第二章 生還希望者と業魔 2
「まぁ、あれだ。都市の中じゃ、地味な駆除作業しかねぇのよ」
外に出ると、同じ制服を着た人間と法被を着た獣たちが建物の解体をするべく集まっていた。
「はい、お疲れさん。あとは頼む」
ハチの声に、制服姿の同僚らしき人間たちが頷く。
俺たちはその場から離れ、道をのんびり歩いた。
「あいつらは環境課のやつら。俺らみたいに戦わない。都市の発展だけに従事している」
「はぁ……なるほど」
市局の中にもいろんな部署があるんだな。
そう思っていると、狭い道の向こうからバタバタと駆け込んでくる人がいた。妖怪たちを蹴散らして走ってくるそれは、俺たちの姿を見つけると、喜ぶように表情を緩める。
「すいませーん!」
駆け込んできたのは、俺と同じ年代の男子だった。髪を茶色に染めていて、顔の造形も派手な部類のイケメンだ。近づくと、胸元にピンバッジがついているのに気づく。
「はぁ、すいません。あの、フウ、見てません?」
ハチの目の前まできて息をつく彼は人懐っこく訊いた。対し、ハチはやる気のない声で返す。
「フウならさっき、ウサギを拘束して市局に行ったぞ」
「えー!」
彼は大げさに仰け反って盛大に嘆いた。
「あぁ、お前はフウの……」
ハチが思い出したように言う。
「あ、はい。自分、フウに担当してもらってる
そう言うと、キュウはビシッと一礼した。体育会系なノリだなと思う。
しかし、なんでキュウなんだ……。
「究広の〝すみ〟が研究の究なんで」
彼は付け足すように言った。なるほど。
ハチはキュウのノリに呆れつつ、肩をポンと叩いた。
「あっそ。まぁ、頑張れや」
「うっす」
キュウはニコリと笑顔を向けると、俺を見た。
「おぉ、
「あ、はい……どうも。斧田澪です」
「レイ! おっけ。オレのことはキュウでいいから! じゃーな!」
そう急ぐように言ってキュウは「フーウーーーーー!」と騒がしく走り去っていった。
「あいつ、熱いよなぁ……」
ハチがため息混じりに言い、俺も呆れながら「そうっすね」と相槌を打つ。
「フウが鍛えたせいだよ。フウが担当すると、もれなくみんなああなる」
なんか恐ろしいことをボソッと言った。
俺は「へぇ」とドン引きし、先を行くハチの背中をついていく。
「キュウは確か、レイよりも先にこっちに来たんだっけな……何年前だったか」
「そんな前からいるんですか」
「おう。キュウもレイと同じように上司から推薦だった、かも」
ハチはあごをつまんで首をかしげた。この人、ずっと思ってたけど物覚えが悪い。
文字が電熱管の中で燃える、そんな大きな看板が立つアーケード街に入る。和服を着た妖怪と人間が入り交じる道もそろそろ慣れてきた。
「そう言えば、ハチ。初めて会ったとき、俺の名前知ってましたよね」
斧田澪と呼ばれて目が覚めたあの瞬間を思い出しながら言う。
「あれって、もうあの時点で推薦されてたからですか」
「そうだなー。お前が境界に辿り着く前、上司から資料が届いてた。境界を渡る人間の情報は早く手元に届く。それで命令されて、俺が派遣されたってわけだな」
「その推薦って、どういう基準で決まるんです?」
何か特別な力があるわけでも、身体能力が高いわけでも、知能が高いわけでもない。平凡な男子高校生が推薦される意味が分からない。強いて言えば、俺が現世で将来有望だからか?
