実家で飼っていた家族の話
葵 悠静
本編
私が学生だった頃、実家で一匹の犬を飼っていた。
彼との出会いは確か4歳か5歳くらいの時で、知らない人の家から彼を引き取った。
今考えれば元々野良犬でそれを保護していた方から引き取ったのだろう。
実家では祖父母、母、私で暮らしていたが、祖母は犬も猫も嫌いだと言っていた。
ではなぜ彼を我が家の家族として招き入れたのか。その理由は今も分からない。
何はともあれ家族の一員として迎え入れられた彼は真っ白な毛並みをしていて、小さな丸い瞳がとても印象的だった。
彼はいつからか「シロ」と呼ばれるようになり、家のケージの中で飼われた。
小さなころからとても好奇心旺盛でやんちゃで元気すぎた彼に、私はいつもおびえていた。
そんな小さかった頃の彼との間に起こった今でも忘れない出来事がある。
まだシロが来て一年たつか経たない頃、彼を連れて海に行ったことがある。
当然彼が逃げないように、リードをつけていたのだが何かの拍子か、それともわざとか、祖父がリードを手放して、彼が砂浜で自由になった。
そしてそんな自由になった彼が真っ先に向かってきたのは私のところだった。
私に襲い掛からん勢いで近づいてきた彼に、私は生命の危機を感じ、全速力で逃げた。
何分ほど逃げたのかは分からないが、あの時砂浜で走っていた私のスピードはもしかしたら人生で一番早かったかもしれない。
そんなことがありながらも私もシロも成長し、私が小学生のころには彼は家の中ではなく外で飼われることとなった。
時がたつにつれて最初の小さく可愛い様子はどこにいってしまったのか、彼は中型件ほどのサイズになり、そして目つきは細めへと変わっていった。
ひいき目を抜いたとしても、彼は犬の中でもかなりのイケメンだったと思う。
実際、近所の別の家の犬と散歩ですれ違った時は、向こうからシロの方に近寄ってきて、アプローチをかけられているように見えたし、家の周りでシロの周りに野良犬が集まっているのを見たこともある。
しまいには犬だけでなく、猫までも彼のとりこになっていたようで野良猫であろうその猫は長らく彼の傍に一緒にいた。
私の実家は猫まで飼う余裕はなかったため、一緒に暮らさせてあげることはできなかったが、猫と過ごして以来彼は猫のようなしぐさをすることも増えた。
きっと彼は動物界隈でも相当のイケメンだったのだろう。
アプローチされるたびにめんどくさそうにしている彼の表情が特に印象的だった。
その頃の私はというと、犬に対して明確な恐怖心、トラウマができてしまっており、犬が大の苦手になっていた。
しかし不思議なことにトラウマを作り出した原因の一端ともいえるシロに対しては、なぜかおびえることなく接することができるようになっていた。
無意識の中で彼も家族の一員だという自覚があったのかもしれない。
成長したとはいえ彼のやんちゃさはとどまることを知らず、さらにエスカレートしていくばかりだった。
先ほども言った通り彼はイケメンなわけだが、それと同時に頭もよかった。
外で飼うにあたってリードを柵につけていたのだが、これまでに二回彼は自らリードを外し脱走したことがある。
はじめて彼が脱走したのは日課である彼との散歩が終わった直後だった。
散歩当番だったのは自分だ。
私の当時の日課は彼との散歩の後、家の中に戻り餌を補充して彼の元に戻る。というルーティンだったのだが、その日は餌を手にして彼の元に戻ると、いるはずの場所に誰もいなかったのだ。
ブラント力なく地についたリードが目に入り、あの真っ白な毛が見えなかったときは相当焦った。
全身の血の気が引き、その場で動けなくなってしまったことをよく覚えている。
そして家に戻り家族にシロがいなくなったことを話すと、全員大慌て。
夕食の準備をしていた祖母もテレビを見ていた祖父も母も、そのすべてを放り出して家族総出で彼を探し回った。
結果として15分ほどで彼は近くを走り回っており、我々を見つけてすぐに戻ってきてくれたが、その時のしれっとした彼の顔は今でも忘れない。
誰のために走り回ったと思っているのか。そんな私の気など知る由もない彼は、家に戻ってきた後すました顔で餌を大食いしていた。
二回目の時ははじめは焦っていなかった。
一度逃げだしたという実績があったからかもしれないが、現場の状況を祖母と一緒に確認しリードを外して脱走を図ったのだと分析できるほどには冷静だった。
