第一章 この世のオモテとウラ 3

 異界都市。そう言うからには、都市なのだろう。

 こんな荒れ果てた大地を都市と呼ぶのは難しいと思うのだが、郷に入っては郷に従えという言葉のとおり、見知らぬ土地で自分勝手に行動するのは賢明ではない。

 ハチに連れられるまま、渇いた大地を歩く。

「あの、ハチさん……」

「ハチでいいよ。さん付けはだりぃだろ」

 すかさず言うハチはケラケラと笑った。俺が殴った頬はいつの間にか腫れが引いている。

「んじゃ……ハチ。あの、どこまで行くんです?」

「ここからずっと先にある都市」

「見えないんですけど」

「そりゃ、まだ都市まで半分も来てねぇしな」

「はぁ……車とか、ないんですか?」

「俺、運転できねぇからさ」

 ハチは苦笑しながら、手のひらをヒラヒラ振った。

 ということは、車が存在する世界なのか。

「じゃあ、ここまでどうやって来たんですか?」

 かさついた大地は固くて赤い。例えるなら、オーストラリアのエアーズロックみたいな。あそこまで爽やか(その表現も怪しいが)とは言い難く、空も赤いし雲は灰色だし、なんというか……人間が住むには無謀な気色悪い配色の世界だ。

「あぁ、それなら、業魔イルに乗って」

 ハチは当然のように言った。

業魔イルって、あの化け物?」

「そう。あいつらは、うまく使えば乗り物にもなるからな。乗って、目的地に着けば斬っちまう。それでいい」

 せっかく乗せてもらったのに、斬って殺しちゃうんだ……。

 やっぱりこの世界観についていけない。

「まぁ、運良く車に拾ってもらうしかねぇかな……ったく、都市から境界までが遠いんだわ。さっさと整備してくんねぇかなー」

 境界……って、あのゲートのことか?

「お前がくぐったやつな。丸い鳥居みたいなもん。現世うつしよで死の淵をさまよった者の前にだけ現れる」

「はぁ……」

 なるほど。死にたくないと願ったから、そのゲートが開いたというわけか。

「でも、大抵のやつは境界の前で力尽きるな。俺たち、局員が駆けつけた頃にはお陀仏でさ」

「そうですか……まぁ、ハチに煽られたからっていうのもあるかもだけど」

「あははっ、そうだなー。だって、あまりにも無様だったし、まだかろうじて生きてたし、ちょいとからかってやろうって思って。そこで死んでも俺の責任にはならねーし」

 ハチはからかうように俺を見た。そのバカにしたような目に、イラッとしてしまう。無視してみると、ハチは煽るように回り込んできた。

「怒った?」

「怒ってないです」

「ははっ、子どもからかうのは楽しいな、クセになりそう」

 それは勘弁願う。

「ハチって、悪魔? 鬼? 普通の人間じゃないですよね?」

 悪魔ならこの憎たらしさも分からなくはない。鬼だったら、ちょっと威厳が足りない。

 そう考えていると、そのどちらでもなかった。

「俺は人間だよ。鬼にも悪魔にもなれやしねぇ。もともと現世にいた人間だし」

 ということは、この人も俺と同じように死の淵をさまよっていたことがあるのか。

「そんな深刻な顔すんな。過ぎた話さ」

 ハチは片眉を上げ、前を見た。

 ひたすら歩く。前を行くハチの後ろ姿を見ていると、髪の毛先に緑色のカラーが入っていた。

「ハチって、いつここに?」

「そういう話はしたくねぇんだ」

 ピシャリと言われ、俺は素直に口を閉じた。

 見た目の年齢は二十代っぽいけど、それも訊いたらいけないんだろう。

 そうしたら今度は話題が見当たらないので、黙々と歩くしかなかった。景色が変わらない。業魔イルどころか人っ子一人いやしないし、運良く車が通る気配は微塵もない。

 このまま歩いて都市まで行くのだろうか。しかし、不思議と足腰は疲れない。ただ、つまらない。

「お!」

 唐突にハチが立ち止まった。足元を見ていた俺は、まんまとハチの背中にぶつかった。

「ってぇ……」

「レイ」

 ハチが指をさす。その先に、ゴロゴロと大地を轟かせて向かってくる大きな物体が。

「車だ」

 手短な説明をされるが、見えてきたのは平安時代にありそうなかごに大きな車輪がついたものだった。あれだ、人力車に似たやつ。でも、乗る場所にすだれがついた籠だ。まさしく、それは──車である。

 想像していたものとは大違いで、反応に困った。

「おーい!」

 近づけば、だんだん声が聞こえてくる。それは若い女のもので、この大地を潤すような甘く甲高い声だった。

 そして車を引くのは、牛よりも筋肉が盛り上がった黒い獣だった。

「あれも業魔イルだぜ」

「あれも……」

 驚きのあまり、オウム返ししかできない。

 近くまでやってきた車が急停止し、すかさず簾から顔を出す若い女がぴょんっと飛び降りてこちらに駆けてくる。

 歳は俺より少し上か同じくらいか。ミルクティー色の長い髪をツインテールにしていて、服装はハチと同じく和服だが、袴がミニサイズで膝が丸見えだった。そして、丸見えの足には映画でしか見たことがないようなシェルホルダーがびっしりついている。

