可惜夜

空草 うつを

君は知らない

 朝なんて来なければいいのに。

 そう念じながら今はまだ夜なのだと言い聞かせて目を閉じる。そうすればほら、綺麗な三日月と満点の星が輝く夜空が広がって——。


「いつまで寝てるの、着いたよ」


 せっかく夜空に瞬く星座をうっとり眺めていたのに、母が無理矢理瞼をこじ開けてきた。

 ああ来てしまった。自然の摂理、どう足掻こうが結局朝はやって来る。


 親の仕事の都合で都会から田舎の町に引っ越して来た朝。せっせと手際よく荷物を運ぶ両親は、広い庭付きの新居に大人げなくはしゃいでいた。前住んでいた所はマンションで庭なんてなかったし。母なんか、家庭菜園できるかしらなんて声を弾ませているし。

 こっちは朝から絶望の淵にいるというのに。


 幼稚園から中学校までずっと一緒だった友達と、卒業まで一緒だと普通なら思うでしょ?

 なのにどうして自分だけ、中学三年になる直前、全然土地勘もない知り合いもいない辺鄙へんぴな町に住まなきゃいけないわけ?


 引越し業者と話し込んでいる両親の目を盗んで逃げ出し、近くのさびれた公園のブランコに腰掛けた。

 平日の閑静な住宅街に人の姿はない。猫が一匹通って、見知らぬ者を警戒するように睨みつけて唸ってくるだけ。


 どうせ余所者ですよー、と舌をべぇっと出すと、猫はつまらなそうな顔をして去っていった。

 本当はこんなとこ来たくなかった。理不尽だ。子供だから親の都合で引越しなんて。どうして、どうして……。


 悲しみが過ぎて涙が溢れた瞬間、風が吹き荒れた。頬を伝う涙をかっさらっていく突風が止んだ時。


「ねぇ」


 話しかけられた。声変わり途中で中音域の、少しくぐもったような、穏やかな声に。

 始めは聞き間違いかと思って無視していたら、隣のブランコが僅かに揺れた。


「隣に引っ越して来たの、君?」


 ひとりになりたくてここに来たのに。邪魔されてムッとした顔のまま「ほっといて」と言おうとした。

 けど、その言葉は喉の奥で勢いを失っていく。


 同い年くらいの少年の、陽だまりのような笑顔が優しすぎて。怒りの矛先を向けて酷い言葉を投げつけたら、傷つけたら、後悔の念に苛まれる気がした。

 柔らかい笑顔に似つかわしくない黒く光る厳ついカメラを首から下げた少年は、ブランコをゆっくりと漕ぎ始める。


「名前は?」


 本当はほうっておいてほしいのに。


「向こうでは何て呼ばれてたの?」


 名前とニックネームと、聞かれていないのに生年月日まで教えてしまった。


「じゃあ僕もアキって呼ぶことにするよ。よろしくね、アキ」


 今ブランコを漕いで風に乗る君があまりにも穏やかだったから。



 優しくて誰とでも打ち解ける君の周りには、男女問わず常に友達がいた。

 余所者は窓際の席に逃げて、それを遠巻きに眺めることしかできなくて。

 本当は友達が欲しいのに、ひとりでも平気ですよーと可愛くない感情が邪魔をして上手く人の輪に入れない。寂しさがよぎって机に突っ伏した。


「アキもおいで」


 初めて会った日と同じ、穏やかな笑顔で手招いてくる。

 でも本当に可愛くないから、別に寂しくなんてなかったよ、呼ばれたから来ただけ、なんていう顔を作って近寄った。


 ひとりでいる所を見かけた君は、いつも声をかけてくれた。だから一学期が終わる頃にはクラスメイト全員と仲良くなれて。

 でも、本当に仲良くなりたかったのは、他でもない君だった。

 誰よりももっと近くにいたいのに、素直じゃないから自分から話しかけることはせず。他の人と話している君を見ると面白くなくて、つい素っ気ない態度になってしまう。そうして我に返って、今日はあまり君と話せなかったと反省する日々が続いた。


 でも、家が隣だったから学校帰りは君の家に立ち寄って、夕食前までずっと話し込んだ。見兼ねた君の両親が「泊まっていく?」と勧めてきたら食い気味に「はい!」って返事なんてしちゃって。

