./Final Round

誰もいない夜の公園に辿り着き、ベンチに腰掛けた。カリフォルニアの夜は昼の陽気が嘘であるかのように冷え込む。それは熱狂のIT起業家たちが集まるシリコンバレーも例外ではない。ロウは自身の肌に埋め込まれた検知器を通して、周囲の気温が下がっていくのを感じていた。サンフランシスコ湾からは海風が吹いている。


公園に植えられた木々の向こう側では高層ビルたちが月明かりに照らされ、ちょうどディンベルグ社の巨大な本社ビルが中央に位置している。Dというアルファベットをベースにデザインされたロゴマークが、その栄華を象徴するかのように輝いていた。


闇の中から黒い髪をした女が音も立てずに現れロウの側まで来る。もっとも彼は瞳に仕込まれたサーモグラフィでその様子を見ていたので驚くことはない。変装のために金色の髪を黒く染めた早乙女キリカだった。


「何そのバラ」

「あぁ、これか?特に理由はないさ」


そう言ってスーツの胸ポケットからバラを取り出した。それを見つめるロウの表情は、人間が感傷にひたるときに見せるものに限りなく近かった。理由もなく行動する点も含めて。


「皮肉なものね。わざわざ人間の脳に埋め込まれた彼女より、機械の体のままのあなたの方がよっぽど人間に近い。そして自力で”意志”を持つようになったアンドロイドにオーランドは殺された」


普段はおしゃべりなロウだが、今は何も言わず、ただバラを見つめている。そして、おもむろに内ポケットから先ほどコンビニで買ったジッポライター用のオイルを取り出しバラにかけた。オイル特有のツンとした匂いが辺りに広がる。バラは濡れて奇妙につやつやと輝き、バラから垂れたオイルが公園の砂を濡らした。ロウは静かにオイルをかけ続けた。やがて水溜りのようにオイル溜まりができていった。ロウは悲しいほどに無表情なままでオイル溜まりに目線を落としながら、唐突に「そろそろかな」と呟いた。


キリカは木々の向こうのディンベルグ社の本社ビルを見る。これは終わりではない。ただの始まりに過ぎない。終着点は自分とロウの死で、それは絶対的な運命と言える。でも何も悲観することはなかった。エインヘリアルで命懸けの戦いをこなしていたのと変わらないし、これからは戦う相手がこの地球上の全てになるだけだからだ。


そう考えをまとめ終わったのとほとんど同じタイミングで、ディンベルグ社の本社ビル最上階が光を放つ。遠目から見てもそれは爆発と分かるものだった。最上階のフロアが丸ごと爆破された。巡回の警備アンドロイドが運悪くその部屋のドアを開けてしまい、オーランドの部屋にロウが置いてきた”仕掛け”を作動させてしまったに違いない。


2001年のNY以来、200年ぶりとなるアメリカ本土でのテロ攻撃だと思われたかもしれない。SFPDとFBIとCIAとNSAとペンタゴンと、この国に潜入してる他国の諜報機関の連中がもれなく血相を変えているだろう。CNNかどこかのヘリもきっとすぐに飛んでくるはずだ。ほら、もうサイレンが鳴り響いている。コンタクトレンズ・デバイスに映るオンラインニュースの画面は速報で溢れかえり、SNSのコメントは世界中で指数関数的に増えていった。


カチッと、キリカの背後でライターの音がする。振り返ると、ロウがバラに火をつけたところだった。オイルが燃える匂いが漂う。闇の中で炎はひときわ輝いて見え、ロウの顔を強く照らした。キリカはその様子をただ黙ってじっと見つめた。


熱を感じることはできても、アンドロイドであるロウは火傷をしない。指先を覆う人工皮膚が焼け焦げても痛みは感じず、手に持ったバラは燃えながら数秒かけて徐々にしおれていく。その数秒は永遠にも感じられた。やがてロウの手が放され、バラは地面のオイル溜まりにぽとり、と落ちた。溜まったオイルにも火がついて、いっそう炎は大きくなった。


キリカがふとディンベルグ社のビルを見やると、そちらもまだ燃えていた。消火活動は難航しているのだろう。スプリンクラーの制御機能を滅茶苦茶にハッキングした張本人は目の前にいる。


そろそろ行くかとキリカに声をかけ、ロウはおもむろに立ち上がる。キリカは無言で頷いた。数歩歩いてロウは意を決したように振り返りバラに向かって言った。


「あばよ、PJFW-08。地獄で会おうぜHasta La Vista ベイビーBaby


ロウが去り際に親指を立てることはなかった。ここに戻ることはないI won't be backからだ。


キリカは何も言わなかった。ふと弔いは死者のための行いではないのかもしれない、と思った。残された者が自分の中の感情と決着をつけるため。アスタラビスタと告げるため。明日からまた歩き出し、戦いの渦に身を投じるために。

しかしそんな思考もほどほどに打ち切った。これから為すべきことが山積みなのだから。そうして意志を持った戦乙女とアンドロイドの二人組はどこかへと歩いていき、姿を消したのだった。



まるで火葬でもされたかのように、バラは既にほとんど灰になった。

しかし炎はまだ燃えている。しばらくは燃え続けるだろう。ひっそりと、しかし煌々と。冷え込んだカリフォルニアの夜の闇の中で。

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