第二章 生還希望者と業魔
第二章 生還希望者と業魔 1
『
さぁ。ていうか、オモテとウラってなに? 裏社会みたいなヤバい話?
『ちがうちがう。私たちが生きている
それじゃあ、ウラで生きやすいかって問うのは間違いだよ。矛盾してる。
『そうだね』
なんでそんな話を俺にする?
『さぁ。なんでだろ……なんか、したくなったの。私のことをもっと知ってほしくて』
涼やかな声で言う
逆光で彼女の輪郭がオレンジ色になり、顔は陰っていた。整った顔立ちの彼女は放課後の教室を自分のものにし、一枚の絵として存在しているよう。
そんな彼女から〝知ってほしい〟と言われた暁には天にも昇る心地だった。
俺は彼女に会うため、もう一度現世に戻りたい。還りたい。きっとそれが、俺の執着心の源だ。
目を覚まし、流麗な木目をなぞるように見る。だんだん視界がはっきりして思い出す。
今、俺は異界都市にいる。父に刺されて逃げて、境界をくぐって異界へきた。そしてハチという男に連れられ、なんか
見た目は現世では古代遺跡といっても差し支えないオンボロな木造の平屋だ。しかし、一部屋ずつ一通りの生活用品や家電は整っており、それは現世とも遜色ない。横に広い和風家屋には他にも住人がいるらしい。
共同トイレは茶色いものがこびりついた和式便器。汚い。
中庭にはレトロな井戸ポンプがあり、そこで顔を洗うしかない。しかし井戸ポンプの使い方が分からない。そんな住人の要望を聞いたらしい市局は井戸ポンプを改造し、取っ手を上げればすぐに水が出るようにしたという。そこで顔を洗い、部屋に戻る。
いつの間にか用意されていた朝食に目を瞠る。ちゃぶ台に白米とめざしと味噌汁と沢庵。質素な食事だが、現世では朝食を抜いていた俺にとっては新鮮に感じる。
俺は寝間着の浴衣姿で朝食を噛み締めた。
そう言えば、
『この世のものを食べれば、俺たちみたいになれるさ』
ハチの言葉を思い出す。この世のものを食べれば、ハチたちのように人間離れした体になる、らしい。それは、現世に戻った場合はどうなるのだろう。ていうか、俺は本当に還れるのだろうか。
『考えてたら死ぬぞ、頭が』
ハチのニヤけ顔まで思い出し、俺はぶるぶると頭を振ってメシに集中した。
朝食を済ませて着替える。服は要望を出せば支給されるが、この時点では市局指定の制服を渡されているのでそれを着る。和服っぽいものだから着替えるのが不安だったのだが、着脱しやすいもので安心した。シャツの上から黒い羽織、袴風の幅広いズボン、ハーネスみたいな茶色のベルトをして黒手袋をはめる。
「コスプレみたい……」
慣れない。まだこの世の存在を信じられないが、慣れていくしかない。
唐突にボーンと重たい鐘の音が轟いた。寮の玄関先にある古時計が時間を知らせる。
俺はふすまを開けて人気のない廊下を素早く歩いた。玄関に行く。共同下駄箱に『レイ』と刻まれた名札があり、その下に頑丈そうなブーツがある。それを履いて、紐を結んで引き戸を開けると手入れが行き届いていない低い門にハチが立っていた。
にこりともせずに片手を挙げる。
「よう」
「……もう会わないんじゃなかったんですか」
訊くと、彼は気まずそうに鼻を掻いた。
「うん、そのはずだった……でも、上からの命令で俺が君を監督することになったのさ」
「マジっすか」
まぁ、フウやノウさんよりはマシかもしれない……分かんないけど。
ハチは俺をじっくり品定めするように見た。
「おい、
「帽子?」
そんなものあったっけ?