 本当は迷惑だったと思うけど、君は全くそんな素振りも見せないからついつい甘えてしまう。


 君のベッドの真横に布団を敷いてもらって、寝るまで話をする。

 カメラが好きな君が撮った写真を見せてくれるのも楽しみで。君の目には世界はこんなに綺麗に映し出されているんだって知ることができるから。

 駄菓子屋さんの前で欠伸をする三毛猫、バス停でうたた寝するおばあちゃん、切り株からひょっこり顔を出した新芽……。

 なんでもない平凡な日常なのに、君が撮ると特別な瞬間に様変わりする。才能、なんだろうな。


 アルバムを飽きることなく見ていたら、ベッドの上からくうくう寝息が聞こえてきた。それが、とっても嬉しくて仕方ない。他の誰も君の安らかな寝息を聞いたことがない。自分だけが知っているんだ、って。

 君を独占できることがこの上ない喜びで、朝なんて来なければいいのにって思ってしまった。そうすれば、ずっとずっと君を独り占めできるのに。


 おかしかった。君と出会ったあの日からずっと変な感情が渦巻いて心の中がかき乱されていた。



 成績優秀だった君と同じ高校に行きたくて、死に物狂いで勉強した。

 不純な動機だったけど、同じ高校に進学が決まった時は、それはもう心の中はお祭り騒ぎ。これでまた側にいられるんだって、そればっかり考えていた。



 高校一年の夏。君の家で夏休みの課題に追われていたら、窓の外が突然光って、空気を切り裂き岩をも打ち砕いたような激しい音が響いた。

 咄嗟にベッドに飛び乗って、布団にもぐって顔を隠したのは、小さい頃から雷が大の苦手だったから。もちろん、皆がいる時には絶対にやらない。平気ですよーだ、って顔をこしらえてどうにか堪えていたのに。


 その日の雷は、体の奥まで響くような大きな音を立てて地面に落ちたから、びっくりして怖気づいてしまった。


 高一にもなって雷にビビるなんてことを知られてしまった恥ずかしさで、布団から顔を出せずにいれば。


「大丈夫?」


 気遣わしげな声は変声期を終えて大人の男の色気が混じる音を出す。その声と共に、君が、布団の中に入ってきた。


「アキ、見っけ」


 無邪気な笑みを浮かべる君の顔が近づいてきて、身体が異常に熱くなっていく。きっと夏の暑さの中布団にくるまっているせいだ、と必死に思い込ませた。

 雷がいくら喚き散らしても、全然怖くなかった。心配して雷が鳴り止むで寄り添ってくれた君の心が、あったかかったから。



「夜は雷は鳴らないだろうから、安心して寝て」


 その日もいつものように君の部屋に泊まった。ベッドの上の君は眠たそうに欠伸を何回かかます。


 へそ曲がりな雷が一発落ちて来るかもしれないよ、って言ったら、きっと優しい君は放っておかない。そんな悪知恵が働いてしまう、悪い奴だと我ながら実感する。けど、こうでもしないと君の側にいられないから。


「アキは怖がりだね」


 ほら、思った通り。笑いながらベッドから降りてきた。横に別の布団を敷いて、怖くないようにって笑い話をしてくれていたけれど、君はいつの間にか眠ってしまった。


 誰も見たことがない、君の綺麗な寝顔を堪能する。ああ、朝なんて来なければいいのにって切実に願ってしまう。この夜が永遠に続けば良い、と。

 だけど、時の流れは人一人の力では変えられない。無情にも朝はやって来てしまう。


 できることは、夜のとばりの中でひとり、君と結ばれる夢を見ること。夢の中なら自由に君を独占できるし、想いを打ち明けることだって容易い。


 渦巻いていた感情に名前をつけるのは何時いつでもできた。あえて名付けなかったのは、後戻りができなくなってしまいそうで怖かったから。君の側にいられる今の関係が心地よかった。


 この感情は知られてはいけない。

 君の目にはどう見えているのだろう。美しい世界を写し出す、ファインダー越しの君の純粋な瞳から、この想いを隠さなければならない。

 知ったらきっと離れていってしまうだろうから。


 だって君にとって、僕は仲の良い男友達でしかないのだから。

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