第一章 この世のオモテとウラ 4

 車は門の前で停まった。フウとハチから叩き下ろされ、俺は途方もなく上空へ続く都市を見上げた。手すりのない橋を渡り、都市の入り口である凱旋門を通る。

 チラリと振り返ると、フウは小瓶のようなものをシェルホルダーから引っ張り出し、車を引いていた獣の業魔に向けていた。小瓶の中へ業魔イルが吸い込まれていく。

「あいつは業魔イルを使役すんだよ。イカれてるよなー」

 ハチが鼻で笑いながら俺の肩をトントン叩きながら先を行く。スッとひとさし指を頭上に向けた。

「これ、まるっと都市な。俺らが住めるのはこの都市だけ。まぁ、都市の中にも業魔イルは出るから、なんとか付き合って行くしかねぇ」

「どうして、こんなところに住まなきゃいけないんだ……」

 説明を受けてもなお、なぜ業魔イルがはびこるこの世界に住まなきゃいけないのかがわからない。極楽にも地獄にも行けないからという理由なんだろうが、それにしたってこんな危険地帯に押し込められるのは理不尽だと思う。

「考えてたら死ぬぞ、頭が」

 俺の思考を読み取ったかのように、ハチが答えた。自分が言ったことが面白かったのか、噴き出して笑う。

「まー、安全な場所として、横に広げるよか縦に伸ばしたというのが理由だろうな。俺もよくは分かんね」

「そうですか……」

「とっとと行け! つっかえてんぞ!」

 背後からフウに蹴飛ばされる。扱いはまるで罪人のようで、俺は仕方なく先を進んだ。

 橋を渡り、門をくぐる。すると、俺のほかにもさまざまな人間が建物の中へ引き寄せられるように歩いていた。ハチのような格好をした局員らしき人物もちらほらいる。

「今日はこんだけかー。まぁ、時間帯にもよるしな」

 ざっと見るだけで四、五十人はいるが、いつもより少ないのかハチは楽観的に言った。

 俺はハチを見失わないように建物の中へ入った。不気味な木造建築は、ちゃんと設計されているのかどうか疑わしいほどギシギシと軋みを上げていて危なかしい。

 広場みたいな場所からひとつしかない出入り口なのか丸い鳥居があって、そこを通る。

 玄関ホールのような円形状の広間があり、無数のトンネルがぐるっと周囲にあった。上も同じく、そして手すりがあまりないのだが、局員の服装をした人間たちが慌ただしく行き来しているのが見える。

 ほどなくして、ハチと俺は高い台座がぽつんとある広間へ入った。そこには老若男女の人間たちがぞろぞろと並んでいて、皆一様に不安げな顔を浮かべている。

 辺りには灯籠が等間隔に並んでいて、まるで参道のよう。

「あー……だるっ」

 そう言ったのはハチだった。

「つーか、ここで待たされんの? さっさと局長に通せや」

 イライラしながら言うハチの背後にぬっと大きな影が忍び寄る。

「よう、ご苦労さん!」

 ハチの背中を思い切り叩く大きな影。ハチはドンと前方に思い切りつんのめって倒れた。

 俺は身の危険を感じて素早くふり返った。天井を突き抜ける勢いの縦にも横にもでかい男がいた。濃い髭面で濃い顔つきの男は、明朗な表情で俺たちを見下ろす。

「そっちの坊主はこっちだ。良かったなー、この行列に並ばなくて」

 そう言って彼はひょいっと俺を持ち上げた。まるで俵を担ぐように肩に乗せられる。

「は、ハチ!」

 ハチは背中をさするばかりで、俺のピンチに気が付かない。

ノウさん……んじゃ、あとは頼みますよ……」

「何言ってんだ、お前も来るんだよ」

 ノウと呼ばれた男は、ハチの首根っこをひっつかんだ。そして、俺たちはこの大男に連れられて、行列を通り過ぎ、台座にいる局員の横も通り過ぎ、暗い廊下へと進んだ。

 そういえば、いつの間にかフウがいない──と、思ったら通された部屋の中にいた。

 そこは広い座敷だった。無限に広がる畳の間。その途方のなさに不安がよぎる。

 ノウは俺とハチをその場に放り投げた。ドサッと物のように落ちた俺たちは、その場にいた局員たちの視線を浴びた。全員が脇に正座し、静かにしている。

「それで──」

 座敷の奥に位置し、書き物机と肘掛け椅子に座る女が口を開いた。白い装束で天女もかくやと思うほどの妖艶な美女だが目玉が白い。異質さを放っている。

「それで、この少年を推薦すると?」

 女が問う。これにハチがようやく居住まいを正し、咳払いした。

「あー、はい。そうです。斧田澪、十五歳。素質ありです」

「そうですか……」

 女は興味の薄い反応をし、書物に何かを書き記す。

「では、斧田澪。そなたを生還希望者サバイバーと認める」

「え?」

「話は以上。解散」

 事務的に話が進むも、なんだか妙なことに巻き込まれそうなので、俺は思わず足を踏み出した。

「あ、あの! 待ってください! 生還希望者サバイバーって……」

 しかし、ふすまがピシャリと閉まり、話は聞き入れてもらえなかった。

「なんなんだよ……」

「生き還るんだろ? だから、そのための任命式ってやつだな」

 ハチが足を投げ出すように座り、たちまちだらけていく。

 他の局員たちは一人ずつ部屋を出ていき、入れ替わるかのようにどこかからか地味な局員がやってきて、盆に茶と菓子を載せてやってきた。

「あ、ほら、茶と菓子がきた。食え」

「いやいや、待って! 急展開についてけないんですが!?」

「さっきの女の人は、ここの局長だ。厳しいしあんまり表に出てこないんだけどさ、悪い人じゃないと思う。はい、茶」

「あ、どうも」

 湯呑を差し出され、素直に飲む。体の芯が急激に熱を漲らせた。

「ほれ、菓子」

 桜の練りきりを目の前に掲げられ、口に無理やり押し込まれた。

「どうも……じゃなくて! 俺の意思は? その、生還希望者サバイバーってのになったら、俺もここで働かなきゃいけないやつでは!?」

「働くんじゃねーよ。お前は局員じゃない。生還希望者サバイバーだ」

 ハチは茶をズルズル飲みながら言った。

「言葉のまんまさ。お前は期限内に業魔イル狩りをし、見事、優秀な成績を修めたら現世へ還れる。そういうこと」

「全然言葉通りじゃないんですけど!?」

「つべこべ言うな」

 俺の追及にハチは苛立ったのか、桜の練りきりをまた俺の口に押し込んだ。仕方なく食べる。

「普通は長い審査をされて、素質のある人間かどうか決められるんだぜ。さっきの行列、見たろ。あれは生還希望者サバイバー候補だ」

 あの長蛇の列……あんなに多くの人間が現世への生還を望んでいるのか。

「あの、どうして俺は……」

「さぁな……推薦したのは俺の上司だからさ。俺は命令に従い、お前を迎えに行っただけ」

 そう言ってハチは茶を飲み干すと、元気よく立ち上がった。

「さて、俺はここまで。じゃ、達者でな、レイくん」

「え? ちょっと、待って! ハチ! ここまで来て、突き放すのは……!」

 あんまりだろ!

 そこまで言わせてもらえず、ハチはふすまをピシャリと閉めた。

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