第三章 青い罪、重い罰 4

 それは深い氷海に放り込まれた感覚に似ている。何度か死を体験したが、刺されて死ぬ恐怖だけは慣れない。

 ハッと目を覚ます。残酷にも現実が押し寄せる。俺の上に乗った克馬が嬉しそうに笑った。

「おはよう。死ね」

 それは一瞬の衝撃だった。頭骨が割れる音がしたと思えば、また氷海の中へ放り込まれる。無限に続く。これは……この状態じゃ、俺の勝ち目はない。

 目を覚ませばすぐ殺される。あいつはそれを楽しんでいる。

 何度も、何度も、何度も。血の匂いに溺れる。息を吹き返せばすぐに死の世界へ逆戻り。無限ループ。痛みも感じない。でも、もう、生き還りたくない……。

 無情にも体は修復し、そのペースも早くなってきたような気がした。体が慣れてきているのか。つくづく化物じみた体だと思わず笑いたくなる。克馬も声を上げて笑っている。いや、どっちが笑っているのか分からなくなってきた。

「もうやめてよっ!」

 アマナの声で目が覚める。彼女は果敢にも克馬に飛びかかっていた。

「うるせぇ、引っ込んでろ!」

 そうだ、逃げろ、アマナ。俺のことはいいから。でないと……。

 克馬が舌打ちし、彼女の髪の毛を乱暴に掴んで持ち上げた。

「このクソ妖怪が! 邪魔すんじゃねぇ! 業魔イルの餌にしてやるぞ!」

 その光景が一瞬だけ詩意と重なる。父に髪をつかまれて引きずられ、最期まで俺を呼ぶ詩意シイの声を、思い出す。

 心臓が急激に跳ねた。脳内のざわつきが一斉に凪ぎ、しかし筋肉は沸き立つように膨らんで勝手に動き出す。

 泣きながら抵抗するアマナをぶん投げようとする克馬の背中に思い切り蹴りを入れた。

 つんのめる克馬の手からアマナが離れる。

「チッ、起きやがったか」

「お前の相手は俺だろ」

 脇に転がっていた刀を掴んで、ヤツを見据える。

 血管を熱い血液がめぐる。それが脳に達したとき、俺は素早い動きで突進するように克馬の体を上下真っ二つに斬った。そのまま突っ切って、向こう側にいたアマナの手を引く。

「ごめん」

 走りながら言うと、彼女は「え?」と困惑する。

「ごめん。助けてやれなくてごめんな、詩意」

 アマナなのに、言葉は勝手にそう紡ぐ。

 ごめん、詩意。あの時、見捨てて本当にごめん。そんな懺悔もすぐに済ませて、アマナを安全な建物の中へ隠す。

「レイ! あんた、大丈夫なの?」

「俺は平気。とにかく、あいつぶっ殺さないと」

「ちょっと待って! なんで人間同士でやりあうのよ! そんなこと無意味でしょう?」

「無意味なもんか。ぶっ殺す。でなきゃ、俺の腹の虫がおさまらない」

 刀を握りなおし、俺は再び外に出た。瞬間、上から克馬が飛びかかってくる。切っ先が髪をかすめる。寸でのところでかわせた。これに克馬がつまらなそうに唇を尖らせる。

「なんだよ、もう少しオレ優位でいさせてくれよ」

「もう充分だろ。何回殺せば気が済むんだ、お前は」

 呆れて言えば、克馬はふざけたように舌を出して笑った。

「無限に」

「そうか。無限に殺されたいわけだ」

「あ?」

 克馬の間抜けな顔に向かって刀を振るう。かわされた。ひらりと後方へ飛ぶ克馬の動きに合わせて、俺も飛ぶように詰め寄る。間合いが近い。刀同士がぶつかり、微細な火花が散った。両者一歩も引かない。

