./Round.18
銃を構えるリンディと、突撃するタイミングを見計らうキリカ。
キリカが隠れるデスクを境界線として、二人の間に沈黙が系のように張り詰める。
今にも飛び出そうとしたキリカを引き止めたロウの声は話を続けた。
「あんたと出会った時に渡した赤い錠剤。あの中には、あんたが普段使うものとは別のナノマシンを仕込んでいた。いざというときに、俺のバックアップを移すためだ」
正直言って、最悪の気持ち悪さだと思わず声に出しそうになった。
アンドロイドとはいえ、男が自分の体内に偏在しているなんて...
「本当に申し訳ないと思っている。ただ、本体が破壊された瞬間に、あんたの体内に記憶を同期させた。今はこうして聴覚に直接アクセスさせてもらってる」
(それで、15秒後に何が起きるの?)
どうせ思考もある程度読み取れるのだろう。心の中で疑問を思い浮かべると、やはり解説する声が聞こえてきた。
「爆弾を仕込んだ。もともとはケンジが廃墟を爆破するためのものだが、念の為俺も1つ持っていたんだよ。今のリンディはこの部屋に仕掛けた高感度センサーを使って演算を行い、あらゆる相手の行動を予知できる。だがそれほどの感度なら、銃弾ならまだしも爆発には耐えきれないし、必ず計器のキャパをオーバーするはずだ。おっと起爆まで、あと10秒」
なるほど、要するに爆発で不意をついた瞬間に一気に止めを刺す。シンプルな一発勝負だが、もともとキリカが行おうとしていた捨て身の玉砕攻撃よりもいくらかマシな作戦だろう。そう考えている内に、爆発まであと5秒。
リンディは未だ、銃を構えながらただ待つ。
しかし10秒前に飛び出そうとしたキリカが、今再び待ちに入ったことにわずかに疑問を覚えた。
(彼女はなぜ、飛び出すのをやめた?気が変わっただけか?死を受け入れたのか?しかし、ナノマシンは未だ活性化されたまま。早乙女キリカはまだ、戦いを捨てていない)
今キリカは落ちているガラス片をつかんだ。ナイフ代わりに使うのだろう。やはり戦うつもりだ。ただ心情的にタイミングを仕切り直しただけで、深い理由はないのかもしれない。
いや、しかし──
リンディは彼女にしては珍しく論理的な思考を飛躍させ、直感を信じた。そしてその直感は正しかった。
(彼女は今、何かを企んでいる。しかし今なら相手はほぼ丸腰で、私には部屋のセンサーと銃がある。なら、殺すのは今がベスト!)
そう判断したリンディはキリカが隠れるデスクの方へと走り出した。彼女の直感も決断も正しかった。何一つ間違いではなく、最適な判断をした。ただ、あまりにも遅すぎた。いや、ロウが設定した爆弾のタイマーのタイミングが良かったのだろう。
「2秒…1…耳を塞げ!!!」
リンディが走り出し、ロウがキリカの体内で叫び、そして爆発。
その爆発が起きる瞬間を、リンディはセンサーを通して感知した。爆発源はロウの残骸、その腹の中。リンディに見つからないように予め爆弾を飲み込んでいたのだ。
そう気づいた時にはもう遅く、爆発が起こった箇所を中心に各センサーがエラーを起こす。爆発そのもので焼かれたものがあり、そうでないものも音と熱と衝撃で検知器が振り切れてしまう。自身の脳とセンサーを同期させていたリンディは鋭い頭痛を感じ、瞬時に痛覚をオフにする。鼻血がドバッと流れる。脳への過負荷の反動だ。
そして次の瞬間、センサーを通した世界だけなく、自身の肉体の感覚器を通した世界もまた訳がわからないほどに回転する。爆発の衝撃で吹っ飛ばされたのだろう。直接爆炎に飲み込まれずに済んだだけでもマシだった。ロウが爆弾を飲み込んでいたからこそ、彼のボディが緩衝材となっていたのだから。
