第三章 青い罪、重い罰 2
今日は都市の西側エリアへ行くらしい。初めて行く場所だ。
ちなみに、いつも散策するのは都市の南側であり、比較的日当たりのいい温暖地域である。西はやや陰気で、路地の暗さが異様だ。
建物や道の形状は西も南も変わらないのに、暗いってだけで緊張感が漂う。こころなしか、道端ですれ違う妖怪たちの目つきや柄が悪いし。
「レイ、よそ見すんなよー」
前を歩くハチがのほほんと言う。彼は当然だろうが、このスラム街でも堂々と平気な顔をして歩いていた。
ここはなんという道なんだろう。電柱に通りの看板が貼ってあったので、ふと目を向けた。
「
不気味な名前だな。このあたりは、全体的に人の手で作られた場所ではないようだ。奇妙すぎる。
そう思っていると、どこからともなくにゅっと手が伸びてきた。
「え?」
腕を捕まれ、あっという間に路地へ引きずり込まれる。
建物と建物の狭い隙間。壁に隠れるような形で俺は口を塞がれ、後ろ手で拘束されていた。
「騒ぐなよ」
背後から聞こえる刺客の声は聞き覚えのない男のもの。なんとなく分かったのは同年代くらいか。一瞬だけ、キュウかと思ったのだが彼とは違うハスキーな声質の男だった。
騒ぐなという言葉に従うべく、ゆっくりと頷くと彼は俺の口から手を離した。首だけを回してその正体を見る。
短い金髪、広いでこの下にある細い目、ゴテゴテとしたピアスをいくつも耳につけている。蛇みたいな顔をした男だった。やはり同年代っぽい。
「お前、
男が確信めいた口調でささやく。
「そうだけど……」
「新入り?」
「まぁ……一週間前くらいからだから」
「ふぅん」
彼はニヤニヤと笑った。なんだろう。不審に思い、彼と向き合うべく体を捻ろうとしたが、頑丈な縄のようなもので手首を縛られていて、身動きがうまく取れなかった。
「新入りの
情けなくもその場で組み敷かれ、そのまま背中に男が座る。俺は路地の奥を見る形で地面に伏していた。
蛇顔が俺の顔を覗き込んできた。彼の目が急激に大きく見開かれる。
「あれ? どっかで見た覚えがあるなァって思ったら、お前、斧田じゃね?」
八重歯を剥き出しにして笑うその顔に、俺も記憶が蘇ってくる。あの時は髪がまだ黒だったし顔つきも幼かったから印象が違うけれど──
「まさか、
中学の時、同じクラスだった
「お前、バイクで死んだんじゃないのかよ」
「へぇ、そういうことになってんだ?」
俺の挑発に、克馬はそう簡単に乗ることはなく感心したように返す。
「はぁー、こんなとこで会うとはなァ。のんきでムカつく顔してるから捕まえただけなのに、まさかお前だったとは。同窓会かよ」
克馬はゲラゲラ笑い、恨みを込めるように俺の髪の毛を引っ張った。
「あの時は散々世話になったし、お返ししないとなァ」
あの時──あぁ、だんだん思い出してきた。中学の時、克馬たちのグループに目をつけられて、こういう路地裏に連れて行かれたことがある。友人と一緒に帰っていたら、克馬に金を要求されたので殴って抵抗しただけだ。
「あれはお前が悪いんだろ」
逆恨みも甚だしい。
「黙れ、ゴミ。イキってんじゃねぇ」
「どっちがだよ。こういうやり口、昔とまったく変わらないんだな」
吐き捨てるように言うも、克馬はせせら笑うだけだった。
「お前さー、状況分かってる? こんなとこでオレがお前にカツアゲなんかするわけねーじゃん」
「じゃあ、何するわけ? ここで暴れても俺は死なないし、怪我もすぐ治るし、喧嘩は意味ないぞ」
縄さえ切れればこんな雑魚、あの時みたいにぶん殴ってやれるんだけど。
そう思っているのも束の間だった。俺の両目が克馬の背後を捉える。
「え……」
鋭く光る目玉が二つ瞬きをしていた。最奥に潜んでいるであろうそいつの目に射抜かれると、強気だった口も凍っていく。
「あ、気づいた? そうそう、だからさァ、死んでもらおうと思ってんだよね。それが斧田だったんで、まーじラッキーってカンジ。現世に戻ったら、仲間にいい土産話できるな」
そう言って彼は立ち上がると、俺の腹を思い切り蹴り上げて路地を出た。強い衝撃を受ければ素直に痛みを感じ、思わずえずく。
「あっははははははは!」
愉快でたまらないらしいその笑い声が遠ざかっていった。
「嘘だろ、おい……克馬、冗談きついって」
ひらりと袖を翻す克馬の後ろ姿にすがるも虚しいだけ。
俺はすぐに立ち上がると、路地から出た。思ったより頑丈な縄で縛られているので、刀を抜くこともできない。逃げるしかない。
俺が動くと同時に
鹿だった。真正面に目がある不気味な鹿の
