第四章 休暇迷宮
第四章 休暇迷宮 1
根が降りてくる。その前にすべてを切り刻む。黒い根はぐにゃりと気味の悪い動きをし、獲物を求めている。その前にすべて、殺してしまう。
「レイ!」
脇で別の
「お疲れさん」
「うん……」
「なんだよ、疲れた? もう回復してんだろ」
「じゃあ、その〝お疲れさん〟も必要なくない?」
素朴な疑問を呟くと、ハチは面倒そうに俺の頬をつねった。
「別にいいだろ」
俺はつまらなくなり、プイッと顔をそらした。
青空が遠い。行き交う人間がうっすら見える地上の世界をぼんやり眺めるのも飽きてきた。
あの克馬との邂逅から数日が過ぎ、俺は粛々とハチの手伝いがてら
克馬はもうこの世のどこにもいない。当然、生還は不可能だし、地獄にも天国にも行けず、生まれ変わることもできない。文字通りの抹消だった。
それは局長からの指示ではなく、ハチとハトさんの独断である。
ハトとは、あの夜にいた弓矢のお姉さん。無口で厳格でキリッとした人だ。彼女は迷子課
そのハトさんが担当していた克馬の所業に対し、ハチが抗議してハトさんとふたりで克馬を
ハチは何も言わないし、訊いたところではぐらかすし、それが下手くそすぎる。結果、俺がイライラするので、それなら余計なストレスを溜めないために訊かないというのが正解なのだ。
「よし、今日はもう帰ろうぜ。まぁ、
元気よく起き上がるハチがすっきりとした顔で言う。俺もむくりと起き上がって「あぁ」とぶっきらぼうに答えると、ハチは清々しそうに伸びをしながら欠伸をした。
「それじゃあ明日は俺、非番だからさ。
基本、放任主義である。それも俺がもうあまり手がかからなくなったからだろう。ただ、監督者という立場なので、こうして毎日一緒に行動しているのだ。
俺は「はーい」と適当に返事して立ち上がった。ふたりで一緒にエレベーターで下階に降りていく。
「そういえば、ハチって休日は何してるの?」
なんとなく無言が気まずいので訊いてみる。別に興味ないけど、知らないとキュウにバカにされるかもだし。
ハチは気怠そうに「あー」と漏らす。気が抜けている。
彼は腕を組んで考えた。そして、だんだん顔が青ざめていく。
「あれ? 俺、いつも何してるんだっけ……?」
「いや、知らないけど……」
口元を覆って驚くハチに、俺は冷たく返した。
「嘘だろ。なんで覚えてないの?」
すると、ハチは頭を抱えこんで訴えた。
「だって休みに何するとか、考えることなくない? 逆に何するの? 何して休日を過ごすの?」
えぇ……。
「おい、そのドン引き顔やめろよ! 切なくなるだろーが! ティーンのそういう顔は心にくる!」
ハチは大袈裟に嘆いた。周囲にいる妖怪たちが顔を見合わせて困惑するのも構わないので、俺はほとほと呆れた。
「よく思い出してよ。朝起きるとこから、ほら」
「今やってる」
ハチは「うーん」と唸りながら目を閉じて考え始めた。
「朝起きました、顔洗ってぼーっとして、二度寝します」
「え? うん……?」
「んで、昼くらいに腹減るから起きて、メシ食いに行くだろ……」
「行きつけの店とか?」
「そうそう。いくつかあるけどな。でも大体は近所の商店街でぶらっとする。店を冷やかして、なんか買うものあったら買う。シャンプー切らしてるとかで」
「あぁ……なるほど」
「で、帰って、ぼーっとする」
この世界、デジタル機器がないもんね。スマホどころかゲームもテレビもないし。ぼーっとするしかやることがない。
「たまにヒゲとか鼻毛をむしってる」
「それはやめなよ」
すかさず言うも、ハチは気に留めずに自分の行動を思い返していた。今、いろんな行動パターンが頭の中を巡っているんだろう。しかし、絶望的に目を見開いて俺を見つめた。
「どうしよう……もうやることなくなったぞ?」
なんてこった。
「えーっと、トイレットペーパー補充した?」
「うん。シャンプーもトリートメントも詰め替えた」
「服のタグは切った?」
「うん。ていうか、なんでお前が俺の行動パターンを把握してんだよ」
「一般的かなって」
ここまで聞いてたら、誰かと遊びに行くという選択肢はない。そうしたら他にやることが見つからないし。
そう思っていると、ハチはハッとして指を鳴らした。
「あとタバコ買いに行く!」
「必須じゃないよ、それ」
ドヤ顔で言うことじゃないし、むしろ禁煙しろ。