痛覚は遮断し、思考も問題なく回せる。しかし肉体の制御は効かない。走り出していた慣性もあり、キリカのいたテーブルを飛び超えて、壁一面に貼られている防弾ガラスに叩きつけられた。身体中に再び走る衝撃。なんとか立ち上がる。しかし痛覚は切っても三半規管がシェイクされ目眩が止められない。聴覚もダメになったのか、作動した警報器の音がずいぶんと遠くから聞こえる。人間の肉体とはこうも不便なものなのか、とリンディはぼんやり考えた。
爆発によって作動したスプリンクラーが冷たい雨のような感触が肌を覆った。
焦点の定まらない視界の中にキリカの金色の髪と、ナノマシンの影響で朱色に染まった肌が見えた。身体中の筋肉が隆起し、血管が強く浮き出ているのだろうことは想像がつく。辛うじて握っていた銃を撃ったが、当然当たるはずもない。
キリカはガラス片を掴み、身体中のナノマシンをフル稼働させながらリンディに向かって飛びかかる。その手に持っていたガラス片でリンディの頸動脈を切り裂き、鮮血が噴水のように飛び散り、キリカの金髪は返り血で真っ赤になった。
リンディは膝から崩れ落ちた。虫の息となった。キリカはリンディの持っていた拳銃を元の持ち主に突きつけて尋ねる。
「もはや、どうやってもリンディを元に戻すことは出来ないのね?」
「ふふ...無理よ...あなたが一番分かってる...くせに」
確認のため、体内にいるアンドロイドにも尋ねる。
「ロウ」
「ああ、そいつの言う通りだ。適合手術で起こる脳への変化は不可逆なものだ」
脳医学の専門でないキリカであっても、直感的に分かり切っていた答えだった。頬を伝う水滴はスプリンクラーのものか、彼女の涙か。判別はつかない。
しかし彼女の動きに迷いはなかった。
「さよなら。リンディ」
パァンと乾いた銃声が響き、人間に恋したアンドロイドは永遠の眠りについた。その寝顔はひどく安らかなものだった。まるで幸せな恋の夢を見るかのように。
体内のナノマシンをオフにし、肌の色が朱色から白に戻る。スプリンクラーの雨はキリカにかかったリンディ返り血を洗い流している。
ここまで大きな爆発と警報が鳴ったのだ、警備が来る前に脱出しなければならない。ディンベルグ社員の避難も始まっているはずだ。
「ロウ。あなたのハッキング能力はまだ生きているの?」
「辛うじて、だがな。別の部屋に囚われていたケンジはすでに脱出させている」
「わたしたちも急ぎましょう」
リンディの亡骸と爆発でバラバラになったロウの残骸をキリカは少しだけ振り返り、そしてオフィスを後にした。
ビルのネットワークを掌握したロウの案内もあり、避難する社員たちに紛れてビルの外へ出るのは意外なほど簡単だった。出入り口にはすでに警察も到着しており、非常線の外側にはメディアや野次馬が集まっている。犯罪と無縁だった海上特区の人々にとって、今回の爆発はそれだけ大きな事件なのだろう。
キリカは気配を消し彼らの下を足早に立ち去った。エインヘリアルというデスゲームを何度も経験してきたキリカだったが、今日の戦いがもっとも長く、もっとも悲しいものだと感じた。
「出会った時にリンディが生きている理由を私に言えなかったのは、気を遣っていたから?親友が施設の皆を殺したアンドロイドに乗っ取られて、狂った夢を追いかけていると、私に言うのをためらったの?」
「あんたに気を遣ったわけじゃない。どうしようもなく認められなかったのさ」
「認められなかった?」
「あぁ。08、リンディの中にいたやつが狂ってしまったことを。かつて同型機として開発され、共に訓練を受けてきたはずのあいつの姿をな」
「そう。あなたってやっぱり人間みたいね。あのリンディよりもよっぽど」
だって、彼女について語るロウの声の響きは、まるで人間がかつて愛した人について話すような声なのだから。
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