──飛べ。
ここずっと幾度となく聞いたハチの檄が脳内に響く。
地面を蹴って後ろに飛ぶイメージで……ひらりとかわして
ぶちぶちと繊維が切れる音がし、なんとか千切ることができた。繊維は手首に巻きついたままだが、両手が離れればそれでいい。
「よし」
刀を抜く。黒い化け物はキョロキョロと蠢いていて、俺の姿を見失っている。
ぴゅうっと口笛を吹けば、
瞬間、ヤツが足を踏み出す前に飛び上がって刀を振るう。下から上に向かって振るような。刃がヤツの首を捉えて、斬る。肉も骨もない存在なのに、何故だか重たい手応えを感じる。
首が舞い、あっけなく地面へ叩き落とされた。
「はぁ……」
胸の内がグルグルと忙しない。恐怖と達成感がないまぜになったような、不思議な感覚だ。
静かになって直後、思い出したように全身から汗が吹き出していく。額から流れる汗を袖で拭い、刀についた
近くにいた妖怪たちは見向きせず、胡乱な目でこちらを見ていたが、すぐにそらされた。
ただ首を斬っただけなのに、マラソンをした後のように全身が熱い。どくどくと鳴る心臓の鼓動を抑えようと、呼吸を整えた。
「あぁ、いたいた」
上からハチの呑気な声が降ってきた。建物の屋根から軽々と飛び降りながらこちらへ来るハチは、俺に何があったのかを調べるように目を身張る。
「ったく、だからよそ見すんなって言ったのに」
そんな小言に文句を返すほどの気力はなかった。ハチは薄く笑いながら、鹿の
「ほう……上出来じゃん」
「どうも」
「で、その妖怪の毛髪はあれか。お前、さては新人狩りにやられたな?」
ハチが俺の腕に巻きつく縄──毛髪をつまみながら言う。
「言葉通り、新人の
「そんなのがいるの?」
「あぁ。お前らはさ、いわばライバルみたいなもんだから。手柄横取りしたりするのはまだかわいいもんよ。えげつねぇのは、新人を
俺は目を細めた。その仕草に、ハチが眉をひそめる。
「その手口、心当たりがあるな。近くに監督者はいたか?」
「いや……いなかった。あいつひとりだった」
「あいつ? 何、まさか知り合い?」
詮索するように毛髪を取ろうとするので、俺はその手を振り払って自分で取った。
「藤原克馬っていう、中学の同級生」
「あっそう……分かった。報告はしとく」
「報告?」
すかさず訊くと、ハチは当然のように頷いた。
「うん。そいつの担当にな。あ、あんまり期待すんな。俺たちはお前らが死のうが生還しようが関係ないし、責任も負わない。基本、何しようが自由」
「だから、ああいうヤツがのさばるんだろ」
ついムキになって言うと、ハチは困ったように鼻を掻いた。
「珍しく興奮してんな。まぁ、お前の言い分は分からんではないが」
「理不尽だよ。結局、現世も
ハチの言うとおり、興奮している。さっきまで死と隣り合わせで
「青いなぁ」
ハチが気怠げに言った。その気が抜けるような声に、俺の怒りが吸収されていく。
「分かるけどさ……そしてこれからもずっとそうなのも。結局強いヤツが生き残るもんだよ」
「だからそれが納得いかないんだって」
「うん。だからさ、シンプルにお前も強くなればいいじゃん」
ピッと人差し指を向けられ、俺は拍子抜けした。
「……別に俺は自分が弱いとは思ってない」
口は素直じゃないので、ムキになったまま見栄を張る。それすらもハチに見抜かれているようで、彼は小さく噴き出して笑った。
「じゃあ、次そいつに会ったら返り討ちにしてやれよ」
「もうやった。昔、返り討ちにしたんだよ。その仕返しされた感じ」
「すでにやり合ってたか……こりゃ根深い因縁だな」
愉快そうに笑うハチだが、すぐに真顔に戻した。
「ってことはさ、これからもそいつにずっと狙われるってことだよな……めんどくさ」
「ハチ、なんとかしてよ」
「お前が始めたケンカだろ。自分で始末つけろよ」
うるさそうに手をひらひらさせて突き放す。
「なんで俺がガキの子守しなきゃならん。ただでさえ、お前のために貴重な時間割いて、毎日毎日稽古つけてやってんだぜ」
ああ言えばこう言う。これじゃあ埒があかないので、俺は渋々口を閉じることにした。
***
西側エリアの腸横丁と、ばちあたり商店街をブラブラしても不思議と
ハチに訊くも「心当たりがある」とだけしか返ってこないので訊くのをやめた。
十六時半に市局へ戻り、俺はいつものように休憩室でおやつを食べることにした。稽古の前に小腹を満たしておく。