そんなうぬぼれた考えをしていると、ハチは一言で一刀両断した。
「知らねー」
「えぇ……」
なんだよ、ちょっと期待したのに。
「ハチって、なんにも知らないんですね」
「知らねぇよ。この世界のことは、生活するのに充分な知識しかいらん」
投げやりに言われては議論もできない。俺はふてくされた。
「余計なこと考えずに生き延びる方法だけ考えりゃいーんだよ」
そう言うハチの声が暗い。俺は思わずチラッと彼を見た。その黒い目は、光がなく淀んでいる。諦めや憂いを抱えて疲れた大人の顔だった。そして、彼の言動に違和感を覚える。
「生き延びるって……この世界じゃ死なないんじゃないんですか?」
すると、彼は俺を見てニヤリと不気味に笑った。その笑みの意味は分からない。
***
都市の外側をひたすら歩く時間が続いたが、業魔の姿はあの一件以来なく妖怪も人間も平和そのものだった。基本は外のパトロールをし、時間が空けば市局へ帰って
「とりあえず今日はこれから最上階へ行こうぜ」
割り箸をパキッと割りながらハチが言う。
蕎麦屋に入り、昼食をとる。こじんまりとした店で黒を基調とした内装は塗装が剥がれたり壁が壊れたりしてオンボロだった。昼時だというのに客がいない流行ってない店だ。
二人で向かい合うように入口側のテーブル席に陣取り、ハチは海老天蕎麦を、俺はかき揚げ蕎麦を注文した。
かつおだしのきいた汁の香りが湯気とともに鼻腔へ届く。かき揚げはふやける前に食べてしまいたい。拳よりも大きいかき揚げをさっそく口に運んで一口かじる。しっかりサクサクとした歯ごたえを感じた。中はフワフワで食感が二度楽しめる。すぐにまた口いっぱい頬張った。
うまい。小エビとにんじん、玉ねぎといったごくシンプルなかき揚げなのにとてもうまい。
「お前、うまそうに食うなぁ」
ハチが羨ましそうに言った。彼も海老天を一口かじっており、どうやら俺と同じタイプらしかった。
俺は頬張ったかき揚げを汁で流し込み、満足な息をつく。
「すごくうまいです」
「そいつぁ良かった。やっすい蕎麦だけどなぁ、そんなでもうまそうに食えるとは、さぞひもじい生活をしてたんだろうな」
ハチが鼻で笑いながら言う。俺は蕎麦をすすり「まぁ」と適当に返事をした。
「うち、父がリストラにあってから借金まみれで、しばらくは母がパートしまくって」
「知ってる知ってる。高校入るちょい前だったな。父親の借金がかさんで、母親が精神病んで家庭崩壊。妹は引きこもりで、高校入ったお前がバイト掛け持ちしてなんとかしてたけどどうにも首が回らなくなって一家心中、だろ?」
スラスラと暗唱するように言ったハチは、二本目の海老天をかじった。
俺はかき揚げを食べ終え、蕎麦をズルズルすすった。
「高校、ほんとは入るつもりなかったんですけどね……祖父母が金出してくれて。親からは非難轟々でしたけど。そんなのに金出すくらいならって」
「うわぁ、かわいそう」
ハチは目をたれさせて、同情的な表情を浮かべた。
「そういうのも資料で渡されるんですね」
俺は不機嫌気味に返した。
「そうだよ。お前の情報は生まれた瞬間から
「うぇぇ……生まれた瞬間から……」
それって俺もよく分からないやつじゃん。他人に自分の人生覗かれるの、すげぇ嫌だな。
げんなりした俺に対し、ハチは上機嫌に蕎麦をすすった。
「ガキんときから我慢してたんだろ。誕生日は祝われないし、妹の世話ばっかで友だちもできねぇし、家に帰っても親はいないし」
俺は静かに蕎麦をすする。ハチも蕎麦をすすり、咀嚼しながらまた言う。
「あれだな、ネグレクト。家庭環境最悪な家の代表例って感じ。悲惨だなぁ」
「……そうですね」
別に、自分の家庭環境に関してはとっくに諦めているし、そこまで悲惨なものだとは実感していなかった。でも、他人から改めて言語化されると確かにひどいかもと思えてしまう。でなきゃ両親が心中しようとして俺らを殺して……あぁ、確かに悲惨だな。
しかし、認めるのはなんだか癪だったので蕎麦を一気にすすって汁までしっかり飲み干した。
「そういうそっちはどうなんですか」
音を立てて丼をテーブルに置くと、ハチはわずかに視線を上げて蕎麦に集中した。まだ半分残っている。汁の中で蕎麦をそよがせ、箸でつかみながら彼はもったいぶって答えた。
