甘々なアイスコーヒーが良いに決まってるー!!

小鳥鳥子

第1話 甘々なアイスコーヒーが良いに決まっている

「くっくっく、これで奴をギャフンと言わせることができる」


 時刻は深夜。

 当然、見ている者はいない。

 仕掛けは上々。

 笑みを浮かべながら、私はそっと戸棚の扉を閉めた。

 明日が楽しみで仕方がない――。



 ◆ ◆ ◆



「やっぱり、高価な豆で挽いたコーヒーは美味しいなぁ」


 カズヤはほっこりとした顔で呟く。

 その手には、コーヒーカップがあった。

 コーヒーカップからは微かに湯気が立ち上っている。


「マキはアイスコーヒーで良いの?」


 カズヤが声を掛けてくる。


「私はアイスコーヒーが良いの」


 私の目の前には、透明なガラスのコップに入った涼しげなアイスコーヒーがある。

 シロップとミルクを沢山入れた甘々のアイスコーヒーだ。

 もう八月、真夏なのである。

 部屋の中は冷房で涼しいとは言え、外では灼熱の太陽が地面を照らしている。

 ホットよりアイスの方が良いに決まっている。


「ホットの方が良いと思うんだけどね」


 ただ、カズヤはその辺りのことは理解してくれない。

 コーヒーに限らず、温かい飲み物を飲んでいることが多かった。


「それと、僕が淹れたコーヒーでアイスコーヒーを作っても良かったんだよ?」


 その言葉に少しだけ心が痛む。

 カズヤが親切心でそう声を掛けてくれているのが分かるからだ。

 しかし、私は今更揺るがない。


「私は自分でアイスコーヒーを作りたかったから良いのよ」


 カズヤが飲んでいるホットコーヒーは、カズヤ本人が豆から挽いて作ったものである。

 そして、私が飲んでいるアイスコーヒーは、私が豆から挽いて作ったものである。

 ホットかアイスか、カズヤ作成か私作成かの違いがある。

 そして、二つのコーヒーにはもう一つ、決定的な違いがあった。


「マキの使った豆は安いやつだっけ?」

「そうよ」


 私が使った豆は、近所のスーパーで購入した安価なコーヒー豆である。


 ――と、


 しかしながら、じつは――逆なのである。


 昨夜、私はカズヤの購入した高価な豆と私が購入した安価な豆を入れ替えていた。

 しかも、わざわざ見た目が似たような豆を選んで購入していたのだ。


 何故そんなことをするのか?

 それは勿論、カズヤをギャフンと言わせるためだ。



 カズヤは何事をもサラっとスマートにこなしていくタイプだった。

 例えば――。

 私が「日本で6番目に長い川の名前は?」と聞いたら、


「阿武隈川でしょ?」


 と、即答である。


 いやいや、3番目までとか、5番目までとかなら、暗記していてもおかしくはないかもしれない。

 でも、普通6番目までは覚えていないだろう。


 次に私は一般的でない知識ならどうだろうと考えた。

 そこで、「私の母の誕生日は?」と聞いたら、


「三月十四日だね」


 また、即答である。

 なんで知ってるんだよ。

 そんなの絶対教えていないぞ。


 知識系の質問を諦めた私は次に、カズヤが日頃身に付けている腕時計に目を付けた。

 カズヤは外した腕時計をいつも戸棚の上に置いている。

 それをすぐ近くの引き出しに移動したのだ。

 これなら、狼狽えたり、色々探し回ったり、私に聞いてきたりをするはずである。


 しかし――。

 カズヤはそれらの行動を取らなかった。

 

 時計がいつもの場所に無いことに気付くと、私の顔をまずは確認し、すぐに時計の入っている引き出しを開けたのだ。

 そして、何事もなかったかのように、見つけた腕時計を左腕に装着しようとする。


「ちょっと待って!!」

「ん?」

「何でそこにあるって、すぐに分かるの!?」


 反対に狼狽えさせられた私が聞いた。


「いや、マキなら、この辺りに入れるんじゃないかなぁと思って」


 事も無げに、サラッと答えるカズヤである。

 確かに、すぐ近くにあるのに焦って探し回ったりするカズヤをイメージしてたけど……。

 思考読まれてる?

