第四章 休暇迷宮 2
ハチは古本屋を物色していた。軒先で無造作に置いてある古書の山から一冊掴んで、パラパラとめくる。何か目を引くものがあったのか、しばらくそのページを見て本を閉じた。山に返すと彼はゆうらりとその場から去る。
それを電柱の影から三人、串団子のように並んで眺めていた。
「あいつ、不用心だな……」
一番上にいるフウが手を双眼鏡のようにして見ながら呟く。
「大太刀、持ってないじゃん」
「ほんとだ」
二番目にいるキュウが言う。
「あ、やっぱり非番の日でも帯刀するものなの?」
一番下の俺が訊くと、フウとキュウは同時に「うん」と頷いた。
「あったりめーだろ。常識だぜ?」
しかし、偉そうに言うフウは刀を持たない。
「そう言えば、フウは拳銃だけで対処してるんすか?」
再び訊くと彼女は「おん」と適当に返した。とにかく今は、ハチの動きを追うことに集中している。
ハチはにぎやかな通りをぷらぷら歩き、すれ違う荷車屋台を呼び止めた。タバコ屋だった。長い煙管をすすめられているが、手を振って断っている。とにかくタバコを一箱くれ、と口の動きだけでそう言っているのが分かった。
「昨日言ってた休日の過ごし方と大して変わらんことをやってる……」
つい呟くと、フウとキュウが「ほー」と揃って感心した。
「つまらんやつだな」と、フウ。「ほんとつまらんやつだな」と、キュウ。熟年夫婦みたいな息の合い方だ。俺はため息をついた。
「俺に土産話用意するって言ってたんだけどなぁ」
「じゃあ、これから面白いことすんのかな?」
キュウが首を傾げる。その時、フウがキュウの頭を思い切り押した。それに伴い、俺の頭に二人分の圧迫が襲う。
「おい! あいつ今から色街に行くぞ!」
「なんだって!?」
「おい、キュウ! 重い!」
文句を言っていると、フウがひらりと飛んで道に着地した。キュウも飛び出す。そうして二人は楽しげに走っていく。一歩遅れて俺も走る。妖怪たちが不思議そうにこちらを振り返るが気にしない。
「きゃっはは! 昼間っからお盛んなことでぇ。あいついじるネタができたわぁ、ひゃっほう!」
フウが一番盛り上がっている。楽しそうで何よりだよ。
ハチから一定の距離を保ちながら走ること数分。確かにハチは華やかな色街へと続く
ここは商店街の出入り口と同じく大きな門があるが、門番が駐在していた。岡っ引きみたいな格好をした狐顔の男性門番ふたりと、門の上から縄を垂れ流してぶら下がる鬼面が俺たちの行く手を阻んだ。
「未成年は立入禁止ですぅ」
狐顔のツインズと鬼面が声を揃えて言う。すかさず、フウが拳銃を構え、狐顔のひとりに突きつけた。とたん、あわあわとする狐ツインズたち。
「黙れ。通しな。
「嘘はダメですぅ。
「あたしゃ、もう十九なんですけど! 現世じゃ十八から成人なんだぞ、このやろう!」
「じゃあ二十歳未満、お断り!」
「だぁぁぁーっ! くそっ!」
強い意思で抵抗をする狐顔ツインズと鬼面に、フウは駄々っ子のように地団駄を踏んだ。
ていうか、なんか今、さらりと職権乱用しようとしてたな。しかも嘘言って。
いくらハチの後を追うためとは言え、フウのこの度胸には脱帽すると同時に呆然としてしまう。キュウを見ると、彼も同じことを考えているらしく苦笑いしていた。
