第三章 青い罪、重い罰 3
「何やってんだ、テメェ」
ハチが鬼の形相でふすまを開ける。
「いやそれ、こっちのセリフ……ていうか、フウのセリフでは」
「黙れ、カス」
冷ややかな暴言が飛んできた。なんで今日はこんなに罵倒されなきゃいけないんだよ! 大人からそんなこと言われたら心が折れるぞ。
そんな涙目の俺に構わずハチは不機嫌たっぷりに睨みつけてくるので、仕方なく謎の謝罪をした。
「ごめんってば。ハチが約束の時間になっても来ないから見にきただけで」
「ひとりで稽古してろよ」
「えぇ……」
めちゃくちゃ機嫌悪すぎなんだが。
ハチは「はー」と長いため息をつき、頭をガシガシ掻いた。そして、忍足で逃げようとするフウを振り返る。
「話は分かった。もういい」
「はいほーい」
フウは完璧な笑顔を作ると手を振って、サッと視界から消えた。すぐさまハチが向き直り、ふすまを閉めて俺に詰め寄る。
「そもそも、このあたりは
「え? そうなの? ミヤさんに聞いて来たんだけど」
「あのババア……」
あ、だめだ。これ何言ってもダメなやつ。ミヤさんにまで飛び火しそうだ。
俺はもう何も言わないよう口にチャックをした。
一方、ハチは舌打ちをしてイライラを隠さない。
「もういい。おら、稽古行くぞ」
ハチに首根っこを掴まれ、ズルズル引きずられ、いつもの道場へ向かう。
「よし、来い」
まるでキャッチボールでもするのかというようなのんびりとした構えをするハチ。
なんか、上の空だな……しかし、俺が刀を振るえばあっさりと竹刀であしらう。隙きを突こうとしてみるも、彼は俺を見ずに考え事をしながら相手をする。というのも、いつもみたいな俺をいじめる攻撃をしないのだ。
何度立ち向かっても「まだまだ」とか「本気出せ」とか言って、俺の体を吹き飛ばして気絶させてくるくせに、なんだろう。一体どうした。フウと話していたことが関係あるのだろうか。気になる。気になるけど、聞いたら怒られるんだろうな。
「おい、考えるな。死ぬぞ」
俺の思考を見透かすようにハチが言う。
お前に言われたかねーよ。
まぁ、いいや。こういうときは追及せずに大人しくしておくに限る。
上の空の割には十九時きっかりに稽古を終えた。冷たい床に伏せる俺に、ハチはスッキリした顔で「よし!」と言う。
「はい、お疲れさん。明日は野暮用あるから、稽古するならひとりでやれ」
「え? マジで?」
嬉しさのあまり、勢いよく起き上がる。ハチは袂から懐中時計を出しながらのんびりと返した。
「マジです。はい、解散」
「あざっす!」
あぁ、久しぶりの解放感! 自由万歳! 明日が楽しみになる。
ハチにタオルを渡され、晴れやかな気分で見送る。その入れ替わりと同時にキュウが顔を出してきた。
「レイー! 一緒に帰ろうぜー」
「なんだよ、お前、待ってたのかよ」
「つれない言い方すんなよ!」
キュウはハチの背中を見ながら道場の中へ入ってくる。
「なんか、今日は大変だったらしいじゃん? フウから聞いたぜ。なんかすごい剣幕だったらしいし、ハチ」
タオルで顔をゴシゴシ拭いていると、キュウが気まずそうに言う。
「あぁ……なるほど」
なんとなくハチの思惑が見えてきた。でも、まだぼんやりとだけ。
「フウ、ハチから詰められてたんだよな……」
ぽつりと言うと、キュウが大袈裟に驚いた。
「えっ? あの完全無欠なフウが? オレは、フウの方がハチを半殺しにしたって聞いたぜ」
「それ嘘な……」
なんなんだよ、そのバレバレな嘘は。フウの茶目っ気たっぷりな笑顔が頭をよぎり、俺はげんなりとする。
「て言うか、キュウはフウのこと盲信しすぎじゃない? あのひと、挙動も倫理観もおかしいだろ」
「そうだなぁ。でも、かわいいし」
キュウはとびきりの笑顔で言った。俺はキュウの顔に汗臭いタオルを押し付けた。
「惑わされてんじゃねぇ」
立ち上がり、脱ぎ捨てていた上着を拾って肩にかけると、キュウも慌てて追いかけてきた。俺の背中を叩きながら、なんだか励ますように言う。