「うーん。酒買ってタバコ吸って……晩メシ食ったら、もうやることないな……」
だんだんと尻すぼんでいく声でそう締めくくられたら、なんだか哀れになってきた。
「なんか、他には? ないの?」
「賭博は趣味じゃないなー。ていうか、才能がない」
「別にそんなダメな方向に生きなくてもいいんだけど」
酒タバコの時点でリーチなのに、賭け事までやってたらいよいよダメ人間じゃん。
そんな俺の冷たい視線を浴びたハチは不満そうに唇を尖らせた。
「でもさ、休みの日なんて大体そうだろ。着飾って出かけろってか。どこに行くんだよ」
今度は俺が不満たっぷりに眉をひそめた。
「そんなこと言ってたらモテないじゃん」
「フン! そんな煩悩は現世に置いてきたからいいんだよ!」
ハチは不貞腐れるように言った。心なしか、悔しそうに唇を噛んでいる。
煩悩、絶対置いてきてないだろ。ちょっとダメージ食らってんじゃねぇよ。
でもあんまり言うとかわいそうなので、仕方なく話をずらしてみる。
「この異界って、テーマパークないの?」
参考として訊けば、ハチは顔を歪めながら顎を掻いた。
「テーマパーク……ないこともないけど」
「おぉ、どんな?」
「健康ランド的なやつ。スーパー銭湯かな」
俺の目が一瞬で輝きを失ったのは言うまでもない。
「違うよ、そういうんじゃなくて。遊園地とか水族館とか動物園とか!」
「んなの、どこもかしこも遊園地と水族館と動物園じゃねえか」
すかさず返ってくる正論に、俺は素直に敗北を認めた。
あぁ、そうだ。ここはあらゆる魑魅魍魎が跋扈する異界でした。そこらへんに獣や魚がうじゃうじゃいるし、なんならみんな喋るから現世よりも破壊力抜群な刺激を感じられる。
俺は頭を抱えた。そして、ハッと閃く。まだ挙げてない娯楽施設がある!
「映画館! そうだ、映画館は?」
すると、すかさずハチは首を傾げながら一刀両断した。
「それも担ってるんじゃねぇの? どこもかしこも時代劇とか朝ドラの舞台セットになるぜ」
「違う! そういうことを言ってるんじゃなくて!」
なんでエキストラ感覚で映画の世界を体感しなきゃいけないんだよ!
「えー? だってやっぱ、そこらへん通り歩くだけでも、某ネズミランドとか、某ユニバーサルとかのハロウィンイベントみたいだし、スリルを感じたいなら
「それが日常なんだよ!」
しかも率先してスリルを感じなくていいんだよ。休みの日なんだからさ。
そう思っていると、俺の思考もふと止まる。腕を組んで考え、出てしまった結論にげんなりとした。
「……ハチの生活が正しいな」
「だろ! だからやることないんだよ。ま、社会人なんて、みんなそんなもんだよ」
なるほど。毎日がハードワークだから、休日くらいのんびり何も考えずに寝て過ごすのが正しいわけだ。
なんだよそれ、せっかくの休みなのにもったいないな! 俺はそんな大人になんかなりたくない!
そうこうしているうちにエレベーターが止まる。目的の場所に着き、ハチはすっきりとした顔をし、俺は肩を落として街に降り立った。
「まぁ、明日はちょっと気晴らしに、いつもとは違うことをしてみるか」
妖怪が行き交う賑やかな通りを歩きながらハチが言う。
「何するの?」
「うーん……それはまぁ、今から考えるさ」
「あっそう」
「土産話、期待しとけ」
ビシッと指を突きつける彼の目は、なんだか挑戦的だ。
あぁ、なるほど。子どもにバカにされたままじゃ、大人としてのプライドが傷つくわけね。
俺はフッと軽く笑った。
「おい、なんだその生意気な笑い方」
「ううん。まぁ、せいぜい頑張って休日エンジョイしたら?」
ニヒルに肩をすくめると、ハチも余裕の笑みを浮かべた。
「本当、かわいくねーやつだよ、お前は」
暮れる街の中心で、俺たちは静かに火花を散らして別れた。
***
さて、翌日。
朝起きて、しばらく布団の上で俺は腕を組んで考えていた。
担当者が非番の場合でも、
しかし、都市内にいればやっぱり遭遇することもないので、また最上階に行くかなぁとぼんやり考えていた。でもひとりはまだ心細いし、そもそも最上階は担当者がいないとダメなんだっけ。普通は立ち入ることもできない場所だし、せこいマネはやめておこう。
とはいえ、ひとりで行動するというのは自由なぶん、困りごともある。いつもはハチの動向に従うばかりなので、どこに行けばいいのか、どういうスケジュールでどう動くかを、自分でいちいち考えなきゃいけない。
