./Round.08
自宅に比べれば手狭だったが、ロウが廃モールの2階に用意した部屋は悪くないとキリカは感じた。自身の到来を予期していたかのように、生活に必要な家具一式が揃えられていた。
部屋の奥には、特別に作ってくれたらしいシャワールームもある。戸棚の中にはフリーサイズの女性用の服と下着、そして生理用品やサプリも目立たないように入れられていた。
そもそも追われる身だし(ケンジいわく指名手配などはされていないらしい。が、それはむしろ秘密裏に処分されることを意味するので朗報ではない)、荷物も何も持たずに逃げてきたので、安心して眠れるだけでもありがたかった。
敢えて挙げるとすれば。テナントの居抜きなので窓がなく、ドアがわりのシャッターの閉会が面倒なこと。この2点さえなければさらに高得点な物件だっただろうと思う。
そんなくだらないことを考えていると、
リンディ・ルーテニアという女の顔と名前からは、やはり懐かしさを感じる。
知人か友人だったのかもしれない。そう思うと、できれば殺したくはないというのが素直な気持ちだった。
しかし、記憶が戻るまでは時間がかかるというのだから、今考えてもしょうがない。
キリカは、シャワーを浴びてさっさと寝ることにした。幹線道路上での3体のアンドロイドとの戦い、そしてロウとの邂逅。その両方でついた血と汗と汚れを洗い流す。
ボディソープやシャンプーはいつも使うものではなかったが、それなりに質の良いものが置かれていた。ケンジかロウか、あるいは他の協力者か。誰かはわからないが、妙に細かい気遣いが行き届いているのがありがたかった。
シャワーを終えた彼女は、スウェット生地の寝巻きに着替え、部屋の電気を消した。
気持ちや思考を鎮め瞬時に深い眠りに落ちつつ、周囲の気配への警戒も同時に行うこと。エインヘリアルでのサバイバル生活でも、それは最も重要な行為にあたる。
彼女が常日頃から習慣づけていることであり、今夜も同様に行われるのだった。
...
「リンディとあんた、そしてキリカのこと。まだ話してなかったのか?」
「あぁ、まずは彼女の記憶が戻ってからだな」
「先延ばしにしてるだけだろ、バカ師匠」
「何を言ってるんだ。俺は紳士的にフェアな状況を重んじているだけさ」
大事なものごとをズルズルと先延ばしにするとは、なんとダメなアンドロイドがいたものだろうか。ケンジはそう思ったが、何も言わなかった。優しさからではなく、ポンコツ師匠のそういう部分に見切りをつけているからだろう。
「とにかく、しっかり頼むぜ。早乙女さんはこの計画に必要不可欠な人間なんだろ。俺たちはこのときのためにずっとあんたと行動を共にしてきたんだ」
「分かってるさ、ケンジ」
本当に、分かっているんだ。そう呟いた彼は笑顔を浮かべながらも、その奥にはさまざまな感情を覆い隠しているような目をしていた。悲しんでいるようにも、困っているようにも見えた。
2100年代に入ってから、アンドロイドの表情を作る技術は人間と遜色ないレベルになっている。しかし、ロウが浮かべる表情は、他のアンドロイドと比べてもなお一段と、人間らしかった。その様子をケンジは黙って見てから、「俺ももう寝る」と言って隣の自分の居住スペースに帰っていった。
ケンジを見送ったロウは、自身の頭部に搭載されたメモリーの中から1枚の画像ファイルにアクセスした。人間で言えば、それは感傷や思い出に浸るという動作に極めて近いだろう。違いがあるとすれば、それが記憶ではなく記録であり、明確な形があることだ。
普段多くのアンドロイドがそうするように、自身の視野角をモニターとして使用しているロウは今、画像ファイルを視界に表示した。そこに写っているのは何体かのアンドロイドが白い壁をバックにして、横一列に整列している様子だった。
アンドロイドたちは人工皮膚に覆われておらず、ポリカーボネートと金属のフレームが剥き出しになっている。市場に出荷される状態のアンドロイドには見られない、開発段階の姿だ。男性型の骨格を持つものもいれば、女性型のものもいる。
ファイル名は「プロジェクト"
それはロウ自身が開発された極秘プロジェクトが本格稼働を始めた際に撮影された、記録写真の1枚だった。今の人間を模した外見からはわからないが、男性型の骨格をもったアンドロイドのうちの1台がロウなのだろう。
ロウはその写真をじっと眺めていた。人間が無意識化で様々な思いをごった煮にして蓋をするように、感情を司るCPUの機能はバックグラウンドでの処理を続けていた。
「分かってるさ。俺がやるしかねえんだ。覚悟は出来ている」
そう呟いたロウは画像ファイルを閉じ、目の前のコンピューターの操作を始めた。彼の脳内でも数十件のタスクが同時並行で処理されている。睡眠を必要としないアンドロイドの彼はこうして、海上特区潜入のために必要なタスクを淡々と進めている。
すべては、リンディ・ルーテニアを殺すために。
そうして廃モールの夜は静かにふけていく。吹き抜けの天井に造られたガラス窓から、月の光が少しだけ差し込んでいた。
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