 不意に克馬の腹を蹴る。建物に吸い込まれるようにしてヤツの体が吹っ飛んだ。木造の店が大きな音を立てて壊れる。死んだだろうか。いや、そんなことで死ぬヤツじゃないか。

 あいつが回復しないうちに距離を詰める。克馬は咳き込みながら瓦礫の下から這い出してきていた。その腹に容赦なく刀を突き刺す。血の匂いが噴き出し、鼻腔を刺激した。

「今度はこっちの番」

 あえぐ克馬の顔を見ながら、俺は冷たく言い放った。

「ま、いっか。死なないもんな、お前も俺も」

 克馬が死んだ後、その頭を引っ張るようにして引きずり、誰もいない場所につれていく。

 すぐに目を覚ます克馬が痛そうに呻いた。それでも構わず、引きずり回して宙へ放り投げる。

 そして、みぞおちを思い切り蹴って、動けなくした後に首を刎ねる。ぼたぼたと断面から血が滴り落ちていき、制服を汚したが気にしない。

 斬った首をつなげるように置くと、じわじわと断面が綺麗になり再生していく。

「ははっ、首って、くっつくんだな」

 起きた克馬が俺を睨みつけた。仕方なく、俺は彼と同じ目線になろうとしゃがんで胸を刺す。

「てめぇ……調子乗ってんじゃねぇぞ」

「うるさい、ゴミカス。お前みたいなやつは社会のゴミなんだから、大人しく死んでろ」

 胸を深くまで刺すため肉の中でグリグリねじると、克馬が苦し紛れに俺の刀を掴んだ。抜かせないようにしてくる。

「クソッ……お前も、変わらねぇな」

「は?」

 目を見開かせると克馬は口から血をびゅっと吐き出した。両目に直撃し、思わず後ずさる。

「あの頃と、おんなじ、バケモンみてぇなヤツ」

 そう言って、克馬は死んだ。

「……お前と一緒にするな」

 血を拭うも、目の中に入ってしまったので視界が悪い。瞬間、克馬の頭突きが俺の額を襲った。

 脳が震える気持ち悪さを感じ、思わずよろけてしまう。

 そのときだった。

 業魔イルの悲鳴が近づいてきた。

 克馬が放った業魔イルが走ってこちらにやってくる。キュウが上に乗り、業魔イルの背中に刃を突き立てていたがうまく殺せないらしい。

 近づくそれは、最初に見たときよりもぶくぶくと大きくなっていた。

「あれ、どうなってんだよ」

「あ? 業魔イルは妖怪や人間食ったらデカくなんだろ」

 克馬が笑いながら答えた。

「あれじゃ、オレももう手に負えねぇわ」

「お前が始めたことだろ! 責任持てよ!」

「やなこった。さっさとお前らが食われれば、あとはどうでもいいし、な!」

 克馬はそう言うと、俺の足を斬った。ガクンとその場で崩れてしまう。業魔イルが建物を蹴散らしながら走ってくる。

「レイ! 逃げろ!」

 キュウの怒号が耳をつんざくも、しゃがんだ俺の背中を追撃する克馬の刃に足止めされた。

「くそ!」

 キュウが業魔イルの背中から飛び降り、俺を掴んで引きずろうとしたが業魔イルの勢いには勝てない。

 やがて、くる強い衝撃。それはトラックに突っ込まれるような感覚で、体のすべてがへし折れたと思った。

 ぐしゃりと地面に伏す。俺の意識はかろうじてあるも、キュウの首が思い切り反対方向へ折れていた。

「キュウ……!」

 手を伸ばすも、キュウの体を業魔イルが持ち上げる。

「おい、待て、待てって! おい!」

 声を上げるも意味はない。回復したキュウが近づく業魔イルの口から必死に抗おうともがく。しかし、鉤爪に掴まれていてはうまく逃げ出せない。

 克馬の笑い声がどこかの屋根から聞こえてくる。

 動け、足。今動かなくてどうする。再生していく感覚はあるものの、その瞬間がまるで永遠のように感じた。

 俺はまた人の死を呆然と見るだけなのか──

 しかし、キュウは食われずに済んだ。鋭い光の筋が走り、次の瞬間には業魔イルを真っ二つにする大太刀の主が気だるそうな目つきで俺たちを見つめていた。

「わりぃ、遅れた」

 ハチが悪びれずに言い、あっさり倒した暴れ業魔イルの上から滑り降りてくる。地面に落ちたキュウを立たせ、俺の体もぐいっと引き上げる。

「お前ら、よく生きてたなー……って、何度も死んでる感じはあるけど」

 その軽口にキュウが渇いた笑いを上げるも、俺は構わず克馬の姿を追った。屋根を伝って走っていく克馬の背中を捉える。

「あ、おい、レイ!」

 ハチの静止も聞かず、瓦礫を伝って屋根に飛び乗って走った。克馬がチラリと俺を見遣り、眉をひそめる。

「しつけーな! ついてくんじゃねぇ!」

 克馬は迷惑そうに叫ぶと、上の階へ飛んだ。俺も一緒に飛び上がり、見失わないよう追いかける。

 克馬はずっと俺を気にしながら走るので、次第に足がもつれていった。態勢を立て直しながら走るも俺の手がヤツの襟首を掴む。ぐいっとそのまま引けば、克馬は瓦屋根の上に叩きつけられた。首を撫でて咳き込む克馬の鼻先に、刀の切っ先を向けると、彼は細い目をさらに細めて睨み上げた。