「迎えにきてやったぞ、ハチ! 喜べ!」

「いや、俺たちは今から飯でも食いに行こうかと思ってたんだが……」

 ハチは迷惑そうに言った。

 対し、彼女は頬を膨らませて、分かりやすく不機嫌そうにむくれた。

「はーん? そんな言い方しちゃうんだ? せっかく、迎えにきてやったのに、さ!」

 そう言うなり、彼女は拳銃をハチの額に向けた。

 瞬間、ハチの額に穴があく。

「もーーーー、バカ女ぁ……」

 ハチは面倒そうに言うと、ケタケタ笑う女の拳銃をうばった。穴が空いた額を揉むと穴が塞がっていく。

「ったく、ゼロ距離で撃つなって何度も言ってんじゃん。いてぇんだけど」

 いてぇだけで済む問題じゃないだろ。

 そして、彼女も彼女だ。ハチから拳銃を取り返し、茶目っ気たっぷりに笑う。

「レイ、ドン引きしてるとは思うが、このバカは同僚のフウだ」

 急に話を振られ、俺は後ずさった。

 フウという女はようやく俺を見やり、ジロジロとつま先から頭までを見つめる。

「やだ、この子、どろんこだし、傷が悲惨なんですけどー! かわいそう! 超かわいそう! のんきにメシ食ってる場合じゃないだろ! 超ウケる!」

 フウは楽しそうに笑うと拳銃を構えた。ジャキッと邪悪な音がして俺はすぐに身構え、ハチの後ろに隠れる。

「フウ、こいつ、まだここに来たばっかだからさ……そういうのは慣れてからにしてくんね?」

「はいはい! わかりましたぁ。あとでたっぷりかわいがったげるよぉ」

「結構です……」

 すかさず言うと、フウはつまらなそうに鼻を鳴らし、簾を開けながら言う。

「生意気小僧め。まぁ、いいや。局長が呼んでるからさ、さっさと乗りな」

「へいへい」

 ハチは頭を掻いて、俺の首根っこをつかんだ。

「先に乗れ」

 追い立てられては仕方ない。不安定な籠に乗せられた。

 フウとハチが乗り込むと中はかなり狭くなり、俺は膝を抱えて座った。膝や足は怪我が多くて、痛々しい生傷があるのだが、この世界に来てからは痛みをまったく感じない。

「足がかわいそう……ねぇ、内臓こぼれてる? おなか破れてるっしょ? 刺されたんだよね?」

 フウが俺の頬を銃口で突きながら訊く。

 出会い頭に拳銃をぶっ放す女だ。あまり抵抗せずにいようと思うが、愛想良く振る舞うことはできないので、俺は相槌を打つだけにとどめた。

「まぁ……」

「えー? 見してよ、見して!」

「フウ」

 ハチがたしなめると、フウは頬を膨らませて駄々をこねた。

「見たい見たい見たいーっ!」

 この女、倫理観どうなってんだ。

 俺はなるべくフウから離れようとし、必然的にハチにくっついた。

「フウ、遊ぶのはもう少しあとだ。こいつが本部で説明を受けてから」

 言い聞かせるように言うと、フウは大きな目を見開かせた。

「説明してないの? じゃあ、フウが説明したげる!」

「この世界は異界都市っていってね、現世と彼岸の間にあるわけ。彼岸ってのは、いわゆる地獄みたいなとこね」

「それは聞きました」

「あーん? マジか。んじゃ、業魔イル業魔イルはこの世界で猛威を振るう化け物ね。それを取り締まるのが」

「異界都市局? それも聞きました」

 瞬間、フウの眉がゆがみ、銃口をハチに向ける。

「おいコラ、全部聞いてんじゃねーかよ。ハチ、てめぇ、このフウに恥かかしたな? 表出ろや」

「出ねーし、それくらいの説明はざっくりとしたわ」

 ハチは面倒そうに言うと、あぐらを掻いて頬杖をついた。

「細けーことは、まだだよ。この世界に来るには、現世で死の淵にいる者で、かつ生への執着がある者。俺たち局員は現世の人間じゃねーから、現世への干渉はできないし渡れない。だから、自分の意思でゲートをくぐるしかねーんだ」

 なるほど。だから、ハチはあれだけ俺を煽っていたわけだ。

「ここにくりゃ、現世での死の恐怖や痛みや苦しみなんかは解放される。だから、どれだけ怪我しようが痛みは一瞬だし、怪我もすぐ治る。ただ今のレイは、まだここに来たばかりだからな……この世のものを食べれば、俺たちみたいになれるさ」

