驚いた鳥達が頭上で飛び回る。

「何だ!? 鈴! 起きろ!!」

 言われなくても既に目は覚めている。

 私達は音の発生源に向かって走った。

 場所は、木槿の広場よりも少し奥だった。

 見えたのは白い人。

「ほら来ちゃった」

「ぼくのせいじゃないよ。ルークがあんな事するから……」

「ボクのせいになるのか!?」

 兄弟喧嘩? こんな所で……。

「仲間割れしてるなってば! 八つ当たりならそこの黒いの二人にすればいいだろ!?」

 ルークとレイテがこちらに向かって飛んで来た。

 え……何? 八つ当たりって!??

 シャルトとカシギが前に出た。

「行くぞ、カシギ!」

「誰に言ってるんだい?」

 シャルトとカシギは二人の攻撃を避け続けている。

「何なんだよ、こいつらっ。おい、カシギ!」

「はい?」

「こいつらを何とかしろ!」

「それはちょっと……無理ですねぇ」

 とか言いつつも、二人はまるで踊っているようにルークとレイテをいなしていく。

 悪魔の方が戦い慣れしているらしい。


「君さ、何であの二人と一緒にいるの?」

 いつの間にかリーズが横にいた。

「!!?」

「ん? その反応、今まで僕に気付かなかった?」

 リーズが笑った。

 天使らしい、綺麗な笑顔だった。

「鈴!」

 シャルトに呼ばれて振り向こうとしても、体が動かなかった。

 視界の端で、シャルトが走り寄ろうとしているのが見えた。

 でも――。

「クロ君! 危ない!!」

 カシギの声に続いて鈍い音がして……シャルトが倒れた。











 何かが……






 壊れていくような気がした――。














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