「しかし、新人狩りってやばいよなぁ……恐ろしい。同じ人間かよって思うんだが」
「現世でもそれだけ冷酷無慈悲だったわけだよ。だから、
異界に通じる境界を渡れるのは、現世で罪を犯した人間だけ──それが大きいか小さいかは問われない。
「そうだけどさぁ。でも、オレたちと一緒にしないでほしいよ。そいつら絶対、現世でも法に触れた罪を犯してんだろ。オレらは別に法には触れてない程度なんだし」
キュウは納得のいかない顔をした。
「そういえば、キュウは自分の罪を知ってるの?」
ふと気になったので訊いてみる。
年中湿って薄暗い異界だが、夜という概念は存在するので、そこは現世と同じく日が暮れて暗い。そんな夜の帷の中、ふたりで並んで歩く音だけになった。
「キュウ?」
顔色を窺うと、彼はなんだか思い詰めたような顔をしていた。ハッとし、すぐに笑みを浮かべる。
「なんでもない。て言うか、そんなの聞くなよ。しらけるだろ」
「あー……うん、ごめん」
地雷だったか。
ここにいる人たちは結構、地雷ばかりで心に踏み込むのが難しい。まぁ、別に大した興味があるわけではないんだけれど。
罪か……自分の罪ってなんだろう。思い返してもあまり浮かばない。こういうのって、無自覚なものなのかな。それってどんな極悪人よりもひどいのでは。
俺は自分の手をじっと見つめた。
もしかしたら、というのものはチラッとよぎる。俺の罪──それは、妹を助けられなかったこと、かもしれないって。
そうなると、今度は別の疑問が浮かぶ。
「じゃあさ、どれだけ
少し冷えた空間に、なんとか努めて明るくキュウに訊く。
彼は渇いた笑い声を上げた。
「ははっ。それ、迷子課のヤツらがぜってぇ教えないやつじゃん。知るわけないよ」
「そっか……」
どうやら彼も俺と同じくらいの情報量らしい。俺はため息をついて諦めた。
「多分だけどさ、フウもハチもそうだと思うぜ」
唐突にキュウが声をひそめて言う。
「え?」
道場はとうに遠くだが、局員たちの往来はわずかにある。そんな局内の敷地でとんでもないことを言い出すキュウに、俺も一緒になって声を低めた。
「どういうこと?」
「そのまんま。あいつら、すぐはぐらかすじゃん? でも、知らないことは言えないんじゃないかって思うんだよ。それにフウは分かりづらいけど、ハチは分かりやすい」
「なんでいつも一緒にいるフウは分かりづらいのさ」
しかもハチが分かりやすいってどういうことだ。
いつの間にか足が止まっていて、すれ違う局員に不審がられる。俺たちは気まずく笑い、そそくさとその場を去った。市局からようやく出て、会話を再開させる。
「フウはいつもあんなだ。いつも機嫌が一定なわけ。でも、ハチ見てたら割と感情豊かでさ、ちゃんと会話になってるじゃん、お前ら」
その衝撃的な証言に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「やばいな、その認識」
「だよな。言っててオレもやばいなぁって思った。フウはかわいさで誤魔化されすぎている」
その言い方は、まるで自分の彼女について呆れつつものろける彼氏然としていた。じっとりとした目つきで見遣ると、彼は慌てて咳払いした。
「ハチは嘘つけない性格なんだよ。だから不機嫌をアピールしてお前の口を封じるわけ。何も聞くなって意味だ」
「確かに……」
「ってことは、クリアするための討伐数も自分の罪も知らされてない。知っているのは上司から送られてくる担当
やけに説得力のある深い声で言うので、俺は思わず顔をしかめた。
大人って、考えることを諦めるもんな。フウはともかく、ハチはそんな疲れた大人の代表格みたいなものだし、考えるより仕事したほうがいいってタイプだ。もっとも彼の口癖は「考えるな」だし。
「はぁ。罪か……うすうす感じてたけどさ、ここの局員も元は
「そうだろうなぁ。でも、例外はあるらしいよ」
「例外?」
キュウのあっけらかんとした言い方に、俺は目を瞬かせる。
なんだろう。俺たちみたいな推薦された人ってこと?