「何度でもぶっ殺してやるって言っただろ」

 そう静かに言うと、彼はこめかみから汗を流して笑う。

「ははっ、お前、ほんとイカれてやがる」

 その言葉が俺の感情を冷酷にした。冷たい怒りが刀身に込められるも、それは空振りに終わる。

「はい、おしまい!」

 ハチの手が俺の顔を掴んで、ぐいっと胸に引き寄せると羽交い締めにする。目を隠されてしまい、俺はジタバタともがいた。

「あーもう、元気良すぎ。今日の稽古、ぜんぜん効いてないし。ガキはこれだから参るなぁ」

「ハチ! っなせ! はなせよ!」

「ダメダメ。人間同士でやりあったって意味ないって。ほら、お前も今日は見逃してやるから、な」

 そう言うとハチは克馬に逃げろと促す。俺は抵抗しようとハチの足を刀で刺した。

「いってぇな、おい!」

 しかし、彼の悲鳴はわざとらしさ満載だった。その様子を克馬が笑う。

「やっば! クソダセぇ!」

「ハチ! あいつは俺が殺す! 殺さないと!」

「もういいって!」

 ハチがイライラと遮る。まだ興奮覚めやらぬ俺を簡単に組み敷いて、ハチは克馬に向かって冷たく言った。

「な、もういいから。失せろ、目障りだ」

 その冷酷無慈悲な言い方に、克馬の笑いが止む。俺の鼻息もわずかに勢いが止まる。

 すると、動き出そうとした克馬の胸に鋭い何かが刺さった。トンっと静かなものだから、克馬も俺も何が起きたのか分からなかった。それはしっかりとした尾羽根がついた細長い矢だった。

 それが克馬の動きをすべて掌握し、彼はそのまま屋根の上から落ちていく。その下から大きな指が現れた。克馬の体を受け止める。その後、建物の下でバキバキと骨が割れる音が響いてきた。

 ハチから逃れて下を覗こうとするも、しっかりホールドされてるから身動きが取れない。

 しかし、その骨が砕ける音が止んだと同時に、また矢がふり注ぎ、金属をこすったような悲鳴がしたと思えば静かになった。

「……わりぃな。決着、つけさせられなくて」

 いつの間にかハチが俺の体の拘束を解いて言った。

 屋根に腰かけ、タバコに火をつける。

「ハチ……」

「だからごめんってば。どのみち、ほんとは明日やるつもりだったんだけど、お前らのせいで早まったんだよなぁ」

 のんきな声でタバコを蒸しながら言う彼の声音に、俺は今になって怖気が走った。

 何も言えない。

 呆然としていると、体が急に悲鳴を上げた。全身が痛い。肩で息をし、天を仰ぐ。だんだんと感情が収縮していく。

 ──バケモンみてぇなヤツ。

 なぜか克馬の言葉がふわりと浮かぶ。

 その瞬間、克馬を殴った時の記憶が蘇った。何度も何度も拳を振るった。あいつが友人を殴ったから、意識がなくなっても殴り続けた。そうしたら、友人が俺の手を止めた。

 どうして? ムカつくだろ、だったら気が済むまで殴ればいい。

 そう言った時、彼は俺から離れていった。

 それから記憶は別の場面に映る。父に腹を刺された直後だった。俺は父を殴りつけて抵抗した。そして、自分の腹に刺さった包丁を父の胸に突き刺し──

「うっ」

 胃がひっくり返ったかと思ったくらいの気分の悪さが襲いかかる。ついえずいてうずくまると、ハチが気づいた。

「レイ……?」

「どうしよう、ハチ……俺……」

「は? 何? 気分悪いの?」

「違う。俺、父さんを……」

 父さんを殺したかもしれない。

 怒りに任せて、我を忘れて。でも、はっきりと思い出せない。

「俺の罪ってもしかして、そういうことじゃ……」

 いや、そうだろう。さっきだって我を忘れて克馬を何度も殺した。死なないからって、感情に任せて、しかも笑ってなかったか、俺。

 ──バケモンみてぇなヤツ。

 まったく、その通りじゃないか。

「レイ、帰ろうぜ。今日はもう休めよ。稽古も明日は休むから」

 俺の驚愕とは裏腹に、ハチは慰めるように背中をさすってくる。堪らず振り払った。

「はぐらかすなよ! ハチ、本当は全部知ってんだろ!」

 目を見て怒鳴ると、彼は紫煙をくゆらせて眉をひそめた。しかし、すぐに無表情となる。

「知らねぇよ」

 そう言って、彼は俺に向かって煙を吐き出した。まともに食らった俺の目に煙が染みる。それは不思議と眠気を誘うものだった。

「ハチ……まだ、話は……」

「いいから、もう寝てろ」

 そう言って、彼は俺の目を閉じさせる。強制的に意識を閉じられていく。

 その最中、何者かが俺たちの前に飛んできて何かを言った。黒い制服を着た女。凛とした佇まいで、手には弓矢を持っている。鋭利な眼光が、情けなく寝落ちる俺を一瞥した。

「ハチ、この子はどうしたんだ」

 その声は低く威圧的なもの。対し、ハチは和やかに笑う。

「なんでもないっす。疲れて寝ちまっただけですよ、ハトさん」

「そうか。なら、問題ない……くれぐれも情をかけるなよ」

 冷たい声音が耳の中を通り抜けるも、その言葉の意味を考えることは不可能だった。

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