「現世のときはー……学校行ってバイトするだけだったな……毎日のスケジュールが決まってたから考える必要もなかったのか」
やることをあらかじめ決められているというのは、案外助かっていた部分もあったのだろう。野放しになるといっときの自由に解放感を覚えるが、その高揚も一瞬で不安に変わるというのが今回得た教訓だった。
「だめだ、思いつかねぇ」
俺は寝癖だらけの頭を乱暴に掻いて諦めた。
もういい。仕方なく俺はいつものように顔を洗って朝食を食べて、着替えを済ませて外に出た。
ハチと幾度となく歩いた、近所周辺へ──と、考えていたらいきなり肩を掴まれた。
振り返る。キュウだった。
「よう! 今日はひとりか?」
にこやかに爽やかな笑顔を向ける彼に、不安や恐れなどは皆無に思われた。
「おはよう。今日はハチが非番なんだと」
「そうなんだ! んじゃさ、今日はオレと一緒に狩りに行こうぜ!」
なんだか遊びに誘う感覚で言うなぁ。でも、その申し出はありがたい。
「おう、そうしよう!」
その反応は、さながら水を得た魚のようだっただろう。
俺とキュウはさっそく電車に乗り、仲良く話をしながら歓楽街へ向かった。
「なんでここ?」
訊くと、キュウは手を腰に当てて笑った。
「楽しいからさ」
「いや、まぁ、うん……でも、俺たち未成年じゃん」
「そういう堅苦しい法律はないんだから、いいのいいの。大体、フウなんていつもここに来て、菓子とか買ってるぜ」
そういえばそうだった。けど……
「それさ、本当に菓子なのか? 大人向けの菓子だったりしない?」
訝って訊くと、キュウは首を傾げてキョトンとした。
「でも、フウも未成年だし」
「そうなの!?」
思わぬ情報に声がうわずった。
「え、あのひといくつなの?」
「十九だって」
「んだよ、ぜんぜん年上じゃん」
十九歳はもう立派な大人だよ。そんな俺の冷めた笑い方に、キュウは若干、不満そうに返した。
「えー? 大人女性ダメ? レイって年上NGなん?」
「NGっつーか、分不相応って感じ?」
「なんだ。単純に弱腰なだけだろ。だっさ」
キュウは鼻で笑った。これに対し、俺は何も言い返せなかった。代わりに強がってみる。
「大丈夫。好きな子くらいいるし、ぜんぜんこれっぽっちも羨ましくなんかないし、相手にしないし」
「ほぉぉ? おや、まぁまぁまぁ、言ってくれるじゃあないの」
真後ろで怒りに満ちたおぞましい声がする。振り返るまでもなく、それがフウのものだと分かった俺は冷や汗を垂らした。逃げるべく、足を踏み出すも背中に銃口を感じて動けない。
「やぁ、少年ども。ここをフウ様の庭と知っての狼藉かい? え?」
なんか言ってることがいろいろ間違ってる気がするけど、怖いので反論はできない。
キュウでさえ恐ろしそうに顔を引きつらせている。
「って、レイくん。あんた、ハチの旦那はどうしたのよ」
フウが思い出したように言い、銃口が離れる。俺はさっと身を翻して振り返った。
「今日は非番ですよ」
「あ、そうだったそうだった。あんにゃろー、こんなクソガキ放置して、どこほっつき歩いてんだか」
拳銃を危なっかしくチラつかせる彼女は、頬を膨らませてあたりを見回した。
「っと、噂をすればハチさんだわ」
ある一点を見つめている。
「え、嘘!?」
俺もキュウもその視線をたどる。
「ほれ」
フウがピシッと前方を指さしたので、じっと目を凝らした。行き交う妖怪たちの中に、ハチらしき男がのんびりと歩いている。
「おぉ、ハチだ」
キュウも見つけたらしい。
古本屋の前に立つハチは私服なのか、黒いシャツの上から黒い着流しを合わせたシンプルなスタイルだった。もう少しおしゃれに気を使えよと思ったけど、普段から生活に無頓着で休日も持て余す成人男性がめちゃくちゃおしゃれだったら鼻につくかもしれない。複雑な気分だ。
「黒子か? あいつは黒子になりたいのか?」
フウも同じことを考えているのか目を細めて困惑気味に言った。しかし、何を思い立ったのかハッとして、俺たちの肩にドスンと両腕を回す。
「ようし、少年ども! 今日はあいつの尾行しようぜ!」
そう高らかに言うフウが、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
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