「え、嘘。今の
素っ頓狂な声を上げられても俺は首をかしげるばかり。ハチは悔しそうに顔をしかめた。
「んだよ、あれクソだせぇから嫌いだったのに、今いらねぇのかよ」
その言い草は、卒業後にダサい制服から新しいものに変わったOBの嘆きに似ている。
どうも昔は学制帽があったらしいが、今はその代わりに市局の紋章がついたピンバッヂをつけるというので胸元につけている。彼岸花のデザインがあしらわれており中央に〝異〟という文字が刻まれているものだ。
「おし、行くぞ」
嘆きが済んだハチは体を折り曲げるようにして門をくぐり、道に出た。その後をついていく。
都市は基本的に薄暗く、建物はすべて木造だ。この道も木製で、ここは都市の中では下層地域である。上層は地上にもっとも近くて明るいらしいが、
俺のような
どうしよう、現世での生活よりも安定しているので、心がぐらつく。このままこの世界にいてもいいんじゃないかって。
「今日はとくに仕事もねぇしな……さて、どうすっかね」
ハチがのんびりとあくびをしながら言う。
そのとき、目の前の道に何かが転がり込んできた。
人間と同じサイズのネズミだった。それが二匹、つかみ合いのケンカをしている。
「ハチ!」
思わず彼の背中に隠れる。
「何あれ!」
「何って、ネズミじゃん」
当然のように答えられ、俺は信じられない気持ちでハチとネズミを交互に見た。
「あんなでかいネズミ……本物?」
「本物だよ。あ、こいつら汚いから触るなよ」
それは現世と同じなのかよ。
「違う道行くか……」
ハチはやれやれと呆れて言うと、くるりときびすを返した。
いくつもの木造建築の室外機やパイプがびっしり上まで続く細い路地を行く。その間、やはり人間サイズの虫や動物を見た。その中には人間と同じ服を着た者もいる。猫や犬の顔をしているのに、首から下が人間のような体の者も。姿形は人間なのだが、頭が極端に膨れた者や極端に牙がある者ともすれ違う。
「ねぇ、ハチ……」
ハチの裾を引っ張って訊く。
「こいつらは何?」
「何って、妖怪」
「妖怪……」
「大昔は現世にいたヤツらだよ。急に姿を消したのは、この異界に下ったかららしいぜ」
ハチは平然と答えた。珍しいものじゃないんだろう。俺は頭を抱えた。
「おばけ屋敷かと思った」
「何、お前、おばけ嫌い?」
「嫌いっていうか、怖いっていうか……」
得体のしれないものを見たら誰だってびっくりするだろ。
そう言いかけると、ハチは楽観的に笑った。
「俺は
「そんなにヤバいんですか、それ」
怖いもの知らずそうなハチが言うので、俺はゴクリとつばを飲んだ。
「ヤバいな。だから俺たちが駆除しなきゃなんねぇ。朝はあんまりいねぇからいいけど、夜は多いな。だから夜はあんまり出歩くんじゃねーぞ。ま、任務だったら嫌でも行くしかねーけどな」
ハチは脅すようにふり返っておばけのポーズをする。それが壁に影を浮かばせ、巨大な化物じみていたので俺はうまく笑えなかった。
そんなことをしていると、前方から女の子の声がした。
「あ、ハチ!」
ちゃきちゃきとした明るい声音だ。
ハチが振り返るので、俺も一緒になって目を向ける。そこには柄杓を持った美少女がいた。つややかな黒髪を結い上げており、桜色の着物と草履という格好。時代劇に出てくる町娘みたいな。
「人間だ!」
俺は安堵のあまり思わず声を上げた。
すると、彼女は目を丸くしながら近づいてきた。
「あら、かわいい新入り? はじめまして、アマナです!」
アマナはにっこりと天使のほほえみを向けた。なぜだろう、とてもかわいい。頭がぼうっとするほどかわいいと感じ、顔が熱くなる。
「レイ……」
ハチはげんなりとした声音を出し、ため息をついた。しかし、すぐにニヤリと笑い、アマナに向かって俺を紹介する。
「アマナ、こいつは
「じゃあ、この先の寮に住んでるんだね! やったぁ、かわいい子がきてくれて私、すっごく嬉しい」
そう言って、彼女は持っていた柄杓を俺にずいっと差し出した。中には水が入っている。
「お近づきの印に、一口どうぞ?」
「あ、はい……いただきます……」
素直に飲む。甘くとろけた味が口いっぱいに広がり、体の中へ流れ込む。そして、ぐらりと視界が歪んだ。
「あれ……?」
全身の力が抜け、気を失った。
が、すぐに目を覚ました。ハチが頬を叩いたからだった。
「あーあ。本当に飲んじゃった」
アマナがクスクス笑う。その笑顔は先程よりも邪悪な色に染まっているように思えた。
「お前さぁ、知らない人からもらったものを飲んだり食ったりすんなって習わなかったのか? 警戒心なさすぎだろ」
ハチがもっともらしく説教するが、その顔は笑っている。
俺はしびれる体を起こした。
「いまのは何?」
「アマナは、男を誘惑して殺す妖怪だ」
ハチが手短に説明した。
「ごめんねぇ。でも、反応が新鮮で楽しかったわぁ」
アマナがニヤニヤ笑いながら俺を見つめる。もうその笑顔に騙されない。
「この世にいる人間って、殺しても死なないんだもの。だから脅かしても意味ないからね。他のみんながあなたたちを取って食わないのはそういうことよ。食い殺しても、あなたたちは死なないから。いわば、あなたたちも
ゾットするようなことをサラリと言うアマナ。俺は天を仰いだ。
やっぱりこの世界から抜け出したい!