 だから、メシを食おうと誘ったわけか。だんだん話の解像度が上がってきた。

「本部で最終確認を受けるけど、この世にとどまり、現世に還るための禊を行わなくてはならない」

「禊?」

 つい訊くと、フウがたちまち元気を取り戻し、ハチを押しのけて言った。

「そう! 君にはちょいと任務をやってもらうのよ! 私たちと一緒にね!」

「え? それってつまり……」

業魔イル狩りだ」

 俺の言葉をハチが静かに引き継ぐ。

「じゃあ、あの化け物を俺も退治するの?」

「そういうことだね!」

 フウが機嫌よく笑った。

「だーいじょぶ、だいじょぶ! どのみち、この世にきたら嫌でも遭遇すんだし、だったら自分でぶっ倒せたらいーじゃん?」

「そういうのから守ってくれる機関じゃないんですか?」

 冗談じゃない。いきなりこんな世界にやってきて化け物退治しろって……無茶にもほどがある。

「んなこと言ったってさぁ、あんた、現世に戻りたいんだろ? だったら死に物狂いで、なんでもやりなよ」

 フウは面倒そうに言う。俺はどうにも腑に落ちない。ハチを見ると、呆れたような表情をしていた。

「うちの課は、そもそも迷子課。この世に迷い込んだ者を管理する課だ。そのために業魔イル狩りも必須なわけ。何せ、都市外部のみならず内部にもうじゃうじゃいるからな、ヤツらは。最初のうちは助けてやるが、それも案内まで」

「いかにもお役人サマみたいな言い回しだな。正直に言ったらいーじゃん、ハチ」

 フウがあっけらかんと言う。

 視線を向けると、彼女はニコニコと笑顔を浮かべながら口を開いた。

「この世に来る条件のもう一つは、基本的に天国へ行けない罪人ってことだよ」

「……は?」

 罪人って──

「人間は誰しも現世で何かしらの罪を犯している。嘘をついたとか、約束を守らないとか、そういう小さなことでも罪なわけ」

「じゃあ、人間みんな天国なんか行けないじゃん」

「そう! だから、死んだあとは地獄で舌を抜かれて、その罪状に合わせた地獄へ連れていかれる。どんな善人でもね、それは平等だよ。楽に死ねるなんて、ないない」

 フウは片手をブンブン振った。俺は驚愕のあまり、何も言えない。

「そもそもね、ここに来ること自体が罪なわけさ……ふふっ、信じられないって顔だねぇ。だって、死の運命をねじ曲げて来たんだよ? 簡単に楽に死ねると思ったら大間違い! そういう風にできてんだよねぇ。でも!」

 俺の鼻先にビシッと指を突きつけるフウは、切り札を出すかのように勿体ぶって言った。

「ここに来たからには、生還のチャンスが与えられる。君はね、まだ死んでない」

 死んでない?

「あ、やっぱり死んでるって思ったんだ?」

 俺の表情を見て、フウはますます愉快そうに大きな目を細めて笑った。

 唐突にガタンと大きな音がし、車輪が何かを轢いたが、それでもスピードは変わらない。

 すると、ハチがため息をつき、ゆっくりと言った。

「年間、現世でどれだけの行方不明者がいると思う?」

 突然問われ、俺は回らない思考を無理に動かす。

「行方不明者って、ニュースでもそんなに報道ないし……年間なら、ご、五十人、とか?」

「そりゃ一日の数だ。年間だとおよそ八万はいる」

 そんなに?

「届けを出されるのがその数。実際はもっといるし、そいつらみんながここに押し寄せる。そしたら、いちいち守るのはキリがねぇだろ」

 ハチの声音に情はなく、事務的な説明をするだけだった。

 対して俺は、その事実にただただ口が塞がらない。

 思ったよりも人って消えやすいのか。じゃあ、報道はごく一部なんだろうな。そもそもあまり興味がなかったから知るよしもない。

「じゃあ、俺も現世では行方不明者ってこと?」

「そう。姿を消した生死不明の人間。だから、生還のチャンスがある」

「生還のチャンス……それって、つまり〝絶対〟じゃないってことですよね?」

 訊くと、ふたりは肩をすくめた。おもむろにフウが簾を開けて外を見る。

「お! ついたよー」

 その言葉に、俺は体を傾けて外を見やった。

「ようこそ、異界都市へ!」

 緑のないゴツゴツとした岩肌の山に、瓦屋根があちこち飛び出すような、気分のおもむくままに家をつなげたようなものがまず目に飛び込む。

 また、その家々の隙間から針山のごとく四方八方にいくつもの道が刺さっており、交錯したりカーブを描いたりして、さながら都市高速道路のようではあるが、すべてが木製であり、材質不明のものもある。むき出しのレールには危なっかしく汽車が走っていた。

 ランタンの灯りが幾重にもあるので、この太陽のない大地でも暗がりに困る必要はないだろうが、それすらも異様な光景として目に映る。

 見上げても頂上など肉眼で見られることはないくらい高くそびえ立つそれは、異界都市のほんの一面に過ぎなかった。

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