「生還を希望せずにこの異界に留まって局員になること」
想像とは違う回答が飛び出した。
「そんな道があんの?」
「おう。らしいぜ」
「それ、どこからの情報だよ」
「我らがフウちゃん」
「………」
食い気味に聞いたのがバカだったよ。
俺は呆れて渇いた笑いを上げた。これに対し、キュウが抗議する。
「あー、お前、バカにしたろ!」
「だって、あのフウだろ? 嘘に決まってんじゃん。信じられるか」
「本当だって! それはマジで確実に本当!」
キュウは声を荒らげるが、俺は聞く耳を持たなかった。はいはい、と適当にあしらっておく。
そうこうしているうちに冥路荘が見えてくる。ぼんやりとした明かりに目を細めていると、キュウが俺の肩を叩いた。
「おい、誰だあいつ」
門に寄りかかって立つ黒い人影。一瞬、
俺はすぐさま刀に手をかけた。キュウもチラリと俺の動きを見て身を固くさせる。
「キュウ、あいつだ。今日、俺が遭った新人狩り」
「マジかよ」
キュウが息をのむと同時に、克馬がこちらに気づいて動いた。
「おかえりぃ」
邪悪な笑みを浮かべて手を振ってくる。
「お前が生きてるって聞いて、すっ飛んできたんだよ。なかなか楽しませてくれるじゃねぇの」
「同窓会の二次会ならよそでやってくれ」
刀を構えながら言い返すと、克馬ははしゃぐように笑った。
「あはは! そうだなァ! だったら、お前も一緒に来るだろ? そのお友達も一緒に来る? 別にオレァ、どっちでもいいけどね。ふたりまとめてぶっ殺しゃあいいんだし」
そう言うなり、克馬は懐から小瓶を出した。コルクを抜いて、地面にドロっと落とす黒い物体……だんだんと形になっていき、気色悪い動きを見せながら大きくなっていく。
節足を持つ牛の首と角が見えてくる。巨大な眼球がぐるりと動き、その瞳孔にも目玉がある。
「こんなとこで、そいつを放つなよ!」
下層地域のここは妖怪も住んでいる。俺だけならともかく、他のひとを巻き込むわけにいかない。
「まさか、昨夜の
キュウが思い当たったように訊くと、克馬はククッと笑った。
「
大きく手を振りかぶって、
すかさず、キュウも薙刀を構えて俺に耳打ちした。
「レイ、飛べるか?」
「あぁ」
すぐに返事をし、壁伝いに飛び上がる。室外機とパイプに飛び乗って、屋根に上がれば
騒ぎを聞きつけた近所の妖怪たちが雨戸を閉める。しかし、上の階にいる妖怪たちはこの異常事態に気づかない。
キュウが向かってくる
「レイ、お前は近隣に避難要請! あと、できたら局員呼べ!」
そう言われてしまえば、ここはもうキュウに任せるしかない。すぐさま屋根を駆け抜け、その場で呆気に取られた妖怪たちに叫ぶ。
「
すかさずてんやわんやの大騒ぎになり、通りはごった返した。
「レイ!」
アマナの声がする。視線を這わせると、彼女は通りの向こうから妖怪たちに逆行して駆けてくる。
「どうしたの?
「あぁ、今すぐ逃げろ! 今、キュウが相手してるけど持ちこたえられるか……」
慌てて言うと、アマナは大きく頷いた。
「分かった! ハチを呼んだげる!」
「頼んだ!」
そう答えると、背後に気配を感じた。そのまま腹に冷たい感触が突き刺さる。
克馬が刀で俺の腹を刺していた。
「お前の相手はオレだ。何度も殺してやるからよぉ、逃げんじゃねぇよ」
ゾッとするような低い声音が耳をくすぐる。克馬はそのまま俺を突き飛ばすようにして刀を抜いた。
「レイ!」
アマナの声が聞こえる。
足場の悪い瓦屋根の上で体がよろけ、どうにか立ち止まっているも時間の問題だった。
やべぇ、まともに食らった。血が噴き出す。外へ流れていく感触が気持ち悪い。すぐに思い出すのは、あのはじまりの悪夢みたいな夜。
そして、こんな状態にも関わらず、のんきなことを考えてしまう。
そう言えば、ハチは俺を刺したことは一度も……ないな。
「くそ……っ」
寒い。だめだ……意識が遠くなる。すぐに復活するにしても、このタイムロスは、痛い。
力が入らなくなり、ガクンとその場で崩れる。屋根から通りへと落ちていくと、視界が途切れた。
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