お兄ちゃん

緋雪

妹だから

「お兄ちゃん」との出会いは、中学2年生の時だった。


「お兄ちゃん」っていっても、全然血が繋がってるわけでも、親戚なわけでもなくて、ただの彼のあだ名。本当の名前は、茅野陸かやのりくと言った。私、綾瀬あやせ知香ちかとは同級生。クラスは違ったけど、同じ図書委員だった。

「お兄ちゃん」っていうあだ名は、頼りになるから、お兄ちゃんっぽいから、という理由で、私がつけた。もっとも、他にこのあだ名で呼んでる子はいなかったけれど。彼は私にそう呼ばれるのを悪くは感じてなかったようだ。


 お兄ちゃんは、頭も成績も良くて、沢山のことを教えてくれた。クラスが違うのに、数学の課題の解き方を聞きに行ったりしていた。ハッと気付くと、そのクラスの女の子たちが凄い目で見てたけど。

「気にすんな。妹だろ?」

お兄ちゃんは笑った。


 お兄ちゃんが、生徒会長に立候補した。でも、その時の、男の子に負けた。それでも生徒会には入った。私は時々生徒会室に遊びに行っていた。


「茅野、お前、原稿出しとけよ。」

「あっ、ああ、すぐ出すよ。」

と、副会長に返事したものの、

「参ったな〜。」

と言っている。気付いたように私の顔を見ると、

「知香、俺の似顔絵って描ける?」

聞いてきた。

「描こうと思ったら描けるよ。何で?」

「うわぁ、助かる。描いて。」


 彼は、生徒会の活動紹介をする冊子を作るのに、会員紹介で、似顔絵付きで原稿を出さねばならないのだと言った。


「美化する?美化する?」

「しなくていい、ってかすんな。」

とかふざけながら、3分ほどで仕上げると、

「お前凄いな。ちょっとデフォルメ、キツい気もするけど、ま、いいか。」 

そう言って、自分が書いた原稿に、それを貼り付けて提出した。

「ありがとな。あ、これやる。」

「どういたしまして。ってか、ぬるっ!!」


 私は、お兄ちゃんの似顔絵を描いたお礼に、ぬるい缶コーヒーを貰った。

実は、お礼など貰わなくとも、私は、お兄ちゃんの、意外と美形な顔を、じっくり見れて満足していたのだった。


 高校に入った。お兄ちゃんと初めて同じクラスになった。だけど、クラスには、もっと気が合う男の子がいて、その子のことが好きになった。お兄ちゃんは「兄」。その頃は、そんな感じにしか思ってなかった。

 2年生になると、お兄ちゃんは理系、私は文系と、教室が凄く離れてしまったので、ホントにちょいちょいしか遊びにいかなくなった。私に彼氏ができて、お兄ちゃんの方も、遠慮していた感じもあったようで、お兄ちゃんから私のところへ来ることはなくなった。


 大学生になって、彼氏と大学が離れてしまってから、すぐに彼氏と別れた。遠距離恋愛になって、滅多に会えなくて、別の彼女を作られてしまったのだった。

 お兄ちゃんに電話して、いっぱいいっぱい話を聞いてもらって、いっぱいいっぱい泣いた。 

 

 お兄ちゃんには何でも話せた。お兄ちゃんはいつでも、ちゃんと聞いてくれて、私が前向きになれるようなことを、時々ふっと言ってくれた。いつもずっとずっと話していたくて、物凄い長距離なのに、1時間以上話したりした。


 それが私にとってどういうことなのか、自分自身でも気づいていなかった。


 お兄ちゃんは、年に一度、年末あたりに帰省して、その時に会った。


 大学最後の年の年末だった。

「ね、ね、この映画行こう?」

「えー、俺、こっちの方がいいなー。」

「よし、じゃんけんな!」

「こんな大通りでかよ。」

最初はグー、じゃんけんポン!