「内緒」
「……はぁ」
そうだろうとは思ったよ。
腹を満たし、テーブルに小銭を置くハチの手からは、俺の分の代金も含まれているのが見えた。
「旦那ぁ、ごちそーさん」
厨房の先にいる狸の店主が暖簾から顔を覗かせる。
「毎度ー」
狸は野太く、そっけない声で返した。
「ここ、あんまり込まないから、気に入ったんならまた来てやれよ……って、おいこら」
そうハチが言いながら俺の頭をガシッと掴むと、無理やり振り返らせた。
「挨拶しろ」
「あ、ごちそうさまでした……」
すると、狸の店主はしっぽを振るだけで答え、新聞に目を落として堂々とサボり始めた。
「まったく、気ぃ抜くな。育ちの悪さが出てんぞ」
ハチに言われ、俺は顔をしかめた。
「その割に、言葉遣いは悪くないんだよな……成績も良かったんだろ。高校では真面目で通ってたらしいじゃん」
「人の人生を知ったように語らないでくれませんかね」
苛立ちまぎれに言うと、ハチはなんだか楽しげに笑った。
こいつ、性格悪いよな……もしかしなくても性格悪い。ハズレ監督かもしれない。
すると、先を行くハチが唐突にふり返った。
「今、失礼なこと考えてただろ」
やけに鋭いし。心でも読めるのか。
あわてて首を横に振るも、ハチのどんよりとした目玉を誤魔化すことはできなかったようで、何やらニヤニヤ笑っている。
彼はそれからゆらりと踵を返して先を歩いた。仕方なく後ろをついていくしかない。
都市の内部へ続く路地を行きながら、階段も上がる。上へ行けば行くほど足場の悪い石段になっていくので、滑らないように気をつけていく。手すりがサビだらけの頼りないパイプなので、あまり使わずにいた。
ようやく都市の中心部まで行けば、人が乗れるサイズの箱があった。
「エレベーター、あるのかよ!」
思わず声を上げるも、ハチは無視してエレベーターに乗り込んでいく。そこには妖怪や人間が雑多に押し込まれており、俺もあわてて乗り込む。左右開きっぱなしの箱で、一歩間違えば壁にこすられてしまいそうだった。
箱は勢いよくぐんぐん上へ向かっていく。そして止まるのも急であり、慣れていなければ転びそうなほど危なっかしい。
振り分けられるかのように乗客たちが乗り降りしていく。そうして最上階へ行く頃になれば、俺とハチだけになった。
人が減れば、この暴走エレベーターの中で足を取られてしまい、急停止したらやはりその場で転んでしまった。
「おっと、あぶねぇ」
俺の腕をつかもうとするも遅い。ハチは「えへへ」と笑い、転がる俺をまたいで外へ出た。
そこは、異界の最下層ではまず拝めない太陽に似た光が降り注ぐ、だだっ広い平地だった。草原か。青々とした植物も生えており、のどかな世界である。
場違いに汚い箱が地面に吸い込まれていくと、天空にいるのではないかと錯覚した。
「異界の最上階。現世との境界がもっとも近く、もっとも危険な場所だ」
ハチが静かに説明する。心地よいあたたかな風が体を撫で、俺は訝しく思った。
「どこが危険?」
「ほれ」
ハチが俺の背後を指差す。
振り返る。しかし、それを認めることは難しかった。俺の体は宙に押し上げられた。いや、何かに足を掴まれている。
逆さになったハチの顔は笑っていて、のんきに袖からタバコを出している。
「は、ハチ!」
俺の足は何かに掴まれていた。ぶらぶらする体をひねって見やれば、俺をつかまえるその生物をようやく認める。
「植物の
ハチはタバコを咥えながら火を点けて言う。
「って、助けてくださいよ!」
「え、やだよ」
ハチの言動に、俺は驚愕する。
「ひとまず、そいつを倒せ。練習だ」
「練習!? 今もう捕まってんのに!? 無茶言うなよ!」
俺はなんとか逃げ出そうと、自由な方の足で一つ目に蹴りを入れる。すると、
ドサッと地面に落ち、俺はハチの方へ走る。しかし、怒った
しかし、
あぁ、もういいか……どうせ練習だし。食われても死にはしないんだろ。
そんなことを考え始めたときだった。
「あ、言い忘れてた」
「え?」
「お前は確かに今、残機が無限にある状態だが、例外がひとつある」
「
そう言う彼の口からふぅっと一筋の紫煙が吐き出された。
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