市局の窓口は今日も行方不明者となった人間たちがずらっと並んでいて、その脇をそそくさと通り過ぎた。窓口の裏にある迷路みたいな廊下を通り、休憩室を目指す。ランタンを三つ通り過ぎたすぐ横の廊下を行けば、その奥に暖簾がかかった部屋がある。休憩室だ。
中は局員や妖怪がおり、ソファとテーブル、座敷などがあるスペースでみんな思い思いにだらけている。コーヒーを飲んだり、お茶を飲んだり、お菓子やおにぎりを食べたり、雑誌を読んだり、談笑する者もいて和やかだ。休憩室の入り口には無人売店があり、そこで食べ物や飲み物、雑誌などを購入できる。
俺は市局から支給された金でおにぎりを買った。招き猫の人形が手を出してくるので、小銭を置く。すると猫の手が滑らかに動き、小銭を口に放り込んだ。むしゃむしゃと食べて満足そうに喉を鳴らすので、頭を撫でてみる。すかさず「シャーッ」と威嚇されたのですぐに退散した。
おにぎりを持ってソファに陣取る。今日のおにぎりは昆布とシャケがぎっしり詰まっていて満足度は高い。あっという間になくなった。
それから十七時になるまで待っていれば、どこからともなく現れるハチに道場へ連れていかれるのがいつものパターン。
なのだが……時計の針が十七時ちょうどに差し掛かっても、ハチは姿を見せない。
「あれ?」
「今日は稽古、休みかい?」
背後から顔見知りの女性局員、ミヤさんに聞かれるも俺は首を傾げた。
「逃げんなよって言われたんですけどね」
「あいつが逃げてどうすんだい」
中年女性のミヤさんは、丸い鼻に乗っかった丸眼鏡を押し上げた。彼女は事務課の人で、よくここでサボっているらしく話し相手になってくれる。この異界で血の気の少ない唯一の人と言っても過言じゃない。
「まぁ、そのうちくるだろ」
「そうですねぇ……」
ミヤさんの楽観的な声に合わせて、俺はしばらくソファでまったり過ごすことにした。
しかし、十五分経っても彼は現れない。
「……帰っていいかな?」
「いいんじゃない?」
ミヤさんが適当に言う。
でも、帰ったらあとで見つかったときにうるさいかも。明日、何度も殺されるかもしれないし、それだけは嫌だな。考えを改める。
「迷子課って、どこにあるんですか?」
「おや、探しに行くのかい。真面目だねぇ」
ミヤさんは素っ頓狂な声を上げて笑った。
「ここ出てまっすぐ上に行くと近道だね」
「ありがとうございます」
「達者でなぁ」
ミヤさんはヒラヒラ手を振って、茶をすすった。俺も手を振りかえし、気合いを入れて迷子課へ行ってみる。
ここを出てまっすぐ上に行ったところ……上か。どうやって行くんだよ。
廊下に出れば、左右にしか道はない。見上げれば、確かに吹き抜けのようになっているし、道かと言われれば道なのだが、問題はどうやって行くかだ。
道がなかったり、ない道が出現したりするのはこの異界じゃ日常茶飯事。その場合、どこかにスイッチか機動装置があるのだ。
壁を叩いたり床を叩いたりしていくと、床の一箇所だけ音が違った。コンと軽い音がし、溝に爪をたててみるとすんなり開いた。赤いスイッチがある。
「こういうのは押すべきだって、ミヤさんなら言うね」
俺は妙な確信をし、躊躇いなく押した。
すると、案の定床が盛り上がり、吹き抜けに向けて勢いよく押し上げられた。
「うわぁ」
バランスを崩すと危ない。床はぐんぐん伸び上がって果てがない。
「ていうか、これ、どこで止まるんだよ!」
停止ボタンなどないので、どうにもできない。だんだん怖くなってきたが、床は急に停止した。足元で文字ランプが点滅する。
【迷子課業魔対策部付近】
目の前には左右の道。伸び上がった床から降りると、床は瞬時に下へ降りて行った。
左右に広がる廊下は薄暗く、転々と行燈が置いてある。人気がない。十七時を過ぎたのだから、当たり前なのだが。
そろそろと廊下を通り、部屋を探す。迷子課の札がかかったふすまを見つけ、俺は恐る恐る声をかけた。
「あの、すみません」
しかし、その声は激しい衝撃音に遮られてしまった。
ドーンと壁を突き破るような音と、何かが割れる音。そして訪れる不気味な静けさ。
許可もなしにふすまを開けるのはマナー違反な気がするが、そんなことを考える余地はなかった。
思い切り開けると、そこにはフウを追い詰めるハチの背中があった。壁に穴を空けんばかりに足を突き刺してフウの行く手を遮っている。あれだ、ダイナミックな壁ドン。
「あ」
フウが何食わぬ顔で俺を見る。同時にハチが勢いよく振り返った。
「失礼しました!」
俺は咄嗟にふすまを閉めた。
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