 私が勝って、私が観たかったラブストーリーを観に行った。


 ヒロインが、

「この人と一緒にいたい、だけど、この人と一緒にいたら、この人をダメにしてしまうかもしれない、傷つけてしまうことになるかもしれない。…私はこの人を愛してる、どうしようもなく。だから、さようなら…」

と、いつも傍にいてくれた彼が寝ているうちに、そっとキスをして去っていく姿を見て、もう、私は号泣だ。

 ハンカチで鼻や口を抑えて、声を殺して泣いていると、お兄ちゃんが、スッと私の頭を引き寄せ、なだめるように、髪を撫でてくれた。なんだか、また泣けてきた。


 結局、ハッピーエンドで終わった映画に、ふぅとため息をつく。ずっと私の右肩にあったお兄ちゃんの手が、私の頭をポンポンと軽く叩く。

「目、真っ赤。めっちゃ腫れてる。外歩けないな。」

「嘘?ヤバい、どうしよう?」

「嘘だよ。帰るぞ。」

私の髪をくしゃくしゃっと混ぜた。

「もう!」


 映画館から出て、一緒にご飯を食べ、ちょっとだけ買い物をした。

「さ。そしたら帰るか。」

嫌だ。と思った。

「まだ…帰りたくない。」

凄く小さな声で言ってしまって気が付いた。なんで今まで気が付かなかったんだろう?

「え?なに?」

お兄ちゃんが聞いてくる。

「お願いがある。」

私はうつむいて、お兄ちゃんの袖を引っ張って言った。

「『りく』って呼んでいい?」

お兄ちゃんは、ふっと笑った。

「いいよ。」

私は俯いたまま言った。

「陸が好きだと思う、私。」

また泣けてきた。

「そうか。」

たまらず、陸の胸に顔をうずめる。陸は、そっと、そうっと抱きしめてくれた。

「大通りだぞ。」

って笑いながら。


 陸は背が高い。だから、私は、陸の顎までの身長もない。私はすっぽり陸の胸におさまって、気持ちがおさまるのを待った。陸が私の頭のてっぺんにキスをする。

「なんだよ、そのキス。わけわかんない。」

私はすっぽり埋まったまま言う。

「そういうことだよ。」

私の頭をまたポンポンと叩くと、

「帰るぞ。」

と言って歩き出した。


 帰りの電車に乗ると、いつもの「お兄ちゃん」と「妹」の関係に戻ったように、沢山喋って、笑った。

「バイバイ。」


その日、陸に電話した。あのキスの意味が知りたくて。


「『この人と一緒にいたい、だけど、この人と一緒にいたら、この人をダメにしてしまうかもしれない、傷つけてしまうことになるかもしれない。』って思った。」 

「映画のセリフじゃん…。」

「知香のこと大事なんだ。」

「うん…」

だから?どうして?どういうこと?

「知香を1ミリも傷付けたくない。大事だから。だから、俺は、『お兄ちゃん』のままがいいんだ。」

涙がこぼれた。何の涙かわからなかった。何?私、今、振られてるの?告白されてるの?


「ずっと知香が好きだった。でも、ずっと見守っていたかったんだ。知香が幸せでいてくれること。『お兄ちゃん』としてね。」

「なら、なんで?」

涙が止まらない。

「ずっとこのままでいたい。」 

「どういうこと?」

「うん。もう会わない。」

「…。」

二人の間に長い沈黙が流れた。

「ねえ…」

私は聞きたかった。

「あのキスは何?」

少し間があって、陸が静かに言った。

「『愛してるよ、俺のいちばん大切な妹。』って。」


 涙が止まらなかった。涙が止まらなかった。

 電話を切って、ベッドに潜って一晩中泣いた。



 あれから10年以上も経つ。

 私は社内恋愛で5年前に結婚し、陸も2年前に結婚したらしいと同級生から聞いた。もうお互い連絡先も知らないし、連絡もしないだろうけれど。



 私は、今でも陸の「妹」だ。 

 陸は、今でも私の「お兄ちゃん」だ。


 それは、きっと、いつまでも変わらない。

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お兄ちゃん 緋雪 @hiyuki0714

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