 私の思考が単純ってこと?


「じゃあ、行ってくるよ」


 私の思考を読み切ったのが嬉しいのか、妙にニコニコした顔のカズヤはいつも通りの時間に出掛けて行った。

 全く釈然としない私を残して。



 そんなことがあり、私はカズヤをギャフンと言わせる次なる機会を伺っていたのである。

 そして、カズヤがつい先日コーヒー豆を買ってきた。

 かなり高価な豆らしい。

 これはチャンスとばかりに、昨夜コーヒー豆の入れ替えを決行したのである。


 現在、カズヤは私が用意した安価なコーヒー豆で淹れたコーヒーを飲み、私はカズヤが購入した高価な豆で淹れたアイスコーヒーを彼の目の前で飲んでいる。


 今回こそは私の完全勝利である。

 私は机の下で小さくガッツポーズをした。


 あとは、ネタばらしをするだけである。

 その瞬間のカズヤがどんな顔をするか楽しみで仕方がない。



 ――そこで、私はハッと気付いた。

 本当にそれで終了?


 じつはコーヒー豆を交換していたんですー、とにこやかに言ったとして、カズヤは狼狽え始めることだろう。

 そこまでは良い。

 その後、どういう反応をするだろうか?


 高価な豆で挽いたコーヒーは美味しい、とまでカズヤに言わせている。

 でも、じつはその豆は安価な豆だったとなる。


 私と違い、とても物知りなカズヤである。

 プライドを大きく傷付けられることになるのではないだろうか?

 ……怒るんじゃないか?

 少なくとも、私なら絶対怒る。

 というか、激怒する。


 思考を一旦止め、目の前のアイスコーヒーを一口だけ口に含む。

 ――味がしない。

 先程まで存分に感じられたシロップの甘さが全く感じられない。

 冷たいコーヒーを飲んでいるはずなのに、額に湧き出てくる汗が止まらない。


 出会ってから2年以上経つが、カズヤが怒ったところは一度も見たことがなかった。

 怒ったら、どうなるんだろう。

 どうなってしまうんだろう。


 カズヤと別れることになるのかな?

 そう思った瞬間、私の脳裏にカズヤとの思い出が鮮明に蘇ってきた。


 あれは二か月くらい前だったかな。

 バイト先から帰宅しようと思ったときだ。

 来るときは降ってなかった激しい雨が降っていた。

 走って帰るかーと思ってたところ、カズヤが突然現れて傘を渡してくれた。

 「午後から雨予報だったけど、どうせ持って行ってないと思って」と真顔で言われた。

 感謝と共にちょっとムカッときて、私は渡された傘とともにカズヤの傘も引ったくった。

 そして、「じゃあ、相合傘して帰るよー!」と傘を一つだけ開いた。

 一つの傘でわざと腕を絡めて歩くと、カズヤが少し顔を赤くしていたものだ。


 半年くらい前にも思い出がある。

 私の両親が東京に遊びに来るって突然言ってきたときだ。

 両親から浅草を満喫したいってリクエストが来て、どうしようかと悩んでいたらカズヤが声を掛けてくれた。

 事情を説明すると、まずは両親の好きなもの、嫌いなもの、興味あるもの、苦手なものなんかを詳しく聞かれた。

 そして、それらを考慮した両親用の最適なプランを考えてくれた。

 レポートの期限が迫っていて、彼は物凄く忙しかったはずなのにだ。

 東京を発つ際の両親は、カズヤお薦めのお土産を大量に買い込んで今まで見たことがないくらいに上機嫌だった。

 カズヤにその報告をしたら、「親孝行できて良かったな」って笑顔で言ってくれた。

 あのときの笑顔をきっと私は一生忘れない。


 その他にも、私が友達と喧嘩して落ち込んでいるとき、レポートを纏められずに泣きそうになっているときとか。

 あれ?