「なんでこういうことはしっかりしてんのかねぇ。無法地帯じゃないのかよ」
「さすがにこればかりは、ねぇ?」
「ねぇ?」
狐顔ツインズが顔を見合わせて困惑する。
「お帰りくださぁい!」
鬼面がくわっと目を剥いた。仕方なく、ここは退散するしかない。
俺たちは渋々門から離れ、傘屋の壁にもたれかかった。フウに至っては、ふてくされて唇を尖らせてしゃがんでいる。居たたまれないので、俺はつい呟いた。
「……ハチ、モテないのに大丈夫かなぁ」
「少年よ、ここはモテないやつこそ行くとこぞ? 今頃お楽しみの最中なんだろうよ、きっと! けっ!」
フウが刺々しい口調で言った。
「フウって、ハチのこと、どう思ってんの?」
果敢にもキュウが訊く。すると、彼女は真面目に唸って思案した。やがて、真面目な顔で俺たちを見上げながら答える。
「都合のいい的」
しっかり考えた割に、随分とぶっ飛んだ答えが返ってきたし、やっぱりこのひととまともな会話は不可能だなと瞬時に悟った。
的って、あれだよな。ぶち抜くための的ってことだろ。殺しの標的。拷問相手か。何それ、怖すぎる。
「てっきり、初恋の相手とか好きな人と言うのかと思ったのにー」
キュウがケラケラ笑いながら言う。こいつもなかなかヤバい思考だと思う。いや、フウの相手をしすぎて感覚がおかしくなってるのかもしれない。
だって、フウにそんな感情があるようにはどう考えてもないだろ、皆無だよ、普通に。
と思っていたら、フウは「なぁんだ、そゆことね」と合点した。
「あー、うん、好きだよ? だってあいつ、私のこと殴ったり殺したりしないしねぇ。やさしーの。この前も強烈な壁ドンもらったし、あははっ」
「あれは壁ドンというより、壁ズドンだったけどな」
俺は呆れて言った。しかし、フウは構わず後を続けた。
「好きすぎてムカつく。だから、いつか
「ちょっと待て。それは聞き捨てならないんだが」
思わず遮ると、彼女はキョトンと目を丸くした。
「え、何? レイくん、やきもち?」
「違う!
少し前にあった新人狩り──克馬のことを思い出した俺は反射的に非難的な目を向けていた。
しかしフウは、目をぱちくり瞬かせているばかり。
「何って、そのまんまだけど。え、ダメ?」
「ダメに決まってんだろ! 何言ってんだよ!」
「レイ、まともに相手すんな」
キュウがやれやれと言わんばかりに仲裁に入るが、俺は構わず食い気味に責めた。
「あんな恐ろしいことを平気で言うなんて、黙ってらんねぇだろ。キュウ、お前もあいつの酷さを見たんなら分かるはず」
「そうだけども」
「あぁぁー、ごちゃごちゃうるさいなぁ」
フウが面倒そうに天を仰ぐと、俺に向けて拳銃を向ける。カチャと不気味な音が横っ腹に当たった。
「あーんな現世に未練たらたらな男、さっさと食われりゃいーのよ。こっち側にきたくせに、未だに人間みたいなこと言うんだもん。だからムカつくっつってんだよ」
「そりゃ、ハチは人間だろ……何がどう間違ってるって言うんだよ」
しどろもどろに言い返すも、フウの言葉に少し引っかかりを覚える。
ハチは現世に未練があるのか?
