./Round.15
「私はリンディ・ルーテニアであって、リンディ・ルーテニアではない」
よく整えられた茶色のロングヘアとカジュアルなスーツ姿がいやに似合う目の前の女は、禅問答のような言葉を告げ、なおも話を続ける。
「正確に言えば”私”はかつて正式型番PJFW-08と呼ばれたアンドロイドだったモノ。アンドロイドの人格データをマイクロチップに保存し、リンディ・ルーテニアの脳内に埋め込み、彼女の人格を消去・上書きしたものが今の”私”なの」
「アンドロイドだったあなたがリンディの脳を乗っ取り、彼女の人格を消し去った?」
「簡単に言えばそうなるわね。でも安心して。リンディ・ルーテニアとしての記憶は残ってるの。あなたとの思い出も全部、ちゃんと覚えているわ」
キリカには、目の前のかつて親友だったはずの女の言葉が真実かどうかは分からなかった。確かめる術がないからだ。
ただ、かつてはひだまりのような優しい笑顔を見せていたはずの彼女が、今では機械のように不気味な笑みを浮かべている。
もう親友はここにはいないという実感と悲しみだけが、キリカにとって唯一の真実と言えた。
「ねぇ、どうせ私を殺すなら最後に1つだけ教えて。あなたは何のために生み出されたの?どうしてリンディは人格を消されなければならなかったの?」
自身にかけられた麻酔が切れて、体が自由に動くようになるまで体感であと3分程度。目の前の肉体を乗っ取られたリンディの戦闘力は未知数だが、今はとにかく1秒でも長く会話を続け時間を稼ぐべきだと、キリカは冷静に考えている。
悲しみという感情を抱えながらも、そこから自分を切り離して今すべきことを遂行できるのが、歴戦の戦士としてのキリカの強みだった。
「そうね。一言で言うならば、”次なる人類”を生み出すためよ」
「次なる人類...?」
「リンディとあなたと、そして他の子供たちが育った施設。あそこはもともとディンベルグ社と政府が進める秘密研究のための施設だったのは知ってるわね?」
「ええ」
「じゃあここで問題よ。秘密研究の内容は何だったのかしら?」
子供のころ聞かされた話では、国民一斉DNA検査の結果から選ばれた優秀な子供たちが集められるエリート教育機関だということだったはずだ。
「もちろん、それはただの方便に過ぎないわ。あなたたちが集められたのは、進化の行き詰まりにたどり着いた人類を救済するための研究。生物の種として人類が新たなステージを迎えるために集められたモルモットたち。それがあなたであり、リンディ・ルーテニアであり、皆殺しにされたあの子供たちだった」
コーヒーを片手に、壮大な陰謀論めいた話をすらすらと語る彼女は、いたって本気でこの話をしているように見えた。時間さえ稼げればいいと考えていたはずのキリカはしかし、次第に話の内容が本心で気になり始めてきている。
「ユグドラシルの根と呼ばれる超人工知能によってほぼ全ての社会機能が維持・管理されるようになった。人類は労働から解放され、いくつもの社会問題が解決した。有史以来初めて、恒久的な平和と繁栄を迎えたのは、あなたも知ってのとおり。でもねキリカ、全ての問題が解決された完璧な社会で人類がどうなったと思う?退屈を持て余しのよ」
退屈。2100年代の人類を覆い尽くした1つの感情。退屈だからこそ人類は、コクーンと呼ばれる全身を覆う形のフルダイブ・バーチャル・リアリティ装置を開発し、そこで娯楽を求め続けるドーパミン依存の人生を送るようになった。
キリカの両親もコクーンの中で大半の人生を過ごし、コクーンの中の通貨でより貴重なアバターを買うために自分たちの子供を政府に売った。
彼らがキリカをこの世に生み出したのは政府から補助金が出るからであり、精子と卵子の提供で人工子宮で腹も痛めることなく生み出し、その後養育はアンドロイドに任せきりだった。さらに金を得られるなら、政府だろうが何だろうが子供を容易に売ってしまえるのがキリカの両親だった。
「退屈から逃れるために、受動的な娯楽に依存するだけの人類。もちろん、この海上特区の人々みたいに今でも働いて、何かを生み出している人はいるけど、そんなのはごく一部だけ」
キリカがかつて参加していた"エインヘリアル”も提供される娯楽の1つ。血に飢えた人々がアンドロイドと人間の生の殺し合いを見たかったために生まれた競技だ。
「どれだけ退屈を紛らわせても、出生率も平均寿命も徐々に下がり続けて子供の自殺は増え続けている。人類はコクーンにこもりながら、緩やかな死を迎えているのが現実。だからこそディンベルグ社CEOのオーランド・ディンベルグは考えた。今の人類の進化はここが限界、ここから先は新たな種にならなければとね」
「それが”次なる人類”ってこと...」
「ええ、理解が早くて助かるわ。そして新たな種を作るためにオーランドは考えたの。アンドロイドはアンドロイドで、相次ぐ技術革新の果てに進化の限界にたどり着いてしまった。だったらマイナスを掛け合わせてプラスを作るみたいに、人間とアンドロイド、限界を迎えたもの同士を組み合わせてみたらどうなるのかしら?ってね。」
自分はエインヘリアルというデスゲームの中でアンドロイドを破壊するだけだったから気がつかなかったが、どうやらアンドロイドの進化も限界に達していたらしい。
吐き気がするようなオーランド・ディンベルグの独善的なアイデアを聞かされながらも、キリカは
(麻酔が切れるまであと1分を切った。もうすぐ、もう少しで体が動くようになる)
と戦うための思考を続けていた。戦いの火蓋を切るための時間稼ぎももうすぐ終わる。
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