 カズヤとの思い出って、私がカズヤに助けられてばっかり?


 ――いや、そういうことじゃない。

 カズヤはいつも私を気にかけてくれて、私に優しくて、私のことを想ってくれていたんだ。



 カズヤの様子をチラッと伺うと、こちらを心配そうに見つめていた。

 そこにはいつもと変わらない、私をいつでも気遣ってくれるカズヤがいた。


 ダメだ……。

 ここから反転して怒られたら、私は絶対泣くどころでは済まない。

 そして、きっと立ち直れない。


 うん、謝ろう。

 全力で謝れば、許してもらえるかもしれない。

 私みたいに馬鹿で可愛くない女の前に、こんな人はもう二度と現れない。

 私はカズヤと別れたくない。


 おもむろに立ち上がった私は、カズヤに向かって深々と頭を下げた。


「ごめんなさい」


 理由は告げずに、精一杯の謝罪をする。

 今の私にはこんなことしかできない。


「えっと…………コーヒー豆を入れ替えたことかな?」

「へっ??」


 全く予想していなかったカズヤからの言葉に、私は間の抜けた声を上げてしまった。


「マキがコーヒー豆を入れ替えたことには気付いていて、元に戻しておいたから……」

「えっ!?」

「だから、別に謝る必要はないかな」


 逆に申し訳なさそうな顔のカズヤが言う。


「――なんで、気付いたの?」


 私としては完璧な入れ替えだったわけで、何故気付かれたかは全然分からない。

 全く心当たりがない。


「いや、そろそろマキが何か仕掛けてきそうだなぁと思っていたところ、今朝の様子がおかしかったし――」

「……」

「『豆挽くの面倒~』って以前言ってたのに、コーヒー豆買ってきたし――」

「……」

「コーヒー豆の缶の蓋がしっかり閉まっていなかったし――」

「もう、いいです……」


 更なる理由を話し続けそうなカズヤを私は制止した。

 カズヤからすると、今回の件はバレバレだったようだ。

 完璧だと思っていたのは、私の思い違いだったのだ。

 私は両手をテーブルに着き、がっくりとうなだれる。


「なんか、ごめん……。ネタばらしがそろそろかなぁと思ってたら、マキの顔が急に青くなって、心配になるくらいで……」


 想定とは違う意味で狼狽えている様子のカズヤ。

 さすがのカズヤにも、私がいきなり謝るというのは予想できなかったようだ。

 当初の目的を果たすことはできたわけである。

 達成感は全くなく、敗北感しかないけども。


 つまりは、ただただ私が空回っていただけだった。

 しかし、私としては最悪の事態を免れたので問題はない。

 と、思うことにしておく。

 ――しておこう。



「それと、――ありがとう」

「ん?」


 自分で自分を慰めていた私が、何故かカズヤから感謝されている。


「マキのおかげで、いつも退屈なんか全くせずに楽しい日々を過ごせてる。これからもよろしくね」


 そう言って、ニコニコした顔を向けてくるカズヤ。

 あまり多くを話さないカズヤがそんなことを言ってくるなんて凄く珍しい。

 これからのことなんて、もしかしたら、初めてかもしれない。


 うん。

 うんうん。

 こういう悪戯はもう絶対しないとか思ってたけど、止めた。

 これからもいっぱい悪戯しよう。


「こちらこそ、よろしく」


 テンションが跳ね上がったことに気付かれないように、できるだけ冷静に返事をする。

 顔を横に向けながら。


 ――やばい。

 にやけ顔が止められない。

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甘々なアイスコーヒーが良いに決まってるー!! 小鳥鳥子 @kotoritoriko

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