考えていると、フウがニヤリと笑った。
「あー、知らないんだぁ。レイくん、ハチのことなーんにも知らないんだねぇ?」
「は……?」
今度は俺の挙動が止まる。彼女は笑いながら立ち上がり、俺の鼻先に銃口をグリグリ押し当てて楽しげに威嚇した。
「誰よりも現世に還りたいくせに、
フウの甘い息がかかるほど近い。彼女の瞳孔が大きく開き、その黒さに俺の困惑した顔が映る。
「あんたのこと、大嫌いよ、あいつ。でも上からの命令に従うしかないから、あんたの面倒見てんの。そういうとこがムカつくんだ私は、ね!」
すかさず、ドンと銃声が鳴った。つい目をつむってしまうも、塞ぐべき耳を守ることができなかったので耳鳴りがひどい。つまり死んでない。
フウは銃口を上に向けていた。硝煙が上の階の道まで到達していく。どこかの穴が開いたかもしれない。妖怪たちも怖がって、周囲から遠ざかっている。
「そういえばさぁ、
銃口から立つ硝煙をフッと吹き消すフウが訊く。
これに、キュウが困惑気味におずおずと答えた。
「そりゃ、生きたいから。大事な人にも会いたいし、こんなとこで生きたくない」
同感だ。俺もこくりと頷く。
すると、フウは「へぇぇ」と興味なさそうに言った。
「いいねぇ、さぞ幸せな世界で生きてたんだねぇ」
「そういうフウはどうなの?」
訊くのはやはりキュウで、フウはあっけらかんと答えた。
「私は嫌だなー。なんにもいいことなかったしさぁ、生きてるだけで時間と金の無駄だったし、生まれ変わるのも御免被るし。だったら私は私のまま、
小首をかしげて悲しく微笑む彼女の、その感覚を理解することはどうしてもできなかった。
***
ハチが一向に出てこないので、フウは「飽きた!」と言い捨ててどこかへ去った。
俺たちはもうハチの休日に関してどうでもよくなっており、でもまだその場でふたりしゃがんでぼんやりしている。
フウの言ったことの意味を咀嚼してみるも、うまく消化できない。
それはキュウも同じなのか、しばらく俺たちは互いに何も言わずにいた。
ハチに最初、最上階へつれて行かれたときのことを思い出す。あのときの彼の苛立ちや憂いの意味が少しだけ分かってくる。ハチのそのやるせなさを考えると、この先どうやってあの人と付き合っていけばいいのか不安になってきた。
──あんたのこと、大嫌いよ、あいつ。
その通りだろうな。
目の前を妖怪たちが行き交う。ナマズ、ろくろ首、烏天狗、観光客っぽい紳士は吸血鬼か。なんだかんだ妖怪の種類もグローバルなので見飽きることはない。
しかし、無言でいるのに飽きたらしいキュウが先に沈黙を破った。
「レイ、好きな子いるんだっけ?」
「えっ!?」
予想外の質問に、声が裏返った。そんな俺をキュウは真剣に見つめている。仕方ない。今日は真剣さがテーマのようなので真顔を作って答える。
「あぁ、うん。まぁな」
「どんな子?」
「どんな子って……」
思案する。思い浮かぶのは、波積の綺麗な横顔。
「この世のオモテとウラを説く、聡明な美人? かな」
「なんだよそれ。意味分からん。架空の人物か?」
「実在してますけど」
ムッとして言い返すと、キュウは軽く笑った。
「ふうん。でもいるわけだな、大事な人」
「うん」
「じゃあ、やっぱ還らないとだよな」
「あぁ。キュウは?」
「オレは好きな人はいないけど、大事な家族がいる、かもしれない」
「かもしれない?」
謎の返答だったので、俺は眉をひそめた。すると、キュウは前を見つめたまま静かに言った。
「生きてるかどうかは分かんないんだ。一瞬のことだったからさ。家が崩れて、オレも家族もみんな巻き込まれて、気がつけばここにいた。けど、家族のうち誰も
訥々と語るキュウの過去に、俺はなんとも言えない気持ちになる。
数年前の各地で起きた災害が思い浮かぶも、どこの場所でそうなったのかまでは想像できず、また訊けるわけもなかった。
「でも、生きてたらさ、またどこかで会えるだろ。だから還りたい。それでいいじゃんな」
「……あぁ、そうだな」
キュウの言葉に、俺の心がわずかに明かりを取り戻した。
現世への生還理由に優劣はないし単純でいい。そう思う。
「しかし、そのオモテとウラっていうフレーズ、どっかで聞いたなぁ」
キュウが素っ頓狂な声を上げるので、俺は「ふうん」と生返事する。
「そういえば、俺もハチから聞いたわ」
「あ、それならオレはフウかも。オモテが現世で、ウラが異界ってことだろ」
「なんだよ。じゃあそのオモテとウラって、局員共通の口上なのか。マニュアルとかあんのかなー」
俺は楽観的に笑った。
オモテとウラか。そういう意図で言ったのなら、波積もまるでこの世界のことを知っているみたいじゃないか。そんな馬鹿な話があるわけ──
俺は目を見開かせた。
現にそうならば──波積が元
しかし、あの時の彼女は涙を流していた。その意味だけ考えても分かるはずがなかった。
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