しかし問題はそのあとだった。
彼はその日見つからなかったのだ。
その日は祖母と二人で1時間ほど周りを見て回ったが、一向に彼が見つかることはなかった。
もしかしたらお腹がすいたら彼は家に帰ってくるかもしれない。
そんな期待をしながらその日の捜索は中断となった。
しかし彼はその次の日も、さらにその翌日も家に帰ってくることはなかった。
当然心配だったし、いつもの散歩ルートやそれ以上の道のりを捜索したりもしたが、彼は見つからなかった。
3日も過ぎれば徐々に諦めの空気になってくる。
シロは野生に戻ってしまったのかもしれない。もしかしたらどこかで車にひかれて死んでしまっているのかもしれない。
そんな理由をつけて彼がもう家に戻ってくることはないのだと、祖母は自分に言い聞かせるように私に話してくれた。
その時は中学生か高校生だったと思うが、自転車で通学路を通るたびにシロのあられもない姿が見つかるのではないかと不安で、登校するたびについ車道を多く見てしまっていたような気がする。
そして一週間が経ったころ、私が学校から帰ってきた時だった。
大きな舌を出して肩で息をしながら伏せているシロの姿が家の前にあったのだ。
私は驚いて彼の首元を確認したがリードでつながれている様子はない。
それでも彼は家の前で、真っ白な毛を土まみれの黒ずんだ色に変えてまたしれっとしたすました表情で自分の定位置で伏せていた。
祖母はそんなシロに対してめちゃくちゃ説教をしていたがその表情は全く怒っていなかったように見えた。
そんな子供のころから大人になってもずっとやんちゃなシロと過ごして15年が過ぎた。
私は実家を出て一人暮らしを始め、彼と触れ合えるのは多くても一年に二回ほどとなってしまった。
15年たっても一向に衰えた表情を見せないいつまでもイケメン顔の彼だったが、さすがに歳には勝てなかったようで、そのころには内臓が大分弱ってしまっていると祖母が話していた。
そして自然と家族の会話は彼が亡くなったときの話が多くなってくる。
15年も一緒に過ごした家族だ。
できることなら葬式をしてあげたいと祖母と母が口をそろえてよく言っていた。
私もそれについては賛成だった。
彼を盛大に見送ってあげられるならその方がいい。
そんなことを考えながら、いつか来るその時の話を何度も家族と話し合った。
『シロがいなくなった』
そんなメッセージが来たのは私が寮の部屋にいる時だった。
すぐにメッセージを送ってきた祖母に電話をしたが、電話口の祖母はずいぶんと落ち着いていた。
「もう年で悟ったんかもしれんなあ」
祖母はそう言って笑っていた。
確かに猫は死に様を誰にも見せないというのは聞いたことがある。
猫と過ごすことで猫に似ている部分ができた彼にも、そんな考えがあったのかもしれない。
そもそも彼の性格的に、一度も私たち家族の前で苦しそうな表情すら見せずすまし顔のイケメンであった彼にとっては、死に様を家族にさらすというのは耐えられないほどの恥だったのかもしれない。
それでも私はあきらめることができなかった。
なにせ過去に二回前科があるのだ。
そしてその時は二回とも自分から戻ってきているのだ。
今回だってしれっとまたあのすまし顔をしながら戻ってくるかもしれない。
そう考えてしまうことが何度もあった。
でも彼が家に戻ってくることはなかった。
数か月たって、彼が私たちの元に帰ってくることはないとようやく整理をつけることができた。
本当は祖母と話した時に彼は戻ってこないという考えを理解して、なぜか直感的にしっくりきてしまっていたのだが、あえてそれを無視していた。
私に犬に対する恐れ、トラウマ、愛情、接し方を教えてくれた彼の衰えた姿を私は知らない。
出会ったときから別れの時まで彼はやんちゃでイケメンな存在だった。
最近実家に一人になってしまった祖母にまた犬か猫でも飼わないのかと尋ねたことがある。
「飼わへんよ。ペットはシロだけで十分。もうこりごりやわ」
祖母は笑いながらそう答えていた。
犬が嫌いだった祖母はいつの間にか彼に家族のだれよりも愛情を注いでいた。
実家で飼っていた家族の話 葵 悠静 @goryu36
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