***
道を行き、坂をのぼり、階段を上がる。そうして上へ移動していくと、にぎやかな街に出た。
提灯とランタンが混在する明かりは、和風と洋風もごちゃまぜでまるで大正時代。瓦屋根の店が軒を連ね、人手も多い。手押し車で肉を売るカエル頭や、露店で怪しげな色をした飴を売るドジョウ、練り歩く妖艶な女たち、羽が生えた者、鎧武者などなど様々な魑魅魍魎が跋扈する。まるで百鬼夜行だ。その中に自然に溶け込む市局の制服を着た人たちもいた。
「ここは都市の中で一番の歓楽街。子供が来るようなとこじゃないが、必要なものを買うのと遊ぶにはうってつけかも。嗜好品もあるし。あとは……」
ハチの声を遮るように、脇にあった店から爆発音がした。
ほどなくして獣たちが煙をまとわせながら飛び出してくる。すると、頭上から何かがぶら下がってきた。頭上にある道から家が生えている。その扉を開いて顔を覗かせるのは、フウだった。
「おや、こんなところにお揃いで」
フウは額を堂々と晒しながら、逆さのまま俺たちを見つめる。ハチが呆れたように訊いた。
「何やってんの、お前」
「何って、お買い物だよ。ほら」
そう言ってフウはぶらんと品物を見せる。グルグル巻の大きなロリポップキャンディだった。
「そうか、上は菓子屋だったな」
ハチが思い出すように言う。どうやら生えている家は店らしく、フウはキャンディを口に押し込みながらくるんと一回転して降りてきた。
「
「みたいだな」
ハチがのんきに答える。フウはキャンディを口に突っ込んだまま中の様子を見る。
すると、ようやく煙の正体が明らかになってきた。鼻眼鏡をかけた白衣の老ウサギが出てきて、俺たちにすがってくる。
「あぁ、市局の。ちょうど良かった。やつが出よったわ。
「マジか」
ハチが面倒そうに顔を歪める。
「試薬を作ってたんだよ。そしたら
「はいはい。フウ、そのウサギの旦那を拘束しろ」
ハチが冷静に言い放つ。フウは「はーいよ」と言い、素早く老ウサギを縛り上げた。
俺は戸惑うばかりで口をあんぐり開ける。すると、俺の疑問より先にハチが言った。
「
そして、彼は俺の肩をつかんで煙の向こう側へ向かった。
「え、嘘、俺も?」
「ったりめーだろ。お前は
「だからって、武器も何もないけど!」
「ほれ」
ハチは懐から棒のようなものを出してきた。短刀だった。
せっかくならかっこいい刀が良かった。すると、その不満を察したかのようにハチが黒手袋をはめながら言った。
「お前、剣道できる? 射撃は?」
「できないです……」
「じゃあそれで充分。デカイ得物を使いたいなら、まず慣れろ」
おっしゃるとおり。
俺は素直に鞘を抜いた。銀色の鋭い刀身が顕になり、それだけで心が怯む。
煙の中にいるという
様々な瓶が棚に敷き詰められた空間。その中に黒くうねるものがあちこちに霧散している。それはミミズにもヒルにも似た体躯で、足元から壁、天井を張っていた。いくついるのか数えていたらキリがない。
「蟲の
ハチは腰から拳銃を抜いた。ここでは大太刀が使えないのか、それとも小さい
ハチは間髪を容れずに撃った。
「レイ、そいつらをさっさと潰せ。でなきゃ、まとまって厄介になる」
ハチの言葉に、俺は足元の
ハチは涼し気な顔で
そうしてしばらくした後、最後の
静かになった空間で、ハチの拳銃がカチャと音を立てる。
「はーい、駆除完了ー」
ハチはやる気のない声を出して薬局を出た。
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